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 しばらくして、家が見えてきた。宮浦はあばら家と称していたが、しっかりとした造りである。
 感想をそのまま伝えると、虚無僧は笑った。

「多少、修復しましたからな。とりあえず、家として使えなければ意味がございませんので……帰ったぞ」

 苦労の垣間見える言葉とともに、帰宅を家の中に伝える宮浦。奥から女の声でお疲れ様でした、と返って来た。

「同居人がいらしたんですね」

「ちょっと不自由な奴ですが、大目に見てください」

 不自由とは? 宗兵衛の首が微かに傾く。が、宮浦はそれを見て見ぬふりでもしているのか、全く素知らぬ素振りのまま、宗兵衛をあばら家の中へ誘った。

 外観同様と言うべきか、中もしっかりと人の住める造りになっていた。土間の奥にはかまどや流し、そして立派なかめがあり、そこを上がると四畳半ほどの広さの板の間、そして右手側に押入れがあった。間仕切りや襖などは無かったが、差し当たり人が住むには充分であった。

 宮浦に応えを返した女は、竈の前で火吹竹を使い、炎の勢いを調整している。双眸は閉じられていて、初めは熱いのかと宗兵衛は思ったが、彼女がこちらに気が付いて立ち上がった時に、すべて理解した。

「もうすぐ夕餉が整います。もう少しお待ちください」

 目を瞑ったまま、女は言った。なるほど不自由とは、彼女の両目を示した言葉だったのだ。

 すぐに作業に戻る女。宮浦はそんな女に一言あいよ、と答えると、甕から手桶に水をすくい、板の間と土間の境に腰を下ろした。そして草履を脱ぐと、柄杓を丁寧に使いながら手で足を洗い、懐から出した手ぬぐいでこれまた丁寧に拭く。

「仲田殿も、どうぞ」

 いざないのままに、宗兵衛も足を洗った。野宿が長かったため、それは久しぶりの行為であった。汚れが取れる様は、見た目にも肌触りにも気持ちが良い。

「かたじけない。生き返りますね」

「本当ならば、風呂にでも浸かっていただきたいところですが、ここにはそのようなものはございませんので……」

「とんでもない。これだけでも充分でございます」

 土埃に汚れた足を綺麗にして、二人は板の間にあがる。束の間、女が椀に汁をよそっているのが見えた。椀はしっかり三人分用意されていて、さきほど夕餉を食したばかりの宗兵衛は一寸戸惑ったが、正直まだまだ腹には余裕があったため、もてなしてくれるのならそのままいただいてしまおうと、ちゃっかり思った。



 果たして、膳は三人分用意された。もっとも、それは『膳』と呼ぶには少々お粗末なものであったが。

 ただの木の板の上に、飯が盛られた茶椀、汁物の椀、そしてささやかに香の物が乗った皿がある。飯は白米に麦とキビが混ぜられたものだった。行灯は部屋の中央に置かれ、それを囲むように女は膳をみっつ並べた。

「はなはだ粗末で恐縮ですが、どうぞお召し上がりください」

 宮浦は笠を脱いでいた為、暗がりながらその顔がいちおう見えた。一瞥の印象そのままの、人の良い中年といった風貌である。白髪交じりの頭髪はそこそこの短さだがボサボサとしていて、あまり清潔な様子には見えなかった。

「何から何まで恐れ入ります。それでは遠慮なく」

「そうそう。若い人はそうでなくては」

 快活に笑う宮浦。奥の女も追従するように静かに笑みを見せる。依然、両目は開かぬままだ。

 久しぶりの和やかな食事。その合間を縫って、宗兵衛は尋ねた。

「あの……非常に失礼な質問だと思うのですが、ひとつよろしいですか?」

「ええ。ひとつと言わず、いくらでもしてもらって構いませんよ……ああ」

 返事の途中で、宗兵衛の視線の先に気が付いたのだろう。宮浦はふと女を見ると、一瞬だけ笑顔をす、と引っ込めた。

「これは失礼。彼女の紹介がまだでしたな。女と一緒に住んでいるのか、このなまくら坊主は、と思われてしまう。いやいや、どうもお恥ずかしい」

 ばつが悪いのか、僧は頭を掻く。ただでさえ収まりの悪い髪が更に乱れた。

「彼女はここ『仇討山』で行き倒れになっていたのを、私が保護した女です。もう何年も前の話ですが、以降私はずっと、彼女をここで匿っています。ちなみに身元は一切分かりませんし、知ろうとしたこともないです。『仇討山』は風光明媚な良い山ですが、一歩奥に踏み入ればいわくつきの男女がごろごろいる魔境ですからな」

「お待ちください。では貴方はそんな……ええっと、本人の前で失礼ですが……危険かもしれない女性と一緒に、住んでいるのですか?」

「すでにお分かりだとは存じますが、彼女は目がまったく見えません。そんな女性を、あんな魔境に置き去りには出来ないでしょう。また、あるいは町に送り返せばよい、と思うかもしれませんが、そもそも仇討山に迷い込んでいる時点で彼女が訳ありなのは間違いないのですから、この決断も事情によっては酷になります。調べれば分かるのでしょうけれども、知るというのは、この女の事情を一緒に抱えてしまうことも意味します。彼女の方から打ち明けてくれるのでしたら、それはそれでこちらも覚悟が定まるというものですが、そうでもない限りは静観し、ただ彼女と一緒に暮らすだけにしておくのが、ちょうどいいと考えたのです」

「なるほど……」

 納得した、とまでは言えなかったが、それが彼らにとっての落としどころであるのは理解した。これ以上の言及は野暮と考え、宗兵衛はこの話題を取り下げる。実際、この僧と彼女がいわゆる男女の関係かどうかなど、宗兵衛にはどうでもよい話だ。

「時に、仲田殿。常陸国からお越しだと仰っておりましたが、仇討山の事はご存じで?」

「ええ。ここに来る際、噂で聞きました」

「なるほど。それなら話が早い」

 仇討山には本来別の名称がついているのだが、この山であまりにも仇討ちが多発するために『仇討山』なる呼名がついてしまったとの事だった。これは、いさかいを起こした、あるいは巻き込まれた者たちが身を隠すにはとても都合の良い地であることが原因となっているらしい。

 宗兵衛が町で聞いたこれらの情報を伝えてみると宮浦は首を縦に振り、間違っていない旨を返してくれた。

「そこまで理解していらっしゃるのなら充分ですな。ところで、私からもお伺いしたいことがあるのですが」

 尋ねてくる宮浦。宗兵衛からすればまだまだ訊きたいこともあったのだが、向こうに質問があるのならば、ひとまず先にそちらに応じたいと素直に思った。

 宗兵衛が首を縦に振ると宮浦は礼を述べ、残った雑穀飯をさっとたいらげて両手を合わせた。そして小さくお辞儀をすると、真正面から宗兵衛を見つめた。

「単刀直入に訊きます。仲田殿……貴方も、仇討ちのためにここへ入って来たのではありませんか?」
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