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第2話 例えこの先、死が私たちを分かつとしても。

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ひろしさんは、いつも弱音を吐かない。

会社が倒産した時も、すぐに仕事を見つけてきた何食わぬ顔で仕事に行く。

それを私は笑顔で送り出す。ずっと変わらない関係。
いつも感謝しているし、言葉にしなくても伝わってくる優しさもある。でも、いつまで経っても不器用で無骨。

それでも私はこの人を愛しく思う。

面白いことに――。



☆☆☆



――四月二十九日。

今日は結婚して六十年となる記念日。

ひろしさんが頑張って働き買ってくれた一軒家の中。

私はいつものようにキッチンで、コーヒーを入れている。

すると、ひろしさんが声を掛けてきた。

「かずえさん、ワシと……いや、僕とお食事でも行きませんか?」

何十年振りに聞いただろうか。ひろしさんがワシでもなく、俺でもなく、自分自身を僕と言うことを。

その顔は、しわくちゃになっているけど、告白をしてきた時と同じくらいに顔を赤らめている。

私は愛おしいと思った。

結婚して何十年も経つというのに。

もう、しわくちゃのバアさんになっているというのに。

だから、私も当時の気持ちを思い出して彼に返す。

「うふふ、私はいい女ですから、お金が掛かりますよ? ひろしさん」

真面目なひろしは、私の冗談にしかめっ面をしている。
「ああ、知っている。知っているさ……何十年も一緒に居るんだからな」

やっぱり可愛い人。冗談は通じなくても素直で誠実なところに私は惹かれた。

しんどい時でも、仕事で遅くなる時だって一度も文句を言うことはなく、共働きなった時はそれが申し訳ないと思ったのか、慣れないのに息子たちの弁当を作ると言い出し、助けてくれてた。

そのおかげで、息子たちは家事ができる素敵な男性になり、自分たちの家庭を持っている。

私はデートを誘ったというのに、真面目に考え込んでいるひろしさんに助け船を出す。

「うふふ、どうしたの? そんな怖い顔して――」

思えば、初めてデートした時もこんな感じだった。

緊張と私のことを考え過ぎてしかめっ面になっている彼の手を握って笑うのを我慢して隣を歩く。

忘れかけていたけど、何も変わらない。

「な、なにもない! では、いこうか――かずえさん」

私は、相変わらず不器用な彼の手を握る。

「はい、ではよろしくお願いしますね」
「ああ――」
「ずっと、はなさないでくださいね」
「……うん」
「うふふ――」

私は、このしわくちゃとなってしまったこの大きな手を離すことはないだろう。

例えこの先、死が私たちを分かつとしても。

ずっと。
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