呉れ呉れ

灰寂

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「んん・・・」
声が出る。そのことに驚いて、目を覚ました。
見慣れた部屋、見慣れた服、見慣れた机、見慣れた・・・見慣れない一人の男。
誰だろう。男は椅子に座っている。下を見ているのか、目を瞑っているのか、起きているのか、寝ているのかさえわからない。ただ何も話さない。寝ているのだろうか。男が気になって、近寄ってみることにした。

ギシッとベッドが軋む。なんだろう、身体が変な感じがする。ベッドに座って、首を傾げた。まぁ、それよりもこの男が何者なのかが気になる。男の方を見なおすと、まだ下を向いていた。長くて綺麗な髪だ。そのおかげで顔が何も見えないのだが。

椅子のすぐそばまで近寄ってみた。男は身じろぎもしない。体格的に男だと思うのだが、こうまで髪が長いと女性と間違えてしまいそうだ。大柄な女性であったら、失礼にあたるな、などと考えた。

髪の隙間から顔が見えるかと期待して、僕は男の近くでしゃがむ。見上げた先には色素の薄い瞳が二つ。そして、ゆっくりと微笑む中性的な顔。


「やっと、目を覚ましたのですね。」


女性にしては低い声。やはり男なのだと確信する。
無言でしゃがんだまま相手を見つめていると、男は首を傾げる。
そして、長い髪を邪魔そうに撫でつけた。

「どうしましたか。話せないわけではないでしょう?」

僕が反応を示さないとみると、男はうーんと考え込んだ。

「それとも、過去に戻ったショックで一時的に話せなくなったのでしょうか。」

独り言のようだったが、僕はそれに反応せざるを得なかった。過去に戻った、と彼は言ったのだ。それはつまり、ここは夢の世界ではなく、現実ということだろう。

「・・・過去に戻った?」

しゃがんだ状態で、聞こえないような声で呟いた。それにも関わらず、彼は嬉しそうな顔をした。

「話せるのですね。よかったです。」

僕の声が聞こえていたことに驚いて、彼を凝視してしまった。まるで人間ではないような美しさだ。

「・・・僕は、生きている・・・?」

「はい。生きていらっしゃいます。我が神があなたの魂を過去へ戻されました。あなたは一度亡くなられています。今のあなたは、十八歳になります。」

「なぜわざわざ過去に戻したんだ・・・」

つい口から洩れてしまった。僕は普通に幸せだった。だから、死んでも悔いがほとんど残っていない。別に過去でやりたいこともない。正直、もう一度同じ人生を歩むのは面倒くさい。

「我が神が所望されたのです。」

何か違和感を覚えて、男を見る。男は恍惚とした表情を浮かべていた。
ぞわっとして、鳥肌が立った。

男から目を背けた。程なくして、違和感に気が付いた。男は二回も我が神と言っていた。それは宗教のような意味合いではなかった気がする。まるで実在するかのようなしゃべり方だった。

「神とは、何者ですか。」

初めて僕から彼に話しかけた。先ほどまでは、彼が僕の独り言を拾っていただけだから。彼は話しかけられたのが嬉しかったのか、うっとりと僕を見る。気持ち悪くて、僕は目を伏せた。

「我が神は、地上で人間が神と呼んでいるような存在です。そして、私は人間が天使と呼んでいるものです。我が神に遣われ、ここへ来ました。」

そこまで言って、僕に向かって微笑んだ。

「紹介が遅れてしまいました。私は、スーリヴァロと申します。」

「あ、っと、僕はレイと言います。」

反射的に自己紹介をしてしまった。頭がまだ追いついていない。神とか天使とかって、にわかには信じられない。確かに、スーリヴァロは異常な美しさだ。だからといって、それだけで信じられるはずもない。過去に戻ったなんて。それも、神が望んだからという理由だけで。僕の意思に関係なく過去に戻されてしまっただなんて、信じたくはない。

スーリヴァロに視線を戻そうとすると、もう誰もいなかった。いつの間にかいなくなっていた。
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