1 / 30
第1話「死の宣告は新たな人生の始まり」
しおりを挟む「蒼井さん、この契約を通せば今期の目標の倍以上の利益が出ますよ」
銀座の高層ビル、アストラル金融グループの最上階会議室。蒼井剛(28)は額から流れる冷や汗を拭いながら、目の前の資料に最後の修正を加えていた。もう72時間、まともに睡眠を取っていない。
「日中は株価の変動を読み、夜は契約書の穴埋め、そして朝まで交渉戦略か…」
独り言をつぶやく声は、疲労でかすれていた。しかし、その目だけは鋭く光っている。特にExcelシート上の数字を見る時、その眼光は捕食者のように冴えわたった。
「クールな財務の魔術師」——それが蒼井剛の社内での異名だった。
***
「フッ、まさにチェックメイトというわけだ」
交渉相手のアメリカ企業CEOが、降参を示すように両手を上げた。
「蒼井くん、君の提案した契約条件なら…我々も納得せざるを得ないね」
アメリカ側の財務担当が苦々しい表情で言った。彼らは当初、日本市場参入のために有利な条件を求めていた。しかし蒼井の緻密な戦略と冷静な交渉術の前に、彼らの要求は一つ一つ崩されていった。
「では、契約成立ということで…」
契約書にサインが交わされる瞬間、会議室のドアが勢いよく開いた。
「蒼井!よくやった!話は聞いたぞ!」
派手なネクタイを締めた中年男性、アストラル金融の専務・東條が両手を広げて入ってきた。彼は蒼井の直属の上司だ。
「契約の詳細は後で報告します」
蒼井は冷静に答えた。彼は感情を表に出すタイプではない。特にビジネスの場では。
「いやいや、素晴らしい成果だ!今夜は祝杯だ、祝杯!」
東條は蒼井の肩を強く叩いた。そして、アメリカ側の経営陣に向かって、
「さあ皆さん、今日はうちの若手の手腕を見せつけてしまいましたが…今夜は私がご馳走しますよ!」
片方の腕を蒼井の肩に回しながら、東條は耳元でささやいた。
「ところで、この契約の担当を明日から変更する。君には次の大型案件を任せるからな」
蒼井の目が一瞬だけ見開かれた。
「ですが、この契約はまだアフターフォローが…」
「心配するな。後は宮本部長のチームが引き継ぐ」
宮本部長——蒼井の天敵。過去二度、蒼井の成果を横取りし、自分の手柄にした男だ。
「しかし…」
「異議は認めん!これは上からの命令だ」
東條の笑顔の裏に見える貪欲さ。蒼井は胸の内で苦々しく思った。
*またか……また俺の成果が奪われる。三ヶ月かけて構築した契約なのに。*
***
銀座の高級クラブ。東條は接待と称して豪遊していた。
「蒼井君、君は本当にすごい。だがな、この業界で生き残るには腕だけじゃ足りない。政治力だ、政治力が…」
東條は二人の女性をはべらせながら、蒼井にも女性を勧めてくる。しかし蒼井はグラスの氷をかき混ぜるだけだった。
「東條さん」
珍しく蒼井から切り出した。
「私に任せていただいた契約です。最後まで責任を持たせてください」
東條は酔いに赤い顔をさらに赤くした。
「まだそんなことを…言っただろう、上からの命令だと」
「上からとは誰の命令ですか?」
蒼井の声は静かだが、鋭さを増していた。東條は一瞬ひるんだ。
「…宮本の昇進が決まったんだ。彼の実績作りも必要でな…」
実績作り——つまり蒼井の成果を横取りするということだ。
「そのために私が三ヶ月必死で組み立てた契約を…」
「蒼井!」東條の声が荒くなった。「君はまだ若い。これからいくらでもチャンスはある。だが会社の方針に逆らうと…」
脅しだった。蒼井は黙って席を立った。
「失礼します。体調が優れません」
***
アストラル金融の前。蒼井は冷たい夜風に顔をさらした。
「くそっ…!」
珍しく感情が漏れた。かつて大学時代、彼を引き抜いたのもこの東條だった。「君の才能を最大限活かす」と。
しかし現実は違った。才能は搾取され、成果は横取りされ、残るのは過労と空虚感だけ。
胸が痛んだ。それも比喩ではなく、物理的な痛み。
「ぐっ…」
蒼井は胸を押さえた。視界がぼやける。
「また…徹夜の反動か…」
歩道に膝をつく。意識が遠のいていく。
「タクシー…呼ばないと…」
スマホを取り出そうとした時、視界が真っ白になり、剛は冷たいコンクリートの上に倒れ込んだ。
***
「過労死です…申し訳ありません」
聞こえてくる医師の声。しかし蒼井には自分の体が見えない。意識はあるのに。
*死んだのか…?俺は…?*
闇の中で浮遊する感覚。そして突然、まぶしい光。
***
「生きてる…?」
声が出た。自分の声だが、何か違う。低すぎる。
目を開けると、そこは木造の薄暗い建物の中だった。周囲には様々な人種の男女が、鎖で繋がれて座っていた。
「何だこれは…?」
驚いて立ち上がろうとすると、自分の足首も鎖で繋がれていることに気づいた。
「おい、東の野郎が目を覚ましたぞ!」
粗野な声。振り返ると、鎧を着た男が指さしていた。
「奴隷商人のバルクスに知らせろ!」
*奴隷?何のコスプレだ…?*
しかし周囲の状況は余りにもリアルだった。汗と排泄物の混ざった悪臭。絶望的な表情の人々。そして何より、自分の体の感覚が違う。
手を見ると、見覚えのない筋肉質の腕。胸元には「異邦人、東の大陸産、25歳前後、名称:ライアン」と書かれた木の札が掛けられていた。
*冗談だろう…?*
記憶は蒼井剛のものなのに、体は別人のもの。そして周囲は明らかに日本ではない、中世ヨーロッパのような光景。
「異世界…?冗談だろ…」
***
「これが今日の商品だ。丈夫な体の若い男だ。言葉は通じんが、賢そうな目をしている」
太った男、バルクスと呼ばれる奴隷商人が蒼井…いや、今やライアンとなった彼を指さした。
周囲には様々な身なりの人々が集まり、商品である奴隷たちを品定めしていた。
*奴隷市場…?俺は奴隷として売られようとしている…?*
ライアンは冷静に状況を分析し始めた。パニックに陥っても何の解決にもならない。これが現実なら、まず生き延びる方法を考えねばならない。
「では、このライアンという男の競りを始める!開始価格は50シルバー!」
シルバー?この世界の通貨単位らしい。周囲の反応から、決して安くない金額のようだ。
「55シルバー!」
「60だ!」
数人の男たちが価格を競り始めた。
*アストラル金融での交渉と大差ないな…ただし今回は俺自身が商品か*
皮肉な状況にライアンは内心で嘲笑した。
「80シルバー!」
老人の声だった。白髪の細身の老人が、杖を支えに立ち上がっていた。
「ミラー殿、珍しいな。あんたが奴隷を買うとは」
バルクスが驚いた様子で言う。
「商会の雑用係が必要でね」
老人、ミラーと呼ばれた男は、ライアンの目をじっと見つめた。
「この男の目に何かを感じるのさ」
それから競りは続いたが、最終的にミラーという老人が100シルバーという高額で落札した。
***
「ミラー商会へようこそ、ライアン」
老人は小さな商会の前でそう言った。建物は質素だが清潔に保たれていた。
「お前は言葉が分からんと聞いているが…どうも目の動きを見ていると、理解しているような気がするな」
鋭い老人だった。ライアンは一瞬迷ったが、素直に頷いた。
「やはり!賢い目をしていると思った!」
ミラーは嬉しそうに杖を突いた。
「お前は『東の大陸』の出身だそうだが、我々の言葉を理解するのか?」
ライアンは頷いた。
「話せるのか?」
「…はい」
初めて発した言葉。声の感じも違う。低く、どこか力強い。
「素晴らしい!では説明しよう。ここはアルカディア大陸、サーディス王国の首都ラティアスだ。そしてここは小さいが、私の商会だ」
ミラーは簡潔に説明した。この世界のことを。通貨システム、ギルド制度、貴族と平民の関係…
*異世界に転生…か。こんなファンタジーが現実になるとは*
しかしライアンにとって、それは新たな可能性でもあった。
「お前には商会の雑用をしてもらう。掃除、荷物運び、時には使い走りもだ。しかし真面目に働けば、いずれ自由の身にしてやろう」
ミラーの言葉は優しかった。しかしライアンの頭の中は既に別の計算を始めていた。
*この世界の経済システム、商業の仕組み、貨幣価値…全てを理解すれば、俺の知識は武器になる*
前世での経済の知識、数字を操る能力、人の心理を読む交渉術。それらは現代日本に置いてきたわけではない。この若く健康な体に、蒼井剛の全ての才能と経験が宿っている。
「ありがとうございます、ミラー様。精一杯働かせていただきます」
表面上は従順に答えたが、ライアンの目は冷徹に光っていた。
*奴隷から始まり、この世界で成り上がってやる。前世では搾取されるだけだったが、今度は俺が支配する側になる*
***
それから数週間、ライアンはミラー商会で黙々と働いた。表向きは言われた仕事をこなしながら、実際はこの世界の商業システムを学んでいた。
帳簿を見れば取引内容が分かる。客の会話からは市場動向が読める。ミラーの商談を盗み聞きすれば、交渉術が学べる。
「コッパー、シルバー、ゴールド…補助通貨にはクォーターとペニー…」
夜、作業場の片隅で麦わらの寝床に横たわりながら、ライアンは呟いた。
「ギルドは商業、鍛冶、魔法、冒険…それぞれが勢力争いをしている」
情報を整理し、分析する。それが蒼井剛の、いやライアンの才能だった。
「この世界では『信用』が少なすぎる…」
現代の金融システムの基礎である「信用創造」の概念がない。全てが現物取引か、せいぜい短期の掛け売りだけ。
「これは…チャンスだ」
ライアンの脳裏に計画が浮かび始めた。
前世では理不尽な搾取に苦しんだ。しかしこの世界では、自分が経済を牛耳る側になれる。
「金の力で、この世界を支配してやる」
夜空の星を見上げながら、ライアンは誓った。
奴隷の身分から始まり、商人として成り上がり、やがては国家すら動かす存在になる—。
それが彼の新たな人生の始まりだった。
54
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
1つだけ何でも望んで良いと言われたので、即答で答えました
竹桜
ファンタジー
誰にでもある憧れを抱いていた男は最後にただ見捨てられないというだけで人助けをした。
その結果、男は神らしき存在に何でも1つだけ望んでから異世界に転生することになったのだ。
男は即答で答え、異世界で竜騎兵となる。
自らの憧れを叶える為に。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる