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三章 監獄島の魔女

3-6 矛盾の力

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 触角を離すと、楓の身体が力なく倒れた。目を閉じて、眠ったように動かなくなった。ベッドに横たわる村人と同じように。

 ラザニアは魔力の剣で、今度はロイディの首筋を斬りつけようとする。だがやはり刃は通らない。まるで不可視の膜によって、妨げられているみたいだ。

「効かないと、言ったはずですよ虫ケラ」

 不敵に笑いながら、右手のポンポンでラザニアを殴り飛ばした。

「龍人態にすらなれない虫ケラ一人じゃ、私を倒すことは不可能なんです。無駄な抵抗はやめてください」

「やめる、わけ……ねぇだろうがッ!!」

 立ち上がり、ロイディへと接近を図る。

「ドラゴニック・異レーザー!!」

 撃ち放たれた水色の閃光。それは確実に標的を捉えたが、ダメージを負わせる事は叶わなかった。

「やれやれ学習しませんね。私に魔力由来の攻撃は通用しないと、言ったばかりだというのに」

「ドラゴニック・亜タック!!」

 魔力を込めた拳。ロイディはそれを軽々と受け止め、もう片方の手のポンポンを、ラザニアの腹部にめり込ませた。

「がッ……!!」

「……わかりました。だったら私に、無駄な足掻きを見せてください。心が折れるその瞬間まで」

「言われなくても、そのつもりだああああ!!」

 力が抜けて開きかけていた拳をもう一度強く握り締め、振り被った。

 だがそれは、虚しく空を切る事になる。ロイディが足を屈め、腰を落としたからだ。

 ロイディは足を払ってバランスを崩させ、無防備になった顎にポンポンによるアッパーを浴びせる。ラザニアの身体は天井に打ち付けられ、地面に引っ張られて落下してきた。そこに、ロイディはトドメと言わんばかりに回し蹴りを喰らわせた。

「がッ……はっ……!!」

 ラザニアは地を這いながら、血反吐をぶち撒ける。

 この程度のダメージ。本来ならものの数秒で完治していたが、今はそうはいかない。それに顎の骨を粉々にされているため、治癒の葉エイリーフを使う事も出来ない。絶体絶命だ。

「(こんな、所で……やられてたまるものかよ……!!)」

 残された力を振り絞り、起き上がる。

「まだやる気なんですね。ホントに懲りない蜥蜴なこと。四肢の骨をバッキバキにでもされないと、心は折れませんか? それとも」

 倒れたままの楓を一瞥してから、視線をラザニアの方へ直す。

「それとも、愛する母親を救いたいという意思が、心を動かしているのでしょうか?」

「っ……!」

「子が母を思う気持ち。母が子を思う気持ち。私にはよくわかります。私も母ですからね。……だからこそ、それが虫ケラの心にどれだけの影響を与えているのかも、理解しています」

 手に持った二つのポンポンで、顔の下半分を覆い隠す。緩んだ口元を隠すように。

「一つ良い事を教えてあげましょう。私はカエデ・マキノの体内に、卵を産みつけました。生まれた子供は宿主の精神を糧として成長し、やがて肉体を乗っ取る。……つまりあと少し。あと少しで、カエデ・マキノの身体も精神も。我が子のものになるという訳です!」

「が、あああああああああああッッッ!!」

 獣のような叫び。激情をエネルギーとして、ロイディに殴りかかる。雑な攻撃を軽々とかわし、ラザニアの左肩にカウンターを叩き込む。骨が外れ、左腕の自由を奪った。

「カエデ・マキノの人格の死は即ち、内に眠るマカロニ=ドラゴンをもう一度殺す事に他なりません! 愛する者が目の前で死ねば、流石に心も折れるでしょうねぇ!?」

「ああああああああッッ!!」

 激痛を怒りで誤魔化しながら、もう一度殴りかかる。ロイディは左手のボンボンを放し、拳を掴んだ。そのまま捻り、骨を折る。

「さぁさ足掻きなさい! そして絶望するといい! その手が届かない事に! 母親を守れなかった事に!」


**


 牧野楓の意識の底にある、純白の精神世界。そこは今、侵略者によって安寧を損ねてしまっていた。

 芋虫に酷似した大量の生命体が、マカロニに迫っていた。

「なんなのこれ! ……気持ち悪いったらありゃしないわ!」

 相手はまだ生まれたばかりとはいえ、エネミーだ。魔力由来の攻撃は通用しない。だから迫る侵略者を一匹ずつ、蹴りで潰していくしかなかった。

「(もし私がここでやられたら、楓ちゃんが……楓ちゃんでなくなっちゃう)」

 楓の持つアビリティは不死。だがそれはあくまで肉体的な話であり、内側から意識を乗っ取られるなんて絡め手で攻められたら、流石にどうしようもない。

「仕方ない……あれをやるしかないわ!」

 目を閉じる。一度深呼吸してから、おもむろに開いた。

「魔力解放……!」

 青い光が、衝撃波として放出される。それだけで、近くにいた芋虫を吹き飛ばし、塵へと変えた。

 魔力解放。常に魔力を放出させる事で、身体能力と魔法の威力を向上させる技だ。しかしすぐに魔力が底を尽きるので、長期戦に不向きだ。

 マカロニがこれを使ったのには当然理由がある。自分の魔力を最大限まで高める事で、身体の所有権を自分へ移し変えるためだ。言うなれば、選手交代。

 彼女の纏う青の輝きが、少しずつ赤黒く変色していく。そして容姿も変化し、最終的に外見も中身も牧野楓そのものとなった。

「ここは、私の精神世界? ……ひっ!」

 自分に迫って来ている芋虫を目の当たりにした楓は、短い悲鳴を漏らす。それが引き金に、先程目の前で起きた光景がフラッシュバックした。

 精神を汚染する残酷な世界の残酷な現実。それを目にして、楓の心は砕けた。

「(……いや、こんなんで挫けてちゃダメだ……!)」

 確かに、楓の心は脆い。

 だがしかし。修復する速度は誰よりも早い。そして折れる度に、心は強くなっていく。

「こんなところで、終わってなるものかあああああ!!」

 力一杯に叫ぶ。

『優しいまま。甘いままでも、君はこの世界で生きていける』

 マカロニの言葉を思い出す。

 あの時の答えが、ほんの少しだけわかった気がした。

 己の弱さを認めた上で、強くなればいい。そうすれば優しいまま。弱いまま。この世界でも、前を向ける。

「世界を私という闇で包み込めッ!! ダークネス、インパクトッ!!」

 全身を包んでいた赤黒の魔力で、精神世界の白を塗り潰す。残っていた芋虫を、残らず死に追いやる。

 牧野楓は『矛盾を抱えた龍ドラゴンゾンビ』。矛盾そのものと言える彼女の魔力は、「エネミーに魔力が通用しない」という前提条件を無視する作用を持っている。だからこそあの日、魔力を用いた技で、ハウセンにダメージを与える事ができたのだ。

 ロイディが最初に楓を無力化させたのは、この矛盾の力を恐れていたのだと推測できる。

『ナイスだよ、楓ちゃん!』

 マカロニの声が精神世界に響いた。

 このまま魔力を上昇させ、もう一度肉体の所有権を入れ替えた。

「……ふう。ぶっつけ本番だったけど、入れ替え作戦大成功! 後は、害虫駆除するだけね」


**


「(畜生ッ! 私にはお母さんを。仲間を守れないっていうのかよ……!!)」

 ラザニアは全身の骨を駄目にされ、地面に倒れ伏していた。

 怒りの感情を持ってすら、身体を動かす事が出来ない。肉体が、流石に限界を迎えていた。

 そんな彼女の後頭部にロイディは足を乗せ、見下ろす。

「残念でしたね。悔しいでしょうね。絶望するでしょうね。……でも良かったじゃないですか。その苦しみも、じきに忘れるのですから」

 頭の触覚を伸ばす。そしてその先端を、ラザニアの首元に突き刺そうとした。

「ッ!?」

 突然横から強い衝撃を受け、ロイディの小さな身体は宙を舞い、壁に叩きつけられた。

「なっ、そんな……どうして……!?」

 ロイディは、一瞬己の目を疑った。

 卵を産みつけてから、少し時間が経過している。既に精神を乗っ取られていてもおかしくない筈だ。

 なのに、牧野楓は動いている。自分の意思で立ち上がり、こちらに攻撃を仕掛けてきた。

「虫ケラ! 何故動けるのですか!? どうして自分を保っているのですかッ!!」

 それに対し楓は、笑みを浮かべた。

「お前、マカロニと『矛盾を抱えた龍ドラゴンゾンビ』の力を甘く見過ぎなんだよ」

「い、行きなさい! 子供達!」

 ロイディの合図で、残りの村人達が一斉に楓へと向かう。

 楓を中心に展開された障壁。そこから射出された棘が、村人達の身体を貫いた。

 体験したからわかる。彼等はもう助からない。ならばその息の根を止めるのが、今出来る精一杯の救済だ。勿論、そうだとわかっても心が苦しくなるが。

 倒れたまま、動かないラザニアを見据える。

「ラザ、待ってて下さい。すぐにこの害虫駆除を終わらせますから」

「はっ、言ってくれますね! 虫ケラの分際で、私を倒せると思い上がらないで下さいよっ!」

 楓の身体を貫かんと、触角を伸ばす。

「その台詞、そっくりそのまま返しますよチアリーダー!」

 楓は可視化した魔力で刃を作り、触覚を切り落とす。

「わ、私の触角がッ!! 私の唯一と言っていいアイデンティティがぁぁ!!」

 その隙に、楓は一気に距離を詰める。両手の拳に、魔力と力と目一杯の怒りを込める。

 そして華奢な身体に、容赦のない連劇を殺到させる!


「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!」


 まるでマシンガンのような音を立てながら、骨を砕く。砕く。整っていた顔も原型が残らないくらいに腫れ上がらせた。

 最後。最大限の一撃を顔面に受けたロイディの身体は後方に吹っ飛び、壁を突き破った。

『……流石に少し、やり過ぎなんじゃ?』

「そうでもないさ。アイツの奪った命の数を考えれば、寧ろ足りないくらいだ。……それよりも今はラザさんです!」

 ラザニアのもとまで駆け寄る。彼女はほんの少しも身体を動かさない。死んでしまっているのではないか。そんな最悪な考えが、思わず浮かび上がってしまう。

『……大丈夫、まだ生きてるよ』

「良かった……早く治癒の葉エイリーフを!」

『多分それ無理だよ。確かにあの葉は、どんな酷い傷でも癒せる。でも前提として、服用しないといけない。今のラザちゃんに、物を飲み込む余裕があるとは思えない……』

「そんな……じゃあ、どうすれば……」

「私達にお任せください、カエデさん」

「きゃあああ!!」

 何の前触れもなく隣に現れたロクナナに、楓は悲鳴を上げる。

「も、もうっ! さっきも言いましたけど、驚かさないで下さいよ!!」

「ごめんなさい、本当にこれ癖なんですよ。……それで本題ですが、私達は回復魔法を持っていますので、ラザニアさんを救う事ができますよ」

「ほ、本当ですか!?」

「はい。とは言え、流石に完治とまではいきませんが」

「十分です! お願いします!!」

「かしこまりました」

 ロクナナはラザニアの身体を回復魔法で治癒させた。だが骨は完全には修復されず、最低でも数日の休養が必要になった。

 一日目から、当初の予定が大きく狂ってしまった二人の旅。無事目的地に辿り着けるがどうか、些か不安が残った。
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