上 下
8 / 9

剛毛は身を助ける

しおりを挟む

 フェザーが意識を取り戻したのは、その3日後のことだった。
 目を開いた瞬間にそばにいたキャングルは嬉しそうにフェザーの名を呼んだ。王子ではなく、友人として呼んでいる名の方で。
 その声にフェザーはキャングルがいることはわかったが、目を開けて違う人物がいたことにギョッとする。マロカの王もそばでイスに腰掛けていた。
 フェザーは起きあがろうとするが右肩に激痛が走る。未だあの液体の後遺症は残っているようだ。フェザーが目覚めるとすぐに医師がやってきて診てもらった。
 あの劇薬は本来は薄めてデキモノを溶かして除去するのに使用される。原液であると必要以上に皮膚を溶かしてしまうことになり、箇所によっては死に至ることも珍しくない。幸い処置が早かったため、右肩以外の箇所の火傷は痕を残さず消えるとのことだった。だが右肩はどうしても痕が残ってしまい、かつ右腕の可動域も以前より制限されてしまうとのことであった。

 医師が退出した後。家族が顔を出してくれたが部屋にいるマロカの王(フェザーが目覚めてからは部屋の隅に移動している)に気づき、少しばかり会話をしてから去っていった。ちなみにマロカの文化に興味を持っている第3王子は兄であるフェツィルが首根っこを持って共に退出させていた。

 そしてフェザーはキャングルに、あのとき何が起こったのかと聞いた。キャングルは戸惑いながらマロカの王を見つめた。フェザーの婚約者であるが自国の人間ではない者の前で話せるものではないからだ。だがフェザーは話すよう促した。彼らにはこちらの言葉は理解できていないと王国は判断していたし、もし理解できていたとしてもこの問題はマロカにも関わりのあることだとわかっていたからだ。
 キャングルはフェザーに従い詳細を話した。
 簡潔に言えば、暗殺者を手引きしたのはマロカとの同盟を反対する貴族である男爵であった。しかしその男爵は事件の後にすぐ毒を飲んで死んでいることが判明している。自殺と判断され男爵家は貴族の位を取り上げられた。おそらくトカゲの尻尾切りであることをフェザーはわかっていたが、今できるのはここまでしかない。
 首謀者はわからず仕舞いだが、この事件により同盟の反対派が声を大きくしたことは言うまでもない。マロカの民の持つ力の危険性、そして人間ではないということで同盟などできるわけがない、そしてそもそもこの同盟がなければ王子は傷を負うことはなかったという意見があがっている。マロカが王子を守ったということも報告されているが、それ以上に王子が死にかけたということが問題であった。いてもいなくてもいい第6王子であるが、こんなときばかり声を大きくしてフェザーを擁護するのである。

「正直、王子が目覚めなければ破綻までいかずとも何らかの亀裂は起きていたと思います。ですが陛下は今回のことを重く受け止めてまして、もし王子がこの婚約を拒否するのであればマロカ側と話し合い、同盟をなくすことも考慮するとのことです」
「なら尚更拒否はできないな。元々拒否するつもりはなかったが」

 同盟をそう簡単に壊すわけにはいかない。フェザーはそれをわかっている。そして父である王もそれをわかっていてそんな発言をしたのだろう。この同盟はフェザーの意志によるものであると知らしめるために。フェザーはフェンリルやフェツィルと同じくらい、またはそれ以上に命を狙われる存在となってしまった。
 フェザーはため息を吐いた。

「あの日、被害に遭った者は俺以外にいるか?」
「いえ、おりません。マロカも全員無傷です。ーー申し訳ありません。本来ならば俺があなた様をお守りするべき立場であるというのに」
「気にするなキャングル。それより今後は今回のこと以上に迷惑をかけることになる。場合によっては俺よりもお前の方が危険だ」
「今更ですよ。あなたが王の子として生を成し、同じ年に騎士団長の息子として生まれてきた時点で俺はあなたに付き従うことは決まっていますから」
「そうか。それなら少し頼みたいことがあるんだが」



「お前の親父の風呂上がりの毛を持ってきてくれないか」
「全力でお断りします」



 キャングルの一瞬の間も許さぬ返答にフェザーはぶーたれる。

「何でだよ。別に生の毛をブチ抜いてこいって言ってるわけじゃないじゃん。こう、浴槽に浮いている毛をすくって持ってきてくるだけでいいんだから」
「やめてください変態。さっきまでのシリアスな雰囲気をどうしてくれるんですか。死にかけても変態は消えないんですか」
「フェチズムがそんな簡単に消えるわけないじゃん。バカなの、ねぇバカなの?」
「バカなのはあんただ。この変態王子」
「あ、そー言うんだ。へー、あ、そう。じゃあお前あれな、今から街に行ってあんパン買ってくる刑な。ほら、早く行ってこい」

 左手でシッシッと追い払うフェザーにキャングルはギョッとした。

「は!? 本気で買いに行けと? あなたに何かあったらどうするんですか?」
「この部屋にはつよーいマロカの王がいるから。まったくもって問題ないから行ってこい。はい、今すぐ行かないと王子命令でお前の給料3ヶ月半額な。ここには誰も来させるなよ」
「え、ちょっ、マロカの民と2人きりとか」
「はい。10秒前入りまーす。10、9、5、3・・・・・・」
「10秒じゃない! わかりましたよ、行きますよ!!」

 キャングルは慌てながら部屋を退出していった。
 そして部屋に残されたのはフェザーとマロカの王だった。
 フェザーは先ほどまでのおどけた雰囲気を消し、マロカの王に向き直ろうとする。しかし肩の痛みで動けずにいると、マロカの王からフェザーのベッドに近づいてきた。フェザーはマロカの王と対峙すると頭を下げた。

「この度はこちらの不手際であなたたちに迷惑をかけて申し訳ない。この国は未だいつ来るかわからない戦火に怯えている。だからこそマロカの民の戦力と資源を欲しているし、あなたたちと同盟を結びたいと思っている。それらはすべてこちらの我が儘だ。今回あなたたちに被害はなかったが、それはあなたたちの察知が早く力が強かっただけのこと。我が国は私も含め、何も出来ずにいた愚か者だ」

 フェザーがマロカの王の手を庇ったのは、あれが劇薬だと知っていたからだ。当たらずに避ければ問題ないのだが、マロカがその対処を知っているとは思わなかった。もしあのままマロカの王が手で払っていればマロカの王の右手は使い物にならなくなっていた。そうなった場合、マロカの民が王のために暴走を起こしこの国は大打撃どころか破滅する可能性が高かった。それに庇ったことで王国はマロカに対して恩を売れる。そういった打算的なことをフェザーは瞬時に考えていた。だから自分が怪我しようと庇うことに対して躊躇はなかった。
 しかしそれはすべてこちらの都合であった。王子として生まれた自分として、国のことを考えての行動でしかない。

「この同盟は互いに利益のあるものだと思っている。だがそれはこちらの勝手な言い分だ。この国の人間であるためキャングルにはああ言ったが、もしあなたとあなたの国がこの同盟を破棄したいと考えるのならば、俺はこの婚約を破棄しようと思っている。いろいろと面倒なことになるだろうが、そちらの国への損害は0は難しくとも最小にすることを約束しよう。後ろ盾のない穀潰しで傷物だが、一応王子は王子だからね。なんとかしてみせるさ」

 対等に付き合いたい。フェザーの考えは変わらない。
 だからこそこちらが有利になるだけの話はしたくはなかったのだ。

「なんてこちらの言葉が通じないのに話しても仕方ないか。ただこのことを手紙にするとなると、それはそれで問題なんだよな。通訳してくれているあの白髪の男に届けられれば1番いいんだが。けどそれすら難しいしな」

 フェザーはどうやって伝えればいいのか悩んだ。この部屋に紙とペンは見つからない。もしあったとしても、資料もなしに手紙を書くことはまだ難しい。
 そのフェザーの手をマロカの王が握る。


 すると、一陣の風が吹いた。強風ではなかったが、突然現れた風にフェザーは目を閉じる。そしてゆっくりと目を開けた。




「ーーーーえ」

 フェザーは驚愕して、言葉にならなかった。
 マロカの王がいた場所には剛毛の男の姿が立っていた。顎も胸も腕も脚も、全身が毛むくじゃらの全裸の男がそこに立っていた。ゴリラではない人間の姿でだ。

「何から謝れば良いのか。いや、それよりもまず・・・・・・」

 その男はそのいかつい顔で、こう言った。

「我が名はアリログ。その名で呼んでほしい。フェザー王子」

しおりを挟む

処理中です...