龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第一章

第二十二話 あらざる冒険者

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 木々もまばら、地面には岩肌も目立つようになってきた、そんな頃合いであった。
 もうじき八合目も半ば、森林限界へと至るという段。密度の薄くなった樹冠から頼りなく差し込む月明りが、ソレのシルエットをぼんやりと浮き上がらせていた。
 
 男性の腕ほどもありそうな蔓は地面のある一点から放射状に延びており、周囲の木々にクモの巣を形作るかのように巻き付いている。ヨシュアたちが吊り下げられている丁度真下には袋のような器官が見えた。落下したものが無事でいられるとはとても思えない。一足先に落ちていった杖は、ジュっと焼け焦げたような音を立てて、それきりだ。明かりはなくなってしまった。

 食人カズラ。
 食虫植物が高濃度の魔力を浴び、魔物に変質した種。
 自身の蔓を触手のように用いて能動的に動くことができるようになり、自身の住処を通りかかる人間や獣を捉えて消化してしまうその有様は、冒険者の間では"悪魔の大口"と呼ばれ忌み嫌われている。

 なるほど、確かに口のようだとリリエリは思った。綺麗に整列した鋭い棘なんて牙みたいだ。獲物の視点で見ると、特にそのように見える。

 ……最悪だ。なんでこいつがこの時期にここにいる。食人カズラはもっと温暖な気候を好む種のはずなのに。

「なぁ、今どうなってる。こいつはなんだ」
「食人カズラに、捕まってます。私のせいで見えにくいかもしれませんが、真下に消化器官があって、ちょっと落ちたら、まずいかも」
「初めて見るな。もっと詳しく教えて欲しい」
「えと、この種の蔦は太く頑丈で強い力を持っています。恐らく熱によって獲物の存在を感知していて、」

 足元の方からベギリと嫌な音がした。硬いものを万力で砕いたような音だった。
 
「……なんですか、今の音」
「足を折られた。……ゆっくりしていられないかもな。動くぞ」

 言うが早いか、ヨシュアは腹筋の力でリリエリごと上体を起こし自身の足に巻き付いている蔦に取りついた。そのまま引き千切らんと力を籠めるが、蔦はびくりともしない。その間にも別の蔦が良く動く賢しい獲物をより厳重に捉えんと、ゆっくりと二人に近づいている。
 
 リリエリは咄嗟に腰元に携えたナイフをヨシュアに手渡した。主に採取に用いている、ミスルミン製の愛用だ。
 ナイフがヨシュアの手に渡った瞬間、二人を吊っていた蔦が断ち切れる。相変わらず信じられない早業だ、と思う暇すらなかった。支えるもののなくなった体が、ぽんと中空に投げ出される。……例の"悪魔の大口"に向かって。

「助かった」
「まだ助かってないです!」

 このままでは食われ溶かされてしまう。体勢を変えるにも、空中でどうやって?

「すまない。投げるから無事でいてくれ」

 リリエリがその言葉を理解できたのは、彼が行動を済ませた後であった。

 ぶちりと音を立てながら、二人の身体を繋ぎ止めていたロープが切れた。そうしてフリーになったリリエリを、ヨシュアは蔦の薄い方向に向かって放り投げた。ヨシュア自身は慣性に従ってリリエリの反対方向に身体を躍らせている。荒業すぎる。だが、これでひとまず大口の圏内からは逃れることができるだろう。
 
 バックパックが下になるように茂みに向かって投げられたリリエリは、強い衝撃こそ受けたものの大きな怪我はせずに済んだようだった。ではヨシュアはどうか?

 リリエリは慌てて体勢を戻し、食人カズラの方を見た。丁度人型のシルエットに向かって何本かの蔦が向かっていくところだった。ヨシュアの影は向かい来る一本目の蔦をいなし、二本目を切り裂き、三本目を足場代わりに利用してリリエリの元にかけつけようとしている。

 なにか自分にもできることはないか、アレの気を逸らせるようななにか。
 リリエリは頭を巡らせた。杖はもうない。魔法も使えない。武器になりそうなものもない。ではバックパックの中身はどうか――。

 必死に記憶と知識と鞄の中身を漁っている間にも、ヨシュアは蔦を回避しながらリリエリの元に近づいてくる。足が折れているためだろうか、彼は応戦ではなく逃走を選択したようだ。
 下手に何か行動を起こすより、荷物を握りしめすぐに逃げられる準備を整えたほうがいいのかもしれない。ヨシュアの妨げにならないように、邪魔をしないように。結局自分は、どうあがいても荷物なのだから。
  
 そう判断したリリエリは、バックパックの口元を抑えながら数歩後ずさった。それが原因かはわからない。
 ヨシュアのみを狙っていたように見えた蔦の中から二本ほど、リリエリに焦点を合わせた。ずるりと這いずる音を立て、蔦がリリエリの身体を捉え、……なかった。

「……どうして、」

 ヨシュアは、約束を寸分違わず守ってみせた。

 リリエリを捕まえているはずの蔦は、代わりに横合いから飛び出したヨシュアの左腕に絡まっている。あっと思った時には再度ベギリと嫌な音がして、もう一本の蔦が後追いとばかりにヨシュアの首に絡みつく。そのまま、至極軽い動作で、食人カズラはヨシュアの左腕を引き千切った。咄嗟に手放したらしいミスルミンのナイフがぽとりと頼りなくリリエリの目の前に落下する。ヨシュアの身体がぐらりと傾ぐ。強い圧力のかかった首元は、生命体としてあり得ない方向に曲がっている。

 この人はどうしてここまでできるのだろう。出会って幾ばくもない人間に、どうして。

 眼前で起きた事象は、寸分の疑いもないほどに明確な死であった。

 死を認識した時点でリリエリの思考は完全に止まっていたが、幸いにして冒険に浸かり切ったその身体は必要な動作を行うことができた。
 バックパックの中から紋章魔術の刻まれた小鍋を取り出し、持てるありったけの魔力を込めてなるべく遠くに放り投げる。熱水を生み出す紋章魔術が施された小鍋は、十分な熱源としてしばしの間二人の代わりに囮になってくれることだろう。

 食人カズラが千切りとったヨシュアの左腕と小鍋に夢中になっている間に、リリエリは倒れ伏したヨシュアを連れて逃げようと、その身体を担ぎ上げた。……担ぎ上げようとした。

 完全に死んだはずのヨシュアの右手がおもむろに動き出す。その手は一瞬何かを探すように彷徨い、やがて自らの頭部に当てられた。その手によって妙な方向に折れたヨシュアの首が、軋む音を立てながらそれらしい位置へと戻されていく。引き千切れたはずの左腕の根元から、若葉の育つに似た調子でゆっくりと肉体が再生されていく。

 魔法という名の奇跡に満ちたこの世界においても、死は逃れられない絶対的なものである。
 ヨシュアの死を、リリエリは確実に両の目で目の当たりにした。そのはずだった、のに。

 その男は、見る見るうちに元の姿を取り戻す。リリエリはただへたりこんでその様子を見ていた。食人カズラなんてものはもう、完全に意識の外であった。
 あらざる者の再生をリリエリはひたすらに呆然と見ていた。そうして、不気味なまでに同じ姿を再現したその男は、ヨシュアの声と調子とを持って言ってのけたのだ。

「すまない。少し、死んでた」

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