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chapter9

桃坂奏は面倒事しか持ち込まない。(3)

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「奏ちゃん! この人混みの中でも、奏ちゃんのこと、すぐ見つけられたよ」


 桃坂とは真逆にこの人々が行き交う中でも即座に発見した洞察眼は素直に称賛に値するが、単に桃坂と彼では放っているオーラが違いすぎるのだ。まあ、桃坂は俺でも多分すぐに見つけることができるだろうから、やっぱりさっきの称賛はキャンセルします。


 今声をかけてきた男が件の首謀者である。この男は俺推定によると、良いとこ中の上ってところだな。最近人気増大中の塩顔男子というやつで体型もスリムだし、まあまあいいんじゃねーの? などと、かなり上から目線で男の評価をしていた。それよりも塩顔男子とは何なのか。みんな舐めたことあるの? え、しょっぱいの? 普通に気持ち悪くね? 俺なら砂糖顔の方がいいなーと思いました。


「あはは。どうもー」


 ちょっと待って! こいつ、ほんとどうでもいい人だと対応がゴミ扱いだな。「返事しただけありがたいと思え、てか、何話しかけてんの?」みたいな意味を含んでいそう。


「っていうか、奏ちゃん嘘つくならもうちょっとマシなの連れてきなよ。これじゃあ流石に俺は納得いかないよ」


 あん? なに? 俺、今喧嘩売られた? お前マジで気を付けろよ。俺の心の中で五回は死んでるぞ。


「嘘じゃないですよ? 私たちはちゃんと付き合ってますよ。ねぇ先輩?」
「お、おう。そうだな、ちゃんと付き合ってるぞ」


 男は尚も訝しむ様にこちらを窺っている。だが、桃坂と付き合っているというのは噓になってしまうが、桃坂に付き合っているという点に関して俺は付き合っているという言葉を嘘偽りなく話すことができる。だってそうでも言い訳しないと恥ずかしすぎてまともに話せないんだもん。


「ふーん? いつから付き合ってんの? 記念日は? 二人で一斉に言って」


 こいつ、なかなかやるな。確かにこの質問なら一撃で片が付くかもしれない。だが、甘い! 俺たちを見くびりすぎだ、俺たちがその程度の事簡単に予想が……、ついていなかった。やばい! 予想はついてはいた、だが打ち合わせしようにも道中は桃坂の痴漢問題があり、全く打ち合わせができていない。桃坂の方に視線を送りたくても目配せしたとか言われそうだし、もうこうなったら一か八か賭けに出よう。俺は覚悟を決めた強い眼差しで桃坂を見据え、口を開いた。


「わかった。じゃあいくぞ。せーのっ」
「「五月二十六日」」


 俺と桃坂の声が重なった。五月二十六日、それは俺と桃坂が初めて知り合った日である。俺たちが記念日と呼べる日があるのならこの日以外見当が付かなかった。だが、驚いたのは、打ち合わせをしていなかったのもそうだが、まさか桃坂がその日の事を鮮明に記憶してくれていたという事だった。俺は関心と嬉しさが同時に込み上げていた。


「まあ、このくらいは打ち合わせ済みかな? でも、その日だと俺たち知り合っていたよね、連絡もしていたし、彼氏さんそういうの嫌じゃないの?」
「俺一人じゃあこいつの魅力を持て余しちゃうからこのくらいが丁度いいんだよ」


 この手の返しを全く知らない俺は、訳のわからないことを言っていた。後ろから物凄い圧力を感じている。ご、ごめんなさい……。これくらいしか言えないです。


「なにそれ、まあいいや。俺は二人のデートを後ろから観察してるからいつも通りデートしてよ」


 は? なにこいつ、え、暇なの? 他人のデートを観察するって初めて聞いたわ。そんなことする人いるんだね!


「いや、帰った方が良いと思うけど」


 俺は件の男に申し訳なくなってきてしまい、帰るよう提案したのだが、それが逆効果となり男はまたも訝しんで俺に問うてきた。


「やっぱりバレるのが怖いんだな、さっきから手を繋ぐ素振りも無いし、今時の高校生のカップルなら街中でもキスの一つくらいはするもんだよ?」


 もういい。お前はそこで蒸し焼きになってしまえ。こっちは心配してやったんだぞ! 聞かなかったのはそっちだからな? 俺は件の男への同情することを中止し、いかにこの男を信用させられるかを思案していた。それにしても、今時の高校生ってほんとにそんなことするの? やばくない? 俺なら恥ずかしさでその場で気絶する未来まで視えてしまっている。


「いや、ほら、暑いからね? だからだよな?」
「私は早く手を繋ぎたいなーって待ってますけどね」


 この小娘。なに舌出してペロリしてんのよ。ちょっと可愛いじゃんか。


 これは繋がなければならないのか? 拒否した時点で嘘がバレてしまうし、俺は思案することを諦めそっと手を差し出す。


「……ほれ」


 そっと右手を差し出し、手を繋ぐという意思を込め、桃坂を見据えた。


「はい!」


 桃坂はニコッとスマイルを作り、俺の手を繋いできた。掌だけでなく指と指が交わる、俗にいう恋人繋ぎで。うわっ、なにこれ。これが恋人繋ぎですか。これはなかなかいいものですね。はい。


「じゃあ行きましょうか! 先輩」
「お、おう」


 恋人繋ぎの衝撃に呆気に取られていた俺はたどたどしい返事しかできなかった。更にここぞとばかりに男が尚も追及してくるのであった。


「ちょっと待った! そういえば二人はなんて呼び合っているの?」
「そんなことで呼び止めるなよ。普通にももさ……」


 俺がさも平然と答えようとした瞬間にお尻に激痛が走った。痛い、痛いから。お願いだからつねらないで~。


「か、かな、で」
「私は空先輩」


 桃坂に限らず女性に名前で呼ばれる経験が妹の結花と母親以外無く、どうもこそばゆい。だが、それよりも……。うわー、恥ずかしいー、死にてー。女の子を妹以外で呼んだのは初めての経験で今絶賛悶絶中である。


「付き合ってるのに、先輩呼びってなんか、変じゃない?」
「良いんですよ。私が先輩って呼びたいんですよ。なんか憧れ? がありまして」
「ふーん? まあそこは追及しないでおくね」


 男は納得していなさそうであったが他に追及することも無いらしく、また俺たちの後ろに戻っていた。ほんと暇だな、こいつ。


「それで何するの? もう紹介したし良いんじゃない? 俺帰ってエアコンの効いた部屋で寝たいんだけど。ダメ?」
「な、何を言ってるんですか! まだそれはちょっと気が早いというか、なんというか」


 桃坂は顔を赤らめてもにょもにょ口籠ってる。……は? いやいや、待て。変な勘違いしないで! そんなことできるならもちろん喜んでお受けしますけど。いや、ダメだ。俺の純情はこんな形で捧げるわけにはいかない。


「あー……。ごめん、そういう気は無いっていうか、そもそも意味が違うっていうかね」
「へ? ……先輩?」
「ひゃっ、ひゃい!」
「私のことからかってそんなに楽しいですか? そうですか。そういう気は無いですか。もう知りません」


 またいつもの笑顔の奥に隠れた恐ろしい殺気を感じ取り、噛み噛みの返事をしてしまった。こいつのこの笑顔は何度見ても慣れないな。超怖い!


 桃坂が拗ねた様子で俺の方から顔を背ける。うーん。この子拗ねると大変なんだよな。現状を打破できることはないかと思案し、桃坂の機嫌を良くするには今の俺にはこれくらいしか思いつかない。死ぬほど恥ずかしいけど電車内に比べれば幾分かはマシに思える。きっとできる。そう、これは、全部夏のせいだ!


 ……よし。言い訳完了。


「奏。ごめんな?」


 そう言葉を告げながら俺は桃坂の頭を撫でていた。やばい。小さいころ結花によくやっていたけど、大きくなってからやるとこんなに恥ずかしいの⁉


「ふにゃ⁉ せ、先輩? なんで急に頭撫でてくるんですか?」
「あっ、悪い。今放す……」


 やっぱり失敗ですよね。そうですよね、はい。調子に乗りました。だって拗ねてる女の子に何していいかわからないんだもん。いや、ほら、俺今一応彼氏だから? 普段絶対に押さないコマンドも押していいのかなって思ったんです!


 俺が桃坂の頭から手を放そうとすると、桃坂の細い指先で俺のシャツの袖を掴んでくる。


「放さないで下さい。このままもう少し撫でてください。なんだかこれ、落ち着きます」


 シャツの袖を掴みながらふにゃーっと崩れた笑みを浮かべていた。


 ほんとなんなのこの可愛い子は。こっちがドギマギして死ぬほど手汗かいてきた。やばい。これ、俺が手を離したら桃坂の髪の毛びしょ濡れになってないかな?
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