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盈月
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「ただいま~」
物語に没頭していたところに大声が入ってくる。時計を見ると、帰ってきてから結構時間が経っていた。ひとつ息をついて挨拶を返す。
「おかえ――」
「学校、どうだった?」
しかしそれは飛び込んできた弘さんの声にかき消される。輝く目でこちらに視線を送ってくる彼は、餌を待つ犬みたいだ。
――学校ね。
思い出される動物園みたいな場所。どうって……。
「うるさかった」
正直、その印象しか無い。読んでいた小説から視線を移すと、彼は呆気にとられた表情で納得がいかないように考え始める。
「うーんじゃあ、楽しかった?」
搾り出された問いは変哲も無い。弘さんは何が聞きたいの?
「別に。つまんなかった」
率直に答える。というか、あの場所を楽しめるはずも無い。今度は彼は今度は少し納得したように考え込んだ。
「友達でもできたら、きっと楽しくなるよ」
そして優しく、明るい笑顔を向けてくる。本当になんなのこの人、調子狂う。わたしは、これ以上関わるつもりは無いと本に目を戻す。
「じゃあ、すぐに晩ご飯作るからちょっと待ってて」
その意思が伝わったかは分からないけど、弘さんは歌いだしそうな程に浮かれた様子で自分の部屋へ入っていく。
「そうだ、瑠璃。コンタクト外しなよ、目を痛めるから」
すぐに扉の向こうから声が聞こえた。わかってるから。心の中で返事してわたしは再び物語の世界へと潜った。
夕食が終わると、そのまま部屋に入って電気はつけないままベッドに倒れこんだ。まだ新鮮に感じられる柔らかさが身体を包んでいく。わたしはその感覚に任せて目を閉じた。このまま眠れたら幸せだろうけどーー。
「コンタクト外さなきゃ」
面倒くさいけど仕方ない。名残惜しさを感じながら鏡台に向かって右手を瞳に当てた。指に感じる膜の感触、本物を隠す覆い。それを取り払うと、人間的な黒目は消え去って、いつもの銀眼が姿を現す。
「…………」
無言のままで鏡の中の自分を見つめ、ベッドへと戻った。考えなきゃいけないことを思い出した。
『鳥籠を抜け出しても、まだ君は夜を飛んでいるんだね』
校務員の発した唄うような言葉。別に意味が理解できる訳じゃない。でも、気になることはあった。
「鳥籠……」
その単語を口にした途端、周りの温度が下がった。
“鳥籠“
わたしがその言葉で連想するものはたった一つ。あの牢獄、わたしを飼い続けたその深い闇。思い出すだけで身体の芯は冷えきって悪寒が走る。必死に自分を抱くが、それは一向におさまらない。
「でも、鳥籠があそこだとしたら、彼は何者なの?」
何が目的? どこまで知っている? 分からない。手がかりが少なすぎる。
「詰みかな」
呟いてみるけど、自分に嘘はつけない。頭の中で考えたくない可能性、一番ありうる状況が訴えてくる。
『校務員はあの人の差し金ではないか』と。
認めた途端、周りの空間が凍った。抑えきれない恐怖に呑み込まれて、制御を失った身体は狂ったように震えだす。左の肩を強く握りしめ、布団を頭までかぶっても消えない寒さ。怖い、怖いよ……。視界が滲んでいく。あの人がそばにいるのではないか。そんな感覚がわたしを更に追い詰めていく。
「落ち着け、落ち着け……」
震える声で繰り返し、言い聞かせる。感情を殺せ、呑み込まれるな。
それからどれだけ経ったか分からない。
「はぁ、はぁ」
汗をぐっしょりとかいていて、身体の芯はまだ体温を取り戻さない。
それでもわたしは恐怖の渦から抜け出した。涙を拭い、布団を強く握りしめる。このまま意識を失えたらどれだけ幸せか。しかし、それはできない。わたしは考えなきゃいけない、今後のことを。あの人相手に無計画で挑む訳にはいかない。
――でも今は様子見くらいしかできないか。
唇を噛み締める。わたしはまだ校務員があの台詞を伝えた真意も、彼の立場すらわからない。だから下手に動くわけにはいかない。多分、今手を出せば裏目に出るから。
――チカラを使えば……。
自分の考えに首を振る。あの男の記憶を読めばなにか分かるかもしれない。でも、あの人がそれを想定していないとは思えなかった。罠かもしれない。だから、歯痒くても様子を見るしかない。でも――。
「わたしはもう捕まらない。わたしは解放される」
低い声で宣言し、虚空を睨んだ。
物語に没頭していたところに大声が入ってくる。時計を見ると、帰ってきてから結構時間が経っていた。ひとつ息をついて挨拶を返す。
「おかえ――」
「学校、どうだった?」
しかしそれは飛び込んできた弘さんの声にかき消される。輝く目でこちらに視線を送ってくる彼は、餌を待つ犬みたいだ。
――学校ね。
思い出される動物園みたいな場所。どうって……。
「うるさかった」
正直、その印象しか無い。読んでいた小説から視線を移すと、彼は呆気にとられた表情で納得がいかないように考え始める。
「うーんじゃあ、楽しかった?」
搾り出された問いは変哲も無い。弘さんは何が聞きたいの?
「別に。つまんなかった」
率直に答える。というか、あの場所を楽しめるはずも無い。今度は彼は今度は少し納得したように考え込んだ。
「友達でもできたら、きっと楽しくなるよ」
そして優しく、明るい笑顔を向けてくる。本当になんなのこの人、調子狂う。わたしは、これ以上関わるつもりは無いと本に目を戻す。
「じゃあ、すぐに晩ご飯作るからちょっと待ってて」
その意思が伝わったかは分からないけど、弘さんは歌いだしそうな程に浮かれた様子で自分の部屋へ入っていく。
「そうだ、瑠璃。コンタクト外しなよ、目を痛めるから」
すぐに扉の向こうから声が聞こえた。わかってるから。心の中で返事してわたしは再び物語の世界へと潜った。
夕食が終わると、そのまま部屋に入って電気はつけないままベッドに倒れこんだ。まだ新鮮に感じられる柔らかさが身体を包んでいく。わたしはその感覚に任せて目を閉じた。このまま眠れたら幸せだろうけどーー。
「コンタクト外さなきゃ」
面倒くさいけど仕方ない。名残惜しさを感じながら鏡台に向かって右手を瞳に当てた。指に感じる膜の感触、本物を隠す覆い。それを取り払うと、人間的な黒目は消え去って、いつもの銀眼が姿を現す。
「…………」
無言のままで鏡の中の自分を見つめ、ベッドへと戻った。考えなきゃいけないことを思い出した。
『鳥籠を抜け出しても、まだ君は夜を飛んでいるんだね』
校務員の発した唄うような言葉。別に意味が理解できる訳じゃない。でも、気になることはあった。
「鳥籠……」
その単語を口にした途端、周りの温度が下がった。
“鳥籠“
わたしがその言葉で連想するものはたった一つ。あの牢獄、わたしを飼い続けたその深い闇。思い出すだけで身体の芯は冷えきって悪寒が走る。必死に自分を抱くが、それは一向におさまらない。
「でも、鳥籠があそこだとしたら、彼は何者なの?」
何が目的? どこまで知っている? 分からない。手がかりが少なすぎる。
「詰みかな」
呟いてみるけど、自分に嘘はつけない。頭の中で考えたくない可能性、一番ありうる状況が訴えてくる。
『校務員はあの人の差し金ではないか』と。
認めた途端、周りの空間が凍った。抑えきれない恐怖に呑み込まれて、制御を失った身体は狂ったように震えだす。左の肩を強く握りしめ、布団を頭までかぶっても消えない寒さ。怖い、怖いよ……。視界が滲んでいく。あの人がそばにいるのではないか。そんな感覚がわたしを更に追い詰めていく。
「落ち着け、落ち着け……」
震える声で繰り返し、言い聞かせる。感情を殺せ、呑み込まれるな。
それからどれだけ経ったか分からない。
「はぁ、はぁ」
汗をぐっしょりとかいていて、身体の芯はまだ体温を取り戻さない。
それでもわたしは恐怖の渦から抜け出した。涙を拭い、布団を強く握りしめる。このまま意識を失えたらどれだけ幸せか。しかし、それはできない。わたしは考えなきゃいけない、今後のことを。あの人相手に無計画で挑む訳にはいかない。
――でも今は様子見くらいしかできないか。
唇を噛み締める。わたしはまだ校務員があの台詞を伝えた真意も、彼の立場すらわからない。だから下手に動くわけにはいかない。多分、今手を出せば裏目に出るから。
――チカラを使えば……。
自分の考えに首を振る。あの男の記憶を読めばなにか分かるかもしれない。でも、あの人がそれを想定していないとは思えなかった。罠かもしれない。だから、歯痒くても様子を見るしかない。でも――。
「わたしはもう捕まらない。わたしは解放される」
低い声で宣言し、虚空を睨んだ。
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