ただいま、おかえり、ありがとう。最後の3日間だけ一緒に生きてくれた犬

ソコニ

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第18話 遺影に向かって

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部屋の片隅に、小さな写真立てがある。
茶色と白のまだら模様の老犬が、穏やかな表情でこちらを見つめている。

蓮は毎朝、その写真に向かって「おはよう」と声をかけた。
帰宅すれば「ただいま」。
寝る前には「おやすみ」。

独り言のようで、でも違う。
コハルはそこにいる。写真の中で、静かに蓮を見守っている。

「今日さ、久しぶりに母さんに電話した」

夕食のコンビニ弁当を食べながら、蓮は写真に話しかける。

「5年ぶりかな。向こうも驚いてた」

箸を止めて、少し考える。

「……詩織のこと、話せなかったけど。でも、母さんの声聞けてよかった」

コハルの写真は変わらない表情で、じっと蓮を見つめている。
あの日、最期に目が合った瞬間と同じ、まっすぐな瞳。

「あとさ、職場の田中さんと少し話した。犬飼ってるんだって。写真見せてもらった」

蓮は苦笑いを浮かべる。

「前なら、そんな話、聞き流してたよな」

窓の外では、街の明かりがぽつぽつと灯り始めている。
コハルがいた頃と同じ時間。同じ景色。
でも、何かが違う。

「お前がいなくなってから、もう2週間か」

写真立ての前に、小さな水入れが置いてある。
毎日、新しい水に替えている。
意味があるのかどうかはわからない。でも、そうしたかった。

「俺さ、ずっと一人でいいと思ってた。誰とも関わらない方が楽だって」

部屋の中は静かだ。
エアコンの音と、遠くの車の音だけが聞こえる。

「でも、お前といた3日間で……なんていうか、忘れてたものを思い出した気がする」

蓮は立ち上がり、写真の前に正座する。
まるで、大切な人に向かうように。

「コハル」

名前を呼ぶ。
返事はない。でも、それでいい。

「会えて、よかった」

深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

「俺の3日間を、ありがとう」

写真の中のコハルは、相変わらず穏やかな表情をしている。
まるで「どういたしまして」と言っているような。
そんな気がした。

蓮は手を合わせる。
長い間、そのままじっとしていた。

やがて立ち上がり、キッチンへ向かう。
流しには、使い終わった犬用の食器がまだ置いてある。
捨てられずにいた。

「……また明日な」

電気を消す前に、もう一度写真を見る。
コハルはそこにいる。
ずっと、そこにいてくれる。

その夜、蓮は久しぶりに夢を見なかった。
朝まで、深い眠りについた。

翌朝、目覚めた蓮は窓を開ける。
春の風が部屋に流れ込んでくる。

「おはよう、コハル」

いつものように写真に声をかける。
そして、ふと思い立って携帯電話を手に取った。

保健所のホームページを開く。
ボランティア募集の文字が目に入る。

「……俺にできるかな」

写真のコハルを見る。
あの穏やかな表情が、背中を押してくれているような気がした。

電話番号をタップする。
呼び出し音が鳴る。

『はい、市立動物保護センターです』

懐かしい声。あの日、コハルを引き渡してくれた田中さんだ。

「あの……ボランティアの件で」

『まあ! もしかして、コハルちゃんを引き取ってくださった……』

「はい。蓮です」

電話の向こうで、田中さんの声が弾んだ。

『コハルちゃんは……その後、いかがですか?』

蓮は一瞬、言葉に詰まる。
でも、正直に答えた。

「3日前に、亡くなりました」

『……そうですか』

田中さんの声が、少し沈む。

「でも、最期まで一緒にいられました。家で」

『……よかった。本当に、よかった』

電話の向こうで、鼻をすする音がした。

「それで、今度は俺が……何かできることがあればと思って」

『ぜひ、お待ちしています。詳しい説明をしますので、一度いらしてください』

「はい。近いうちに伺います」

電話を切った後、蓮は深呼吸をした。
新しい一歩を踏み出す。
それは、コハルがくれた勇気だった。

「なあ、コハル」

写真に向かって、小さく微笑む。

「お前のおかげで、俺、少しは変われたかな」

春の陽射しが、写真立てを優しく照らしている。
コハルの瞳が、きらりと光ったような気がした。

部屋の中に、暖かい空気が満ちていく。
新しい季節の始まりを告げるように。
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