龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第一章

第二十六話 馬鹿な人間たち

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 世界がゆっくりと動いて見えた。

 鱗と鱗の隙間を抜け正確に耳孔を穿ち抜いたヨシュアが、ナイフを持つ手を捻り上げる。亜毒竜の首は内側から引き裂かれ、半分を残して断ち切れた。ぐらりと傾く巨体をあちら側に追いやるために伸ばされた脚も、火花みたいに飛び散る暗い色の液体も、その奥で輝く丸い月も、この瞬間の全てがリリエリの目に焼き付いていた。

 これが最高峰の冒険者。リリエリが信じ、命すら賭した男の有様か。

 やたらと長い空白の後、亜毒竜は派手な音を立てながら地面に倒れ伏した。仰向けに倒れたリリエリの視界に影が差す。……ヨシュアが、リリエリを覗き込んでいる。
 怒ったような悲しんでいるような、色々な感情の混ざった表情だった。こういう時すらわかりにくい顔をするんだな、とリリエリは胸中で苦笑した。本当に不器用な人だ。

「……!」

 右足と腹部からダラダラと血を流すリリエリを見て、ヨシュアは咄嗟に何をするべきか混乱している様子であった。そこで倒れている蜥蜴の麻痺毒に致死性はないものの、この量の出血が続くと流石に死んでしまう。

「鞄に、包帯があります」

 それを巻いてください、とまで言う必要はなかった。ヨシュアはすぐにその場を離れ、リリエリが放り出していたバックパックを手に戻ってきた。どこに入っているかは知らないはずだが、幸い彼は目当ての物をすぐに探り当てたようだ。
 コットン地の包帯には止血の紋章魔術が描かれている。少しばかり良い品だ。大切に大切に鞄の肥やしにしていたが、今こそ使い時だろう。

 ヨシュアは何も言わず、淡々とリリエリの傷口を塞ぐように包帯を巻いた。二、三度物言いたげに口を開いたが、ついぞ言葉を発することはなかった。
 
 脳内に溢れ出ていたアドレナリンが落ち着くにつれて、熱に似た感覚は徐々に冷めていく。代わりに痛みが顔を出し始めるが、見た目ほど酷いものではなかった。麻痺毒がうまい具合にかき消してくれているのだろう。もちろん痛みがないわけではないが、リリエリにとってはヨシュアとの会話を優先できる程度のものであった。

「ヨシュアさん」

 名前を呼ぶと、ヨシュアは一瞬だけ手を止めてこちらを見てから、バツの悪そうな顔をしてまた包帯を巻く作業に戻った。腹部は既に巻き終えており、残るは右足だけだ。耳はこちらに傾けてくれていると信じて、リリエリは言葉を続けることにした。

「ヨシュアさん、あなたは馬鹿です」
「……そう、かもしれない」
「そして、あなたが馬鹿なら、私は大馬鹿です」

 ヨシュアは否定も肯定もしなかった。あちらを向いていて表情もわからないが、きっと困った顔をしていることだろう。

「ヨシュアさんは強いのに、どうして私なんかとパーティを組んでくれたんだろうってずっと考えてました。だって私は弱いし、戦えないし、一人じゃろくに冒険だってできない。同情とか憐憫とか、助けてもらったことに対する義務感とか、そういったものが理由だとばかり思っていました。この関係がずっと続くなんて端から思っていなかった」
「違う。俺だって一人では冒険者としていられない。トーヘッドからここまで来るのに、何回死んだと思ってる」
「……だって、いるとは思わないじゃないですか。一人で冒険できないソロ冒険者なんて」

 リリエリは笑った。腹筋に力を入れたせいで傷口が痛むが、今この瞬間においてはそんなものは些細なことだった。

 やっぱりこの人は自分に似ている、とリリエリは思う。どうしようもなく馬鹿なところなんてそっくりだ。持っていないものの方が多いのに無理を押してしまうところとか、周りなんてさっぱり見えていないところとか。

「私はきっと無意識のうちに、ヨシュアさんになら負担をかけてもいいって思いこんでいたんです。ヨシュアさんが強い冒険者だから。S級冒険者を、私なんかが支える必要なんてないって。……一緒にパーティを組んだその人が、平気で自分を犠牲にして私を逃がそうとする瞬間まで」
「…………」

 ヨシュアは何も言わなかった。包帯はとっくに巻き終えているのに、こちらを向く気配は一切ない。やや丸まったその背中は、気まずいのだと言外に宣言しているようにも見える。責められているような、そんな気分なのかもしれない。

「私は大馬鹿です。一緒に冒険をしましょうと誘っておきながら、ヨシュアさんに頼りきりな現状に甘んじていた。……間違っていました。一方が一方のために命を懸けるような関係が、パーティであるはずがないんです」
「……そ、れは、」

 この時点で、ようやくヨシュアはリリエリの方に顔を向けた。想像通り、いや想像以上に困惑を露わにした表情が見えた。きっとヨシュアからもリリエリの表情がはっきりと見えていることだろう。自分では自分の顔を見れないが、リリエリには確信があった。きっと自分は、今日の夜空みたいに晴れ晴れとした表情をしているに違いない。

「もっと私のことを頼ってください。私たちは、パーティなんですから」

 その言葉に、ヨシュアは大きく目を見開いた。そこまで驚くようなことを言ったつもりはリリエリにはなかったが、彼はどうして驚いているのだろうか。ヨシュアは一度口を開き、やはり何も言わずに閉じた。そうして少しばかり時間をかけて言葉を選び直してから、ようやっとそれを音に変えた。

「……俺は、死なない。少し休めばなんだって治るし、手を切ったって生えてくる」
「だからなんですか。死なないから死んだっていい、なんて言うなら殴りますよ」
「違う。その、……思わないのか。化物だって。パーティを解消したいとは、思わないのか」

 化物。パーティ、解消?
 想像だにしていなかった単語の並びに、リリエリはしばし熟考し……思い至った。そうだ、数分前まではそんなような話をしていた。邪龍に呪われた男の噂。ヒュドラの呪いによって変質した存在。人間に近い見た目を持つ、人間ではないもの。
 
 ……なんて馬鹿馬鹿しい。ヨシュアを人間でないとするなら、いったい何を人間とするのだろう。

「正直に言って、思わなかったといえば嘘になります。でも、これも私の間違いでした。ヨシュアさんは間違いなく人間ですよ。こんなに馬鹿な生き物、人間以外にそうはいないでしょう。ヨシュアさんは私のこと、人間だと思いますか」
「……思う」
「じゃあヨシュアさんも人間ですから、パーティを解消する理由はないですね。少なくとも、私の方からは」

 ヨシュアはリリエリのその言葉を、長い時間をかけて受け止めた。リリエリもまた静かにヨシュアの次の言葉を待っていた。リリエリがリリエリであるように、ヨシュアもまたヨシュアである。リリエリはヨシュアの全部を知っているとは決して言えないが、彼が口下手であることはもうよくよく知っているつもりだ。

 岩塊の間を風がひゅうひゅうと吹きさらし、どこか遠くで石片の転がる音が鳴る。先ほど抜けてきた森の木々が、ざわざわと囁きあっている。
 そんな中、ただ一言。そうだなと呟くヨシュアの顔は、リリエリの初めて見る笑顔であった。

 今日が満月で良かったと、リリエリは心からそう思った。
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