龍の呪いの殺し方

中島とととき

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短編 余暇の青

余暇の青⑨

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 リリエリは杖を掲げ、周囲を照らした。洞窟の壁に空いた窪みの中、廉価な紋章魔術による明かりは目の前しか照らせない。それでも、ヨシュアがリリエリの元に戻るには十分な明かりだ。
 ただ、待てどもヨシュアが動く気配はなかった。何事かを喋るヨシュアの不明瞭な声が聞こえてから、ようやくリリエリは彼の目が見えていないことに思い至った。真の暗闇の中でも魔物と戦えるなんてあまりにもリリエリの常識から外れていたものだから。

「こちらです」

 がらがらと散った岩の破片を雑に蹴飛ばしながら歩くヨシュアの音が、徐々にリリエリに近づいてくる。やがて明かりの端に彼の足元が見えた。暗闇に浮かぶようにして立つヨシュアは、自分の顔面を右手で覆い隠していた。

「見ない方がいい」

 辛うじて聞き取れたが、声と呼ぶには不完全な音であった。顎か喉もやられているようだ。覆っている右手も血まみれだから、どれほどの損傷かは見て取れないが。

「ヨシュアさん、ありがとうございました。ひとまず身を休めてください」

 リリエリは窪みを抜け出して、ヨシュアの足元に広がる砕けた石などを杖で払いのけた。一応地面に帆布を敷いてはみたものの、激しい凹凸を無視するにはいささか厚みが足りないようだ。ないよりはましだと思うしかない。

 惰性のように握られたままの剣を預かり、リリエリはヨシュアに座るよう促した。この時点で既にヨシュアの怪我はあらかた治りつつあって、リリエリが替えの服を用意したり剣に付着した血や青い液体を洗い落としたり簡単な食事を用意し終わった頃には元の身体に戻っていた。

「治った」
「良かったです、ほんとに」

 ヨシュアの怪我は、残念なことに見慣れてしまったのだが、顔面への損傷は流石に心配の程度が変わる。
 丁度リリエリがクラゲの触手であれこれ試していた頃に怪我をしたようで、リリエリは怪我の瞬間を目撃してはいないが、目の当たりにしていたら叫び声の一つでもあげていたかもしれない。
 目を逸らさないと言っておきながらなんだが、直視しなくて良かったとリリエリはほんの少しだけ安堵した。そんなのトラウマになってもおかしくない。

 というかヨシュアの身体能力があれば顔面への攻撃くらい回避できそうなものだが。ふっと浮かんだ素朴な疑問は、リリエリに嫌な想像をもたらした。
 ……あえて受けたのか? 顔面で?

 どういう状況だったかは知らないが、この男であればありえないことじゃないなとリリエリは思う。例えば数匹一度に落とせそうだから、顔への怪我は必要経費にしよう。みたいな。いや自分でも何言ってるかわからないが、もしや、と思わせるようなものをこの男は持っている。
 ちょっと無茶を許容するとすぐこれだ。リリエリは大変苦々しい気持ちになった。もちろんこれはリリエリの想像に過ぎず、真実はまた別のところにある可能性も大いにあるのだが。

 一人で渋い顔を作っていたリリエリに、ヨシュアが声をかけた。つい十分ほど失われていただけの声が、不思議ととても懐かしかった。

「クラゲは全部死んだ。地底湖の方に行こう」
「ああ、そうだ。観光でしたね、これ」

 しっかり戦闘を行ったせいで見失いつつあったが、本来の目的は洞窟の地底湖に広がる景色を見ることである。とても現実とは思えないほどに美しいものであった、なんて記載だったのだ。なんだかんだリリエリだって楽しみにしていた。
 
 二人は洞窟の窪みを離れ、地底湖へと向かう。道中にはそこら中にクラゲの死体が転がっていて、リリエリの掲げる杖の明かりをぬらぬらと返していた。リリエリを背負って進むヨシュアは、一切の遠慮も挟まずに落ちているクラゲだったものを蹴飛ばしながら道を開いていく。
 できることなら耳を塞いでいたかったのだが、リリエリにはヨシュアの背の上から杖を掲げて目の前を照らす役目がある。だからヨシュアがクラゲを蹴りやる度に聞こえてくる嫌な水音から鼓膜を守ることができないわけだ。美しい景色の対極の存在は、きっと死んだクラゲが弾ける音だ。そんな益体もないことをリリエリは考えた。

 惨澹とした道中のせい、というわけではないだろうが。

「……地底湖だな」
「地底湖ですねぇ」

 辿り着いた地底湖は、とても現実とは思えないほどに美しい景色、には見えなかった。
 なんなら今まで通ってきた道の方が綺麗だった気がする。黄金に広がるアシの波とか、ぼんやりと輝く苔の天井とか。
 期待していたほどではない、という気持ちをどうオブラートに包んで発言しようか。リリエリは悩んだが、ヨシュアは悩まなかった。

「そんなに綺麗じゃないな」
「ストレートに言いますね」

 とは言うものの、実際リリエリの目にも、ただの湖が広がっているだけに見えている。
 期待外れだ、とリリエリは胸中で大きく落胆した。自分が提案したスポットだっただけに、申し訳なさも一入であった。
 時の流れによって環境が変わってしまったのだろうか? あの妙なクラゲの存在も手記には書いていなかったし。

 確かにこの地下空間に足を踏み入れた瞬間も、別に目を瞠るような光景があったわけじゃない。ただそれは、あのビカビカと眩しいクラゲが邪魔をしていたせいで綺麗に見えないだけなのだと、リリエリはそう思っていたのに。

「……眩しい、から?」

 リリエリは杖から放っていた明かりを消した。辺りに光を放つ植物はなく、視界は一気に暗闇の中だ。急に明かりを落としたためヨシュアが少し身じろぎしたが、彼はなにも言わなかった。

 じわじわと暗闇に目が慣れていく。なるほど、という低い呟きがリリエリの耳に届いた。ヨシュアの目にはもう何かが見えているのだろう。
 ややあって、リリエリもそれを見ることができた。

 地底湖の底、深く深くまで澄み切った水底に光が見える。溶けて消えてしまいそうなほどに淡い光が、水の中で一つの世界を形どっている。
 弱く明滅しているいくつもの青い光が、星に見えた。まるで星空を上から見下ろしているかのようだった。

「良かった」
「……何がです?」
「壁外が綺麗な場所だと、知ることができて」

 すっかり暗闇に適応した瞳は、いつの間にか天井や壁面の光も捉え始めている。夜空の真ん中に立っている気分だ。
 壁外が綺麗だなんて、リリエリだって知らなかった。未知を知る。なんて楽しいことだろうか。

「ヨシュアさん」
「なんだ」
「私は、ヨシュアさんの怪我と引き換えにここに辿り着くことができたんでしょうか」
「違うな」
「違いますか」

 うん、とヨシュアは頷いた。彼の両目は、熱心に水底に向けられている。それ以上、ヨシュアは何も言わなかった。だからリリエリももう、何も聞かなかった。
 自己犠牲ではない。引き換えではない。その言葉をまっすぐに受け入れながら、リリエリもまた眼下の光景に目を移した。
 
 青く輝く星の光を、リリエリは生涯忘れない。


 余暇の青 完
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