推しが異世界転生して私の婚約者になった件について

ソコニ

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第7話 「守られる瞬間 —小さな事件と揺れる心—」

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「レオン様、本当に大丈夫でしょうか?」

アオイは馬車の窓から活気ある城下町の風景を眺めながら尋ねた。王宮での子猫の一件から三日後、彼女はレオンから思いがけない誘いを受けていた。

「問題ない。婚約者として城下町を知っておくことも大切だ」

レオンはいつもの冷静な口調で答えたが、以前ほど冷たさは感じられなかった。

アオイの王宮滞在も残り数日となっていた。子猫のアッシュはすっかり騎士団の一員となり、訓練場を走り回る姿は若い騎士たちの癒しになっているとレオンは教えてくれた。そんな話をする彼の表情は柔らかく、アオイは徐々に心を開きつつあるレオンに親しみを感じていた。

「町には多くの人がいる。目立たないように」レオンはアオイに深めの外套を手渡した。「貴族が普通に歩けば、不必要な注目を集めることになる」

アオイは外套を羽織り、レオンを見上げた。彼も騎士の正装ではなく、質素な平服に身を包んでいた。しかし、その気品と凛々しさは隠しようがなく、どこにいても目立つ存在だった。

馬車が城下町の広場に到着すると、二人は静かに降り立った。

「三時間後、ここで落ち合おう」レオンは馬車の御者に告げた。

***

城下町の通りは、アオイの想像をはるかに超える活気で溢れていた。市場では商人たちが威勢よく声を張り上げ、色とりどりの商品が所狭しと並べられている。焼きたてのパンの香り、果物の甘い匂い、魚介の塩気ある香り—全てが彼女の感覚を刺激した。

「すごい!まるでお祭りみたいです」アオイは目を輝かせて言った。

「今日は市の日だからな。郊外からも多くの商人や農民が集まる」

レオンはアオイの反応に少し驚いたように見えた。

「あれは何ですか?」アオイは露店に並ぶ見慣れない青い果物を指さした。

「ブルームベリーだ。北部の特産品で、この季節にしか出回らない」

「食べてみたいです!」

レオンは黙ってコインを取り出し、果物を二つ購入した。一つをアオイに手渡す。

「あ、ありがとうございます」

アオイが果物を一口噛むと、甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。その美味しさに思わず顔がほころぶ。

「美味しい!レオン様も食べてみてください」

レオンも一口食べ、わずかに目を見開いた。「確かに。久しく食べていなかった」

「北部のご出身なのに?」

「騎士になれば、故郷の味を忘れることも多い」

その言葉には何か寂しさが滲んでいた。アオイは彼の故郷である北部の村について、もっと知りたいと思った。

二人は市場を歩きながら、様々な店を覗いた。アオイはすべてが新鮮で興味深く、次々と質問を投げかける。最初は戸惑っていたレオンも、次第に丁寧に答えるようになり、時には自分から説明を加えることもあった。

「エルバーク王国の特産品は織物と宝石だ。あの店では、王室御用達の細工師が働いている」

「素敵ですね...あっ!」

アオイが感嘆の声を上げた時、何者かが彼女の側をすり抜けた。一瞬の出来事だったが、レオンの反応は驚くほど素早かった。

「待て」

彼の声は氷のように冷たく、周囲の空気を凍らせるようだった。レオンの手が稲妻のように伸び、一人の男の腕をつかんだ。

「返せ」

男は顔を引きつらせ、震える手でアオイの財布を差し出した。アオイは自分がスラれたことにも気づいていなかった。

「二度とこのようなことがあれば、王国の法で裁かれることを覚えておけ」

その場にいた衛兵に男を引き渡した後、レオンはアオイに財布を返した。

「気をつけるのだ。町には様々な人間がいる」

「はい...ありがとうございます。全然気づきませんでした」

アオイは恥ずかしさと感謝の気持ちでいっぱいだった。レオンの観察力と反応速度は、騎士としての鍛錬の賜物だろう。何より、彼が自分を守ってくれたという事実に、温かいものを感じた。

***

市場を抜けて少し歩くと、広場に多くの人が集まっているのが見えた。

「何かあるのでしょうか?」

「五月祭の準備だろう。明日から始まる王国最大の祭りだ」

「まさに今日?見てみたいです!」

アオイの目が輝くのを見て、レオンは少し迷ったようだったが、静かに頷いた。

「少しだけなら」

広場では、祭りの前夜祭として様々な出し物が行われていた。旅芸人の曲芸や音楽、街の若者による踊りなど、どれもアオイにとっては新鮮で魅力的だった。

「お面屋さん!」アオイは子供たちが集まる露店を指さした。そこには様々な動物や神話の生き物をかたどったお面が並んでいた。

「私の故郷にも、お祭りの時にお面を付ける習慣がありました」

アオイは懐かしそうに言った。それは前世の日本の夏祭りの記憶だった。

レオンは静かに彼女を見つめた。「欲しいものがあるなら」

「え?いいんですか?」

レオンは無言で店主にコインを渡し、アオイに選ぶよう促した。彼女は迷った末、青い鳥のお面を選んだ。

「王国では青い鳥は幸福の象徴だ」レオンが説明した。

「そうなんですか?私の故郷でも似たような言い伝えがあります」

アオイがお面を手に取った瞬間、突然広場に騒ぎが起きた。人々が悲鳴を上げ、一斉に走り出した。

「何が...」

「危ない!」

レオンの声に続いて、彼の強い腕がアオイの体を抱き上げた。彼は咄嗟に彼女を抱きかかえ、人ごみから離れた場所へと素早く移動した。

「ひっ...!」

アオイが目にしたのは、広場の中央で暴れる二頭の馬だった。荷車を引いていた馬が何かに驚いて暴走し、人々が散り散りに逃げる混乱が起きていたのだ。

レオンはアオイを抱いたまま、石壁の陰に身を寄せた。彼の腕の中で、アオイの心臓は激しく鼓動していた。それは危険な状況への恐怖だけでなく、レオンの腕に抱かれているという事実にも起因していた。

「大丈夫か?」

レオンの心配そうな声が間近から聞こえた。彼の青い瞳がアオイをじっと見つめていた。

「は、はい...」

アオイの顔が熱くなるのを感じた。レオンの顔があまりにも近く、彼の腕の強さと温もりがダイレクトに伝わってくる。

「怪我はないか?」

「大丈夫です。レオン様のおかげで...」

言葉を交わす間も、レオンは彼女をしっかりと抱き続けていた。その姿は、まさに物語の中の騎士が姫を守る場面のようだった。

広場の混乱が収まり始めると、レオンはようやくアオイを地面に下ろした。しかし、彼の手はなおもアオイの肩に置かれたままだった。

「危ないところだった」

「はい...でも、レオン様がいてくれたから...」

アオイの言葉に、レオンはわずかに表情を和らげた。

「私の役目だ」

それは簡潔な言葉だったが、アオイはその中に込められた誠実さを感じ取った。騎士としての誇りと責任。それはファンサービスをするアイドルとは全く異なる、強い意志から来るものだった。

***

混乱が完全に収まった後、二人は予定よりも早く馬車の待つ広場へと向かった。帰り道、アオイは自分の心の中に新たな感情が芽生えていることに気づいていた。

*今日のレオン様は、前世のユウくんとは違う...でも、その違いにこそ惹かれている...*

レオンは黙って前を見つめていたが、時折アオイの方を見やるしぐさには、確かな配慮が感じられた。

「今日はありがとうございました」アオイは心を込めて言った。「城下町のことも、五月祭のことも、とても勉強になりました」

レオンは静かに頷いた。「町の人々の生活を知ることも大切だ。将来、彼らを守る立場になるのだから」

「将来...ですか?」

「ああ。私の妻となれば、騎士団の長の伴侶として、民を見守る役目も担うことになる」

妻という言葉に、アオイは心臓が跳ねるのを感じた。これまで婚約者という立場を意識しつつも、実際の結婚についてはあまり考えていなかった。レオンと共に生きる未来。それは前世では想像すらできなかった道だ。

「レオン様は優しい方ですね」アオイは静かに言った。

「優しいと言われることはほとんどない」彼は少し驚いたように答えた。

「でも、今日の子供たちへの接し方も、あの騒ぎで私を守ってくれたことも...全部優しさからですよね」

レオンは言葉を選ぶように少し間を置いた。「私は...人々を守るために剣を取った。優しさではなく、責任だ」

「責任感から生まれる行動も、立派な優しさだと思います」

その言葉に、レオンは珍しく言葉に詰まったようだった。

馬車が王宮に到着し、二人は静かに降り立った。夕闇が忍び寄る中、レオンはアオイを客室まで送った。

「明日は公務がある。しばらく会えないだろう」

「はい、わかりました」

別れ際、アオイは今日拾った青い鳥のお面を手にとり、レオンに差し出した。

「これをお持ちください。お守りとして」

レオンは不思議そうな顔をしたが、静かにお面を受け取った。

「ありがとう」

シンプルな言葉だったが、彼の青い瞳には、アオイに対する何かが宿っていた。

自室に戻ったアオイは、窓辺に座り、今日一日を振り返った。スリから彼女を守るレオンの素早い動き。祭りで彼女を抱きかかえた強い腕。心配そうに「大丈夫か?」と尋ねる優しい声。

全てが胸の奥に温かい感情を呼び起こした。

「ユウじゃない...レオンという人を、私は好きになりつつあるの?」

アオイはつぶやいた。前世でのアイドルへの崇拝とは違う、一人の男性への特別な感情。それは推し活の延長ではなく、この世界での新しい自分の心だった。

「でも、もしレオン様が本当にユウくんの魂を持っているなら...」

その可能性は依然として彼女の心に残っていた。しかし今は、アイドル・ユウではなく、騎士レオンという人間への想いが彼女の中で大きくなっていることに、戸惑いと期待を感じていた。

外の星空を見上げながら、アオイは静かに微笑んだ。

運命がどうあれ、彼女の心は確かに動き始めていた。
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