浸食

風船葛

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浸食

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哲学ゾンビ

心の哲学で使われる言葉である。「 物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される
Wikipedia参照




僕には不思議な友人がいる。
彼とは一年前、飲食店のバイトで知り合った。
たまたま互いにシフトが重なる日が多く、何気なく話している内に仲良くなっていった。
彼は社交的なのだがとても警戒心が強いらしく、他の同僚に彼の家に遊び行った話をしたらとても驚かれた。彼はよく会話をするものの、連絡先の交換や遊びのお誘いをしても僕以外の人間とは誰ともしないらしいのだ。最初の頃はとても信じられなかったが、彼と仲が深まっていくにつれてその理由が解った。
ある日、彼の家でゲームをしていると突然彼から
実はお前に隠している秘密がある。と告げられた。
僕は何気なく、何だいそれは?と訪ねると彼は
自分は人の心が読めると言い出した。
僕は最初は、彼の冗談かと思った。彼はいつもいきなり冗談を言い始めるきらいがある。しかし、そのときの彼は少し違った。僕が面白い冗談だなと言おうとする前に彼は冗談じゃないさと言った。最初はその言葉に面食らったが、本当に心が読めるか確かめるために僕は頭の中で適当に「鶏」を浮かべた。そして僕が今、頭の中に浮かべたのは何かと言いきる前に、彼はまたぴしゃりと「鶏」と答えた。それ以降僕が何を浮かべても彼は百発百中であった。この時から僕は彼が人の心を読めることを知った。

僕は彼にある質問をした。人の心が見えて辛いことはないのかと。彼はあったさと答えた。
彼が言うには、生まれた頃から見えていたため、それが当然だと思い生きてきたが、それが普通ではないことを知り、また成長するにつれて悪意の判別ができるようになりはじめてからはとても辛かった。しかし、次第に人間とは表と裏があり、悪意もまた人間である所以のものだと理解するようになってからは楽になったと。そしてまた別の見方として普通の人間には出来ない、人間観察もとい思考観察が趣味になったと。
彼は彼なりに自分の能力と人間を理解して生きてきたらしい。警戒心が強いのも能力所以のものだったと僕も理解できた。僕は何気なく、どうして僕とは遊んでくれるんだいと彼に聞いてみた。すると彼はニヤリと
まるで悪巧みをするような顔で、お前は会ったときから何も考えてなさそうだったから警戒しようがなかったのさと答えた。僕は彼の言った通り、人間とは裏表があると学んだ。

また別の日、僕はいつものように彼のアパートに遊びに行った。しかし、その日の彼は少しいつもと様子が違っていた。いつものようにゲームをしたり、下らない冗談を言い合ったりしているのだが、時折何か考え込み始めたり、不安そうな顔を浮かべた。僕は何か悩みがあるのかと訪ねたのだが、彼は気にするなと一蹴してその日はいつもと同じように終わった。
ところが、その数日後また彼のアパートに遊びに行った時、彼の様子はますますおかしかった。
僕は彼の部屋があるアパートの二階にのぼりチャイムを鳴らした。いつもならすぐに家の中から彼が入ってこいと言って、鍵の掛かってないドアをあけるのだが、その日はチャイムを鳴らしてもしばらく待っても声がせず、留守かトイレかと思い、携帯で彼に連絡をしようした。すると、僕の目の前のドアがゆっくりとあき、ドアの隙間から彼が顔を覗かせた。彼の顔はすっかりやつれていて、ひどく疲れているようだった。僕と目が合うと彼は少し安堵した表情になり、弱々しく、「入れよ」と言った。彼は僕が家に入るなり、お前はまだ人間でよかったよと小さく呟いた。僕にはその言葉の意味が理解できなかった。僕は彼の身にいったい何があったのかを彼に尋ねた。彼はこの前のように話を濁さず、僕にぽつりぽつりとゆっくり話してくれた。

話は僕が彼に違和感を覚えた日の前日までにさかのぼる。
その日、彼はバイトの帰りにいつも行っている思考観察をしていたらしい。街ですれ違う人々の思考を観察するため人通りが多い商店街でそれをしていたようだ。
相も変わらず、見た目と裏腹に人間はとんでもないものを腹に隠していると教えてくれた。
楽しそうに談笑している主婦達が心のなかでは互いに
見下し貶しあっている様や、強面のがたいのいい若い男性が見た目は強気でも内心はあらゆることに怯えて歩いていたり、パトロールしている警官が何か犯罪はないかと期待している様子は彼の退屈をひどくつぶしてくれたらしい。そして続けて観察していく内に一人の男性に目が止まった。見た目は普通の帰宅途中のサラリーマンだった。その男は途中で買ったであろうおにぎりを食べながらコンビニ袋を引き下げて歩いていた。この男もどんな事を腹に抱えているのだろうと彼はいつも通り心を読もうとした。しかし、その後彼はその男の心を読もうとしたことを後悔したらしい。

その男は何も考えていなかった。いや正確には何もなかった。と彼は言った。僕は彼にどういうことだい?と質問をした。
彼の読心は、相手の心を及び思考が水面に映るイメージと言葉で聞こえてくるらしい。例えば、僕がバナナと考えていれば、水面にバナナのイメージが頭の中に映り、バナナという言葉が聞こえてくる。誰かが怒っていれば、水面にその人の怒ったイメージや怒りの言葉が聞こえてくる。
また何も考えていない場合のときの見え方も少し違うらしく、水面には何も映らず雑念と思われるものが波紋のように水を揺らし徐々に言葉が聞こえてくるというもの。その様子は町中の少し静かな雑踏のようだと。彼はその水面が恐らく人間の意識と考えているそうだ。しかし、その時読心した男には何もなかった。水面すらなく、ただ無しかなかったと。
僕は彼にその時だけ上手く読み取れなかったか、そういう人間がいるだけではないかと答えた。
すると彼はそれに対して強く否定をした。
彼が言うには、上手く読み取れなかったときは確かにあると言う。それは体調の悪いときや寝不足のときなどであると。それに読み取れなかったときの読心も
見え方が少し違うらしく、水面と言葉にノイズのようなものが走り見えにくくなるということだった。男を読心した時は体調も万全であった。そしてなによりも男にはそもそも人間の意識であるはずの水面すらなかったと言う。
そして彼は震えながら僕にこう伝えた。
つまり、あの男には僕達が自我と呼ぶ意識そのものが存在していないと。にも関わらず、普通の人間と同じように動いていると。あれは人間なのか、はたまた生きているのかすらわからない。彼はそう言った後俯き少し黙ってしまった。そして僕が何かを言う前に彼はまた話を続けた。
最初は彼も何かの間違いかと思った。そういう人間がいると思い、その日は帰った。
僕と会った次の日彼はまた商店街に足を運んだ。
恐ろしいと思いながらも、またあの男を探そうと思ったらしい。もう一度あの男の心を読心して本当にあれが真実なのか確かめたかったそうだ。あり得ない、
あんなものが存在するはずない、何かの間違いと自分に言い聞かせて彼は商店街の立ち行く人を読心し始めた。そしてアレはすぐに見つかったそうだ。
しかしそれは例のサラリーマンではなく、楽しそうに談笑している主婦達だった。いや、そればかりか街中の至るところにアレは存在していた。昨日も見かけたはずの同じ人間の内の何人かがあのサラリーマンと同じように意識の水面が存在しない虚無だった。アレは明らかに昨日より増えていたのだ。
彼は恐怖で叫びそうになりながらも、自分の能力の不調だと思い込もうとしていた。しかし、しっかりと心の中身が見える人間も存在していることもあり、心の底では確実に能力の不調ではないと彼は確信していた。
彼は恐怖心からか、その場で崩れてしまった。
すると心配そうに声をかけながらそばに近寄る男性がいた。彼はその人物に大丈夫だと声をかけようと顔を上げた。目の前には例のサラリーマンがいた。そして心配そうな顔と裏腹に心のなかは何もなかった。いや心そのものすらなく、自我すらない完全な無。
理解不能な何か。
彼は悲鳴を上げて自分の家まで逃げ出したらしい。
そして彼はしばらく家から出ることもできなかったそうだ。周りの人間がみんなアレになってしまったらどうしようかと思っていたらしい。これらが彼が怯えている原因であり、事の真相だった。その話が本当ならこの街ではとんでもないことが起こっていることになる。知らない間に見た目は普通の人間でも、自我が存在しない得体の知れないものが徐々に人間と成り変わっていることになる。そしてそれは普通の人間の僕らでは全く判別できず、読心という特殊な力をもった彼にしかわからない。僕らは何も気づけないままアレに浸食されていくということだ。
ただ僕にも今後どうすればいいのかわからなかった。この街から離れるべきなのか、それともこの街以外でも既に浸食は起きている可能性があるため逃げても無駄なのか。

彼はしばらくの間バイトを休み、地元の実家に帰ると言った。そしてこの異変の対策を彼なりに考えると。
この異変に気づいてるのは恐らく自分とこの事実を知った僕だけだと。だからこそ僕達で何かをするべきだと言った。僕も正直、得体の知れない恐怖は感じていたが、彼ともに立ち向かう決意をした。
「本当にお前が人間のままでいてくれて助かった。
そしてお前が友人で本当に良かった」
彼は別れ際、僕に向けて言った。
彼が正直こんな事を言う思わなかったので驚いたが
僕もあらためて、僕もだと答えた。
すると彼は照れくさかったのか、すぐにうつむいて
こちらに帰るとき連絡する、それまでちゃんと人間でいろよと冗談を言ってドアを締めた。僕は調子を取り戻した彼を見て少し安心して帰宅した。


それから数日後、突然彼から電話がきた。
僕はバイト終わりで帰宅途中だった。
僕は驚きながら電話にでた。
彼はとても取り乱しており、正直何を言っているか解らなかった。僕はとりあえず彼に落ち着くようにゆっくりと促した。すると彼は徐々に落ち着きを取り戻し、しかしひどく震えた声で話し始めた。

彼はあの後地元の実家に帰省し、父親と母親に会った。そして丁度帰省していた姉と部活が終わって帰宅していた弟に会った。彼は念のため家族全員の読心を試みたがみな当たり前のごとく色々な事を考えていた。彼は久々にあった家族がちゃんと人間であったこと、久しぶりに家族全員と会えたことに安心した。
その日は団欒をした。そしてその時までは家族は人間だったと。次の日、目を覚まして会った家族は、普段と変わらずに喋りかけてくるにも関わらず、アレに変わっていた。彼はそれを見て飛び出してきたらしい。彼は泣いていた、家族すらも得体の知れない化け物になってしまったと。
僕は今、どこにいるのかと尋ねた。すると彼は
地元もすでにアレが至るところに居たため一目散に逃げ出し、結局今は彼のアパートにいると。
僕は彼にすぐ向かうと伝えると彼は弱々しくすまないと答えた。僕は直ちに準備をして彼の家に向かった。
向かう途中、僕は彼が言っていた例の商店街を見た。
僕から見ればそこはいつもと変わらない賑やかな商店街だっだ。しかし彼から見ればあそこは得体の知れない化け物だらけの巣窟になっている。いや、商店街だけじゃなく、もうすでに街中がそうなっているのだろう。
僕は自分がどうするべきなのかわからない。
今できることは怯えている友人の側にいてこの先どうするかを考え直すしかない。
僕は彼の家に急いだ。




動悸が激しい。急いで来たせいなのかはたまた恐怖心からくるのかはわからない。彼の家のドアのチャイムも鳴らすも反応はなかった。ドアノブにさわると鍵が閉まっていなかった。急いでドアを開けて部屋に入ると彼は部屋の隅でうずくまって怯えていた。
彼に声をかける。彼は顔を上げた。彼は安堵に満ちた表情でこちらを見た。しかし、目が合うと彼の表情はみるみる青ざめて恐怖に歪んだ顔で叫び声を上げた。
彼は叫び声をあげながら両手で両目を潰して部屋の窓から飛び降りた。急いで窓から下を覗くとそこには
血だまりに浸っている彼がいた。恐らく彼は死んでしまった。突然の事態に状況が掴めなかった。
涙が止まらなかった。止められなかった。
彼はあまりの恐怖に気が狂ってしまったのか。
何も変わってないのに。
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