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動物園

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匙「ぐーまーりー!!」

 ピンポン。ピンポン。ピンポン。

 家中にインターホンの音が響いた。一分経ち二分経ったが訪問者がくじけることはないようだった。名前を三十回も連呼されてしかたなく、具鞠は布団から一歩も出ずに答える。

具鞠「留守でーす」

 しかし声が止まないどころか、激しくドアを叩く音まで追加され悪化した。

匙「ねえ、いるんでしょー? (激しくドアを叩く) ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえねえねえ! (やたらめったらドアを叩く)」
 
 ピンポン。ピンポピンポン。ピンポピピンポン。ピンポピンポピンポピンピンピンピンピンピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。
 
 たまらず具鞠は布団を飛び出し敵を迎え撃つように玄関のドアを蹴破る。

具鞠「ああああああああ留守だって言ってんだろうが!!!」

匙「あ。なんだやっぱりいるんじゃない。うそつき。あははははははははははは」

 玄関先には具鞠の胸元くらいまでの身長しかない少女が立っていた。顔は天使のようである。少なくとも遠目からはそう見える。それくらい離れていれば彼女の言動の邪智暴虐っぷりを目の当たりにはしないで済むからだ。

具鞠「てめコラ。日曜日の朝八時から借金取り並みの声量でおれの家を訪問すんじゃねえよ。日曜日は安息日だぞ。お前には言ってなかったがおれは実は清教徒だから安息日は死んでも守れとテトラグラマトンのウニベルシタスの海砂利水魚の」

匙「動物園に行きたい!」

具鞠「聞けよ」

 匙は自分では涙を誘うと思っているらしい声色で、なぜ自分が動物園に行きたいのか、行かねばならないのか、行けばどのような利益がもたらされるのか、行かなければこの週末をどれほど鬱々として気持ちで過ごさねばならないのか、またご承知とは思うけれどあたしの両親は今日も朝から仕事に行っちゃったからそこらへんの事情も酌量するようにというようなことを100デジベルの声量で痛ましく語って聞かせた。

具鞠「わかったよ……」

 具鞠は心底気の毒そうな表情で言葉を紡いだ。

具鞠「つまりおれは関係ないってことだな。それじゃバイバイ。二度と来んな死ね」

 具鞠が扉を閉じようとすると匙がつま先を突っ込んでストッパーとした。

具鞠「オイオイオイオイなんだよこの足は。おれが小学五年生女子児童の足ひとつくらい犠牲にできない腰抜けと思ったら大間違いだぞ。いや、マジだから。おれしょっちゅう女子児童泣かしてるから。泣かしすぎて派出所におれのヘッタクソな似顔絵が常駐してるくらいだから」

匙「いいから連れてって! 連れてってよ! ほんとに泣いちゃうぞ」

具鞠「いいぜ泣いてみな」

匙「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

具鞠「二度と泣くんじゃねえ!!!」

 鼓膜にひびが入ったことを確信した具鞠は殺してもよいという覚悟で匙の口をふさいだ。近隣住民はまたひとつ、早くここから引っ越したいという思いを深めたにちがいない。

 十分後、具鞠は今まさに絞首刑に処されんとする死刑囚の顔つきでバス停に立っていた。隣にはゴキゲンな匙がいる。

 具鞠は亡霊のような声で呪詛の言葉をつらつらつらつら一心不乱につぶやいていた。

具鞠「なんでこうなったのかな……どこで道を間違えたのかな……日曜日なのに……午前八時なのに……学校ないのに……」

匙「ほらほら! せっかく出かけるんだからもうちょっと楽しそうにしてよ! なんか元気ないよ? どうかしたの?」

具鞠「お前がその原因なんだよ!!」

匙「え? わたしが? なにかしたっけかなあ……」

具鞠「神様、こいつを殺してください」

 具鞠がアスファルトにひざまずいて祈っていると、動物園へ直通するバスがのっそりとやって来た。彼にはそれが霊柩車に見えた。唵阿謨伽南無阿弥陀仏を唱えて親指を隠す。

匙「……ねえ、ひょっとしてさあ……」

 バスの座席の上で力なく揺れている具鞠を見て匙が考え深げに言った。

匙「水族館がよかった?」

具鞠「運転手さん、最寄りの火葬場までお願いします。今から死体ができますんで」

運転手「仲のいい兄妹だ」

 お互いの首を締め合う具鞠と匙を鏡ごしに見て運転手はつぶやいた。

 さんざん罵り合い殴り合いをしているといつの間にか動物園へ到着していた。

匙「よく言うもんね。殺し合う時間はどんどん過ぎるって」

具鞠「なんだそれマフィアの格言か?」

 まだ九時前だったが、動物園には多くの人がいた。来園者ゲートに連なる列に二人も加わる。

匙「ねえねえ、どんな動物が好き?」

具鞠「お前以外ならだいたい好きかな」

 匙は具鞠の足をつねった。

具鞠「あ痛! 正直な心情の吐露すら許されないのか! ディストピアですかここは。言論弾圧だ。思想の殺人だ。焚書だ盗聴だ密告だ洗脳だ配給品のカミソリだ」

匙「なにわけわかんないこと言ってるの?」

具鞠「わけわかんねえやつと話してりゃ誰だってこうなるの!」

 長蛇の列も少しずつ消化され、二人は販売窓口にまでたどり着いた。具鞠は窓口に首を突っ込んで言った。

具鞠「子供二枚お願い奉る」

 窓口の人は困ったように具鞠と匙を見た。

窓口「あのう……申し訳ありませんが」

具鞠「あ。すみません。そうですよね。こいつよく大人と間違われるんですけど、ほんとはまだ五十音も言えない子供なんですよ。だから子供です。子供です。子供です」

 具鞠は匙を見下ろしていった。窓口の人はますます困ったような顔をした。匙は不満げに言った。

匙「あたし、五十音は言えるもん。あいうえお、かきくけこ、さ……さ……さ……今はちょっとど忘れしたけど」

具鞠「着床からやり直せよ」

匙「あたしじゃなくてあたしの両親に言ってよ!」

具鞠「言えるわけねえだろ!」

窓口「あの、すみません、お客様は子供に見えないのですが……」

 窓口の人が遠慮がちに割り込んだ。具鞠は右を見、左を見た。そこには誰もいなかった。彼は自分を指差して言った。

具鞠「え、おれ?」

窓口「はい……」

具鞠「こんなに子供らしい子供が他にいますか。『子供』と画像検索すれば一番上におれの写真が出てきます。うそだと思うかもしれませんが、うそです」

窓口「はあ……」

匙「この人はほんとに子供ですよ」

 匙が具鞠をかばうような口ぶりで言った。

匙「今年のクリスマスには何をサンタさんにお願いしようかな~ネヘヘヘヘヘヘ、ってまだ半年も先のことなのにずっと言ってますし」

具鞠「それはさすがにねえよ! ……せいぜいひと月前くらいからだし。半年前からじゃないし」

匙「げえええマジでお願いしてんの!? ぎゃははははハハハ!」

具鞠「黙れだまれ! 人の夢想をあざ笑う権利はこの世の誰にも与えられていないんだぞ! ってなんかの漫画に書いてあった気がする」

後ろ「いつまでやってんだお前らああああああ!」 

 暴徒と化した群衆に危うくリンチされかけはしたものの、なんとか具鞠と匙は動物園に入り込むことに成功した。

具鞠「よし、自由に見て回ってこい。おれは疲れた。もう一歩も動けん。おれはここで眠る」

 そう言って具鞠はふれあいコーナーに置かれたうさぎ小屋に頭を突っ込んで眠り込んだ。

匙「しょうがない人だな」

 匙はしかたなく、彼を放っておいてひとりで園内を巡り始めた。
 
 しばらく経つと、先生に引率された園児の集団がふれあいコーナーにまでやって来た。きゃあきゃあとお互いにふざけ合う園児をなだめ、先生はうさぎたちを指差した。

先生「はーい。みなさーん。これがうさぎさんですよー。耳が長くてふわふわしてますね。かわいいですね!」

園児「せんせーい、あれもうさぎですか?」

 園児のひとりがうさぎ小屋のあたりを指差した。先生がそちらを振り向くと、小屋の中に頭を突っ込んで横たわる具鞠の姿があった。

先生「ギャアアアアア!! 死んでるう!!」

 先生の悲鳴に目を覚ました具鞠はゆっくりと立ち上がった。

具鞠「え、何? 何が死んでるって?」

 あたりを見回すと目を丸くした園児たちがいることに気がついた。みんな疑わしそうな目つきで彼を見ている。

具鞠「なんだ君たち。そんな目で人を見るもんじゃない。けっこう傷つくんだぞ。おれの心は木綿豆腐でできているんだ。レントゲンで見たからわかる」

園児「ねえ、お兄さんはうさぎじゃないよねえ?」

 園児の一人が代表して、最たる関心の的を射抜く核心の疑問について訊ねた。

具鞠「うさぎだよ。ガオオオオオオ。ほら、うさぎってよくこう鳴くだろ?」

園児「うさぎじゃねえよなあ……」

 園児たちは額を寄せて話し合った。結論としてうさぎは鳴かないだろうし、鳴くとしても絶対にあのような声ではないだろうとの答えを導き出した。

園児「やっぱりうさぎじゃないじゃん」

具鞠「いやうさぎだ。耳がついてりゃ何でもうさぎだ。だからおれもうさぎだしお前たちもうさぎだ。でも君ら、こんな小屋に住みたいか?」

 具鞠はつい先程まで自分が頭を突っ込んでいたうさぎ小屋を示して訊ねた。園児たちみんなが首を振った。

具鞠「だよな。おれもいやだ。だってWi-Fiなさそうだし。ま、そういうことで、結局君たちはうさぎじゃないってことだな、な、な、あはははははは」

園児「じゃあなんでさっきうさぎ小屋で寝てたの?」

具鞠「あれは台風匙号の南下がもたらした不可抗力的な疲労性低気圧によって……あっ、匙!」

 具鞠は匙のことをようやく思い出した。

 また、あいつのことだから厄介な問題を引き起こしてる可能性はとてつもなく高く、いや高いどころか絶対に引き起こしているはずで、この世の秩序と安寧のためには何としてでも彼女を見つけ出し殺すか息の根止めるかお命頂戴するか死なせるかしなければならないという事実にも思い至った。

 具鞠がふれあいコーナーを飛び出し、動物園の奥へと進んでいくとすぐに彼女の手がかりが見つかった。通りすがりの一組がこんなことを話していたのだ。

一組「おいヤバいな。なんかあっちのほうで子供が檻に入り込んでライオン乗り回してるらしいぜ」

具鞠「奴だ(非常に青ざめる)」

 ライオンが放たれている檻の周りには非常な人だかりができていた。ただのライオンがこれほどの人を集めるはずはなく、やはり常軌を逸した誰かさんがこのスポットライトの中心にいるようだった。

飼育員「お客様! 困りますお客様! ああ!」

匙「うっさい! 勝手に困ってろ!!!」

具鞠「お前マジで何やってんだ!!?!」
 
 檻の向こう側では匙が寝そべったライオンにまたがっていた。どうやら今日のライオンは特別やる気がないらしく、匙のされるがままになり、さっぱり身体を動かそうとする気もないようだった。

匙「オラァ!! 動きなさいよ! あんたそれでもオスなの!?」

 匙はライオンの股ぐらに手を突っこんだ。

匙「あ、オスだった」

飼育員「危険ですから!! お客様!! お客様命が惜しくないのですかお客様!!?」

具鞠「匙ー! 匙ー!」

 ぺしぺしとライオンの頭を叩いていた匙が、ここでやっと具鞠の声に気づいて顔を上げた。

匙「あ、ちょうどいいところへ! ねえちょっと係員の人にさあ、もうちょっと生きの良いライオン連れてきてって頼んでよ。ぜんぜん動かないんだもんこいつさあ!!」

具鞠「勝手に自分でサバンナにでもどこにでも行けよ! とにかく今はそっから戻ってこい! お前になんかあったらおれはお前の両親に指を十本献上しなくちゃならねえんだよ!」

匙「あんたわたしの親なんだと思ってんの? ……あっ! 動いた!」

飼育員「ああああ動いちゃった!」

 背中の上でがなり立てる匙にとうとう我慢できなくなったか、いやそれが当たり前なのだが、いよいよライオンが立ち上がり、野性的な跳躍で匙を振り落とすと、これを噛み砕かんと襲いかかった。

具鞠「わ! ばか! やめろっ! 腹壊すぞそいつ食ったら!」

匙「なんでライオン目線なのさ! わたしが食われそうなんだよ! 正気を取り戻して!」

具鞠「お前がまず取り戻せよ!」

 たまに鈍行を追い抜くことさえあるとはいえ、この狭い檻でその俊足を発揮できるわけもなく、次第に匙はライオンに追い詰められていった。

具鞠「くそっ! こうなりゃ奥の手だ!」

 具鞠は一声そう叫ぶと、ヒト科とネコ科との逃走劇を見守っていた群衆達の首根っこを次々と掴んでは、片っ端から檻の中に投げ入れていった。

飼育員「てめえ何やってんじゃああああ!!!」

具鞠「指十歩が懸かってんだ。これくらいの自己犠牲はやむをえん」

飼育員「明らかに他人が犠牲になってんだろうが!!」

 大量の囮を得た匙はあっという間にライオンのターゲットから外れ、やすやすと檻を乗り越えて戻ってくることができた。

具鞠「行くぞ匙!」

匙「え、どこに?」

具鞠「決まってるだろ!」

 具鞠は匙の腕を掴み、猛然と駆け出した。
 
具鞠「サバンナだよ」
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