続・祓い屋はじめました。

七海さくら/浅海咲也(同一人物)

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 『キスだけ』と言うにはあまりにも濃厚で情熱的、更には狭い空間で密着しながらという淫靡いんびな熱を呼び起こすような円のそれは、もはや前戯ぜんぎにも等しかった。

「ちょ、まどか……っ! だめ、ストップ! とまれ!」

 流されまいと抵抗する瞳がグイと円の身体を押しのけながら制止の声を上げれば、忠犬よろしく円はピタリと動きを止める。9年前の日光旅行の時からこれは変わらない。むしろ、あの時から2人の間では暗黙のルールのようになっていた。
 待てが出来る男、西園寺円。

「ここでは、ダメだ」

 ひそり、と告げて瞳はフイと視線を逸らす。
 円に、それが何を意味するのか分からないはずがなかった。破顔する、という表現がピッタリな満面の笑みを浮かべて、ぎゅうっと瞳の身体に抱きついた。

「うんっ!」
「ぅわ! こら、円!」

 口ではとがめつつ、瞳は優しい笑みを浮かべながらなだめるように円の背中をポンポンと叩くのだった。


 そうして余韻を残しながら、レジャーシートなどを2人でのんびり片付けてランチタイムを終わらせると、円が瞳の顔を覗き込んだ。

「瞳、お腹いっぱい? もう少し食べられる?」
「は? なんだそれ、どういう事?」

 訳がわからず、瞳はきょとんとして問い返す。今まさに円が作ってくれたお弁当を食べたばかりだ。
 ただ、瞳のことを完璧に把握している円にしては量を控えめにしてあるな、とは思っていた。

「スコーンがめちゃくちゃ美味しいカフェがあるんだって。みどりさんがオススメしてくれたんだ。俺もお店の名前は聞いたことあるんだけど行ったことは無くて、気になってたんだよねー」
「なるほど、そういう……」

 そういう事か、と瞳は納得した。みどりに薦めてもらったというカフェに行くことを計算に入れた上での、お弁当のあの量だったというわけだ。
 ちょっと可笑しいと言うか、円が可愛くて、瞳は小さく笑ってしまう。

「だめ……?」

 瞳を押し倒してくる時とは別人のように、子犬みたいな顔で『お願い』されたら、ダメなんて言えるはずがない。

「いいよ。行ってみたい」
「やったぁ!」

 いつになくはしゃいで喜ぶ円を可愛いなぁ、なんて瞳は思うのだけれど、それを言わない程度には円の性格も把握している。こんなに子どもみたいな円の様子は久しぶりに見るけれど、以前の時にそれを指摘したら大層たいそうねられて大変だった。それすらも愛おしいけれど、今回はただ微笑むだけで終わりにする。

「で、どこだって?」
「ええと、ここからだと少し走るかな。あ、途中で祐也たちに頼まれたお土産も買っちゃお」
「ああ、律さんの所も言付ことづかってるな。チーズケーキだったか?」
「そう! やっぱり那須なす方面に行くならコレだよね~」
「律さんに教えてもらってから、うちでもハマったよな」

 9年前の日光から帰った日に律が用意してくれたチーズケーキ。それを取り扱う本店がこの先、道沿いにあるらしい。
 祐也とみどりにも、美作家にも同じ店のチーズケーキをお土産にと所望されたのだ。

「では、さっそく行きますか!」
「そうするか」
「ん。じゃあ乗って乗って!」

 円は瞳を促して自分も運転席に収まると、慣れた手つきでカーナビを操作する。あっという間に設定を終えてしまうと、流れるように車を走らせていた。
 20分ほどの道程みちのりを進めば、窓から見える景色には少しずつ緑の樹々が増えてくる。避暑地としては有名な方で、個人所有の別荘が多く、またコテージやグランピング施設なども増えてきたらしい。
 目的の店のシンプルで落ち着いた外観は、周囲の樹々と合わせて上品な雰囲気すら漂わせていた。

「わあ、想像してたより広いね」
「取り扱ってる品数が多いな」

 いざ店内へと足を進めてみれば、シーズンオフだと言うのにそれなりの人数で混雑しており、地元人気が伺い知れた。定番のベイクドチーズケーキの他にもレアチーズケーキが試食と共に並んでいて、他にもチョコレート菓子やらクッキー、ガレットに紅茶、果ては日本酒まで。この本店でしか扱っていない物も多いらしく、あれこれ見て回るのも楽しかった。
 イートインコーナーで食べられるサンドイッチなどの軽食やケーキにタルトなどもあったが、今回は見送ることにした。
 ひと通り店内を見た後に、頼まれた分に加えて自宅用にもいくつか見繕みつくろい、会計を済ませるとそのまま自宅へ配送手続きをしてしまう。こういった時の瞳の買い物の仕方は、相変わらず豪快だった。
 それから再び車を走らせて、みどりオススメのカフェへと向かう。
 観光地であり避暑地である土地柄なのか、樹々に囲まれた店構えはコテージのようでもあった。
 人気のカフェと言うだけあって、店内のテーブル席はほぼ埋まっている。お好きな席へどうぞと店員に促され、2人は外からも見えたテラス席へと向かうことにした。
 先ほどのアウトレットモールよりも標高が高いせいもあるのだろうか、涼しくて風が心地好い。

「このメニュー表、手書きかな?」

 席に着いてすぐ、メモスタンドに立てられたメニュー表に意識が向くのは自然なことだろう。けれどこのメニュー表がなかなか独創的だった。

「あまり見ないフォントだな」

 少しクセのある、けれど読みやすい字。並ぶのはドリンクが中心だった。

「この、ドリンクの下に書いてある説明みたいなの面白いね!」

 円が笑って指摘するそれに、瞳も同感だった。

「オレはこれが気になるな。森のブレンド」
「分かる、瞳っぽい。というか、ここはスコーンが絶品なんだってば!」

 瞳っぽいってなんだ、とは思わなくもなかったが、そこは流してメニュー表を裏返してみる。

「スコーンセットはあるな」
「あ、待って。ねえ、ケーキシエスタだって! スコーンとケーキ両方って最強では?」
「ふは。テンション高いな、円?」

 軽食などが並ぶ中、たしかにケーキシエスタの文字。その下には、好きなケーキとスコーンひとつの組み合わせである旨が説明として添え書きされている。
 なるほど、これは魅力的だ。

「うーん、たまにはシフォンケーキも食べてみたい、かな」
「いいね! 俺はかぼちゃのプリンにしようかな」
「円、飲み物は?」
「えっとね、これが気になる」

 さくさくと注文を決めていく中で円が指さしたのは、アイスオーレ。その下には一言、『おいしい』。

「あはは。たしかにこれは気になるな」
「でしょ? そんなこと書かれたら飲みたくなるでしょ」
「だろうな。オレは森のブレンド一択だけどな」

 そう言いながら、瞳は貴人の術にほんのり干渉して店員を呼ぶ。ゆるめの認識阻害にんしきそがいの術であるからこそ、人を呼ぶには干渉が必要だった。
 オーダーを通してもらってすぐ、机に伏せて置いておいた円のスマホがメッセージの受信を知らせた。

「うえぇ、嘘でしょ……」

 一気にげんなりとした表情になった円が、ぐたりと脱力する。休日であったとしても仕事の連絡かもしれない。それは円の表の職業柄、仕方のないことである。

「ごめん、瞳。確認してもいい?」
「こっちはいいから、早く確認してやれ」
「うん……」

 カタリとスマホを持ち上げて確認した円が、あからさまに安堵した表情になる。

「なんだ、祐也からだ」
「祐也?」
「うん。でもこれ……恋人自慢?」
「は?」

 頬杖ほおづえをついた瞳がきょとんとした顔になって、訳が分からない、と聞き返す。すると、円は瞳の方へとスマホの画面を向けた。

「これ。ドレスアップしたみどりさん」
「うん。綺麗だな……って、あぁそうか」

 画面には華やかな装いのみどりが、どこかのパーティー会場を背景に微笑んでいる画像。

「なに、瞳。心当たりあるの?」
「あー。うん……えっとな……」

 想定外に歯切れが悪くなる。円がこれを聞いたらどんな反応を示すのか、瞳は少しこわい。何となく知らせずにいた事が、ここに来て露見ろけんしてしまうとは。

「瞳?」
「うん。……円さぁ、一条家って覚えてるか?」
「あぁ、あの妄想迷惑令嬢?」

 一条の名が出た途端、円の表情がピクリと引き攣った気がする。ご令嬢に対して、表現も口調も悪辣あくらつすぎる。

「そう、まさにそのさやか嬢の結婚式に、みどりさんと祐也が呼ばれてるんだ」
「はぁ? 結婚?」
「うん」
「結婚式……」
「うん……」
「………………」

 沈黙が怖い、と瞳は思う。あの時の円は彼女に対して相当な怒りの感情を持っていた。出来ればこの話題はここまでで終わりにして欲しい。
 呑気のんきに頬杖をついていたはずの瞳の両手は、祈るみたいに組まれてテーブルの上だ。

「瞳」
「うん?」
「相手ってまさか……あの時の術者だったりするの?」
「……そのまさかだよ」
「────っ!」

 円は声もなく驚いて、それから自分の感情がよく分からなくなったように視線を彷徨わせ、最後に大きく息を吐きながらガクリとテーブルに突っ伏した。

「円……?」

 瞳は、円の髪をそっと撫でるように触れた。その手をきゅっと握り、円が顔を上げる。

「ごめん、ちょっと……ビックリして」

 困ったように笑って見せる円は、いつもの何があっても瞳にだけは甘い男に戻っていた。

「みどりさんも、今は彼女とはほぼ関わりがない。だけど、新郎新婦が付き合うきっかけとなった事案に関係があるという理由で招待されたそうだ」
「えぇー。でもその辺は結構いろんなこと曖昧あいまいになってるんじゃなかった?」
「それはそうなんだけど、曖昧だからこそ彼女の思い込みを粗雑そざつに扱えないというか……」

 執着の対象を入れ替えた。そのことを知るのはごくわずかだが、だからこそこちら側が合わせなくてはならない部分がある。万が一にも、入れ替える前に戻られてしまうと困るのである。

「何がきっかけになって真実に気付く事態になるかも分からないから。みどりさんには申し訳ないけど、祐也と一緒に出席してもらってるんだよ」

 9年も経てば、2人なりの関係を構築しているだろう。今更、あの時の真実を思い出したとしても問題はないのかもしれない。けれど、念には念を入れて、である。

「なんか複雑な気分。まかり間違ったら、瞳とあの子が結婚してた未来もあったかもしれないってこと?」
「それは何がなんでも阻止するけどな」
「言い切るね」
「そりゃそうだろ。オレは自分の遺伝子を後世こうせいに残したくない」
「え……」
「もうこの話は終わり。ほら、美味しい物食べて忘れよう」

 瞳がそう言ったタイミングで、ケーキシエスタとドリンクが運ばれてきたのだった。

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