ぼっちの日本迷宮生活

勤勉書造

文字の大きさ
上 下
2 / 40
第一章 冒険者に就職したようです

引きこもりは初めての戦闘を経験する

しおりを挟む


 しかし、さらなる追い打ちが避難所の人々を襲うことになる。

 駅の目の前、信号を渡ってすぐの某有名ショッピング店に突如謎の建造物が出現したのだ。
 和真の避難している小学校は公園を挟んですぐ、目と鼻の先にある。
 その事実は近隣にいる人々に恐怖と混乱を与えるのに十分であった。

「は、早く逃げよう。もうここはダメだ!」
「でも、どこに行けばいいの? 電車も止まっているし行くあてがないわ」

 そこかしこで違う場所への避難を急ぐ人々の悲痛な声が上がった。
 大震災の影響で動かない電車、給油のできない車、それらは役に立たない粗大ゴミに成り下がっていた。

 自転車やソーラーカーであれば使えるであろうが、都合よくソーラーカーを所有している人はいない。自転車では大荷物を持っての避難は難しい。そもそも震災の影響で道が崩れていたり液状化で水浸しであったりと、まともに移動できないのが現状であった。

「母さん、どうする?」

 和真は覚悟を決めて母に問いかける。
 何かがあれば母を最優先で守る覚悟を、そして母の決断次第で心中ですら付き合う覚悟を。
 すでに和真は決めていた。

「……ごめんね、母さん疲れたわ。他の場所が安全である保証もないし、神様を信じて私は残るね。和真は好きにしなさい」

 やつれて体力の落ちた母親は、悲しそうな瞳で弱々しく和真に語った。せめて和真だけでも生きなさいと。そう心の中で思っているのだろうか、それは彼女にしかわからない。

「いや、俺も残るよ。最後まで一緒だよ、母さん」

 母親は悲しそうな、または嬉しそうな、そんな表情で弱々しく微笑んだ。



 そして、運命の日。大震災から3ヶ月近くが過ぎたころ、ついに駅前にできた謎の建造物から少数の未確認生命体が這い出てきたのだ。それを目撃した人々は恐怖した。それはすぐに避難所にも伝えられ、残った人々は来るべき時が来たと覚悟を決めた。

 避難所に残った人々。
 それは65歳以上の高齢の方々が8割以上を占めていた。
 震災の影響で足場が悪くなった道を移動するなど年寄りには過酷でしかない。

 腰が曲がり杖をついた老人たち。彼らが避難所に残ったのは必然であった。いや、残るしかなかったのだ。動ける者は他の避難所に移動したが、動けない者や諦めた者は避難所に残っていた。終わりを覚悟して座していたのだ。

「母さん、無駄かもしれないけど最後まで頑張ろう」

 そう言って、護身用に所持していた金属バットを握り締め、佐々木和真は避難所内で謎の建造物が出来た場所の方面にある花壇に植えられた低木に隠れて化物を迎え撃つことにした。母は一言「あんただけでも逃げなさい」と声をかけた。しかし、和真は母を安心させるため「大丈夫だよ」と、母に笑顔を見せて一人寂しく死地へと向かった。多くは語らなかったが、バットを握り締めた息子の姿はどう映ったのであろうか、母のみぞ知る話か。

「……こええぇ、こえぇよ」

 心臓の音がよく聞こえる。その鼓動はかなりの確率で訪れる死への警鐘だ。
 今すぐに逃げろ、今すぐに母を連れて逃げろ。そんな言葉が彼の脳内に響き渡る。
 何気なく辺りを見渡すも協力者などいない。うるさい報道機関のヘリコプターの音だけが彼の鼓動以外の唯一の騒音だった。

 一人。最後まで一人だ。
 せめて母の近くにいようとも思ったが、母の死を見るのも自分の死を見せるのも苦痛に感じている。だからこそ一人だ。それは彼のひとりよがりの最後の願いでもあった。いや、できることなら金属バットで化物を撃退して生還するのが一番の願いだ。しかし、それは無理だろう。協力してくれる者などひとりもいない。まともに動けない老人と、諦めた人間しかいないのだ。

 結果は明らか、自分が死んだあとに避難所にいる人も死ぬ。
 それが高い確率で未来に起こる結末だ。この世は残酷なまでに悲劇に満ちている。
 和真はそう痛感していた。

 せめて自衛隊がいれば、警察がいれば、格闘経験者がいれば、落ち着くこともできただろう。
 しかし、縋れる相手は一人もいない。老人と諦観を抱く者だけだ。

「ふぅーふぅー」

 緊張のため、浅く早い呼吸が繰り返される。
 冷や汗が止まらない。嫌な汗だ、脂もにじみ出て気持ちが悪い。
 そしてもうすぐ訪れる最後に恐怖して、和真は無意識に過去を振り返る。

 かすかに残る子供の頃の記憶、母に暴力を振るう働かないダメな父親、小学生のころの幼稚な思い出、中学時代の恥ずかしい思い出、高校での失恋の記憶、職場での苦い経験。そして、引きこもった空白の10年間。

 これが走馬灯なのか? 彼は無駄で空虚な自分の人生を振り返った。後悔、ただその悔恨が彼の脳内を犯していた。

 そして。ぺたぺたと、不意に何かの足音が聞こえた。
 それは靴を履いていない生物の小さな足音。何処か生々しく、血糊がへばりつく様な音。謎の建造物が発生した方角から響いてくる不吉な足音が、じわりじわりと近づいてくる。冷や汗が噴き出す。何もしていないのに服が濡れており、まるで雨でも降っているかのようだ。和真は謎の足音が近づいてくるのを確認し、バットを強く握り締めた。

 「ちゅう」と不意に生物の鳴き声が耳に入る。それはネズミが出しそうな鳴き声であったが、どこか悍ましく鳥肌が立つ不気味さを孕んでいた。

(……あれは、ネズミなのか? 毛のない大きなネズミに見えるが、気持ちが悪い……)

 低木に隠れている和真はその正体を確認する。
 それは、カピバラ程の大きさで毛が生えていないハダカデバネズミの様な生物だった。
 前歯は猪の牙と見間違えるほどの大きさで鋭い。あれで噛み付かれたら軽傷ではすまないと理解できる。

 化物の見た目を避難所に伝えてくれた人も大きなネズミだと言っていたのだが、想像よりも醜悪であり凶悪な歯を持っていたことに和真は戦慄した。

 「ちゅうぅー?」

 何かを確認するような、何かを呼ぶような。不気味さを孕んだ鳴き声が再び響く。
 臭いなのか、気配なのか。オオネズミは鼻をぴくぴくさせながら、上体を起こして周囲を警戒している。

 オオネズミは一匹だけ、それでも和真は恐怖で動けないでいた。
 10年間の引きこもり生活で衰えた筋力と体力、身長は180以上と恵まれた体格だがそれだけだ。
 最近では食事も満足にとっておらず、体は弱っている。この条件で何とかしないとならない。

(い、いけるさ。ネズミにしては大きいけど、俺よりは小さい。バットで頭部を叩けば殺せるはずだ)

 心の中で自身を鼓舞する和真。体格の差と得物のバットだけが彼の最後の武器である。
 それすらなければ諦めて逃げていたかもしれない。

(いくぞ! いくぞいくぞいくぞ、いくぞ!)

 オオネズミは周囲を警戒するものの、和真の居場所はわからないようで気づかない。
 そして、オオネズミは避難所にて人々が集まっている方向へ再び歩き始め、和真が隠れている低木を通り過ぎた――――そこで。



 葉の擦れ合う音がなる。意を決した和真は低木をかき分け、音が出るのも構わずに勢いよく飛び出した。音に気がつき後ろを振り向くオオネズミに、上段から金属バットを全力で振りぬいた――ぐちゃり。

 硬いものが砕ける破砕音が刹那に聞こえ。生肉を踏み潰して挽肉を握り潰すような嫌悪感を抱かせる音を出す。

 あっけなく頭蓋骨が砕かれて、脳髄を撒き散らした醜悪なネズミが地に崩れ落ちる。その光景とそれをなした自分自身に、自然と震えてしまう和真の身体。

「……殺った、のか?」

 小さく呟く和真。それは現実感がないような、逆に濃厚過ぎて感覚が麻痺したかのような、不思議な感覚だった。しかし、大型の動物を殺した経験のない和真がぬぐい難い忌避感を覚えるには十分な経験だったようだ。それでも人々に害をなす危険生物を駆除した事実は、彼にほんの僅かな自信を与えるのであった。

 その直後、神の祝福が再び彼を包み込む。神々しい光が彼の肉体を輝かせたのだ。
 しかし、その声は麗しき女性のものであった。

『ダンジョン勢力のモンスターの初討伐を確認しました。佐々木和真にギフトが授けられます。「初心者」の称号が贈られました』

『続いて、「孤独《ぼっち》」と「鎖国《ひきこもり》」の特性が発現しました』

 『続いて、体得に成功した技能をご報告致します』
 「強打」を体得しました。
 「強襲」を体得しました。
 「クリティカル」を体得しました。
 
『続いて、ステータスの上昇が確認されたため、詳細な情報を表示します。以後、自由に情報を表示できます』

 種族:人族 性別:男性 年齢:31歳 血液型:O型
 職業 冒険者LV1
 勢力 地球
 特性 孤独LV1 鎖国LV1
 技能 強打LV1 強襲LV1 クリティカルLV1
 ?
 ?

 技能効果
 強打 通常攻撃の1.5倍のダメージを与える。重複可
 強襲 背面攻撃に成功した場合、通常攻撃の3倍のダメージを与える。重複可
 クリティカル 対象の急所に攻撃が当たった場合、通常攻撃の3倍のダメージを与える。重複可

 ※重複可能スキルは他スキルの効果と掛け合わせた効果を発揮します
  尚、特性のスキル効果の詳細は、条件を満たさない限り表示されません

 HP100 SP10 MP0 
 STR10
 con10
 AGI10
 DEX10
 INT20
 LUK10

『ちなみに、30代男性の中でも最低クラスのステータスですね。それでは、健闘を祈ります()』

「……」

 光とともに脳内に響き渡った女性の声と眼前に現れた謎の情報。
 理解の追いつかない出来事により、和真は呆然と佇むのであった。

「もう、わかがわからないよ……」

 
しおりを挟む

処理中です...