聖典のファルザーン

佐々城鎌乃

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第1章 Ⅰ節 帰りたい

Ⅰ節 帰りたい 4

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 与一の推測は、辺りが完全に暗くる前に晴れはじめた霧のお陰で現実のものとなった。開けた視界の先には、確かに大きな湖が存在していたのだ。

 だが、大きさが尋常ではなかった。

 日が沈んでいたからというのも大きいが、対岸が全く見えない程遠く、中央部の底の知れない深い湖底は、澄んだ湖畔とは違って黒く揺らいでいた。

 与一は乗ってきた馬を適当な場所に繋いで、来る途中に馬の背に載せてあった麻袋を漁って見つけた乾板を取り出した。

(今頃何してんだろ、あの兵士たち。食糧とか置いてっちゃった訳だしな......)

 与一は湖の探索を明日にすると決めて、乾板と革水筒の水で一晩我慢する。

 少し罪悪感はあったが、見知らぬ土地に飛ばされたということへの逆ギレがまさって、与一は容赦なく乾パンを口に頬張って水で流し込んだ。

 西の空に傾いている月は、半月だったこともあってそこまで明るくない。

 与一はうっすらと落ちる自分の影をぼうっと見つめて、木の根元に座っていた。

 すると、横目に見えていた馬たちがピクリと耳を立てた。

 8頭の馬全てが何かを察知したかのように続けざまに背を正して、湖畔の先に注目している。

 与一は明らかに不審な馬の動きから、馬が見ているのと同じ方に目をやった。

 明かりが見えた。

 数十以上の松明たいまつ灯火あかりが、小さく上下に揺れながらこちらへ向かって自動車並みの速さで進んでいるようだった。

 与一の頭に、昼間の兵士たちのことがよぎる。

(もしかしてあの兵士たち、仲間を呼んで来たんじゃ......!)

 与一は急いで荷物を馬に載せ、手綱を解いて飛び乗った。馬は少し驚いたものの、元々が軍馬だからか、すぐに大人しくなる。

 だが、与一は肝心な馬を速く駆る方法を知らない。

 ラノベの主人公が簡単そうに乗りまわしている馬というものが、そう簡単の乗れるものではなことを改めて思い知る。

(あああ!! なんてこった! 騎乗スキルとかないのかよ!? ......西部劇だ! そうだ西部劇みたいに......!)

「ハッ!」

 与一は掛け声を上げて思い切り馬の腹を蹴った。

 すると、指示を理解したのか、馬は前足を大きく上げてばたつかせ、地面を蹴って走り始めた。与一は危うく後ろに落とされそうになるが、ゲームセンターで数回乗ったロデオマシンの経験で何とか持ちこたえる。

(ロデオマシンより跳ねるんだけど!?)

 残りの7頭の馬も付いて走りはじめる。

 与一は激しく揺れる馬にしがみついて、湖畔に沿って向かってくる松明の集団から逃げた。

 手綱はもはや馬に指示を出すためではなく、半ば命綱に思えて必死に手に巻き付けていた。

 馬の腹を断続的に蹴り続けるが、素人の騎乗技術とも言えない手綱裁きが手練れの馬乗りにかなうはずもなく、松明との距離はみるみるうちに狭まっていく。 

 振り返って見てみると、松明に照らされて見えてきたのは、昼間の兵士と同じ格好をした男たちだ。馬に跨がって、怒涛の速さで追い上げてくる。

(絶対追っ手じゃんか! あの逃げたやつら、仲間を連れて戻って来やがったんだ!!)

 しかし、様子がおかしい。

 兵士たちが追うものは、与一よりもう少し手前にあるようだった。

 さらに近づいて見えてきたのは、松明で逆光になってよく見えないが、一騎の馬だった。乗っているのは、背の少し高い女の子のようで、長い髪が風に靡いている。

(なんか追われてる......けど、今そんなん構ってる場合じゃない!!)

 徐々に、しかし着実に詰まる距離は、与一の心拍を跳ねあげていく。

 湖畔の競争は、圧倒的に与一の劣勢だった。

「もう一馬身差かよ!」

 近くの家から時折聞こえてきていつの間にか覚えていた競馬用語が漏れる。

 追っ手の馬の馬蹄が地面を激しく蹴って追い立てる音が恐怖を掻き立てる。

 ついに真後ろの7頭の群れに割り込むように、追われている女の子の馬が与一に迫った。手綱を握る右手には刃物が構えられていた。

「退け!!」

 だが、与一はその乗り手が発した女子にしては低く身に覚えのある声にはっとした。

 昼間、駅の改札前で聞いた声だ。

 横につけられた与一は、騎手の顔を初めて間近で確認した。

 月明かりに透ける白銀の長髪。すっと端正に整った彫りの深い目鼻立ち。透るあおい瞳。女子のように細い首筋と手足。少し背丈が低いので女の子と見間違うのも無理はなかったが、しっかりとした声は、確かに横を駆ける人物を少年たらしめていた。

「あんた昼間の......!」

 少年は与一の声が聞こえていないようで、与一の左に付けると、右手の短剣を振りかぶった。

「ちょっ! まっ!? 私は味方だっ!!」

 何故か自然と口から出てきた根拠もないわめきに、少年は眉根を寄せた。

「キースヴァルトの馬装ではないか!」

 追われてるということは、兵士たちの仲間ではないということで、昼間の兵士たちの馬に乗っている与一は、当然敵視された。

(キースヴァルトやらなやら知らないが、そりゃごもっとも!)

「とにかく敵じゃない!! ......と思う!」

「なんだそれは!」

「声を聞いたんだよ! あんたの助けて、って声を!!」

 与一のその言葉を聞くと、少年はしばらく黙ってから気づいたように目を見開いた。

「そうか貴方が......!」

 少年は与一の馬に寄った。

何故なにゆえキースヴァルトの馬を引き連れているのかは存じ上げませぬが、私はどうすれば!?」

「そんなんこっちが聞きたいわっ!!」

 少年の突然の頼ってくるような台詞せりふに、思わず喧嘩腰で応えてしまう。

「貴方は賢者殿ではないのか?!」

「知らん!!」

 少年は落胆したように顔を下ろすと、馬を駆ける姿勢を少しも変えずに深くため息をついた。

「......取り敢えずこの先の街道へ! 森に入れば月明かりも届かぬので逃げ切れるはず......!」

 与一は少年の地理に明るそうな言葉に少し希望をかける。

「分かった!」

(って言っても、もう追い付かれそう......そうだ!)

 与一は必死に手綱にしがみつきながら、ポケットにいれていたスマホを取り出すと、すぐ後ろを追う長剣を構えた追っ手の騎馬の集団にスマホを向けた。

 与一はそれから機会を待った。

 運が良ければ、もう少しで条件が整う。

 与一たちは森の街道へと突入する。

 その時ちょうど月に雲が掛かり、辺りがにわかに暗くなり、月明かりで伸びていた影が松明による影に移り変わった。

(今......!)

 この時を待っていた。

 与一は追っ手に向けたスマホの音量ボタンを押した。

 その瞬間、騎馬の集団はスマホから発せられた強く激しい光の明滅に襲われた。

 フラッシュの閃光であった。連写とフラッシュを機能させ、点滅を瞬時に数十回させたのだ。

 馬が激しい明滅に失神して猛速で前傾に転ぶ。視覚が混乱して平衡感覚を失い、馬から落ちる者も居た。同時に、LEDが作り出した光は、松明を顔の横に持っていた後続の兵士たちの目から与一たちをたちまちに眩ませた。

 生物の教科書に載っていた暗順応と明順応の記述を利用したものだった。

「はっはぁあ! してやったぜコンチクショぉお!!」

 一方、フラッシュの反対側に居た与一たちは全く影響を受けず、止まった追っ手の騎馬集団の松明を後方遠くへ引き離していった。

 少し先を行く少年が事に気づいたのは、森のをだいぶ過ぎた辺りだった。

「そなた何をやったのだ?」

「ちょっと光の"邪法"をば、ね?」

 少年は興奮覚めあらぬ与一を訝しげに見つめると、短剣を鞘に納めて向き直り、馬鞭ばべんで道の先を指した。

「おそらくこの街道には村があるはずだ。その町に一時身を寄せよう」

「賛成! ......だけど、まずこの馬の止め方教えてぇ~!?」

 月明かりも届かぬ森の中に、与一の間抜けた声が響いたような、響かないような。


    。。。

 イシュバル街道の道のりは短かった。

 黒い森アル=エル=シャフルの範囲は、広大なスヴルマート湖を中心に約50万アリフィアル(50万ヘクタール)で、主に西の端が狭く、シャリムの霊峰であるへリシア山地によって途切れる。

 古来よりシャリムの霊的かつ地理的な守り手であったへリシア山地は、稜線を万年雪が覆い、険しさとその高さで外敵による侵入を困難にしてきた。

 イシュバル街道はそんな山地によって峠越えの道へと変わる。峠を越えると、そこから先がサキュロエス街道となる。その手前に装備等を整える宿場町として栄えるホスロイの町があった。

 与一と少年は、森を抜けるとすぐにホスロイの町の明かりを認めた。

「あれなんかおかしくない?」

 慣れない馬であちこちが痛くなっていた与一が、町を遠目に見て言った。

「......確かに。明かりの数が多すぎる。こんな夜更けには普通明かりなどつけず寝静まっている頃であろうに......」

「え、そうなの......?」

 与一がふと腕時計見ると、夜の9時頃を指している。徹夜でマップを進めたり脳死周回をする与一は少し困惑する。

(あ、ここ異世界か......)

「でも宿場町って夜も賑やかって印象だけど」

「そうなのか? こんな辺境の町が」

(えぇ......いかにも坊っちゃん的発言......)

「いや、俺はなんか町の外とかにぽつぽつちっちゃな明かりが見えてるから、なんか変だなって」

「町というものは1アリフィアル以上の集落を指すと教わった。それにしては些か町の範囲が小さすぎるはず──」

 少年は急に無言になって馬を止めた。与一も先ほど教わった馬の止め方で馬を止めた。付いてきた馬も止まる。

「どうしたんだ?」

 与一の問いに少年は鼻を覆う動きで応えた。

「......余はこの臭いに覚えがある」

 すると、何かが焦げたような、それにしては妙に酸っぱい臭いが漂ってきた。風に乗ってくるその臭いは次第に強烈さを増していく。流石に与一も鼻を覆った。

「なにこれ......?!」

 少年は静かに応えた。

「──人馬の焼ける臭いだ」






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