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第11話「旅商人の知恵、道中の学び」
しおりを挟む「全ての準備が整いました」
出発の朝、ライアン商会の前には二台の馬車が並んでいた。一台は商品と荷物を積んだ大型の荷馬車、もう一台は人員用の小型馬車だ。馬車を引く馬は堅牢な北方産の品種で、長旅に適したものが選ばれていた。
「エレナ、ソフィア、二人に商会を任せる」
ライアンは厳かに言った。
「エレナは対外交渉、ソフィアは内部管理だ。いかなる決断も、二人の合意があれば私の承認と同等とみなす」
女性二人は真剣な表情で頷いた。
「必ず期待に応えます」
ソフィアは誇らしげに胸を張った。13歳の少女に大きな責任を託すという判断は、世間的には異例かもしれない。しかしライアンは彼女の能力を信頼していた。
「連絡はどうしますか?」
エレナが実務的な質問をした。
「王都からフェルミナへの定期便は週に一度。緊急の場合は、バルト家の伝令を使わせてもらえるよう、あらかじめアルフレッド様に頼んである」
「旅の安全を」
エレナは深々と頭を下げた。彼女の瞳には、複雑な感情が宿っているようだった。心配と期待、そして少しの羨望。
「行くぞ、ガルド」
ライアンは護衛兼助手のガルドに声をかけた。ガルドは騎乗用の馬に跨り、馬車の護衛として前方を行く。彼は元山賊の経験から、道中の危険に対処する能力を買われていた。
「いざ、フェルミナへ」
馬車が動き出し、王都の東門をくぐると、長旅の始まりだった。
***
「次の町まではあと半日です」
出発から三日目、彼らは王都から南東に伸びる街道を進んでいた。平原地帯を抜け、今は丘陵地帯を走っている。
「ベレス村だったか?」
「はい。農業が盛んな村です」
ライアンは地図を広げ、旅程を確認した。
「フェルミナまでの道のりは約二週間。途中、大小の町や村を通過する」
彼は思案顔で言った。
「ただ通過するだけではもったいない。各地で取引をしよう」
「取引ですか?大市のための商品が減りますが」
「いや、それとは別だ」
ライアンは微笑んだ。
「旅商人として、地域ごとの市場特性を学ぶんだ。それ自体が価値ある体験になる」
ガルドは感心したように頷いた。
「さすがですね。常に学ぶ姿勢を忘れない」
「この世界の経済構造はまだ完全には把握できていない。実体験が必要だ」
ライアンは道を見つめながら、「情報収集と利益創出を同時に行う」と付け加えた。
***
ベレス村は予想以上に活気があった。村の中央広場では小さな市が開かれ、農民たちが収穫物を売っていた。
「豊作だったようですね」
ガルドが周囲を見回しながら言った。
「ああ。だが、彼らの表情をよく見るんだ」
ライアンは小声で指摘した。
「農民たちは不安げだ。なぜだと思う?」
ガルドは観察し、やがて気づいた。
「買い手が少ない…」
「正解だ。供給は豊富だが、需要が少ない。価格は下がる一方だ」
ライアンは馬車を市場の端に停め、周囲を歩き回った。彼は村人との何気ない会話から情報を集めていく。
「今年は豊作でね、でも買い手が…」
「隣村も同じ状況で、互いに売るものはあっても買うものがない」
「商人たちも大市を控えて買い付けに来ない」
点と点が繋がり、ライアンの頭の中でビジネスチャンスが形成された。
「ガルド、荷物の中から東方風の服に着替えてくれ」
「何をするんです?」
「ちょっとした演出だ」
ライアンは自身も東方の衣装に着替え、村長の家を訪ねた。
「東方の商人ライアンと申します」
彼は丁寧に頭を下げた。
「お噂は聞いております。王都で成功されている方と」
村長は年配の男性で、その眼差しは賢明だった。
「何のご用件で?」
「実は、隣のダーレン町が凶作で困っていると聞きました」
ライアンは静かに言った。これは馬車引きから得た情報だった。
「そうらしいな。あちらは雨不足で…」
「私たちは東方の市場向けに穀物を探しています。しかし、大市前で価格が高騰している今、直接買い付けが難しい」
彼は少し考えるフリをした。
「提案があります。ベレス村の余剰穀物を買い取り、それをダーレン町に運ぶ。そして町での販売利益の一部を村に還元する」
村長は興味を示した。
「どのような割合で?」
「売値から買値を引いた差益の3割を村に」
「4割ではどうか」
「3割半で手を打ちましょう」
村長は満足げに頷いた。
「取引成立だ」
この日、ライアン商会は村の余剰穀物を市場価格より1割高で買い取った。農民たちは喜び、彼の評判は村中に広まった。
***
翌日、彼らはダーレン町に到着した。町の様子は一目で厳しい状況だと分かった。市場は閑散とし、人々の表情には不安が浮かんでいた。
「見事な情報でした」
ガルドは感嘆した。町は確かに食料不足に悩んでいた。
「情報は金より価値がある」
ライアンは町長と面会し、ベレス村から運んできた穀物の話をした。ただし、ここでは「東方の商人」ではなく、「王都の商人」として振る舞った。
「穀物を持ってきたと?神に感謝だ!」
町長は歓喜した。
「価格は?」
「市場相場に従います。ただし…」
ライアンは条件を出した。
「町の特産品である皮革製品を、特別価格で譲っていただきたい」
交渉の末、穀物は市場価格の1.5倍で売却され、その利益の3割半はベレス村に還元された。そして、ライアンは高品質の皮革製品を通常より2割安く仕入れることに成功した。
「一石二鳥ですね」
馬車に皮革製品を積み込みながら、ガルドは感心した。
「二つの地域間の需給バランスの違いを利用するのは、商人の基本だ」
ライアンは静かに説明した。
「これを『裁定取引』という。同じ商品の価格差を利用して利益を得る手法だ」
ガルドは真剣に頷いた。
「しかし、単なる物流以上の価値を提供することが重要だ」
ライアンは続けた。
「我々は穀物を運ぶだけでなく、情報と信用という目に見えない価値も提供した。それが追加の利益を生んだ」
「情報と信用…」
「そう。次の町ではそれをさらに活用しよう」
***
次の停留地は小さな城塞都市、ヘルム。ダーレンから二日の道のりだった。
「ここは軍事拠点だ。駐屯する兵士たちが主な消費者となる」
ライアンは情報を整理した。
「兵士は何を求めるだろう?」
「酒と女ですか?」
ガルドは半分冗談で言った。
「それも需要の一つだが、もっと基本的なものがある。耐久性のある装備品だ」
ヘルムでは、彼らはダーレンで仕入れた皮革製品を展示した。頑丈な靴、ベルト、鞄…兵士たちの日常に必要なものばかりだ。
「ダーレン町の職人による特別品。通常より2割安く提供します」
ライアンの宣伝文句に、兵士たちが集まってきた。
「なぜそんなに安いんだ?」
一人の兵士が疑問を呈した。
「ダーレンは現在、凶作で苦しんでいます。職人たちは現金が必要なのです」
これは真実だった。そして、「困っている町を助ける」という感情的な要素が加わることで、商品の魅力は増した。
「ベレス村の豊作の穀物を運び、その見返りにこれらを仕入れてきました」
情報を開示することで、彼は信頼を勝ち取った。単なる「安い商品」ではなく、「意味のある取引」としての価値を創出したのだ。
結果、皮革製品は完売し、利益率は40%を記録した。
***
旅は続いた。小さな村から中規模の町まで、彼らは様々な場所で取引を行った。ライアンは各地の市場特性を注意深く観察し、記録した。
「北部では羊毛が、南部では綿が、西部では麻が主流…」
「山間部では保存食と装備品が高く、平地では装飾品や香辛料が…」
「貴族の多い地域では奢侈品が、兵士の多い地域では実用品が…」
彼は膨大な情報を収集し、分析した。そして、その過程で「情報の非対称性」という概念に行き着いた。
「ある地域が知っていることを、別の地域が知らない。その情報格差自体が価値を生む」
ガルドは熱心に聞き入った。
「例えば、ヴィラ村が新しい鉱脈を発見したという情報は、鍛冶職人の多いトレド町にとって価値がある」
「情報自体が商品になる…」
「その通り。我々は物を運ぶだけでなく、情報も運んでいるのだ」
この発見は、ライアンの商業戦略に新たな次元をもたらした。
***
旅の10日目、彼らは山岳地帯を通過していた。フェルミナまであと4日の道のりだ。
「警戒してください」
ガルドが突然、小声で言った。
「何かあるのか?」
「後を付けられています。昨晩から同じ男が我々を追っている」
ライアンは冷静さを保ちながらも、内心を引き締めた。
「何人だ?」
「少なくとも三人。プロの動きをしています」
彼らは対策を相談した。正面から戦えば危険が大きい。かといって、このまま追わせ続ければフェルミナ到着前に襲われる可能性が高い。
「罠を仕掛けよう」
ライアンは提案した。
「次の町、レイクサイドで」
レイクサイドは小さな湖畔の町だった。彼らは町に入ると、わざと別々の宿に分かれた。ライアンは高級な宿に派手に姿を見せ、ガルドは目立たない宿に荷物と共に潜んだ。
その夜、予想通り襲撃者たちはライアンの宿を狙った。しかし、部屋には彼の姿はなく、代わりに町の警備隊が待ち構えていた。
「襲撃者を捕らえました」
警備隊長が報告した。
「三人とも黒装束の男たちです」
ライアンは捕らえられた男たちを尋問した。
「誰があなたたちを雇った?」
男たちは黙り込んでいたが、持ち物の中から黄金翼商会の紋章入りメダルが見つかった。
「証拠は十分だ」
ライアンは警備隊長に言った。
「彼らを留置し、フェルミナ当局に連絡を」
「ご協力感謝します」
警備隊長は頭を下げた。彼はレイクサイドの商業ギルド長の紹介で、この罠に協力していた。
「黄金翼商会の横暴には我々も辟易しています。彼らの犯罪証拠が得られたのは幸いです」
ガルドはライアンに言った。
「危険をわざと引き寄せるなんて…」
「しかし、これで大きな利点を得た」
ライアンは冷静に答えた。
「第一に、黄金翼商会の犯罪証拠を得た。第二に、フェルミナ当局に先手を打った。第三に、レイクサイドを含む周辺地域の商人たちの支持を得た」
彼の目は鋭く光っていた。
「これで大市での立場はより強くなる」
「さすがです…」
ガルドは感嘆した。危機さえも機会に変えるライアンの戦略に。
***
フェルミナ到着の前日、彼らは最後の宿場町、シルバークリークに到着した。ここでライアンは最終的な準備と戦略の確認を行った。
「ここまでの旅で、42の取引を行い、投資額の2.3倍の利益を上げた」
彼は帳簿を見ながら報告した。
「さらに重要なのは、各地の商人や行政官との関係を構築したことだ」
シルバークリークの宿の一室で、彼は地図を広げた。そこには各地の市場情報、価格帯、需要と供給の状況が詳細に記されていた。
「これらの情報は、フェルミナでの取引に活かせる」
ガルドは彼の準備の周到さに感心した。
「もはや我々は単なる『王都の新参者』ではない。地域の実情を把握した『情報の商人』だ」
ライアンは満足げに言った。
「明日はいよいよフェルミナだ。大市が始まるまでまだ3日ある。その間に都市を調査し、黄金翼商会についてさらに情報を集める」
彼は窓から見える南の空を見つめた。その方向には、大陸最大の商業都市フェルミナがあった。
「我々の真の勝負はこれからだ」
ガルドは頷いた。彼の目には決意と期待が浮かんでいた。
「明日に備えて休もう」
ライアンは言ったが、その頭の中ではすでに大市での戦略が組み立てられていた。旅で得た知識と経験は、彼の武器となる。情報の非対称性を利用し、地域間の価格差を活用し、そして何より、商売が単なる物の取引ではなく、信用と情報の交換でもあることを実感したライアンは、かつてない自信を持っていた。
フェルミナでの勝負に向けて、彼の心は静かな興奮に包まれていた。
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