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見知っているのに見知らぬ彼
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たっぷりと4、5秒はかけたであろう深いお辞儀の後、レタリーさんは顔を上げた。
彼の肌が褐色だからだろう。ゆるりと細められた黄緑色の瞳だけが、暗闇の中でぼんやりと三日月のように浮かんでいる。
俺は安堵していた。
バアルさん達が居ないという不安が燻っているものの、見知った相手が現れたことに。
そして、思い込んでいたのだ。
レタリーさんならば、この鎖を外してくれるだろうと。この部屋から助け出してくれるだろうと。バアルさん達の居るところへと連れて行ってくれるだろうと。
「ご気分はいかがでしょうか?」
「……え?」
レタリーさんは、柔らかい微笑みを一切崩さずに俺に尋ねてきた。呆気にとられている俺を前にしても、何事もなかったかのように続けた。
「どこか痛いところはございませんか? 体調が優れないなど、身体の不調はございませんか?」
……俺の状態が見えていないのだろうか。
いや、それはないだろう。たとえ、万が一鎖が見えていなかったとしても、不自然な俺の体勢を見れば異変に気づくことが出来るハズだ。
なのに彼は驚いた様子も、焦る素振りも見せない。ベッドの上で這いつくばり、身動きの取れない俺を眺めながら、ごく普通に話しかけてきている。
「……アオイ様?」
「……いや、痛くはないですし……どこも悪くはない、ですけど……」
「左様でございましたか。何かありましたら、すぐに仰って下さいね」
レタリーさんは安心したように笑みを深めてから、再び丁寧なお辞儀を披露した。背筋を伸ばし、俺の側で佇んでいる。
これまでの彼の言動は、俺に対する接し方は、いつも通りだ。なのに状況が異質だからだろう。逆に不気味に思えてしまう。
ホントに今の彼は、俺が知っているレタリーさんなんだろうか。
バアルさんを師と仰ぎ、ヨミ様とサタン様のことを心の底から慕っている、物腰柔らかな秘書さん。俺にも優しく接してくれて、甘いものに目がなくて。ヨミ様とは特に気心が知れているというか、礼節をわきまえつつも時折友達のように接しているというか。
なのに、こんな……ベッドに縛りつけられている俺を見ても、普通に微笑んでいるなんて。
……どういうことだ? 何か、誰かに、変な術でもかけられているのだろうか?
バアルさん達が居れば、すぐに分かっただろう。けれども魔力の流れを視認することが出来ない俺は、彼が術にかかっているのかも、正気なのかも判別することは出来やしない。一体どうすれば。
……落ち着け、まずは冷静になるんだ。
改めて、この状況に至るまでを思い出そうと目を閉じる。一番近い記憶……そうだ。俺は、俺とバアルさんは、確か儀式の準備をしていたハズだ。
バアルさんは、俺の隣の控室でサタン様とヨミ様と一緒に。俺の方には、グリムさんとクロウさん、コルテ、そしてレタリーさんがついてくれていた。
俺は、グリムさん達が見守ってくれている中、儀礼服を着て、レタリーさんにヘアメイクをしてもらって、そして……
そこから先が思い出せない。頭の中が、深い霧に包まれているようだ。思い出そうと試みても、何も浮かんできやしない。
でも、バアルさんが、皆さんが居たのは確かだ。だから、確かめなければ。
「……あの」
「はい、いかがなさいましたか?」
俺の呼びかけに、すぐさま黄緑色の眼差しが向く。背筋を正したまま、俺の言葉を待ってくれている。
……良かった。会話は普通にしてくれるようだ。
だったら、聞き出すしかない。いや、何としてでも聞き出さなければ。一番大切なことを。
「……バアルさんは、他の皆さんは……今、何処に居るんですか?」
俺は見逃さなかった。
尋ねた瞬間、僅かだけれどレタリーさんの表情が崩れたのを。驚いたように目を見開いたのを。
イヤな予感に背筋が寒くなる。胸が痛くて、重い。まるで、太い杭でも打ちつけられたかのようだ。
「一体、何が有ったんですか? 俺、どうしても思い出せないんです……自分の控室で、レタリーさんにヘアメイクをしてもらっていたところまでは、覚えているんですけど……」
レタリーさんは黙ったまま、俺を見つめている。もしや、口止めでもされているのだろうか。
透明な水の中に黒い液体をこぼしたかのように、じわりと滲んだ仄暗い不安が広がっていく。心臓が早鐘を打ち始める。
「お願いします……知っていることがあるなら、教えて下さい……バアルさんの為に……皆さんの、レタリーさんの為に、俺に出来ることがあるなら何でもしますからっ……」
それは、微かな声だった。
「……ああ、やはり貴方様は」
無自覚な呟きだったのだろう。慌てたようにレタリーさんは、薄く開いていた口を引き結んだ。平然を装うかのように、すぐさま緩やかな笑みを形作る。やっぱり、彼は何か事情を知って。
「お願いします、教えて下さい……イヤなことでも……痛いことでも……俺が出来ることなら、頑張ります……だから、どうか……」
何故、俺をこんな場所に閉じ込めているのか理由は分からない。誰が、レタリーさんに監視役のようなことをさせているのかも。
だが、俺を捕まえているってことは、何かしらの利用価値があるってことだ。だったら、それを最大限に利用するしかない。
長く、重たい沈黙の中、俺の心音だけが妙に大きく聞こえていた。
彼の肌が褐色だからだろう。ゆるりと細められた黄緑色の瞳だけが、暗闇の中でぼんやりと三日月のように浮かんでいる。
俺は安堵していた。
バアルさん達が居ないという不安が燻っているものの、見知った相手が現れたことに。
そして、思い込んでいたのだ。
レタリーさんならば、この鎖を外してくれるだろうと。この部屋から助け出してくれるだろうと。バアルさん達の居るところへと連れて行ってくれるだろうと。
「ご気分はいかがでしょうか?」
「……え?」
レタリーさんは、柔らかい微笑みを一切崩さずに俺に尋ねてきた。呆気にとられている俺を前にしても、何事もなかったかのように続けた。
「どこか痛いところはございませんか? 体調が優れないなど、身体の不調はございませんか?」
……俺の状態が見えていないのだろうか。
いや、それはないだろう。たとえ、万が一鎖が見えていなかったとしても、不自然な俺の体勢を見れば異変に気づくことが出来るハズだ。
なのに彼は驚いた様子も、焦る素振りも見せない。ベッドの上で這いつくばり、身動きの取れない俺を眺めながら、ごく普通に話しかけてきている。
「……アオイ様?」
「……いや、痛くはないですし……どこも悪くはない、ですけど……」
「左様でございましたか。何かありましたら、すぐに仰って下さいね」
レタリーさんは安心したように笑みを深めてから、再び丁寧なお辞儀を披露した。背筋を伸ばし、俺の側で佇んでいる。
これまでの彼の言動は、俺に対する接し方は、いつも通りだ。なのに状況が異質だからだろう。逆に不気味に思えてしまう。
ホントに今の彼は、俺が知っているレタリーさんなんだろうか。
バアルさんを師と仰ぎ、ヨミ様とサタン様のことを心の底から慕っている、物腰柔らかな秘書さん。俺にも優しく接してくれて、甘いものに目がなくて。ヨミ様とは特に気心が知れているというか、礼節をわきまえつつも時折友達のように接しているというか。
なのに、こんな……ベッドに縛りつけられている俺を見ても、普通に微笑んでいるなんて。
……どういうことだ? 何か、誰かに、変な術でもかけられているのだろうか?
バアルさん達が居れば、すぐに分かっただろう。けれども魔力の流れを視認することが出来ない俺は、彼が術にかかっているのかも、正気なのかも判別することは出来やしない。一体どうすれば。
……落ち着け、まずは冷静になるんだ。
改めて、この状況に至るまでを思い出そうと目を閉じる。一番近い記憶……そうだ。俺は、俺とバアルさんは、確か儀式の準備をしていたハズだ。
バアルさんは、俺の隣の控室でサタン様とヨミ様と一緒に。俺の方には、グリムさんとクロウさん、コルテ、そしてレタリーさんがついてくれていた。
俺は、グリムさん達が見守ってくれている中、儀礼服を着て、レタリーさんにヘアメイクをしてもらって、そして……
そこから先が思い出せない。頭の中が、深い霧に包まれているようだ。思い出そうと試みても、何も浮かんできやしない。
でも、バアルさんが、皆さんが居たのは確かだ。だから、確かめなければ。
「……あの」
「はい、いかがなさいましたか?」
俺の呼びかけに、すぐさま黄緑色の眼差しが向く。背筋を正したまま、俺の言葉を待ってくれている。
……良かった。会話は普通にしてくれるようだ。
だったら、聞き出すしかない。いや、何としてでも聞き出さなければ。一番大切なことを。
「……バアルさんは、他の皆さんは……今、何処に居るんですか?」
俺は見逃さなかった。
尋ねた瞬間、僅かだけれどレタリーさんの表情が崩れたのを。驚いたように目を見開いたのを。
イヤな予感に背筋が寒くなる。胸が痛くて、重い。まるで、太い杭でも打ちつけられたかのようだ。
「一体、何が有ったんですか? 俺、どうしても思い出せないんです……自分の控室で、レタリーさんにヘアメイクをしてもらっていたところまでは、覚えているんですけど……」
レタリーさんは黙ったまま、俺を見つめている。もしや、口止めでもされているのだろうか。
透明な水の中に黒い液体をこぼしたかのように、じわりと滲んだ仄暗い不安が広がっていく。心臓が早鐘を打ち始める。
「お願いします……知っていることがあるなら、教えて下さい……バアルさんの為に……皆さんの、レタリーさんの為に、俺に出来ることがあるなら何でもしますからっ……」
それは、微かな声だった。
「……ああ、やはり貴方様は」
無自覚な呟きだったのだろう。慌てたようにレタリーさんは、薄く開いていた口を引き結んだ。平然を装うかのように、すぐさま緩やかな笑みを形作る。やっぱり、彼は何か事情を知って。
「お願いします、教えて下さい……イヤなことでも……痛いことでも……俺が出来ることなら、頑張ります……だから、どうか……」
何故、俺をこんな場所に閉じ込めているのか理由は分からない。誰が、レタリーさんに監視役のようなことをさせているのかも。
だが、俺を捕まえているってことは、何かしらの利用価値があるってことだ。だったら、それを最大限に利用するしかない。
長く、重たい沈黙の中、俺の心音だけが妙に大きく聞こえていた。
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