一目惚れは、嘘でした?

谷川ざくろ

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12 シエラ、街に出かける

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 アルフレッドの風邪がすっかり治った。
 大事をとって一日休暇を取り、今日から仕事に復帰するということで、出勤前の見送りに来ているのだが。

「あの……」

 アルフレッドの様子がいつもと違う。
 コートを羽織ったまではいいものの、シエラの髪を触ったり、そっと指先に触れては身を寄せるばかりで、家を出ようとしない。

「そろそろ出ないと、遅れてしまうのでは?」
「仕事に行きたくないと思ったのは初めてかもしれない。シエラと離れたくないんだ」
「昨日は一日中、一緒だったのに?」

 何を思ったのか、指先にちゅっとキスが落とされた。
 指先へのキスなんて今まで何度かあったことなのに、妙に胸が騒がしくなる。

(どっ、ど、同衾なんてしてしまったから……!)

 落ち着かなくて周囲に線を彷徨わせると、扉を開ける機会を見計らっていたテッドが呆れたように息を吐いているのが見えた。

「あっ、アルフレッド様、テッドが待ってるわ。もう行かないと!」
「アル」
「ええと、あの……」
「使用人のテッドは親しげな呼び捨てなのに、どうして婚約者である僕はいつまでも堅苦しく様づけで呼ばれているんだろう」

 身分や立場が違うのだから当然だ。
 しかし、こうなったアルフレッドは意外にも強情なのだと、シエラは理解し始めている。

「わかっ、分かったから、アル。少し近すぎるわ。離れて」
「嫌だ」
「嫌だって、なんで、名前呼んだのに……っ」

 何でもどうしても、きっとこれが一目惚れということなのだろう。
 自己解決して口を噤んだシエラに、アルフレッドが囁く。

「側にいたいんだ。シエラのことが好きだから」
「はわっ」

 顔を真っ赤に染め上げたシエラから名残惜しそうに離れ、アルフレッドはようやく馬車に乗り込んだ。
 見送った後もシエラの心臓は暴れ回っている。

「す、す、す、すき、って……?」

 一目惚れというのは、つまり、一目見て好きになったということだ。
 言葉の意味は知っていたはずなのに、改めて「好き」と言われて、「一目惚れ」が持つ本当の意味を理解していなかったことに気がついた。

 無意味に玄関を歩き回るが、まったく落ち着かない。
 気を紛らわせようにも、リオンはまだ眠っているし、イブは弟の側についているはずで。

 玄関をうろつくシエラを見かねたテッドの提案により、シエラは少しだけ街に出ることにした。
 適度に混雑する道を歩いていると、少しずつ気持ちが落ちついてくるから不思議だ。

「お嬢様。この毛糸、ふわっふわです」
「本当ね、手触りも気持ちいい。これで何か編んでみようかしら」

 お供のメイドと手芸店で足を止める。

 濃紺か、落ち着いた深紅か。もしかしたら、明るい色も似合うかも。
 毛糸を手に取り見比べていると、後ろから覚えのある声が聞こえてきた。

「あら、シエラさん」
「……あっ。ルビー様」

 元々アルフレッドとお見合いするはずだった令嬢、ルビーだ。
 顔を見るのは、お見合いの後にドレスを返して以来となる。

 初めて会ったときの華やかなドレスとは違う、街中に溶け込む落ち着いた服装だったので、一瞬誰か分からなかった。

「やっぱりシエラさんだ。お久しぶり。元気にしてた?」
「はい。ルビー様はいかがですか?」
「おかげさまで絶好調!」

 ルビーが隣にいた男性に腕を絡める。
 親族には見えないが、他人にしては距離が近い。

「そちらの方って、もしかして……」
「うふふ。内緒ね」

 ルビーの秘密の恋人ということか。
 柔和な顔立ちの男性がシエラに小さく頭を下げた。
 シエラもぺこりと礼を返す。

「あ。もしかして、心に決めたお相手がいたから、アルとのお見合いが嫌だったんですか?」
「いえ、そういうわけじゃないの。エイデンとお付き合いを始めたのはつい最近なのよ。あなたの代わりに書類を届けたでしょ。その時にね」
「ということは……タイラー補佐官?」
「その通り」
「はじめまして。外交補佐官のエイデン・タイラーです」

 まさか、シエラとお見合いを変わったから結ばれた縁ということだろうか。
 驚いて目を丸くするシエラが毛糸を抱えているのを見て、ルビーが首を傾げる。

「何か編むの?」
「あ、はい。カーディガンでも作ってみようかと思いまして」
「公爵様に?」
「はわっ」

 思わぬ言葉に動揺して、毛糸を落としてしまった。
 コロコロ転がる毛糸を追いかける。

「驚いた。シエラさんがあのまま婚約した時点でも驚き尽くしたと思ったのに、あの公爵様に手編みのカーディガンを贈ろうとしているなんてもっとびっくりだわ」
「あうっ」

 せっかく拾った毛糸をまた落とした。
 お供のメイドとルビー、そしてルビーの恋人タイラー補佐官にも手伝ってもらって、どうにか毛糸を拾い集め終える。

「素敵な恋をしているのね」

 落とした毛糸の最後のひとつを手渡しながら、ルビーが微笑んだ。

「私、公爵様とは幼馴染みみたいなものなんだけど。ほら、あの人って何考えてるか分からないし、慇懃無礼で気が休まらないし、顔だって綺麗すぎて逆に怖いし、吸血鬼なんて言われてるし実際目つきはちょっと悪いじゃない?」
「そ、そうですか?」
「父には昔から、絶対に公爵様と結婚しろってせっつかれてたけど、死んでも嫌だったのよね」
「そこまで嫌だったんですか……」

 仮にも相手は王子様だというのに、散々な言いようである。

「でもシエラさんは、あんな公爵様の良さを理解して、愛しているわけでしょ。手編みのカーディガンなんてなかなかできることじゃないし」
「そ、そそっ、そういうわけじゃ!」
「はいはい。じゃ、私たちはこれで。また会いましょうね!」

 ルビーたちと別れ、シエラは毛糸選びを再開する。
 会計をしながら、側にいるメイドにお願いした。

「あの……カーディガンのこと、アルには内緒にしていてね……」
「愛のサプライズというわけですね!」

 そういうわけではないのだが、そういうことにして、頷いておいた。
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