大学で魔法を教える中年教授ですが、今年度でクビと言われたので本気を出して阻止します

皿日八目

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25:大きな出来事

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 夏休みはいつまでも来なかった。

 確か本当にあと少しで前期の講義がすべて終了し、しばらくは勉強のことなぞ考えなくてもよい日々を送れるはずだったのだが、いつまで経ってもそうはならなかった。

 学生も教職員も、みなが不審がった。壁掛けの暦に夏休みの始まりを示す印をつけていたものもいたが、どういうわけか見るたびに印はその日から遠のいていくのだった。

 なにか大きな事件が起こることが必要である、と言う学生もいた。

 それが終わればひとまず世界が一段落するような、そういう事件が大学に起こらない限り、長い空白とも言うべき夏休みが自分たちに訪れることは決して無いだろう、と。

 この学生の言葉はなかなか的を得ていた。

 彼は卒業後に出世し、後にある古都の大顧問官を勤め上げるまでになるが、その片鱗が在学の時点から現れているのかもしれなかった。

 教授たちの講義計画にも狂いが生じ、試験を三週間続けて受けるはめになった学生や、出席しなければならない回数が突如四倍に跳ね上がった学生が続出し、昼と夜をわかたず学務課に詰めかけた。

 あまりの多忙さに学務課職員の四分の一は死に、残された職員も自分の死を偽装してこの難局を乗り切ろうとした。

 ロハノだけは変わらずに講義を続けていた。

 もともと計画などあってないようなもので、徹夜で無理やり書き上げて提出したシラバスにも、気まぐれと行き当たりばったりを許容する抜け道を随所に仕込んでいたのだった。

 他の教授たちは、ロハノと親しいものも含めてそうはいかなかった。

 そのため彼は事あるごとに救援要請を受け、朝飯を食っているか昼飯を食っているか夕飯を食っているか風呂に入っているかトイレに入っているかしない限り、しぶしぶながらも引き受けてやるのだった。

 薬草の栽培と薬品の調合とに関わるすべてを教える教授アンチハッシ氏には、温室で自分が育てているものだけではとうてい膨大な学生数すべてに供給するぶんをまかなえないと泣きつかれた。

 ロハノは知っている限りの行商人に、世界各地から摩訶不思議な効果をもたらすポーションの材料となる種々雑多な品々をとにかくたくさん集めてくれるように頼み、自らも冒険者として暮らした日々の記憶を思い起こしては懐かしい採集地の数々を巡るのだった。

 活火山の火口付近にのみ自生する<焦熱真紅草>は常に燃え盛っているため、ロハノはそれを水を入れた金魚鉢で運ばなければならなかった。

 虹の根本にしか生えない<ニジキノコ>を探すために、彼は1万年前に滅んだ民族が崇めていた曇天と雨天の神を祀る古びた神殿を探し出し、その祭壇に世にも珍しい新鮮ないにしえの魚を十六ぴき捧げて三日三晩教本の見まねで降臨の踊りをおどった。

 するとようやく祈りが届いて七色の雨があたりに降り出し、虹が空を覆い尽くすほど百本も千本も出現したため、お目当てのキノコも余ったぶんをスープにして貧民窟で配れるほど集まったのだった。

 奇天烈な品々は他にもたくさんあったが、それらの収集は商人に任せていた。

 研究室でうたた寝をしていると、正門のほうから騒がしく車輪や馬の蹄の音が聞こえ、彼がそのとき見ていた眠たくなるほど退屈な夢から覚まさせた。

 下に降りると、見たこともない植物やあることさえ知られていなかった未知をどっさりと積んだ荷馬車が、何台も何台も、正門からはるかな後方までずらりと列をなし、警備員による承認を待っていたのだった。

 アンチハッシ氏はいたく感激し、ロハノの手をぶんぶん振りまわして感謝し、お礼として秘蔵のマンドラゴラを三本彼に手渡した。

 ロハノにはとくに蘇らせたいような死者はいなかったが、とりあえず祖父の墓に行って鉄と木でできたカンオケを掘り起こし、輝くような白骨の口に適当に突っ込んでみた。

「なんじゃ」頭蓋骨がぱくぱくと口を開けて喋った。

「わ。すごい。本当に蘇った」

 ロハノはそれを確認するとマンドラゴラを口から抜き取った。

 祖父はまた眠りについただけでなく、なぜか体が四方八方に散乱したため、ロハノは200本ちょっとの祖父の残骸を一日がかりで集めて組み立て直さねばならなかった。

 別の日には遠慮がちなノックを彼は聞いた。

 研究室の扉を開くと拳による格闘術を教える教授エルゼランが立っていて、講義が長引き、同じ魔物に学生との取っ組み合いをしてもらい続けたため、とうとうその疲労が頂点に達し、腕をあげることすらできなくなってしまった、どうしよう、とのことだった。

「幻影なら出せるけどね。やっぱり生の体を持つ相手と戦うのが学生にはよろしいのでしょうね」ロハノはうなずいた。

「よろしい。お手伝いさせていただきましょう」

 そう言って次の講義に同伴したロハノは学生のために様々な悪魔や魔物を呼び出したが、どれも強すぎ、学生を殺しかけることが多々あったため、無念ながらもこれ以上の手伝いは辞退することと相成った。

「接待させるわけにもいかんしね」

 ロハノは恐慌をきたして逃げまわる学生を嬉々として追いかける五本腕のタコの魔神を見てつぶやいた。

 帰還の呪文を一体ごとに唱え、ようやっとすべてを送還し終えたかと思ったとたんに、また研究室の扉が叩かれた。開けるとブルーノが立っていた。

「やっぱりね。ちょっとぎょっとするよね」ロハノは申し訳無さそうにつぶやいた。

「扉を開けたらぬっとスケルトンが立ってるんだものね。そりゃあね」

 ブルーノも講義が週に数コマそこらしかなくヒマしてるはずのロハノに助太刀を求めにやって来たのだった。

 彼は剣の扱いを主に学生に教えていた。骨ばかりとは思えぬほど滑らかな体さばきをこなすスケルトンだった。

 彼も夏休みがいつまで経っても来ずに講義が長引いたことによる弊害を被った教授のひとりだった。

 講義の特性上、毎回多くの剣を用意しなければならないが、念のため多めに用意していたぶんさえ先週の講義で全部折れるか曲がるか錆びるか溶けるか砕けるかしてしまった、どうしましょ、とのことだった。

「わたしは魔術師ですよ。剣なんて両手でも持てないくらい筋力不足の」ロハノはそう言いつつも、ブルーノの頼みはしっかり引き受けた。

「ま。知り合いを当たってみましょ。ラッキーパーソンは旧友だと占い師にも言われたことですし」

 ロハノが冒険者としてあちこちの洞窟や地下墓地や遺跡や樹海や山脈を巡っていたさいに知り合った人々のなかに、決してレイピア以外の武器を担ごうとしない騎士がいた。

 刺突が有効でないような魔物を相手取るクエストにさえ他の武器を持っていくことをよしとしなかったため、やがて孤立しソロでの活動を余儀なくされていたが、こだわりを押し通すだけの実力は持っていて、手紙を出したあとにひょっとしたら死んでるかしらとつぶやいたロハノのその言葉は杞憂だった。

「ロハノ! あな懐かしや。貴殿と最後に出会ったのはあの大伽藍のなかであったか……」

 すぐ来た返事はそのような言葉で始まり175段落にわたってひたすらロハノを懐かしむ言葉がつらつら連ねられていた。

 ロハノの研究室を三周するくらいの長いながい手紙の最後は、吾輩が力になれるのは嬉しいことだ貴殿の頼みならばもちろん引き受けよう、とたった一行の承認で終わった。

 あちこちのダンジョンへ潜り込めば、すぐ持ちきれないほどの武器を手に入れることができた。

 元からそこに隠されていたものもあるし、道半ばにして倒れた同業者の遺体からも入手できた。これはれっきとした入手法であり、決してやましいものだとはされていなかった。

 自分が倒れてしまうくらい危険な場所なのであるから、せめて得物を受け継いで、代わりに最深部まで踏破してくれとのメッセージだと捉えられたのだ。

 ベテランであるその知り合いも、拠点の街に借りている倉庫がいっぱいになるほどの宝をあちこちで集めたはずだった。

 しかし彼はかたくなにレイピアしか振るおうとはしないため、ちまたの前衛たちがよだれと涙をたらして欲しがりそうな業物ですら、死蔵して腐らせているだろうとロハノは考えたのである。

 それをちょっくらいただけはしませんかというのが彼の依頼だった。

 間もなく、久方ぶりに日を見ることとなった古今東西のありとあらゆる武器たちが、なにやらおのおのがレイピアをさげた冒険者らしき騎士たちによってクィクヒールに運び込まれた。

 ロハノが聞くところによると、彼らはそのレイピア専門の冒険者のスタイルに感銘を受け、勝手に門下生を名乗っているらしかった。

 普段は邪険にされまったく相手にされていなかったが、いま初めて役に立つことができて非常に嬉しい、と彼らは口ぐちに言い合っていた。

 それはよかったのだが、この運び込まれた武器というもの、やはりオーバーパワーであったようで、次のブルーノの講義の時間、ロハノはすさまじい勢いで燃え上がったり凍りついたり瘴気が這ったり電撃が走ったり毒が蔓延したりした彼の教室まで出かけていって、死ぬような思いで対処しなければならなかった。

 以上でロハノが手伝うべきことはすべて終わり、本当に、ほんとうにゆっくりできると研究室のがたぴしする古い椅子に座り込んだとたん、あの隠された地下の深奥で、決して世の誰それにも知られてはならぬ力を持ったアーティファクトを守護しているはずのミナラコが、あと五秒で空が落ちてくると言わんばかりの必死さで校舎にかけこんでくるのを、ロハノは窓から見てしまった。

 慌ててロハノは本棚や椅子や机を動かして研究室の扉にバリケードを築き上げた。

 いかなる不幸なニュースも、耳にさえ入れなければ、知りさえしなければ、記憶に留まりさえしなければ、起こらなかったのと同じだと彼は知っていたのである。

 しかし、月の住人特有の馬鹿力をもちろん自身も受け継いでいたミナラコにとって、ロハノの涙ぐましい抵抗は巨竜の背に這うのみほどにも問題にならなかった。

 音を立てて壁は崩れ去り、ついでにロハノも音を立ててくずおれた。

「訊きたくない」

 ロハノは耳を外せないかと全力で試している最中だった。どうしてもっと早くまじめにこの訓練をしていなかったのかとひどく悔やまれた。

「いーや。なにも訊きたくない。ききたくありません」

 しかし、来たるべき破滅はもう彼の意思に関わりなく始まっているのであり、それを知る瞬間を、ただあともう数行をまたぐ手間だけを残して迫るその瞬間を、もはや彼にも、この世の誰にも止める手立てはないのだった。

「ケイオス・エンジンがなくなっちゃいましたあ」ミナラコは泣きながら言った。

「うう。あのう。ひっ。言いたくないですけれど。えっ。たぶん。ぐっ。盗まれたのだと。げっ。えっ」そして嘔吐した。

 窓の外で無数の光がまたたき爆発した。太陽が消えて空が暗雲に覆われた。あちこちで悲鳴が上がった。すべての窓が割れた。おぞましい唸り声が轟いた。断末魔の声がキャンパスいっぱいに響いた。たくさんの足音がした。ロハノはぼんやりとそれを聞いていた。破滅。

 そしてロハノは消えた。

 目の前でそれが起こったのにもかかわらず、ミナラコはそれに気づかなかった。ふつう、物を吐くときには下を向いて行うためである。
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