聖典のファルザーン

佐々城鎌乃

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第1章 Ⅴ節 皇都陥落─後編─

Ⅴ節 皇都陥落─後編─ 1

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 この夜、アキシュバルの城内は、落ち着きなく兵士が行き来した。突如始まった戦支度に動揺した市民が騒ぎ出さぬよう、到着早々に諸侯の私兵たちは町中に駆り出されて見回りに当てられたのである。

 四人の万騎将率いる二万の鎮護軍は、主戦力として城壁の内外に柵や杭を設けて、着々と敵を迎え討つ備えを整えていた。

 百万の市民が暮らすだけはあるので、城壁の総延長は優に90ジグアリフ(90キロメートル)を超える。その範囲を守りきるためには劣勢の戦域への迅速な兵力支援が無くてはならない。城壁の幅は10アリフ(10メートル)あって内部に馬に乗った騎兵が走れるような広い通路が作られており、各所へとすぐさま駆けつけられるようになっている。

 ケイヴァーンは管轄である南門で
昼間の検問で出来た隊商や行商人の長蛇の列を全て城内へと入れるために急いでいた。

 夕暮れと同時にアキシュバルの各城門は閉じられる。そのために間に合わなかった者たちは門前で野営をすることになる。だが、戦闘が始まれば、民間人が城壁の外に居るという状況は、最悪の事態を招きかねない。

 ケイヴァーンは自分の馬に乗って城壁に上り、城外の様子を見た。

 諸将軍議ビャシムから2刻が過ぎ、夜は深い。荒涼とした砂漠が陰りがちな月に照らされて蒼く白んでいる。三日後には敵の大軍が大挙して押し寄せて人馬で黒く染められる場所である。

(シャリムの命運が掛かった籠城戦。正念場だな──)

 その時である。ケイヴァーンの後ろの市街地で早鐘はやがねが鳴った。

(何ごとだ! 次から次へと、今日はキリがない......!)

「ケイヴァーン様、あれを!」

 そばにいた兵士が市街地を指差した。ケイヴァーンは馬首を巡らせて振り返る。

「......っな!」

 町から火の手が上がっている。南西区から大きな火の手が上がっているのだ。

(何が......!?)

「は!」

 ケイヴァーンはすぐさま城壁の上を南西区へ向けて馬を駆け出した。

 火の勢いは凄まじく、城壁の影が落ちた南西区を照らし出して余りあるほどである。

(ニハヴァンテのやつ、昼間に引き続き何をやったのだ!?)

 だが、火の勢いがあまりにも大きい。南西区の三分の一が既に火柱を上げているのだ。

 貧困区の住居は木材などで簡易に作られている。冬手前で乾燥地帯なことも重なってはいるだろうが、それにしても火の広がり方が異常である。

(風も吹いていないというのに、何か妙だ......)

 すると、ケイヴァーンの駆けてきた南区でも早鐘が鳴った。振り返ると、市街地でやはり火の手が上がっていた。

 ケイヴァーンは馬を止めた。

(これは一体どういうことだ......?)

 ケイヴァーンは南門へと戻ると、すぐ部下の千騎将に鎮火と状況の把握を命じた。

 しかし、そう経たないうちに、別の部下が慌ただしく駆けてきた。

「も、申し上げます! 南区の諸侯の兵が人家に火を放って回っております!!」

「......!」

(諸侯の兵士たちがなぜ!? いや、今は取り押さえるのが先決だ)

「各千騎将に伝令! 南区の城壁の兵を鎮火と鎮圧に向かわせよ。だが、南門の守備兵は動かさぬように、と。行け!」

 命じた兵士が足早に去っていくと、入れ替わりに先ほど状況の把握を命じた部下が血相を変えて帰ってきた。

「申し上げます! 南区、東区、西区にて火の手を確認、諸侯の兵士が複数の集団で移動しつつ火を放っております!」

(そんな広域で......!?)

 ケイヴァーンはずくさま城壁の上から市街地を俯瞰した。

 早鐘の音は増える一方で、諸侯の兵士があちらこちらで火を放って回っていることがみてとれた。皇都を見渡すと、南区、南西区の他にも、見える範囲で西区、東区でも燃えている。

(明らかに諸侯の兵が連動している......)

 ──連動。

 ケイヴァーンは戦慄した。その言葉が意味するところは、つまり、諸侯が手を組んだということである。

 火の手は南西区から上がって、そのあと南区からも上がった。そのあと西区、東区と続いた。諸侯の兵は、市街地を集団で移動しつつ行動していた。

(......諸侯の兵の目的はなんだ?)

 町に上がる火の手の分布は、まちまちで統一性があるようには見えない。

(連動して、デタラメに動いている)

 ケイヴァーンにはそのような行動を取る相手に覚えがあった。

 戦場において、無作為に兵力を分散させる敵は居ない。もし、分散していたならば、その背後にある思惑は、"誘導"である。

(諸侯の兵力は町で分散している。我われも城壁から兵力を裂いて市街地へと分散した。だが、目的なく分散させるわけはない。諸侯の連動には、明らかに意図があるはず)

 ケイヴァーンは、いくつかの推測を立てたが、最後に思いついた答えに、表情を険しくした。

(──狙いは皇宮)

 謀叛むほんである。

(諸侯の兵は、我が軍を分散させて、その間に皇宮を襲撃する気だ......!)

 ケイヴァーンは城壁の外で作業をしていて、先ほどの自分の命令で集結中であった部隊に、駆け寄った。

「この部隊はただちに武装を整えて騎乗せよ! 歩兵は南門へと繋がる主要な大路を確保して堅守。もし諸侯の兵が突破しようとするならば、構わず突破させよ! 同様の命令を城外に残る全ての兵に伝令。諸侯の謀叛だ!」

「「は!」」

 兵士たちは、何が起きているかわからないという顔から、鬼気迫るものへと変わった。

(諸侯の兵力は鎮護軍とほぼ同等。敵が分散しているならば、こちらがそれに合わせて分散する義理はない。城内に居た兵には鎮圧を命じているから、城外の兵で南門と大路を確保して、兵力の機動を保つ。大路の守備が突破されるならば、その分、分散した諸侯の兵力を集めることになるはず。そうすれば火の手はこれ以上拡がらない)

 ケイヴァーンは騎乗を終えた部隊を率いて皇宮へと駆けた。

 町の中は阿鼻叫喚である。逃げ惑う人々と、鎮火をする兵士たち。日干しレンガの焼ける砂の匂いが、黒い煙に混じって辺りに立ち込めている。炎が夜を昼のように照らしている。

 市民地区を抜けて貴族地区に入ると、貴族たちは慌てた様子もなく、どうしたのかと、外に出てきいる。兵士たちも、同様に対岸の火事である。むしろ、完全武装したケイヴァーンの一隊に奇妙な目を向けているくらいである。

(ここにはまだ諸侯の兵士が入っていない......ならば)

「門兵! 貴族地区の南門以外の全ての門を閉じよ! 大万騎将へはこちらから報告する。諸侯の謀叛だ!」

 門の前で呆然としていた兵士たちは、ケイヴァーンの何やら只事ではない形相に圧されて、動きはじめた。

 もちろんすぐに出来るわけではない。貴族地区の兵士は大万騎将の管轄であるし、貴族地区の城壁だけでも30ジグアリフ(キロメートル)あるので伝令が行き届くまでには時間が掛かりすぎる。

 そして、より大きな問題がすぐに顕在化した。

「ケイヴァーン卿であらせられるな。如何なる権限あって貴族地区の兵に命を出された。ここの兵はダレイマーニ卿の指揮下にある。勝手は慎んで頂きたい」

 一人の貴族ウズルガーンらしき若い男がケイヴァーンに寄ってきて言った。

「事は一刻を争います。今はどうか指示に従って頂きますよう」

 ケイヴァーンが恭しく答えると、男は大袈裟に首を横に振った。

「はぁ......。いくら武勇の誉れ高き万騎将ケイヴァーンの命令であれど、ここは貴族地区。下賎の血の流れる者の命を我ら伝統貴族ウズルガーンが拝命するとでも?」

 ケイヴァーンは苛立ちを表に出さないように掴んでいた槍のを強く握った。

 ケイヴァーンの出自は父のダレイマーニと西方上級奴隷の母である。血統を尊ぶ貴族にとって、ケイヴァーンは奴隷そのものであり、パルソリア平原での戦いに参列出来なかったのも、血統意識の高い皇太子フェルキエスの沙汰によるものであった。

 ケイヴァーンは馬から降りて跪いた。

「何卒ご容赦を。謀叛により、市街地にて諸侯の兵が火を放って回っております。もうじきこちらにもやって来るはずです。今、門を閉じねば、いずれここも」

「なるほどそれは一大事。火の粉が舞って入っても困る。であるなら全ての門を閉じなければ」

「な......っ! いけませんそれでは──」

 貴族の男はケイヴァーンを無視して、近くでどうすれば良いのかしどろもどろしていた兵士を呼びつけた。

「おいお前、全ての門を閉じるよう伝えよ。ダレイマーニ卿には私が命じたと伝えておくように」

「は!」

 兵士はすぐさま門を閉じ始めた。

「なりません。全ての門を閉じれば兵の移動が出来なくなります。未だに多くの兵力は市街地にあります。このまま閉じれば貴族地区の兵力は少ないままに──」

「騒がしい犬だ。我らは伝統貴族。ここに居る者は全て戦士貴族アールテシュターラーンである。これだけ居るのに、まだ不服かな? 皇帝陛下の守護が我らの本分。それに近衛兵もおるではないか。卿におかれては早々に去られるがよかろう」

(この貴族は此度こたびの出兵で参列出来なかったために武勲をあげたいのだ......。愚かな......)

「何を睨んでおる」

 ケイヴァーンは無意識のうちに怒りを顔に出していた。

「失礼いたしました。私は皇宮へと向かいます。万騎将としての責務を果たさねばなりませんので」

 ケイヴァーンは馬に再び乗ると、鞭を打った。

 貴族の男はケイヴァーンが行こうとするのを止めようとしたが、構わず馬を走らせた。

(こうなれば近衛だけが頼りだ。わざわざ南門から貴族地区までの大路を確保したのが無駄になってしまった......)

 そうして貴族地区を抜けると、皇宮の城壁が見えてきた。

 皇宮の近衛は流石に動揺するこもなく、迫ってきたケイヴァーンに誰何した。

「誰か」

「万騎将ケイヴァーン。諸侯の謀叛にて皇帝陛下に危機が迫っている。至急、皇帝陛下へのお目通りを」

「なりません」

「なぜ!?」

「ダレイマーニ様より、如何なる者も皇宮の門を通してならぬ、との命がありました。万騎将であっても罷り通りませぬ」

「父上が......」

「お引き取り下さい」

 ケイヴァーンは父の意図がわからずに苛立った。

「城下の炎が見えないか! これは明らかな諸侯の謀叛だ! 皇帝陛下の御身が危ない」

「何と申されようと、お通しできませぬ」

 近衛は槍をケイヴァーンにかざした。ケイヴァーンの肩に槍の柄が当たる。近衛の忠誠は皇帝にのみ向けられる。そして皇帝陛下の近衛を率いるのはダレイマーニである。その命を覆すことは、皇帝以外には出来ない。

(父上は何を考えておられる。いくら近衛が精鋭であっても、所詮は二千程度。戦に出たこともない伝統貴族ウズルガーンを合わせたところで、敵わない)

 鎮護軍のほとんどは、見たところ、まだ貴族地区に入っていない。恐らくまだ市街地で対処に追われている。しかも、先ほど貴族が城門を閉じたこともあって進入はますます難しい。

(諸侯の兵士もまた侵入が難しくなったであろうが、それもさほどの意味はない。貴族地区の城壁は高くない。広い割に、戦力が乏しい)

 貴族地区を囲まれて火を投げ込まれれば、その対処と防衛で兵力が割かれて、突破されるのは時間の問題であった。現に、今、市民地区で同じ事が行われている。

 ケイヴァーンはなす術なく、皇宮の門を見上げた。ラピスラズリに炎の光が赤く照り返して煌めいている。

(父上の命には何の意味がある。兵力の集中がなければ、守りきれないというのに......)

 貴族地区の城壁の方から、雄叫びが聞こえ始めた。諸侯の兵が攻め上ってきたのだ。

(──守りきれない、のではない。守る気がない、のか......?)

 ケイヴァーンはハッとして後ろを振り返った。

(皇帝陛下は皇都を脱するおつもりか......!)

 諸侯の兵の目的が皇宮であることはすでに想像がついている。皇宮を護る近衛の数も多くない上に、烏合の伝統貴族ウズルガーンが皇帝の盾たり得ない事など、長年シャリム皇国の大万騎将サーヴァールを担っている父親が知らぬはずもない。しかし、それでもなお皇宮を護るよう近衛に命を下している理由は、皇宮を囮に皇帝をアキシュバルから遠ざけるためではなかろうか。

「これより敵を駆逐しつつ皇帝陛下の元へと参る! 途中の兵を集めつつ、アキシュバルの郊外にて兵力を再終結する! 民の避難は現在鎮火に当たっている部隊に任せて、皆で皇都を脱するぞ!」

「「ははっ!」」

(皇宮には万が一に備えて、郊外のどこかに脱出する抜け道があると聞く。皇帝陛下の側近などしか知らない事だが、父上が皇宮を捨てると決心したならば、近衛への命も合点がいく。だが、民はどうするおつもりか? これでは見捨てるも同じではないか......!)

 ケイヴァーンは父と皇帝への苛立ちを胸に、一隊をすぐさま引き返させて貴族地区の南門を開けさせた。

「ケイヴァーン卿! 何をする!?」

 門前には武装した貴族とその配下の兵士たちがたむろして応戦していたが、抵抗する貴族たちを押し退けて無理矢理、門を開けさせた。

 門の先には、諸侯の兵が槍先を揃えて待ち構えていた。門が開いたのを良いことに押し入ろうと松明を持って蠢いていたのである。

「へぁぁあ!!」

 開けた門を飛び出したケイヴァーンの隊は、門前に集まっていた諸侯の兵を一瞬にして蹴散らすと、戻ることなくそのまま市街地へと駆け降りていった。

 ケイヴァーンの隊は騎兵である。歩兵が主な諸侯の兵士には、そう簡単には止められない。

 槍を前にかざして突進すると、敵は避けるか、たちまち槍の刃の餌食になる。

「ケ、ケイヴァーンだ! 獅子殺しシールシーンのケイヴァーンだ!」

 諸侯の兵でも、黒鎧こくがいの騎士を知らない者は居ない。ケイヴァーンの剛勇は、シャリムの辺境に轟くほど有名である。

 諸侯の兵士はケイヴァーンの姿を認めると、すぐさま逃げるように道を開けていった。

 皇宮へと向かう途中で確保するよう命じた大路に出ると、鎮護軍と諸侯の兵が入り乱れて乱戦になっていた。

(まずいな......これでは指揮が通らない。戦力の再集結を命じたくても無理だ......)

 ケイヴァーンは馬を止めることなく後続の騎馬に合図を出すと、縦一列に隊形を変化させ、突破にかかった。

「......っ!?」

 しかし、加速させた馬が最高速になる瞬間、横から脇腹めがけて槍が突き出された。

「はぁぁぁぁああ!!」

「っ!」

 ケイヴァーンは寸でのところでかわして槍を掴むと、突きだした兵士を槍ごと持ち上げて投げ飛ばした。馬の速度と質量で、兵士は軽く浮かされ、燃え盛る人家の中へと消えた。

 だが、続けざまに20人ほどの兵士が小回りの利かない騎馬の横に、待ち伏せる形で家屋から飛び出して槍を突き出した。

 ケイヴァーンの一隊はその待ち伏せをもろに受けて勢いを削がれた。

 ある者は槍に貫かれ、ある者は馬をやられて落馬する。

「止まったらこちらのものだ! 全員、馬から引きずり下ろせ!!」

 待ち伏せをしていた兵士の長らしき男がそう号令すると、手下の兵士が揚々と止まった騎馬に襲いかかった。

 たちまち騎馬の集団は大路の真ん中で歩兵の餌食となる。

「ケイヴァーン覚悟!」

「うぉおおぁあっ!!」

 ケイヴァーンは、10人がかりで襲われた。しかし、ケイヴァーンの槍は、乱雑に突き出された全ての槍を弾き返すと、そのまま宙に大きく弧を描いて兵士たちの喉笛を跳ねていた。

「「なっ、なんとっ......!?」」

 敵は一瞬怯んだが、すぐに新しい兵が加わり、またケイヴァーンを囲んだ。

(この集団を率いる長は厄介なやつだ......)

「逃がしてはならんぞ! あやつの首には金貨100枚がかかっておる! なんとしても首を落とせっ!!」

 敵の一団の一番後ろからそんな声がした。

 ケイヴァーンには兵士の長の声に聞き覚えがあった。

 ニハヴァンテである。

 黒々と蓄えた髭に、鼻につく小太りの高慢な男は、どういうわけか味方であるケイヴァーンを襲っている。

 よく見れば、先ほどからキリなしに襲いかかってくる兵士は、鎮護軍の兵装をしているではないか!

(鎮護軍が謀叛に加担している──)

 ケイヴァーンは手にもっていた槍をを握り締めた。怒りの余りに木の柄が縦に割れた。

 ケイヴァーンは、身体中を流れる血が熱く沸騰しするのを感じた。しかし寒く感じられるほど頭は妙に澄んでいた。

「「やあぁぁあ!!」」

 突進してきた20人ほどをひと息に殺し、その時折れた槍を投げ捨てて剣を抜いた刹那、音も立てずに残りの兵士の首を飛ばした。頭を失って血を吐き続ける胴体はしばらく立ち尽くすと鎧の重さで地面に崩れる。

 ケイヴァーンの脳裏にあった、ひとつの鮮明な目的だけが、己の行動を支配していた。

「ニハヴァンテ」

 前に居た全ての兵士を斬り捨てて、兵士の長へ迫ると、兵士の長は恐怖で痙攣する手で剣を抜いた。

「く、来るなっ!!」

「......」

 ケイヴァーンがその剣をひと振りで弾き飛ばすと、兵士の長は地面にへたりこんだ。

 この男は間違いなくニハヴァンテである。

「ニハヴァンテ。貴様は皇帝陛下を裏切ったのか?」

 ニハヴァンテを見下すケイヴァーンの声は穏やかに静かであった。

「お、お前ごときには分からぬわっ......!」

 ニハヴァンテの声は震えていた。

 ケイヴァーンは返答を是と捉えて、剣を小さく振りかぶった。

 そのとき、ニハヴァンテは地面の砂を掴んでケイヴァーンに投げ掛けた。

 ケイヴァーンは避けて直接砂を受けることはない。避けると同時に砂を投げて伸ばされていたニハヴァンテの右手を切り落とした。

「ぅおぉぉあああああ!! 手がぁああああ!!!」

 しかし、その一瞬の隙を突いてニハヴァンテは後ろに下がり、一目散に逃げ出した。ケイヴァーンが追おうとすると、兵士たちがまた囲んだ。

 振り返ると、ケイヴァーンの一隊は、ことごとく倒されたらしかった。

 ケイヴァーンはそこでようやく我に返った。

「お前たちのニハヴァンテへの忠誠心はなんだ......」

 囲んだ兵士たちが一斉に槍を突き出した。

 ケイヴァーンは槍先全てを剣で切り落とすと、それ以上は何もせず、自分の馬へと退いた。兵士たちは、槍の間合いを失って、ケイヴァーンと剣でやり合う自信はなかった。ケイヴァーンがゆっくり歩くと、怖じけずきながら道を開けていった。

 ケイヴァーンは馬に乗ると、動けずにいる兵士たちを尻目に馬を走らせた。

 兵力の集結はおろか自らの兵を失った万騎将は、ひとり南門へと進んでいった。

 ケイヴァーンは情けなさに口をきつく結んだ。

(己の兵を生かすことなく、敵の将を生かしてしまうなど......)

 それにもまして、仲間である鎮護軍を殺したことに抵抗を覚えていた。

 彼らは謀叛に手を貸していた。それは討ち果たす理由として十分であったが、後味の良いものではない。加えて怒りに任せて行動し、状況を見誤った自分が愚かしくて仕方がなかった。

 ケイヴァーンは何とかしてアキシュバル郊外のどこかに抜け出していると考えた父と皇帝を探しだし、合流しなければならなかった。乱戦の様相をさらに増す市民地区では常に狙われる。部下は恐らく南門に残しておいた兵士たちのみである。

 もはや、ケイヴァーンに残っていた道は、皇帝と、ひいては父や他の万騎将と合流する事しかなかった。

 南門へとたどり着くと、南門の守備を命じた兵士たちと反乱軍が激しく交戦していた。

 だが、異変があった。

 開いていたはずの門が中途半端に閉められているのである。

 門前には兵士や市民の死骸が積み重なっており、門の開閉を巡って死闘が繰り広げられた事を物語っている。

 逃げ出そうと殺到した市民を取り逃がすまいとした諸侯の兵が襲いかかり、門の守備兵と衝突したらしかった。

 しかし、ケイヴァーンの耳に飛び込んできたのは、違う事実であった。

「ケイヴァーン様ぁぁあ! 門をぉ! 門を閉じて下さいっ!!」

 門の城壁塔に居た兵士がケイヴァーンを見つけて、そう叫んだ。

 その兵士が言葉を発し終わると同時に、後ろに居た諸侯の兵に斬りつけられて城壁塔から門の真下へ落下した。

(門を閉じる......だと?)

 高所から落下した先ほどの兵士は、門前に積み重なった死体の山の上に落ちて、虫の息を長らえていた。

 ケイヴァーンは馬を降りると、急いでその兵士の元へと駆け寄った。

 兵士は背中から血を流して口から血を吹いていた。

「どういうことだ」

 ケイヴァーンは兵士の耳元に顔を近づけて、ゆっくりと静かに聞いた。この兵士は、もうじき死ぬ。

 兵士は最期の力を、声に絞り出して答えた。

「......しょ、諸侯、の......戦旗が、......西と南に、大軍で......。お逃げ下さい......っ──」

 兵士はケイヴァーンの腕を強く掴んで、それから息絶えた。

 兵士の言葉は、諸侯の大軍がアキシュバルの目前に迫っていることを報せるものであった。
















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