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第15話「商人の誇り、初めての勝利」
しおりを挟む大市最終日の朝、フェルミナの大環は前例のない熱気に包まれていた。中央広場には特設の演壇が設けられ、その周囲には数百人もの人々が集まっていた。商人たちはもちろん、農家、職人、さらには貴族まで、様々な階層の人々が今日の「商談勝負」を見守るためにやってきたのだ。
「想像以上の人出だな」
ガルドが緊張した面持ちでライアンに言った。彼らは演壇の近くに設けられた控室で最終準備をしていた。
「噂が広まったようだ。『黄金翼商会の総帥と新参者の対決』とな」
ライアンは冷静に答えた。彼の表情からは緊張の色は見えず、むしろ闘志に満ちていた。
「準備はいいか?」
「はい。農家組合の代表も来ています。そして、あちらからの情報も…」
ガルドは声を潜めた。
「黄金翼商会は全力で来ます。グランツは『東方貿易権』を争点にすると決めたようです」
ライアンは微笑んだ。
「予想通りだ。彼らの最大の誇りであり、最大の弱点でもある分野だ」
「勝算は?」
「彼らの力は『既存の体制』にある。我々の強みは『革新』だ」
ライアンは立ち上がり、窓から集まる群衆を見た。
「さあ、行こう。フェルミナの商業史に新たな一ページを刻む時だ」
***
「皆様、本日の特別商談会へようこそ」
市場監督官クラウディウスが演壇に立ち、厳かな声で開会を宣言した。
「フェルミナ市場史上初の試みとして、二つの商会による公開商談を行います。争点は『東方貿易権』。東の大陸との交易を行う権利をめぐる交渉です」
観衆が静まり返る中、クラウディウスは続けた。
「今回の審判は私クラウディウスと、商業ギルド長老会から選ばれた三名の長老、そして東方諸国大使館から派遣された特使が務めます」
演壇の側には着飾った五名の審判団が座っていた。特に目を引いたのは、東方風の豪華な衣装を身にまとった中年の男性だった。
「では、両者をご紹介します。まず、フェルミナが誇る名門、黄金翼商会総帥、アーロン・グランツ様」
拍手の中、グランツが登壇した。70代とは思えない堂々とした風格で、高級な衣装に身を包み、数人の側近を従えていた。彼は観衆に向かって会釈し、自信に満ちた表情を浮かべる。
「そして、王都サーディス出身の新進商人、ライアン・ミラー様」
ライアンが登場すると、予想外の大きな拍手が沸き起こった。先物契約と農家組合の噂は、すでに彼に一定の支持を集めていたのだ。彼はシンプルながらも洗練された商人の正装に身を包み、ガルドだけを従えていた。その姿は黄金翼商会の豪華さとは対照的だが、凛とした気品があった。
「それでは、商談を始めます。まず黄金翼商会から提案をお願いします」
グランツが前に進み出た。彼の声は力強く、広場の隅々まで届いた。
「フェルミナの皆様、私たち黄金翼商会は100年以上にわたり、東方貿易を担ってきました。我々の船団は荒波を越え、未知の大陸から珍しい香辛料、絹織物、宝石を持ち帰り、この大陸の繁栄に貢献してきたのです」
彼は誇らしげに胸を張った。
「今回の東方貿易権についても、我々は前例のない規模の投資を提案します。50隻の大型船団、3000人の乗組員、そして5000万ゴールドの資本金」
会場からどよめきが起こった。それは途方もない規模の提案だった。
「我々は東方との交易路に新たな拠点を開設し、取引量を現在の3倍に拡大する計画です。これにより、フェルミナはさらに繁栄し、皆様の商売も潤うでしょう」
グランツは審判団に向かって厚い書類の束を差し出した。
「詳細な計画書です。ご覧いただければ、我々の提案の実現可能性と収益性が理解いただけるはずです」
彼は満足げに席に戻った。提案は見事なものだった。資金力、経験、具体性、どれをとっても申し分ない。
クラウディウスがライアンに向き直った。
「では、ライアン殿の提案をお願いします」
場の空気が変わった。多くの人々が「この新参者に何ができるのか」という好奇の目を向けている。
ライアンはゆっくりと前に進み出た。彼は一呼吸置いてから、意外な行動に出た。東方特使に向かって、流暢な異国の言葉で挨拶したのだ。
「リン・ジー・ファ・ミン・チョ」
特使の目が見開かれた。彼は驚きの表情を浮かべ、同じ言葉で返答した。二人は短い会話を交わし、特使は笑顔を見せた。
会場に驚きの波が広がる。グランツの顔が強張った。
ライアンは再び西大陸の共通語に戻り、観衆に向かって語り始めた。
「私は東の大陸で生まれ、西の大陸で商人となった者です。二つの世界の架け橋となる運命を感じています」
彼の声は静かだが、不思議な説得力があった。
「グランツ様の提案は素晴らしい。しかし、東方貿易には別のアプローチも考えられます」
ライアンは自分の提案書を示した。それはグランツの分厚い書類とは対照的に、わずか数枚の羊皮紙だった。
「私が提案するのは『共同事業モデル』です。独占的な貿易権ではなく、東西の商人が対等なパートナーとして協力する関係を構築します」
彼は簡潔な図を示しながら説明した。
「現在の東方貿易の問題点は、西側商人が東の文化や慣習を理解せず、一方的な取引を求めることにあります。東の商人たちは『平等な関係』を望んでいるのです」
東方特使が大きく頷いた。
「私の計画は三つの柱から成ります。第一に『文化交流プログラム』。東西の商人が互いの言語と文化を学ぶ機会を提供します」
「第二に『共同出資事業』。東西の商人が平等に資本を出し合い、利益も平等に分配します」
「そして第三に『技術交換』。西の造船技術と東の航海術を組み合わせ、より安全で効率的な貿易を実現します」
ライアンは東方特使に向かって、再び東の言葉で何かを尋ねた。特使は熱心に頷き、返答した。
「特使殿によれば、東の大陸の商人たちも同様の考えを持っているとのことです。彼らは『独占』ではなく『協力』を求めているのです」
グランツの顔が赤らんだ。彼は何か言いかけたが、クラウディウスが制した。
「質疑応答の時間です。まず審判から質問します」
商業ギルドの長老が口を開いた。
「ライアン殿、あなたの提案は理想的に聞こえますが、具体的な投資額はいくらですか?」
「当初は500万ゴールド。これは農家組合や中小商人たちからの出資を含みます」
「グランツ殿の提案の10分の1ですね」
「はい。しかし、東方の商人たちも同額を出資します。さらに重要なのは、資金だけでなく『関係性』への投資です」
別の長老が質問した。
「グランツ殿、ライアン殿の『共同事業モデル』についてどう思われますか?」
グランツは冷ややかに答えた。
「理想論に過ぎません。東方との貿易は厳しい現実があります。言葉の壁、文化の違い、さらには海賊の脅威も。経験のない者の空想は危険です」
ライアンは反論した。
「確かに経験は重要です。しかし『経験』が時に『固定観念』になることもあります。東の大陸は変化しています。彼らは平等なパートナーとして認められることを望んでいます」
東方特使が口を開いた。彼は流暢とは言えないが理解可能な共通語で語った。
「私の国の商人たちは、西との公平な取引を長年望んできました。ライアン殿の提案は、我々の考えと一致しています」
この発言に会場が騒然となった。グランツの表情が一瞬崩れたが、すぐに取り繕った。
「特使殿、我々も常に公平な取引を心がけてきました。ただ、安全な航路の確保や現地での保護には莫大なコストがかかります。それが貿易価格に反映されるのは当然のことです」
「しかし、それは西側だけの論理ではないでしょうか」
ライアンが静かに指摘した。
「東の商人たちも同じリスクを負っています。共同で責任とコストを分担すれば、双方の負担は軽減され、より多くの利益を生み出せるはずです」
議論は白熱し、双方が自らの主張を展開した。グランツは経験と資本力を強調し、ライアンは革新性と相互理解の重要性を訴えた。
最終的に、クラウディウスが討論の終了を告げた。
「審判団は協議のため退席します。結果は30分後に発表します」
***
緊張が漂う30分後、審判団が戻ってきた。クラウディウスが厳かに結果を告げる。
「厳正な審査の結果、東方貿易権について以下の決定を下します」
場が静まり返った。
「黄金翼商会には、その長年の経験と資本力を評価し、『優先交渉権』を付与します」
グランツの顔に勝利の色が浮かんだ。
「一方、ライアン商会には、革新的なアプローチと文化的理解を評価し、『特別代表権』を付与します」
予想外の展開に、グランツの表情が凍りついた。
「両者は競合ではなく、補完関係として機能することを期待します。黄金翼商会は豊富な経験と資本で航路を開拓し、ライアン商会は文化交流と関係構築を担当する。これが審判団の全会一致の決定です」
会場から大きな拍手が沸き起こった。それは妥協案ではあったが、新参者のライアンにとっては前例のない勝利だった。
東方特使がライアンに近づき、温かい握手を交わした。
「あなたの提案に感銘を受けました。私の国の商人たちにあなたを紹介したいと思います」
「光栄です」
グランツはライアンを鋭い視線で睨みつけた。
「満足か?私の領域に土足で踏み込んで」
「グランツ様、これは侵害ではなく創造です。共に新しい時代の東方貿易を築きましょう」
グランツは冷たく笑った。
「甘い考えだ。商売は戦争と同じ。最終的には勝者と敗者しかいない」
彼は側近たちを従え、威厳を保ったまま立ち去った。しかし、その背中には微かな敗北の影が見えた。
***
「我々は勝ったんですね!」
ガルドが興奮して言った。彼らは商会に戻り、荷物をまとめていた。大市は終わり、王都への帰路につく準備をしていたのだ。
「完全な勝利ではない。しかし、足がかりを得た」
ライアンは冷静に答えた。
「特別代表権は小さく見えるが、東方との直接取引の権利を意味する。それを基に、我々は徐々に影響力を拡大できる」
「グランツは簡単に諦めないでしょう」
「もちろんだ。これは戦いの始まりに過ぎない」
ライアンは窓から夕暮れのフェルミナを眺めた。
「しかし今回の経験で、一つのことが証明された」
「何ですか?」
「資本だけが力ではないということだ。知恵と戦略、そして人と人との関係構築も、同じく強力な武器になる」
彼の目には冷徹な計算と共に、強い決意が宿っていた。
「次の戦いに向けて準備しよう。王都に戻ったら、さらに大きな構想を実現させる」
***
翌朝、ライアン一行は王都への帰路についた。大市での成功は、すでに多くの商人たちの耳に届いていた。道中、彼らは何度も好奇の目で見られ、時には直接声をかけられることもあった。
「あなたがライアン殿ですか?フェルミナでの商談勝負の話を聞きました」
「先物契約の仕組みについて、詳しく教えていただけませんか?」
「我々の地域でも農家協同組合を作りたいのですが…」
ライアンはそれらの問いかけに丁寧に応じた。彼の名声は予想以上に広がっていた。
馬車の中で、ガルドが尋ねた。
「これからどうするつもりですか?」
「まずは王都での基盤を固める。商会を拡大し、投資組合をさらに発展させる」
ライアンは静かに答えた。
「そして、次のステップは…」
彼の声が低くなった。
「王国の経済システムそのものに介入することだ」
「王国の…?」
「そう。現在のサーディス王国の経済は非効率的だ。通貨発行権は王室にあるが、実際の運用は混乱している。税制も複雑で不公平。そこに大きなチャンスがある」
彼の目は遠くを見ていた。
「フェルミナでの成功は小さな一歩に過ぎない。我々の真の目標は、経済を通じて王国そのものに影響力を持つことだ」
ガルドは息を呑んだ。それは途方もない野望だった。しかし、フェルミナでの彼の活躍を見た今、不可能とは思えなかった。
「エドモンドから聞いた話だが、王国の財政は逼迫しているらしい。北部での小規模な紛争が長引き、軍事費が嵩んでいる」
ライアンは静かに続けた。
「財政難の王国には、新たな資金源が必要だ。そして、我々はそれを提供できる」
「王室への融資ですか?」
「それも一つの方法だ。しかし、より重要なのは『システム』の提案だ。王国財政を根本から変える新しい仕組みを」
それは前世で彼が学んだ「中央銀行」の概念だった。しかし、それをこの世界で実現するには、さらなる準備と影響力が必要だった。
「奴隷から始まった商人人生、次は王国経済の中枢に食い込む」
ライアンはそう呟き、王都を目指す道を見つめた。彼の心には、すでに次なる商戦の計画が形作られていた。
かつては何も持たなかった男が、今や王国を動かす野望を抱いている。その野心に満ちた瞳には、すでに勝利の光が宿っていた。
(第1巻 完)
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