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第一章

第十五話 常識、通念、意思あるいはそれに類する何か

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 荷物なんていらない。
 その言葉が虚偽でも虚勢でもないことを、リリエリは今まさに身を持って体感していた。

 ――無双。
 そんな単語が、リリエリの頭の中で瞬いた。

「ヨ、シュアさん、右方から獣の歩行音がします!」
「うん」

 ヒュ、と風を切る音と共にリリエリの髪が揺れた。ヨシュアが何かを投擲したようだが、リリエリには何を投げたのか皆目検討もつかなかった。拾うモーションも、投げるモーションも、気がついたときには全てが終わっているのだ。

 ヨシュアが何かを投げ入れた先、茂みの向こうで何か動物の叫び声のようなものが上がる。それで終いだ。
 そこに何がいたのかもわからない。わかるのは、そこにあった脅威がヨシュアの一投で失せたということだけ。

 リリエリは自身のバックパックごとヨシュアに抱えられた状態で、後方に流れていく景色をただ呆然と見ていた。
 ヨシュアは片手でリリエリを抱えたまま、そのような芸当をやってみせたということだ。

 圧倒的、すぎる。

 小脇に抱えられたリリエリは、ただただS級という等級の重みを噛み締めていた。
 お荷物扱いされたことは多々あれど、文字通り"荷物扱い"されたのは初めてだな。なんてことを思いながら。


□ ■ □


 ナナイ山岳の裾野は比較的緩やかで、強い魔物もそうはいない。小さいながらも坑道などもあり、気休め程度であるが道も整備されている。
 麓を経って一時間ほどの道程は、間に合わせの杖でも問題なく進むことができた。問題はその先であった。

「……看板が立ってる」
「ここから先はB級以上の冒険者しか入れない決まりになっています。道も整っていないし、草木が茂っていてろくに陽も差しません」

 現在位置はナナイ山岳の三合目として扱われている。目的であるレッサーレッドは七合目付近が群生地だ。

「五合目には山小屋が設置されています。昼までにそこに到着することを目指しましょう」
「わかった。……あと二時間くらいだな」

 ヨシュアは看板をひょいと乗り越え、一切の躊躇いなく森に踏み入ろうとしていく。リリエリは慌ててヨシュアの服を引っ張って止めた。
 その際気付いたことだが、ヨシュアの服装もまた冒険者の使うような代物ではなかった。着心地を優先した柔らかめの……リネン織?

「……あの、鎧を着てこいとは言いませんが、もっと頑丈な服はなかったんですか。キャンバス生地のものとか」
「あの家にこれがあったんだ」
「ああ……」

 リリエリは、このときようやく理解した。あのときヨシュアが言った言葉の意味を。

 初めて出会ったその日の夜に、彼の背の上で聞いた言葉。「俺は一人では冒険者としていられない」だなんて、誰が文字通りに受け取るだろうか? 謙遜、誇張、配慮。そういったコミュニケーションを円滑にする言い方だとばかり思っていたが。

 そろそろ目を背けるのも限界があるだろう。リリエリは、沢山の諦観とほんのちょっぴりの畏怖をもって、現実に焦点を合わせた。

 ……この人、ないんだ。
 常識とか、通念とか、意思とか、なんかそういったものが。

 だから一人で壁外に出て行倒れる。だから人の提案をそのまま受け入れる。だから武器も防具も食料も持たないで冒険に出る。
 下手したら自分の命が大切なものであるという考えすらないのかもしれない。

 "俺は一人では冒険者としていられない"。
 マジのガチで一切の偽りなく。ヨシュアは一人では冒険することができない。
 S級らしいが。魔物を倒す力もあるが。
 冒険者として、致命的なものが欠けている。

 ……自分に似ている。

「……リリエリ?」

 黙り込んでしまったリリエリの様子を不審に思ったのか、ヨシュアが怪訝そうな表情を作っている。その声で、リリエリの思考が現在に引き戻された。
 似ているだなんて、烏滸がましい考えだ。少なくとも、今この瞬間に必要なものではないだろう。

「あ、いや……、引き止めてすみません。ここから先は危険な魔物が出ますから、準備をしてから行きましょう」
「準備?」
「はい。ここから先は獣系や虫系の魔物が多いので、それらが苦手とする匂いを纏うんです。それからなるべく明るい道をマッピングして、」
「……手間がかかりそうだな。早く山小屋に辿り着いた方が嬉しいんじゃないか」
「それはもちろんそうですが」
「じゃあ行こう」

 ひょい。
 まるで樽か何かを抱えるみたいな調子で、ヨシュアはリリエリを片手で抱え込んだ。

 あれ、地面が急に遠いぞなんて思った時には既に遅く。にわかには信じられないスピードを出して山岳を駆けていくヨシュアに揺られて、リリエリはあっという間に山中へと分け入る羽目になったわけである。


□ ■ □


 そして話は冒頭へ戻る。

「あのっ! なんか、なんかに囲まれてませんか!」
「囲まれてる。アンタはなるべく動かないでいてほしい」

 リリエリは魔物の探知は得意だ。魔力がないと足が不自由な身の上、そうでないとすぐに死んでしまう。

 気づいた気配はすぐにヨシュアに報告しているが、この行為にどれほどの意味があるかは不明だ。リリエリが声を上げた時にはもう、ヨシュアは行動に移っている。

 樹の上から降り落ちてきた獣を易々と避けたヨシュアの腕が、その勢いのまま獣を思い切り殴りつけた。

 何やら黒い塊が吹っ飛んでいった、ということまではわかった。
 と、同時にヨシュアの足が地面を蹴り上げる。ものすごい勢いで吹っ飛んでいった石片が、樹の影にいた何かを正確に撃ち抜いている。

 ……デタラメだ。剣も魔法も一切使ってないはずなのに、何が起きている?

 これがS級の冒険者。この人がいろいろ欠けたままでいられるのは、この強さのせいか。

 身を隠す考えなど毛頭ない、派手な立ち回りであった。こちらの存在を感知した魔物が辺りを囲んでいるのか、あちらこちらから唸り声や羽音が聞こえてくる。

「聞きたいことがあるんだが」
「どっ、どうぞ!」
「この中に高値で売れるやつはいるか」
「……い、ないです! この先にもっと割の良い魔物がいます!」
「わかった」

 ヨシュアがぐっと足に力を込める。視界の揺れが更に大きくなる。
 周囲を取り囲む魔物全てを置き去りにして、二人はナナイ山岳を駆け登る。

 
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