龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第一章

第十九話 ネコソギ

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 根こそぎだ。
 気がついた時には、すべてがなくなっていた。

 杭を打ち込んで作った魔物除けの三角形。紋章魔術の範囲の限りに作成したその結界は、ちょっとしたスポーツが出来るほどの面積があったはずである。
 今では無毛の地だ。全てリリエリが採ったから。その場所一面にあったレッサーレッドは、いまは全てが麻袋の中である。

 いつの間にか完全に陽が落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。この暗さの中森を通って五合目の山小屋に戻るのは流石に危険だ。
 どうしてこうなったんだっけ。なんでこんな時間になってしまったんだっけ。

 依頼目的の草が詰まった大量の麻袋を見ながらリリエリは呆然と、しかしどこか満足そうな清々しい表情を浮かべていた。


□ ■ □


 ことは約十時間前に遡る。

 採取作業中は自由に、とは言ったものの、ヨシュアはしばらくウキウキと作業に勤しむリリエリを眺めていた。見ていて楽しいものではないと思うが、それはそれとして話し相手がいるというのは嬉しいとリリエリは思う。作業中に語り掛けられる相手など、いままで一人もいなかったからだ。
 そういうわけで、作業初めは二人で取り留めもない話をしていた。

「レッサーレッドの良し悪しは色の均一性で決まるんです」
「そうなのか。初めて知った」
「なるべく良いものを納品してるとたまーに指名で採取依頼をいただけたりするんですよね。いやほんとたまになんですけど」
「それでさっきから袋を分けながら摘み取っているのか」
「そうです。あまり質が良くないものは納品こそしませんが、家畜の飼料として買い取ってくれる人がいるので採ります」

 採取のやり方は祖母に教わったものだとか、リリエリは生まれも育ちもエルナトだとか、そういう身の上話も少ししたように思う。
 やがてヨシュアはここら一帯が安全であることを確信したのか、少し森の方を見てくると言って姿を消した。

「アンタに危険を及ぼさないことは約束する」

 ふらりと散歩にでも行くような調子であった。いくらS級の冒険者とはいえ一人で七合目の森に入るのは危険なのでは、と口を出しそうになったが、リリエリがいても改善はしない。それどころか足手まといとして余計に危険になるかもしれない。
 結局リリエリは気を付けてくださいねとだけ伝え、二人は一時的に離れた。まだ作業してていいらしいとリリエリは解釈し、彼女の意識は再び作業へと戻っていった。この時点で目標の納品量の八割程度が摘み取られていた。

 それからどれくらい経ったか。過集中状態のリリエリは時間感覚をほとんど認知していなかったが、ヨシュアが森から戻ってきたらしいことには気がつくことができた。しかし彼はリリエリに何も言わなかったので、リリエリは再び自身の手元に意識の焦点を戻した。きっとそんなに時間が経っているわけではないのだろうと思った。

 陽が傾いてきて、自分の影でレッサーレッドの色味が分かりにくくなってきたので、杖に仕込んだ紋章魔術を起動し辺りを照らしながら作業を続けた。ヨシュアは何も言わないで、ほんの少し離れたところに座っていた。
 レッサーレッドは十分に採ったし、そろそろ彼も飽きてきた頃合いだろうが、周辺の安全を逐一確認しなくてもいい作業環境は格別に楽しい。なるべくこの時間を続けたいと、リリエリはさらに目の前のレッサーレッドに集中した。ヨシュアに止められても後悔しないように、時間の限り精一杯作業をしようと思ったのだ。

 杭で作った魔物除けの中のレッサーレッドを端から順に摘み取りながら、リリエリはただ、ただ、ただ前だけを見ていた。
 周囲が見えるようになったのは、三角形の一片を形作る杭の一本に手が触れたときである。どうして杭がここにあるんだ? 十分に広い範囲を用意したはずだが、とリリエリは顔を上げた。周囲がとっぷりと暗くなっていることに気がついたのは、この段になってようやくのことであった。

「……えっ? 夜? なんで?」

 杖から発せられた明かりにより、リリエリの周辺は昼のように照らされている。だから気づくのが遅くなった? いいや普段であればこんなに周囲が見えなくなることはない、と思う。たぶん。恐らくもうちょっと理性的に行動してた気がする。

 安心しきっていたのだ、強い冒険者と共にいるから。魔物の脅威を退けてくれる人が、丁度良い塩梅に作業の終了を知らせてくれる人が一緒にいてくれるから。
 ……じゃあなんでこんな時間になってるんだ、という話だが。

 リリエリはハッとなり、慌てて周囲に目をやった。魔物除けのおかげか、目に見える危険はなさそうだ。ではヨシュアはというと、夕暮れ頃に見かけた場所、見かけた姿のままで少し離れた場所に座り込んでいる。……あれから一歩も動いていないのか? まさか。

 リリエリは慌ててヨシュアの元に駆け寄った。杖に照らされたヨシュアは、普段と変わらない表情でリリエリの方に視線を向け、口を開いた。

「もういいのか?」

 もういいのか、ってなんだ。

「え、いや、切り上げた方がいいかなって。夜、なので……?」
「俺はどっちでもいい。アンタに従う」
「……ヨシュアさんは、お腹空いたりとか、暇になったりとか、眠いとか、疲れたりとかないんですか?」

 一瞬ヨシュアの口が開き、すぐに閉じる。ないと即答しようとしたが、急に取りやめたような様子であった。そうして左上の中空をぼんやりと眺めて、しばし考える素振りを見せてから再び口を開いた。

「ない」

 ああ、この人、そういったものもないのか。
 
 やってしまった、とリリエリは思った。
 ヨシュアには自分のストッパーになってほしいと思っていたのだが、どうやらそもそも彼自身にその機構がついていないようである。

「俺のことは気にしなくていい。もう少し作業を続けるか?」
「いいんですか!?」

 さて、こと採取においてはリリエリにもストッパーはない。
 好きだから。やりたいから。壁外に出ている時点で危険は織り込み済みだから。冒険者なんてそんなもの、とリリエリは思っている。事実はさておくとして。

 しかし幸いにしてリリエリはヨシュアより若干理性的であった。魔物除けの杭の張り直しの算段を立てた辺りで、リリエリはきちんと現実を見据えることができたのだ。

「いや、いや、流石にもうやめましょう。あまり暗いと森を抜けて五合目の山小屋に戻れなくなる、ので……」

 ふと辺りを見渡す。杖が照らす範囲の外は闇だ。雲の切れ間からいくつかの星が見えている以外は、完全な暗闇である。
 ふと辺りに耳を澄ます。どこかから獣の遠吠えが聞こえる。まだ距離があるが、昼間では耳にしなかった魔物の声だ。
 ふとヨシュアを見る。彼はただリリエリの言葉の続きを待っている。手元の明かりでは判然としないが、七合目に辿り着いた時よりも服が汚れているような気がしないでもない。

 完膚なきまでに夜だった。魔物が活発化する時間帯。一切の頼りも指針もない徹底的な暗闇。

「……もう戻れなくないですか?」

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