灰に堕ちるその日まで

こりゃりゃ

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序章

影の世界

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 陽の落ちた倉庫街には、赤錆の匂いと微かに濁った海風が満ちていた。闇の輪郭がまだぼやけている薄暮、まるでこの世に色が存在しなかったかのような灰の時間。

 その中で、鴉はまるで背景の一部のように立っていた。

 長身で痩せすぎないその身体は、影の中に沈んでもなお輪郭を保っていた。細く長い指が煙草をつまみ、紫煙が夜の湿度に紛れて溶けていく。

 髪は黒に近い灰色。光の加減によっては銀に見え、夜目には闇そのものに映る。わざとらしい整髪もなければ、派手な主張もない。だがその曖昧さこそが、彼の存在を際立たせていた。

 スーツは着崩しているようで、どこか整って見える。ネクタイは緩く、第一ボタンは外され、靴の踵は擦り減っている。だがその全てが、計算された“抜け”に思えるほど、彼の動きには一分の無駄もなかった。

 誰かの正義にも、規律にも、完全には馴染まない。
 鴉は、灰色の領域に生きる者だった。

 その目は、あらゆる闇に慣れていた。

鴉の名が公安内部で囁かれるようになったのは、ある事件がきっかけだった。
潜入捜査中、彼は三十五人の武装犯を、たった一人で無力化した――ただし、一人も殺さずに。

その記録は、内部でも長く語られた。
だが報告書に残されたのは、必要最低限の文面と、現場写真数枚。
血に濡れた床、動かなくなった犯人たち、そして──
どこか遠くを見るような、男の後ろ姿だけがそこにあった。

鴉の戦いには、“殺意”がない。
いや、意図的に排除されている。
相手の呼吸の乱れ、重心の揺れ、視線の癖──
それらを即座に読み取り、最小限の力で無力化する。
その動きは、もはや本能に近い。

戦場でさえ、彼は一線を越えない。
殺さず、怯まず、淡々と制圧する。
それが、逆に周囲を戦慄させた。

そして何より印象的なのは、その“飄々”とした仮面だった。
戦闘の直前も、真っ只中も、終わった後ですら、彼は皮肉めいた笑みを浮かべていた。
怒りも憎しみも、どこか他人事のように受け流し、虚無の器に投げ込んでいく。
そうして、すべてを終わらせる。

鴉の強さは、単なる技術や筋力ではなかった。
彼の異質さは、“狂気との距離感”にこそあった。
そして、“それでも人を殺さない”という選択を貫く、その覚悟が鴉の強さだった。
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