【完結】間違って地獄に落とされましたが、俺は幸せです。

白井のわ

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バアルさんがいないと、もう、俺は

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 なんとかして、彼に向けまくっている意識をそらすべく周囲を見回す。が、ひたすら真っ直ぐな廊下には、時々ぽつぽつと調度品が並ぶばかり。

 例えば、この、色鮮やかだけど不思議なタッチの絵画。はたまた、どうやって作り上げたのか、捻れたり、編み込まれている個性的な形の壺が飾られているだけ。

 人気なんて全くなく、俺達の靴底と石造りの廊下とが奏でる音が、定期的に響くだけだ。

「静かですね……」

「こちらは別棟ですので。あちらの扉を抜けた先が、お城の本棟でございます」

 少し先には、繊細な銀の装飾が施された扉があった。俺が縦に二人並んでも、負けてしまいそうな大きさだ。

 本棟ってことは、バアルさん達以外の地獄の方々が住んでいたり、広間とか厨房とかもあったりするんだろうな。多分。

「別棟には、貴方様がいらっしゃる貴賓室の他に、サタン様やヨミ様の私室しかございませんので」

 少しだけ不安な気持ちと、それと同じくらいわくわくした気持ちでいた俺に、至って平然とした顔で彼が述べた、とんでもない事実。

 あんまりにもサラリと話すもんだから、うっかり聞き流してしまいそうになっていた。

「えっ……それって、大丈夫なんですか?」

 俺の疑問に彼は、いくつものレンズで構成された瞳をしばたたかせた。いかにも不思議そうな顔をして、俺をきょとんと見つめている。

 なんだか……聞いてる俺の方が、間違っているんじゃないかっていう気がしてきたんだが。

 いや、でも、やっぱりマズいだろ。

 ただの人間である俺が、地獄の元トップと現トップと同等な部屋に住んでるって。それどころか、同じ建物に居るなんてさ。

「あ、いや……サタン様とヨミ様に悪いですし……今からでも、普通の客室に変えてもらった方がいいと思うんですけど」

「アオイ様の思いやりの深さ、慎ましさは大変好ましく存じます。しかし、これは貴方様の身を案じてのご配慮なのです」

「俺の身を? それって……どういうこと、ですか?」

 足を止めたバアルさんが、俺に向き直ってから膝を折る。俺の手を優しい手つきで撫でてくれながら「少々お時間を頂いてもよろしいですか?」と申し訳なさそうに首を傾ける。なにやら大切な話のようだ。

 胸の内にじわりと滲み始めた不安。それを解消する為にもと、二つ返事で頷いた。

「貴方様の魂には、いまだ生命力が満ちていると、以前にご説明致しましたよね?」

「はい。自然と減っていくから、待っていないといけないんですよね?」

 まだ寿命が残っているにも関わらず、手違いで刈られてしまった俺の魂。彼等曰く、生命力が満ちているらしい。

 そして、それを無くさなければ、天国に行くことも生まれ変わることも出来ないんだとか。

 今の俺にとっては、バアルさんの側にずっと居ると決めた俺にとっては、もはや全く関係のない話なんだけどさ。

「左様でございます。そして、これは……まだお伝えしていなかったのですが、生命力は魔力に変換することも出来るのです」

「え、だったら一気に変換しちゃえばいいんじゃないですか? まぁ、俺はここから離れる気は無いんで、ムリにする必要はないと思いますけど」

 さっき、ぼんやりと頭に浮かべていたせいだ。何の気なしに口にした疑問と一緒に、うっかり本心を漏らしてしまったのは。



 窓からこぼれる、柔らかい日差しに照らされた瞳が大きく見開き、細められる。

「ふふ、そうですね。私も、貴方様を手放すつもりは毛頭ございません」

 日の光よりも眩しい微笑み。あふれんばかりの喜びを湛えた口元に、心臓が鷲掴みされたみたいに激しく音を立て始める。ぎゅっと強く絡められた指が勝手に震え出す。

 俺達の間に漂い始めた、胸の辺りがくすぐったくなってしまう空気は。

「失礼、話が逸れましたね」

 俺の頬を一撫でしたバアルさんが、わざとらしく咳払いをしたことで。軌道修正したことで、何事もなかったかのように、パッと消えてしまった。

「あ……いえ、言い出しっぺは俺なんで……」

 ほんの少しだけ滲んだ、残念な気持ちを無理矢理押し込め、改めて彼の言葉に耳を傾ける。

「本来ならば、生命力は生きている間に徐々に消費されていくものです」

「ということは……それが完全に無くなった時に、死神の方々に、魂を刈られるんですね?」

 つまり生命力の量自体が、寿命の長さになるってことか。

 まさか、死んで初めて、この世の仕組みの一部を知ることになるとは思わなかったな。

「はい。ですから、いくら貴方様が、すでに亡くなられてしまっているとはいえ、一度に大量の生命力を減らしてしまえば……」

「あんまり、よくはなさそう……ですね。でも、それと俺の身の安全とは、どう関係するんですか?」

「貴方様の生命力を狙う可能性のある不届き者達から、御身をお守りする為でございます」

「……え?」

 ……生命力を狙う?

 なんでそんな必要があるのか、俺の頭ではピンと来なかった。

 けれども彼の眼差しから、真っ直ぐに俺を見つめる瞳に宿った真剣な光から、言葉にしなくても事の重大さがひしひしと伝わってきて。

 いいようがない感覚に、足元からじわじわと何かが這い上がってくるような不快な感覚に。俺にとって唯一の心の拠り所である彼に縋るように、繋いだ手を力強く握り締めてしまったんだ。

「……地獄に落ちた人間の中には、魔術の素養に目覚める者もいます。彼等にとって、貴方様の生命力は巨大な魔力と同じなのです」

 淡々と理由を俺に説明してくれつつも、優しい彼は、大丈夫だと言ってくれているように、俺の手を握り返してくれる。

「もし万が一、悪用されてしまえば、現世と地獄とを繋ぐことすら可能かもしれません」

 宥めるみたいに優しく頭を、背中を、何度も何度も撫でてくれた。

 不思議だ。彼の手には、まるで魔法でもかかっているみたいに、触れてくれるだけで俺の不安を拭ってくれる。

 強ばった気持ちが自然と和らいで、明るくなっていくんだ。

「申し訳ございません……貴方様の愛らしいお顔を曇らせるばかりでなく、折角の一時に水を差すようなことを……」

「いえ、そんな……元々は俺が言い出したことですから……それに」

 心配そうに俺を見つめる緑の瞳が、彼の、俺を想ってくれる温かい気持ちが、とても嬉しくて……だからかもしれない。

「バアルさんが、居てくれますから……」

 いつも必死に勇気をかき集めないと、素直な気持ちを言葉にして伝えられないのに。

「ずっと、側で俺のこと……守ってくれますよね?」

 ちゃんと彼に想っていることを、伝えたいことをはっきりと口に出来たんだ。

「ッ……ええ、勿論。私が、身命を賭してお守り致します」

 落ち着くハーブの香りが俺を優しく包み込む。

 ぎゅっと抱き締めてくれる引き締まった腕に、いつもの俺だったらドキドキし過ぎて頭がぽやぽやしてしまうはずなのに。

 彼の言葉がトゲになったみたいに、チクリと胸に刺さり続けている。そのせいだ。

「それは……ちょっと、いえ大分嫌です……」

 つい、あからさまに不満をあらわにした声色で、応えてしまっただけじゃない。彼の黒いスーツの裾を、シワがよるくらい強く引っ張ってしまっていた。

「……何故、でしょうか?」

 そっと腕の力を緩めた彼の表情には、珍しく焦りが見えた。

 彼の心情を代弁しているみたいだ。

 しょんぼりと、額から生えている触覚が力なく下がっていく。背にある半透明の羽も、ひっきりなしに落ち着きなくはためいている。

 さきほどの成功体験が、俺を調子づかせてしまったのか。それとも、彼の自分の身を一切省みない発言が、思っていた以上に頭にきていたのか。

「バアルさんが居ないと、俺、もう生きていけないんですよ?」

 俺にしては大胆にもぽんぽんと、すぐ目の前にいる彼に直接ぶつけてしまっていた。普段だったら顔を熱くし、言葉を詰まらせてしまいそうなことを。

「だから……バアルさん自身も、無事でいてくれないと……」

 まだまだ、滑らかに紡ぎ続けている俺の口を止めたのは、俺の額にそっと落とされた、彼の柔らかい唇だった。

「ひぇ……ば、バアルさん?」

「畏まりました……貴方様の、仰せのままに」

 薄く涙の膜が張った瞳が、水面みたいにキラキラと輝いている。

 うってかわって、鯉みたいに口をパクパクさせたまま、固まってしまった俺の身体を、彼の筋肉質な腕が勢いよく引き寄せてくれた。息が止まるくらいに強く抱き締めてくれた。
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