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五
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横たわる宮浦の死体をしばし眺めたあと、宗兵衛は踵を返す。
本当は眉間を狙ったのだが……やはり短筒は扱いが難しい。一発で相手の息の根を止められたのだから、御の字ではあるのだが。
宗兵衛は懐に短筒をしまうと、代わりにそこから竹の皮で包まれたにぎり飯を取り出した。あの女がこさえてくれたものだ。
「さて……帰るか」
そう言うと彼はにぎり飯を頬張り、行儀悪くそのまま歩き出した。
刹那、あばら家に残った女の顔が脳裏に浮かんだ。あれはこれからどうするのだろう。あの体では、家から外に出ることすら叶わぬはずだ。
「……」
歩きながら食べるにぎり飯は、粒がばらばらになりがちで食べにくい。しかし、あの銃声を誰が聞いているか分からない以上、あまりのんびりもしていられなかった。せめて相手が喜一郎ならば、堂々と「仇討ちに候」と胸を張って言えたものを。
「あ。……クソ」
刹那、にぎり飯はその形状が大きく壊れ、半分以上落ちてしまった。さすがにそれを拾うわけにもいかず、宗兵衛は残ったわずかな飯を一度に口へ入れる。
そこからは何も言わず、ただ黙々と足を動かし続けた。来た道を戻るだけだ。何が難しかろう。紅葉の美しさは相変わらずだが、のんびりそれらを眺めるような気分でもない。あとは風の冷たさに晩秋を思わせる程度だが、今の彼はことさらに風情を拒絶していて、ひたすら歩くことだけに集中していた。
しばらくして、あばら家までたどり着いた。ここから更に下りれば、仇討山から出られる。そうしたら後はもう常陸国まで一直線だ。いきさつをすべて語るのは少々はばかられるが、その辺りはいくらでも誤魔化しがきくだろう。どう話の辻褄を合わせるか……考えようとした宗兵衛の脳裏に、またしても女の顔が浮かんできた。
「……」
いや、今さら自分に出来ることなどない。自分は降りかかってきた火の粉を払っただけだ。何も悪くない。
……が、そのまま無視して帰るのは、どこか良心が痛んだ。宗兵衛は、せめて飯の礼だけでも言いに、と、あばら家へ足を向かわせた。
戸を開けて中に入る。女は板の間と土間の境に腰を下ろして、ぼんやりしていたが、すぐこちらに気が付き、言った。
「おかえりなさいませ、仲田様」
その言葉に鼻白む宗兵衛。やはりこの女、目が見えているのではないか。彼はその場に立ったまま、戸も閉めずに訊いた。
「……見えぬはずなのに、何故、俺だと分かった?」
「目が見えないと、逆に色々な声や音に敏感になります故。仲田様の息遣いや物を扱う音は、宮浦様よりもわずかに優しうございます」
「そうなのか」
納得したわけではないが、それ以上詮索しても理解が深まらない気がした宗兵衛は、この話をやめることにした。
「目的は、果たされましたか?」
「……うむ。果たされた、という言い方で間違ってはないだろう」
「それは、ようございました」
「……」
「では、常陸へお帰りに?」
「そうだな。最後に、礼をと思って寄らせてもらった。お主の飯は美味かった。ありがとう」
「礼などそんな」
女はわずかに……本当にわずかに笑みをこぼすと、首を小さく横に振った。
そんな女に、宗兵衛は思わず訊いた。
「お前は、これからどうする?」
宮浦がどうなったか……否、自分が宮浦をどうしたか、言わぬまま宗兵衛は問うた。女は笑みを少しだけ深めて答える。
「どうもこうも、私はここでしか生きられませぬ。私のことは、どうかお気になさいませぬよう」
「……」
無難な返答にも聞こえたが、宗兵衛はどこか含みを感じた。
実際、この女は宮浦の本性をどれくらい知っていたのか……昨日からの女をあれこれ思い浮かべる。
そのうえで、彼は尋ねた。
「……すべて、知っていたな」
女は問いに対し、小首をかしげるだけで答えなかった。聞き返しもしない態度が、むしろ宗兵衛の疑問を確信へ変える。
宗兵衛は女の隣に腰を掛け、改めてまじまじと彼女を見た。女から笑みが消え、少々困惑気味に目の閉じた顔を宗兵衛へ向ける。
「今お前は、ここでしか生きられぬと言ったが……本当に、ここでなら生きられるのか?」
飛んできた質問に、女は顔を伏せる。宗兵衛はそれへ、容赦なく言葉を重ねた。
「お前は、ここに帰って来たのが宮浦ではなく俺であることに、何の疑問も呈さない。それどころか、宮浦の居所を尋ねさえしなかった。お前、アレがどうなったか、薄々分かっているということなんだろう?」
女は、より深く顔を俯かせた。応えは、返って来ない。
「つまりだ。アレはもうここには来ない。お前は目の見えぬ体で、こんな村はずれで、一生ひとりで……暮らしていかなければならない、ということだ」
「……」
「もう一度訊くぞ。……お前ひとり、こんなところで置き去りにされて、本当に生きていけるのか?」
女はしばらく、沈黙を続けた。対して宗兵衛も、この答えを聞けるまでは譲らぬ姿勢で、沈黙を貫いた。
重苦しい物言わぬ空気が、あばら家を支配した。時間がまるで意味を成さぬかのように、それは延々と続いた。
あくまでも女の口から真実を聞きたかった宗兵衛だったが、さすがに埒が明かぬと諦めた。そして、これほどの沈黙をしなければならない事情を考え、答えを一方的に断定した。
結果、放った言葉は、
「……晩飯は、なんだ?」
というものだった。女の顔が上がる。双眸の訴えが無くても、怪訝が明確に伝わる表情だった。
「なんだ、その顔は。放っておいたら死ぬような女を見捨てるような俺だと思ったか」
「いえ……しかし、その……」
「ずっと宮浦と共に住んでいたお前が、今さら男と一緒に暮らせぬとは言うまいな」
仮にも、宮浦は僧であった。それ故、浪人まがいの宗兵衛と同じ扱いをするのは彼自身に違和感があったが、敢えてそう言い切った。
「案ずるな。俺は嫌がる女に夜伽を強いたりはせん」
何の保証もない断言。しかし女は、それを聞いてやや打ち解けた顔をした。
常陸国に帰るのは、もうしばらく後になるが、仕方ない。兄はしっかり者だ。仲田の家がどうにかなることは無いだろう。
「……あまり、変わり映えのしないものはお出しできませんが……」
やがて、女が言った。それが夕餉の献立を言っているという事に宗兵衛は理解が一瞬及ばなかったが、すぐに笑って取り繕う。
「いいさ。生きていければ文句は言わん」
せっかく笑顔を作っても、この女には伝わらない。それでも気が付くと、宗兵衛は笑みを女に向けていた。
本当は眉間を狙ったのだが……やはり短筒は扱いが難しい。一発で相手の息の根を止められたのだから、御の字ではあるのだが。
宗兵衛は懐に短筒をしまうと、代わりにそこから竹の皮で包まれたにぎり飯を取り出した。あの女がこさえてくれたものだ。
「さて……帰るか」
そう言うと彼はにぎり飯を頬張り、行儀悪くそのまま歩き出した。
刹那、あばら家に残った女の顔が脳裏に浮かんだ。あれはこれからどうするのだろう。あの体では、家から外に出ることすら叶わぬはずだ。
「……」
歩きながら食べるにぎり飯は、粒がばらばらになりがちで食べにくい。しかし、あの銃声を誰が聞いているか分からない以上、あまりのんびりもしていられなかった。せめて相手が喜一郎ならば、堂々と「仇討ちに候」と胸を張って言えたものを。
「あ。……クソ」
刹那、にぎり飯はその形状が大きく壊れ、半分以上落ちてしまった。さすがにそれを拾うわけにもいかず、宗兵衛は残ったわずかな飯を一度に口へ入れる。
そこからは何も言わず、ただ黙々と足を動かし続けた。来た道を戻るだけだ。何が難しかろう。紅葉の美しさは相変わらずだが、のんびりそれらを眺めるような気分でもない。あとは風の冷たさに晩秋を思わせる程度だが、今の彼はことさらに風情を拒絶していて、ひたすら歩くことだけに集中していた。
しばらくして、あばら家までたどり着いた。ここから更に下りれば、仇討山から出られる。そうしたら後はもう常陸国まで一直線だ。いきさつをすべて語るのは少々はばかられるが、その辺りはいくらでも誤魔化しがきくだろう。どう話の辻褄を合わせるか……考えようとした宗兵衛の脳裏に、またしても女の顔が浮かんできた。
「……」
いや、今さら自分に出来ることなどない。自分は降りかかってきた火の粉を払っただけだ。何も悪くない。
……が、そのまま無視して帰るのは、どこか良心が痛んだ。宗兵衛は、せめて飯の礼だけでも言いに、と、あばら家へ足を向かわせた。
戸を開けて中に入る。女は板の間と土間の境に腰を下ろして、ぼんやりしていたが、すぐこちらに気が付き、言った。
「おかえりなさいませ、仲田様」
その言葉に鼻白む宗兵衛。やはりこの女、目が見えているのではないか。彼はその場に立ったまま、戸も閉めずに訊いた。
「……見えぬはずなのに、何故、俺だと分かった?」
「目が見えないと、逆に色々な声や音に敏感になります故。仲田様の息遣いや物を扱う音は、宮浦様よりもわずかに優しうございます」
「そうなのか」
納得したわけではないが、それ以上詮索しても理解が深まらない気がした宗兵衛は、この話をやめることにした。
「目的は、果たされましたか?」
「……うむ。果たされた、という言い方で間違ってはないだろう」
「それは、ようございました」
「……」
「では、常陸へお帰りに?」
「そうだな。最後に、礼をと思って寄らせてもらった。お主の飯は美味かった。ありがとう」
「礼などそんな」
女はわずかに……本当にわずかに笑みをこぼすと、首を小さく横に振った。
そんな女に、宗兵衛は思わず訊いた。
「お前は、これからどうする?」
宮浦がどうなったか……否、自分が宮浦をどうしたか、言わぬまま宗兵衛は問うた。女は笑みを少しだけ深めて答える。
「どうもこうも、私はここでしか生きられませぬ。私のことは、どうかお気になさいませぬよう」
「……」
無難な返答にも聞こえたが、宗兵衛はどこか含みを感じた。
実際、この女は宮浦の本性をどれくらい知っていたのか……昨日からの女をあれこれ思い浮かべる。
そのうえで、彼は尋ねた。
「……すべて、知っていたな」
女は問いに対し、小首をかしげるだけで答えなかった。聞き返しもしない態度が、むしろ宗兵衛の疑問を確信へ変える。
宗兵衛は女の隣に腰を掛け、改めてまじまじと彼女を見た。女から笑みが消え、少々困惑気味に目の閉じた顔を宗兵衛へ向ける。
「今お前は、ここでしか生きられぬと言ったが……本当に、ここでなら生きられるのか?」
飛んできた質問に、女は顔を伏せる。宗兵衛はそれへ、容赦なく言葉を重ねた。
「お前は、ここに帰って来たのが宮浦ではなく俺であることに、何の疑問も呈さない。それどころか、宮浦の居所を尋ねさえしなかった。お前、アレがどうなったか、薄々分かっているということなんだろう?」
女は、より深く顔を俯かせた。応えは、返って来ない。
「つまりだ。アレはもうここには来ない。お前は目の見えぬ体で、こんな村はずれで、一生ひとりで……暮らしていかなければならない、ということだ」
「……」
「もう一度訊くぞ。……お前ひとり、こんなところで置き去りにされて、本当に生きていけるのか?」
女はしばらく、沈黙を続けた。対して宗兵衛も、この答えを聞けるまでは譲らぬ姿勢で、沈黙を貫いた。
重苦しい物言わぬ空気が、あばら家を支配した。時間がまるで意味を成さぬかのように、それは延々と続いた。
あくまでも女の口から真実を聞きたかった宗兵衛だったが、さすがに埒が明かぬと諦めた。そして、これほどの沈黙をしなければならない事情を考え、答えを一方的に断定した。
結果、放った言葉は、
「……晩飯は、なんだ?」
というものだった。女の顔が上がる。双眸の訴えが無くても、怪訝が明確に伝わる表情だった。
「なんだ、その顔は。放っておいたら死ぬような女を見捨てるような俺だと思ったか」
「いえ……しかし、その……」
「ずっと宮浦と共に住んでいたお前が、今さら男と一緒に暮らせぬとは言うまいな」
仮にも、宮浦は僧であった。それ故、浪人まがいの宗兵衛と同じ扱いをするのは彼自身に違和感があったが、敢えてそう言い切った。
「案ずるな。俺は嫌がる女に夜伽を強いたりはせん」
何の保証もない断言。しかし女は、それを聞いてやや打ち解けた顔をした。
常陸国に帰るのは、もうしばらく後になるが、仕方ない。兄はしっかり者だ。仲田の家がどうにかなることは無いだろう。
「……あまり、変わり映えのしないものはお出しできませんが……」
やがて、女が言った。それが夕餉の献立を言っているという事に宗兵衛は理解が一瞬及ばなかったが、すぐに笑って取り繕う。
「いいさ。生きていければ文句は言わん」
せっかく笑顔を作っても、この女には伝わらない。それでも気が付くと、宗兵衛は笑みを女に向けていた。
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