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4 目覚
母が暖炉に火を入れる姿が好きだった。
薪に手をかざし温かい空気が肌を撫でたあと、小さな火種がどんどん大きくなっていく。
吹雪続きで外で遊べない日は顔が真っ赤になるまで暖炉を見るのがお決まりの過ごし方で、母によく「丸焼きになったら食べちゃうからね」と揶揄われた。
それが魔法だと知ったのは母が再婚してすぐのこと。
母は元々体が弱く、体調を崩しやすかった。
母がベッドから起きられない日は母の代わりに、新しい父と歳の離れた兄がマッチや火打石で暖炉に火を入れてくれるようになったのだが、幼い頃の俺は随分と人見知りでうまく話しかけることができない。
だからなぜ母のように火を入れないのか尋ねたい気持ちはあっても、それを口にすることはできず、悶々とする毎日。
ただ、普段家を空けることの多い父と兄は母から俺が『暖炉が好き』だと聞いていたのだろう。
外が十分に暖かい日でも、我が家の暖炉にはたびたび火が入っていた。
その頃俺が住んでいた町は地域柄、雪の季節に一度吹雪き始めるとなかなか収まらず、町の外へ出れば数日戻れないなんてことはザラ。
さらにそこへ"職業柄"が加わる父と兄は、一週間以上帰ってこれないこともあった。
具合の悪い母一人、まだ十分に家事をこなすことができない子一人。
それと時折様子を見に来る父や兄の仕事仲間だという人たちの手も借りながら、生活を凌ぐ日々。
同時に、俺が一番近くにいるのだから母のために自分が頑張らなければと使命感に燃えていた日々でもあった。
ある日、どうにかこうにか母の負担を少しでも減らしたい一心で母が起きる前に見よう見まねで暖炉の薪に手をかざし、火をつける練習を始めることにした。
だって危ないからとマッチは隠されていてどこにあるのかわからないし、火打石はどうも難しくて何度やってもうまくいかない。
残された方法は、母のあのやり方だけ。
誰も教えてくれない。そもそもできるかもわからない。
手の向き、力加減なんかを微妙に変えながら、何度も、何日も、繰り返し、繰り返し。
そして、それは本当に突然のことだった。
いつものように一人ベッドから出て、まだ寒々しい暖炉に向かう。
薪をくべ、いつものように手をかざした時だった。
目の前に知らない文字と模様が浮かび弾けた瞬間に、薪が大火に飲み込まれた。
腰を抜かし役に立たなくなった俺は、助けを呼ぶことも動くこともできず。
騒ぎに気付いた母が大慌てで火を消してくれなかったら、俺はあの日────────自分と母を焼き殺していた。
「────あ、目ぇ開いた。」
「・・・・・・?」
「あんた痩せ過ぎ。ちゃんと飯食ってんの?」
「・・・おう?」
「じゃあ単純に量の問だっ、い゛っテェ~~・・・ッ、急に暴れんな!」
「んなっ、なな、なななな、なぁあああ!?」
「なあなあうるせえ!!」
知らない部屋に、知らないベッド。
漂う薬草の香りがどこか懐かしく思えたのも束の間、同じベッドで横たわり、肘をついて俺を見下ろす整い顔で無事正気に戻った。
反射的に突き飛ばしてしまったことに対しては謝ろう。
だがしかし、一つお前に問いたい。
なぜ俺たちは二人して上半身裸なのか。
「なんっ!え?!はだっ、なん!?」
「・・・ああ、何で素肌かって?」
「(こくこくこく)」
「ちょっとした実験?起きたんならさっさと副隊長んとこ行くぞ。」
「(ブンブンブン)」
「・・・あ゛?」
綺麗な顔で凄まれたって俺には然程効果がない。
だって今、それどころじゃないからだ。
兎にも角にもベッド上の肌掛けをかき集め、貧相な体を必死に隠す。
もうすぐ三十歳にもなろうという男の行動じゃないかもしれないが、目の前のまるで彫刻のように鍛え上げられた体を前にして、さすがに羞恥心くらい湧くんだよ。
「わ、悪かったな、世話焼いてもらったみたい、でえっ?!」
「何勝手に帰ろうとしてんだよ。貴重な人材をそう易々と帰らせるわけねえだろ。」
「・・・は、あ・・・?」
「魔法使いは万年人手不足、西部だって例外じゃない・・・あんただってそれくらい知ってるよな?」
「・・・・・・・・・・・・ヒッ?!」
肌掛けで隠しきれない背中を守りたい一心で、壁にぴたりと体を預けていたのが仇となった。
俺の両肩を挟むように伸びてきた腕、頑丈そうな壁にがっぽりと穴があく。
出来立てほやほやの壁穴からゆっくり前方へ視線を戻す。
約十数センチ先はこめかみに青筋の浮かぶ男の顔。
溢れ出る魔力のせいで淡いブルーの虹彩がゆらゆら揺れた。
まるで磨き上げられた魔鉱物さながらだが、俺は本物の石の方が好きだ。
「あんたやっぱ見えてるだろ?」
「ッ!いやっ、えっと・・・何のことだか・・・あ!ランタンなら、た、たまたま!お、同じ、こ、構造?のを前に見たことがあっ、ギャッ」
「・・・あれは俺の曽祖父がつくった一点ものだ。」
「へ、へぇ~・・・・・・それは実に・・・素晴らしい・・・ぎ、技術をお持ちのひいお爺さまで・・・」
「曽祖父はあの一基を遺して数年前に他界した。」
「そ・・・そうか・・・・・・」
「他に何か言い分あるか?」
「・・・・・・悪かった。」
それは何に対しての謝罪だ、と問われ言葉がつまる。
俺の心臓は相変わらずバクバクと主張していて、おさまる気配はない。
これが俗にいう"嫌な予感"からなのか、はたまた失言に対する申し訳なさからか。
そもそもこいつは俺のことをどのくらい知っているんだろう。
イヴァンは昔から見たまんま頑固で口が堅く人情に溢れ、常に熱血。
だからこそ副隊長という名誉ある地位に至ったのだろうし、不用意に他人の情報を漏らすことはないと断言できる。
しかし、それには『例外』があるということもちゃんと分かっている。
あのイヴァンという男は見かけによらず粘着質なところがある。
それこそ無くしたものを探すときには手段を選ばず、木箱の隅をつつき、ひっくり返すことも厭わないほどの。
ここにいるのがティファンの主人"テト"であるなら何の問題もない。
でもそれが数年前まで自分の部下だった"テト・スーテッド"なら────────イヴァンの『例外』に当たる事項かもしれない。
「その魔力量でうまいこと魔法使ってんのな。」
「・・・まさかそれを調べるために服を・・・?!」
「ちげーよ。副隊長から止められてたけどやっぱ気になるだろ?実験ついでに軽く調べただけっ・・・いってェ~~・・・なッ!あとでそっち連れてくっつったろ!?大人しく待っとけって!」
「お前一人に任せられるわけないだろう。まず服を着ろ・・・テトもだ。」
「んぶッ」
突然部屋に入ってきたイヴァンの拳骨を喰らい、涙ぐむ男。
その言葉遣いは本当にどうかと思うが、今はとにかく服を着よう。
知らぬ間に床で皺くちゃになった俺のシャツの代わりに、イヴァンが顔面に投げてきた真新しいシャツを広げる。
・・・これ絶対隊の支給品じゃん?着たくないんだけ・・・・・・ハイハイ、分りました。着ます、着ますから至近距離で見下ろすのやめてください。
ちなみに隣の男は皺なんて一つも気にしない様子でシャツを羽織り、前ボタンは全開。
ギロリと動いたイヴァンの目玉に観念し、渋々ボタンを留めていた。
「・・・随分丸くなったな。」
「単にこいつらがおかしいだけだ。」
「で、副隊長。ほんとにこいつ俺の隊にもらっていいんだよな?な?」
「・・・ああ。とりあえずはヨルド小隊で体を慣らそう。リーリア隊長にも報告済みだ。」
「・・・・・・え゛?!」「はあ?!ずっと俺んとこでいいだろぉお?!」
俺の声をかき消す反論の声量にキーンと耳鳴りがする。
イヴァンから"おかしい認定"された、顔がいい男の手には一枚の書類。
署名する際、羽ペンを圧し折ったんじゃないかと心配になる筆圧の強さを誇るイヴァン・カーター。
そしてその隣、意外すぎるほど達筆な字で署名していたのは天才魔法使いこと、ヨルド・フーシャ。
そしてもう一つの署名欄は────────まだ空欄だ。
「ま、待て。俺の意見は?!」
「・・・六年も消息不明だった男が口にする台詞と思えん。」
「いや、だからそれは悪いと思って・・・、で、でも!俺、出ていく時にちゃんと届書いて残したよな?」
「・・・あの宿舎の扉に貼ってあった小汚い封書のことか?」
「!そ、そう!それ!」
「当時の隊長宛だが差出人記載無し、扉の部屋の主は療養中に消息不明。危険物かもしれん。破棄した。」
「・・・・・・マジで?」
大真面目だな、と不敵な笑みを浮かべたイヴァンに羽ペンを渡され呆然とする俺と、「副隊長やるぅ~!」と一人大笑いのイカれた天才様。
そして、一頻り笑い転げたあともヒィヒィ息を切らしながら、そうだ!と付け足した提案が────また最高にイカれていた。
「宿舎の修繕終わるまで俺の隊こいつんとこ泊まるわ。ダムリア森林の近くでちょうどいいし。」
「・・・はい?」
「あ、ちゃんと予算つけろよ。宿舎の壁吹っ飛ばした無能、別の小隊。迷惑被ったこっちが自費とかありえねえ。」
「?!ちょっ、」「わかった。こちらでどうにかしよう。」
「ぉおおい?!」「っしゃ!あいつらに知らせてくる。じゃあまたあとで・・・ええっと、」
目の前で繰り広げられる意味不明な会話についていくのが精一杯。
頭の中は六年前と今を激しく行き来する。
いや・・・そりゃ確かに当時手渡しせず消えた俺も悪いけど、す、す、捨てるか普通?!
任務中に瀕死の重傷を負い、数日間死の淵を彷徨って奇跡的に生還。
ろくに動かない体で必死に書いた渾身の除隊届を!
「────い、おい?テト。テート、聞いてる?」
「っ、は?」
「ティファンに六人分の朝飯の材料ある?」
「・・・ある、けど。」
「昼飯は?」
「・・・た、りない?」
「なら朝市で買い出し済ませて向かうか。日用品も買い足したいし・・・、あ、今日はもう遅いしここに泊まれ、早朝迎えにくる。荷物はドーナとエイデンに持たせるとして魔導具と書類は・・・ブツブツ・・・、あ、早く寝ろよ?おやすみ。」
「・・・お、やすみ・・・?」
片開きの扉が勢いよく開き、ひらひら手を振りながら一人の男が消えていく。
残されたイヴァンから静かに手渡されたのは先ほどあの男が持っていた書類。
厚みとやや光沢がある上質な紙の表題にはハッキリ『異動届』と記されてあった。
「・・・イヴァンはいつから策士になったわけ?」
「ここまで来るのに随分苦労したからな。」
「・・・・・・」
「分かっていると思うが、単独で全部片付けようとするなよ。」
「もう・・・できねえって。」
どうやら一歩たりとも譲る気はないらしい。
差し出された羽ペンを手に取り、署名欄に自分の名を書く。
署名主がもう使い物にならないと分かればそちらから切りたがるだろう。
俺は、確信を持っていた。
満足そうに書類を受け取り、さっきの男と同じようにイヴァンは出て行った。
「それはどうかな」と意味深な言葉を、ひとつ残して。
薪に手をかざし温かい空気が肌を撫でたあと、小さな火種がどんどん大きくなっていく。
吹雪続きで外で遊べない日は顔が真っ赤になるまで暖炉を見るのがお決まりの過ごし方で、母によく「丸焼きになったら食べちゃうからね」と揶揄われた。
それが魔法だと知ったのは母が再婚してすぐのこと。
母は元々体が弱く、体調を崩しやすかった。
母がベッドから起きられない日は母の代わりに、新しい父と歳の離れた兄がマッチや火打石で暖炉に火を入れてくれるようになったのだが、幼い頃の俺は随分と人見知りでうまく話しかけることができない。
だからなぜ母のように火を入れないのか尋ねたい気持ちはあっても、それを口にすることはできず、悶々とする毎日。
ただ、普段家を空けることの多い父と兄は母から俺が『暖炉が好き』だと聞いていたのだろう。
外が十分に暖かい日でも、我が家の暖炉にはたびたび火が入っていた。
その頃俺が住んでいた町は地域柄、雪の季節に一度吹雪き始めるとなかなか収まらず、町の外へ出れば数日戻れないなんてことはザラ。
さらにそこへ"職業柄"が加わる父と兄は、一週間以上帰ってこれないこともあった。
具合の悪い母一人、まだ十分に家事をこなすことができない子一人。
それと時折様子を見に来る父や兄の仕事仲間だという人たちの手も借りながら、生活を凌ぐ日々。
同時に、俺が一番近くにいるのだから母のために自分が頑張らなければと使命感に燃えていた日々でもあった。
ある日、どうにかこうにか母の負担を少しでも減らしたい一心で母が起きる前に見よう見まねで暖炉の薪に手をかざし、火をつける練習を始めることにした。
だって危ないからとマッチは隠されていてどこにあるのかわからないし、火打石はどうも難しくて何度やってもうまくいかない。
残された方法は、母のあのやり方だけ。
誰も教えてくれない。そもそもできるかもわからない。
手の向き、力加減なんかを微妙に変えながら、何度も、何日も、繰り返し、繰り返し。
そして、それは本当に突然のことだった。
いつものように一人ベッドから出て、まだ寒々しい暖炉に向かう。
薪をくべ、いつものように手をかざした時だった。
目の前に知らない文字と模様が浮かび弾けた瞬間に、薪が大火に飲み込まれた。
腰を抜かし役に立たなくなった俺は、助けを呼ぶことも動くこともできず。
騒ぎに気付いた母が大慌てで火を消してくれなかったら、俺はあの日────────自分と母を焼き殺していた。
「────あ、目ぇ開いた。」
「・・・・・・?」
「あんた痩せ過ぎ。ちゃんと飯食ってんの?」
「・・・おう?」
「じゃあ単純に量の問だっ、い゛っテェ~~・・・ッ、急に暴れんな!」
「んなっ、なな、なななな、なぁあああ!?」
「なあなあうるせえ!!」
知らない部屋に、知らないベッド。
漂う薬草の香りがどこか懐かしく思えたのも束の間、同じベッドで横たわり、肘をついて俺を見下ろす整い顔で無事正気に戻った。
反射的に突き飛ばしてしまったことに対しては謝ろう。
だがしかし、一つお前に問いたい。
なぜ俺たちは二人して上半身裸なのか。
「なんっ!え?!はだっ、なん!?」
「・・・ああ、何で素肌かって?」
「(こくこくこく)」
「ちょっとした実験?起きたんならさっさと副隊長んとこ行くぞ。」
「(ブンブンブン)」
「・・・あ゛?」
綺麗な顔で凄まれたって俺には然程効果がない。
だって今、それどころじゃないからだ。
兎にも角にもベッド上の肌掛けをかき集め、貧相な体を必死に隠す。
もうすぐ三十歳にもなろうという男の行動じゃないかもしれないが、目の前のまるで彫刻のように鍛え上げられた体を前にして、さすがに羞恥心くらい湧くんだよ。
「わ、悪かったな、世話焼いてもらったみたい、でえっ?!」
「何勝手に帰ろうとしてんだよ。貴重な人材をそう易々と帰らせるわけねえだろ。」
「・・・は、あ・・・?」
「魔法使いは万年人手不足、西部だって例外じゃない・・・あんただってそれくらい知ってるよな?」
「・・・・・・・・・・・・ヒッ?!」
肌掛けで隠しきれない背中を守りたい一心で、壁にぴたりと体を預けていたのが仇となった。
俺の両肩を挟むように伸びてきた腕、頑丈そうな壁にがっぽりと穴があく。
出来立てほやほやの壁穴からゆっくり前方へ視線を戻す。
約十数センチ先はこめかみに青筋の浮かぶ男の顔。
溢れ出る魔力のせいで淡いブルーの虹彩がゆらゆら揺れた。
まるで磨き上げられた魔鉱物さながらだが、俺は本物の石の方が好きだ。
「あんたやっぱ見えてるだろ?」
「ッ!いやっ、えっと・・・何のことだか・・・あ!ランタンなら、た、たまたま!お、同じ、こ、構造?のを前に見たことがあっ、ギャッ」
「・・・あれは俺の曽祖父がつくった一点ものだ。」
「へ、へぇ~・・・・・・それは実に・・・素晴らしい・・・ぎ、技術をお持ちのひいお爺さまで・・・」
「曽祖父はあの一基を遺して数年前に他界した。」
「そ・・・そうか・・・・・・」
「他に何か言い分あるか?」
「・・・・・・悪かった。」
それは何に対しての謝罪だ、と問われ言葉がつまる。
俺の心臓は相変わらずバクバクと主張していて、おさまる気配はない。
これが俗にいう"嫌な予感"からなのか、はたまた失言に対する申し訳なさからか。
そもそもこいつは俺のことをどのくらい知っているんだろう。
イヴァンは昔から見たまんま頑固で口が堅く人情に溢れ、常に熱血。
だからこそ副隊長という名誉ある地位に至ったのだろうし、不用意に他人の情報を漏らすことはないと断言できる。
しかし、それには『例外』があるということもちゃんと分かっている。
あのイヴァンという男は見かけによらず粘着質なところがある。
それこそ無くしたものを探すときには手段を選ばず、木箱の隅をつつき、ひっくり返すことも厭わないほどの。
ここにいるのがティファンの主人"テト"であるなら何の問題もない。
でもそれが数年前まで自分の部下だった"テト・スーテッド"なら────────イヴァンの『例外』に当たる事項かもしれない。
「その魔力量でうまいこと魔法使ってんのな。」
「・・・まさかそれを調べるために服を・・・?!」
「ちげーよ。副隊長から止められてたけどやっぱ気になるだろ?実験ついでに軽く調べただけっ・・・いってェ~~・・・なッ!あとでそっち連れてくっつったろ!?大人しく待っとけって!」
「お前一人に任せられるわけないだろう。まず服を着ろ・・・テトもだ。」
「んぶッ」
突然部屋に入ってきたイヴァンの拳骨を喰らい、涙ぐむ男。
その言葉遣いは本当にどうかと思うが、今はとにかく服を着よう。
知らぬ間に床で皺くちゃになった俺のシャツの代わりに、イヴァンが顔面に投げてきた真新しいシャツを広げる。
・・・これ絶対隊の支給品じゃん?着たくないんだけ・・・・・・ハイハイ、分りました。着ます、着ますから至近距離で見下ろすのやめてください。
ちなみに隣の男は皺なんて一つも気にしない様子でシャツを羽織り、前ボタンは全開。
ギロリと動いたイヴァンの目玉に観念し、渋々ボタンを留めていた。
「・・・随分丸くなったな。」
「単にこいつらがおかしいだけだ。」
「で、副隊長。ほんとにこいつ俺の隊にもらっていいんだよな?な?」
「・・・ああ。とりあえずはヨルド小隊で体を慣らそう。リーリア隊長にも報告済みだ。」
「・・・・・・え゛?!」「はあ?!ずっと俺んとこでいいだろぉお?!」
俺の声をかき消す反論の声量にキーンと耳鳴りがする。
イヴァンから"おかしい認定"された、顔がいい男の手には一枚の書類。
署名する際、羽ペンを圧し折ったんじゃないかと心配になる筆圧の強さを誇るイヴァン・カーター。
そしてその隣、意外すぎるほど達筆な字で署名していたのは天才魔法使いこと、ヨルド・フーシャ。
そしてもう一つの署名欄は────────まだ空欄だ。
「ま、待て。俺の意見は?!」
「・・・六年も消息不明だった男が口にする台詞と思えん。」
「いや、だからそれは悪いと思って・・・、で、でも!俺、出ていく時にちゃんと届書いて残したよな?」
「・・・あの宿舎の扉に貼ってあった小汚い封書のことか?」
「!そ、そう!それ!」
「当時の隊長宛だが差出人記載無し、扉の部屋の主は療養中に消息不明。危険物かもしれん。破棄した。」
「・・・・・・マジで?」
大真面目だな、と不敵な笑みを浮かべたイヴァンに羽ペンを渡され呆然とする俺と、「副隊長やるぅ~!」と一人大笑いのイカれた天才様。
そして、一頻り笑い転げたあともヒィヒィ息を切らしながら、そうだ!と付け足した提案が────また最高にイカれていた。
「宿舎の修繕終わるまで俺の隊こいつんとこ泊まるわ。ダムリア森林の近くでちょうどいいし。」
「・・・はい?」
「あ、ちゃんと予算つけろよ。宿舎の壁吹っ飛ばした無能、別の小隊。迷惑被ったこっちが自費とかありえねえ。」
「?!ちょっ、」「わかった。こちらでどうにかしよう。」
「ぉおおい?!」「っしゃ!あいつらに知らせてくる。じゃあまたあとで・・・ええっと、」
目の前で繰り広げられる意味不明な会話についていくのが精一杯。
頭の中は六年前と今を激しく行き来する。
いや・・・そりゃ確かに当時手渡しせず消えた俺も悪いけど、す、す、捨てるか普通?!
任務中に瀕死の重傷を負い、数日間死の淵を彷徨って奇跡的に生還。
ろくに動かない体で必死に書いた渾身の除隊届を!
「────い、おい?テト。テート、聞いてる?」
「っ、は?」
「ティファンに六人分の朝飯の材料ある?」
「・・・ある、けど。」
「昼飯は?」
「・・・た、りない?」
「なら朝市で買い出し済ませて向かうか。日用品も買い足したいし・・・、あ、今日はもう遅いしここに泊まれ、早朝迎えにくる。荷物はドーナとエイデンに持たせるとして魔導具と書類は・・・ブツブツ・・・、あ、早く寝ろよ?おやすみ。」
「・・・お、やすみ・・・?」
片開きの扉が勢いよく開き、ひらひら手を振りながら一人の男が消えていく。
残されたイヴァンから静かに手渡されたのは先ほどあの男が持っていた書類。
厚みとやや光沢がある上質な紙の表題にはハッキリ『異動届』と記されてあった。
「・・・イヴァンはいつから策士になったわけ?」
「ここまで来るのに随分苦労したからな。」
「・・・・・・」
「分かっていると思うが、単独で全部片付けようとするなよ。」
「もう・・・できねえって。」
どうやら一歩たりとも譲る気はないらしい。
差し出された羽ペンを手に取り、署名欄に自分の名を書く。
署名主がもう使い物にならないと分かればそちらから切りたがるだろう。
俺は、確信を持っていた。
満足そうに書類を受け取り、さっきの男と同じようにイヴァンは出て行った。
「それはどうかな」と意味深な言葉を、ひとつ残して。
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