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三分の二の幸せな世界

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 季節は冬。
 凍えるような寒さの中で一人の少女が公園で座っていた。

 少女には名前が無い。
 公園のアレ、と皆から見下されていた。
 ぼろきれのような汚い布を身体にまとい、汚らしい物を見るように、街のみんなが通り過ぎていく。

 少女には言葉が無い。
 小さな頃に捨てられ、読み書きはできない。
 知っている言葉は、お願いします、とありがとうございます、だけ。

 チャリーン。

 裕福層な人からコインが投げ入れられる。
 少女は、ありがとうございます、と嬉しそうに言葉を返す。

 少女にはお金が無い。
 投げ入れられたコインは、少女がこの公園の区画で生活するため、全てを持っていかれる。
 大人の人に渡さなかった時は、酷い事をされてしまうのだ。

 少女が貰ったコインを集める大人は、コインを投げ入れてくれた人達よりも裕福に見えた。

 ぐう~。

 空腹で少女はお腹を押さえた。

 少女は、毎日街のゴミ箱を漁る。生きていくために。
 お店のゴミを漁っている所を見つかると、ひどく殴られた。
 
 少女だから、と遠慮する人は居ない。
 ゴミを漁られる事による不快感も、ゴミ捨ての人が抱えている悩みも、苛立ちも。全てこの少女への暴力で発散された。

 顔も身体も酷く殴られ、少女の身体は怪物のように醜く晴れ上がっていた。

 強く殴られた時に、転んで頭をぶつけてから
 片方の目はかすみ、あまりはっきりと見えなくなった。

 距離が掴めず、よく転ぶ。そのまま衛生状態の悪い公園の家で眠る。
 少女が生活している所は、膿と血とで汚れ、悪臭を放っていた。

 その日は少女の誕生日だった。

 偶然、いいお客さんが来たのか、お店の前に出された残飯はいつもよりも豪勢だった。
 ありがとうございます、と誰にという訳でもなく喜びゴミを漁る少女。

 誕生日プレゼントはここまで。
 いつもは、食べられそうな物を集めて素早く逃げ出すのだが、迷っているうちにゴミ捨ての人がやってきた。

 ゴミ捨ての人は、棒で少女を殴りつける。
 凍える寒さの中、殴られた腕に焼けるような熱さを感じた。
 翌日は発熱と腕の痛みにうなり、数日たってすっと痛みが引いた後は腕が動かなくなっていた。

 腕が動かなくなってからも少女の行動は変わらない。

 チャリーン。
 投げ入れられるコインに対して、ありがとうございます、と言い、コインを大人に渡す。
 投げ入れられるコインは少しだけ増えたようだ。

 いつものお店のゴミ箱へ向かう。
 そこには、先客。一匹。汚く汚れた、痩せた不細工な猫だった。

 少女がいつも食べ物を集めているお店ののゴミ箱を漁っている。

 喧嘩でやられたのだろうか、右の後足を引きずっていた。
 猫は少女を見て、口を開いて鳴くような真似をする。

 口を開くだけで、猫から鳴き声はしなかった。喋れないのだろうか。
 威嚇しているのだろうか、と。その日、少女はそっと家に帰った。

 翌日も。
 その翌日も。
 その翌日も。猫が先客だった。

 ゴミ箱の物を、少しずつ爪ですくっては舐めている。
 後ろ足で踏ん張れないので、ゴミ箱の食べ物を集めるのに苦労しているようだった。

 少女が近づくと、口を開いて鳴くような真似をする。
 これも声は出なかった。
 猫が威嚇するのにも構わず、少女はゴミ箱を漁り始める。

 非難するように、悲しそうに泣く猫。

『きみの方が先だったから』

 少女はゴミ箱で食べられそうな物を拾い上げて、三分の二を猫の方によせた。

 猫は、食べ物を寄せてくれた少女をじっと見て。

 威嚇した事を気にしているのか、猫はすり寄り不器用そうな顔を作って口を開く。
 鳴くような真似をするが、声はやはり出なかった。

 その日、猫が鳴く事は一度も無かった。

 猫との生活が何日か続いた。ある日は少女が先にゴミ箱にたどり着き、

『わたしの方が先だったから』

 少女はゴミ箱で食べられそうな物を拾い上げて、三分の二を自分の方によせた。

 猫と少女のゴミ箱に、どちらが早くたどり着くか。
 少女はゲームのような楽しさを感じていた。

 少女が少しだけ早く着いて、非難するような顔をする猫。
 猫が少しだけ早く着いて、自慢気な顔をする猫。

 その猫の変わった仕草を見るのが楽しかった。
 食べ終わった後は、ありがとうと言っているように、少女の指を一舐めする。
 少女は猫の首元を撫でまわす。

 そんな短いコミュニケーションを取って、一匹と一人は翌日のゲームまで別れる。


 そんな日は唐突に終わりを告げた。

 猫はいつものようにゴミ箱の前で少女を待っていた。
 少女が猫に寄ろうとすると、ゴミ捨ての人が出てくる。

 動かなくなった腕が疼き、恐ろしくなって、少女はその場で立ちすくんだ。
 猫は、いつものように寄ってこない少女を見つけて、不思議そうに口を開く。

 逃げて。
 少女はその言葉も出せず、ただ口をパクパクさせた。
 ゴミ捨ての人は猫気付くと、猫に向けて煮えたお湯を引っかけた。

 猫は声をあげる事もなく、熱さでのたうち回った後、走って逃げてしまった。


 翌日。
 その翌日も。
 その翌日も。猫は来なくなった。

 今日の先客は私だから、と少女は三分の二を自分の方に寄せて、残りは猫のいた場所に置いていく。

 やけど、治っているといいな。

 チャリーン。
 ありがとうございます。

 お金を大人に渡そうと大人のいる場所へ向かう。

 少女は途中の道端に、見慣れた猫が倒れているのに気付いた。
 少女が近寄ると、
 猫の胸はかすかに上下していた。猫のそばに蟻が行列を作っている。

 少女に気づくと、猫は口を開いて鳴こうとする。鳴く事はやっぱりなかった。
 首を撫でると、猫は少女の指を一舐めする。

 少女は猫を公園に連れて帰り、一緒に眠った。

 朝、起きると、猫の胸がせわしなく動いていた。
 昨日、貰ったお金が、そのままポケットに入っているのを思い出した。

 少女はそのお金でミルクを買った。

 大人の人に渡さなかった時は、酷い事をされてしまうけど。

 今までどれだけお腹がすいても手を付けなかった、そのお金で。
 少女はコップ一杯のミルクを買った。

 猫はミルクに気付くと、物欲しそうに口を開く。
 少女はそっと、猫にミルクを差し出した。

『今日はわたしが先だったけど』

 少女は猫にミルクの三分の二をあげる。
 猫はぴちゃりぴちゃりとミルクを舐め、満足そうに口を開いたがやっぱり鳴く事は無かった。

 少女はなかない猫の首をそっと撫でる。

 三分の二を舐め終わった後、猫は幸せそうな表情をしたまま動かなくなった。

 動かなくなった猫をそっと撫でた後、少女は土を掘った。
 軽くなったポケットを叩き、三分の一のミルクを飲んだ後、少女は猫を土に埋めた。

 次に猫に再会した時は、

『久しぶりだね。今日は私が先ニャンだけど』

 そう言って猫が恐らく居るであろう幸せな場所。

 三分の二の素敵な世界へ案内してくれるといいな。

~ FIN ~
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