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01 公園で泣いてる男
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「史明くん、起きて」
こんもりと膨らんでる掛け布団の中で、寝てる相手の肩の辺りを揺すった。
「……ん……静乃さん?」
布団に包まったまま肩越しに、寝起きの顔を私に向けて掠れた声が返ってくる。
「史明くん、いい加減起きないと朝ご飯抜きよ」
「え? あ……ごめんなさい。起きます! 起きますから!!」
そう言うと、慌てて上半身を起こして起き上がる。
「じゃあ、ちゃんと顔を洗ってきてね」
「はい……」
「二度寝はダメだからね」
「はい……わかってます」
そう返事をした史明くんは、ベッドの上であひる座りをしながら目は瞑ったままだった。
成人男性がアヒル座りってなんだか可愛いというか、愛嬌があるというか。
私はクスリと笑いながら、キッチンに向かった。
「おはようございます。静乃さん」
「おはよう。二度寝しなかったんだ? エライわね」
「二度寝すると、逆に起きたときに辛いですから」
「もっとゆっくり寝かせてあげたいんだけど、休みだからってダラダラするのキライだから。ゴメンね」
「いえ。ここは静乃さんの家ですから、家主さんに合わせます。それに、お昼前には会社に行かないといけないし」
「史明くんこそ休日なのに仕事なんて大変ね。ちゃんと休まないとダメよ。 史明くんは限界がくると、再起不能になるんだから」
「はは……気をつけます。でもそうならないためにこうやって、ときどき静乃さんに癒してもらってますから」
「こんな生真面目な女のところで癒されるの?」
「静乃さんは生真面目ではなくて、しっかりしてるだけです。それに懐が広くて優しい」
「褒め過ぎよ。いくら褒めてもコーヒーくらいしか出ないわよ」
「うれしいです。いただきます」
「じゃあ、冷めないうちに食べて」
「はい。いただきます」
そう言って彼は両手を自分の胸の前で合わせると、目の前にある朝食に手をつけた。
彼の名前は楡岸史明。
歳は32歳。
初めて会ったときに、さりげなく確かめた左手の薬指に指輪はしてなかった。
外してたらわからないけれど、指に指輪をしてた痕はないみたいだった。
なので、どうやら独身らしい。
らしいというのは彼と知り合ったあと、自分で調べたから。
本人から聞いたわけじゃない。
彼はその業界ではトップを争う大企業の取締役・副社長。
付き合ってみてわかったけど、なかなかの好青年な彼。
まだ確実ではないみたいだけど、彼には数人の結婚相手候補がいるらしい。
そのことを史明くんは何も言わないから、私からも聞くことはない。
でも、私が彼の素性を知っていることを彼は知らないと思う。
私から言うことでもないし、彼も話さないということはそのことは言いたくないことだと思うから。
それにそのことを話してくれなくても、私達の仲がどうこうなるわけじゃないし。
私と彼の関係……それは友達以上恋人未満な関係? なんだろうか?
いやいや、恋人なんて未満もないくらいだろうと思う。
私は彼の……異性の話し相手というのが丁度いいかも。
史明くんに初めて会ったのは、上着を着なくても平気で過ごせるほど暖かくなった夜のことだった。
まだ人通りもまばらにある時間だったから、いつもは通らない帰り道にある公園を通ることにした。
犬の散歩をする人や、ジョギングしてる人にも何人かすれ違って夜の公園でも怖くなかった。
「はぁ~~何だかいい気分~~♪」
私はひとりでウキウキしながら歩いてた。
どうしてだかはわからないけど、もしかして思ってた以上に早く仕事が片付いたからか、ランチで一日限定数名の最後のひとりでオススメメニューを食べれたからか。
それともいつもは座れない帰りの電車の中で、偶然にも座って帰ってこれたからなのかはわからないけど。
とにかく、珍しく気分が良かったのだ。
「今日の夕飯は、ちょっと豪華にいこうかしら~~ん!?」
そんなハイテンションの私の目の前に、公園の中のベンチ1つを全部使うように男の人が俯せで倒れこんでいた。
「え? 倒れてるの?」
まだ酔っ払いが酔って寝るには早い時間だと思う。
今から居酒屋に行くぞーー! みたいな時間だし。
もしかして具合が悪いのかしら?
「あの……」
私は恐る恐る近付いて声を掛けた。
俯いてて顔は見えないけど、外見から察するに若い男の人みたい。
仕立てのいいスーツの上下に、チラリと見える腕時計はどこぞのブランド品。
きっとスーツも靴も同じだろうと察する。
ということは、どこかのお金持ち様かしら?
そんな人がこんな所で一体ナニを?
「大丈夫ですか? 具合悪いんですか? 救急車、呼びましょうか?」
色々気になるところはあったけれど、放っておくわけにもいかないものね。
「…………」
返事はなし。
「あの……」
「……うぅ……」
「!!」
う、呻き声?
やっぱり具合が?
「ひっく……ズズ……」
「は?」
え? ハナすすってる?
え? なに? 泣いてるの? 本当に?
信じられなくて、警戒しながら傍に寄って聞き耳を立ててしまった。
「……ふうぅ……うっ……ぐずっ」
「…………」
や、やっぱり泣いてるぅ~~~~!!
なに? なんで?? なんでこんな所で、大人の男の人が泣いてるの?
こっ、これは、一体どうしたら?
3週間前、母親代わりだった祖母が亡くなった。
母が亡くなった後、忙しかった父に代わり僕を育ててくれたのが祖母だった。
優しくて、ときどき厳しいときもあったけれど一緒にいてとても心が安らぐ人だった。
僕が子供のころはときどき僕と一緒に風邪をひくぐらいで、これといって大病を患ったことなんてなかったのに、ここ数年で心臓が弱くなってた。
『歳には勝てないわねぇ……』
そんな言葉が、あのころの祖母の口癖になってた。
祖母を見上げていた目線はいつの間にか同じになり、あっという間に見下ろすようになった。
でもそんな僕を、祖母はとても嬉しそうに笑ってくれていた。
高校生になると祖母と一緒にいる時間が少なくなり、卒業後は外国の大学に通ったので、ほとんど会うこともなくなってしまった。
帰国後は、祖父と父が大きくした会社で働くことが決まっていた。
けれど社会人としては未経験な僕は、まずは仕事のノウハウを覚えるために自社系列の会社で経験を積んだ。
数年その会社で過ごし、仕事も覚えたころ当初の約束通り父親が社長を勤める会社に迎え入れられた。
僕の勤める会社は、日本では名の知れた所謂大企業と言われるほどの大きな会社だった。
最初からかなりの役職を任されていた僕は、それに恥じない仕事をしてきたつもりだ。
仕事中心の生活で、心を落ち着かせることができるのは久しぶりに一緒に暮らし始めた祖母との生活だった。
気性の穏やかな、優しい祖母。
厳しいところもあったけれど、すべて愛情を感じられるものだったので僕は逆にホッとするところもあった。
ある程度、覚悟はしていたつもりだった。
亡くなる前は何度も入退院を繰り返していたし、日に日に衰えていく祖母を見ていたから。
祖母がいなくなる……そんな不安な夜を何度迎えただろう。
もう30を過ぎたいい大人の男が、その心細さに酒に逃げる日もあった。
そんな僕を支えてくれるような伴侶はいないし、付き合ってる人もいない。
それなりにチャンスもあったし、出会いもあったのだけれど誰ともその出会いを生かすことはできなかった。
学生時代はそれなりに付き合った女性もいたし、身体だけの繋がりを持った相手もいた。
日本に帰ってきてからは仕事が忙しかったこともあったけれど、付き合いたいと思うほどの人は現れなかった。
だいたい知り合う女性は仕事絡みが多く、僕に興味を持つ前に僕の仕事の肩書きに興味を持ってしまうから、そんな相手に心を許せずはずもなく。
従兄弟からは“もう少し妥協しろ!”といつも言われる。
“このままじゃ一生独身だぞ”とも脅される。
自分でもわかってる。
会社での肩書きも含めて僕なんだと。
だから、その肩書きに興味を持って近づいてくるのがなんでいけないのか? と、頭ではわかってる。
そんなものは単にキッカケに過ぎなくて、もしかしたら付き合っていくうちにそんなものは関係なくなるかもしれないと。
でも、知り合う相手はそれなりの資産をもつ家のご令嬢か、僕の“社長の息子”というステータスが欲しい女性だ。
万が一僕が、地位も財産もないイチ文無しのタダの男になったら、そんな僕についてきてくれるのだろうか?
もし本当にそんなことになったら、きっと“NO”と言うだろうと思える相手ばかりだった。
そんな相手とは、社交辞令程度の付き合いしかしない。
ときどき“この人”と思える女性もいたけれど、大体がもう相手のいる人だった。
僕から見ても素敵な女性は、誰から見ても素敵なんだということで男が放っておくわけがない。
見合いの話も何度か出たし、形だけの見合いも何度か経験した。
どうしても一度会わないとマズイ相手だけだけど、最初から断ること前提のお見合いだった。
最近では、そんなお見合いも話の段階で断ってる。
別に自分は男だし、そんなに結婚を急いでするつもりもないと思ってた。
ただ『史明のお嫁さんと子供の顔が見たいわ』と言っていた祖母に見せてあげられなかったのは申し訳なかったと、今でも心の中にわだかまりとして残ってたりする。
『家に帰りたい』と、目を瞑ったままの祖母が寝言のように呟いた。
それが最後の言葉となって、祖母は眠るように息をひきとった。
覚悟してたとはいえ、僕の心の中にあるなんとも言えない喪失感はきっと息子である父親よりも大きかったと思う。
そんな喪失感を感じなくするために、僕は仕事に没頭した。
葬儀の間はそちらに気がそがれ、落ち着きを取り戻した頃からは仕事に明け暮れる毎日だった。
祖母が亡くなる前から係わっていた仕事と、別に僕が係わらなくてもいい仕事まで手を出して、自分の中の喪失感を無理矢理に忘れるようにしていた。
いつも帰ればいた祖母がいない部屋にひとりでいるのは辛くて、ほとんど寝るためだけに帰るようにしていた。
遅くに帰って、なにも考えないようにしてお風呂に入って寝る。
朝起きれば、簡単に食事を取って会社に出かけていた。
そんなふうに過ごしながら、集中して係わっていた仕事がある程度見通しがついて、時間に余裕が生まれるようになってしまった。
自分でも疲れてるな……なんて思ってたし、今さらながら放心状態に陥ってしまったらしい。
いつもの車での送迎を断り、トボトボとあてもなくひとりで歩いてみた。
時間なんて気にする気持ちもなくて、一体どのくらい経ったのかもわからない。
自分の腕にある時計も見る気がなかった。
自分がどこにいるのかわからなかったけれど、いつの間にか目の前に公園が現れた。
大きな池を囲むようにできた公園で、なかなか綺麗に整備されていた。
まだ早い時間だったのか、ジョギングする人や犬の散歩をする人と擦れ違ったりもした。
子供だった頃、祖母とよく遊んだ近所の公園に似ていた気がした。
僕はそんな公園のベンチに腰を下すと、はあ~~っと盛大な溜息が漏れた。
座って気づいたけれど、足の疲労感がかなりあった。
どれくらい歩いたんだろう……っていうか、ここってホントどこなんだろう?
そう考えながら辺りを見回して、そのままパタリとベンチに横になってしまった。
身体から力が抜けていく。
「……うぅ……」
しかも、涙腺まで緩んできたらしい。
自然と身体を俯せにして、僕は声を出さずに泣いた。
「大丈夫ですか? 具合悪いんですか? 救急車呼びましょうか?」
蹲ってる自分の頭の上から、そんな声が聞こえてきた。
どうやらこんな僕を見て、気にかけてくれた人がいたらしい。
声は若い感じの女の人だった。
心配そうな声だったけれど、優しさが漂う聞き心地のいい声だ。
「…………」
「あの……」
「……うぅ……」
僕はなにも答えることができなくて、ただ蹲ったまま声を出して泣くのを堪えていた。
こんもりと膨らんでる掛け布団の中で、寝てる相手の肩の辺りを揺すった。
「……ん……静乃さん?」
布団に包まったまま肩越しに、寝起きの顔を私に向けて掠れた声が返ってくる。
「史明くん、いい加減起きないと朝ご飯抜きよ」
「え? あ……ごめんなさい。起きます! 起きますから!!」
そう言うと、慌てて上半身を起こして起き上がる。
「じゃあ、ちゃんと顔を洗ってきてね」
「はい……」
「二度寝はダメだからね」
「はい……わかってます」
そう返事をした史明くんは、ベッドの上であひる座りをしながら目は瞑ったままだった。
成人男性がアヒル座りってなんだか可愛いというか、愛嬌があるというか。
私はクスリと笑いながら、キッチンに向かった。
「おはようございます。静乃さん」
「おはよう。二度寝しなかったんだ? エライわね」
「二度寝すると、逆に起きたときに辛いですから」
「もっとゆっくり寝かせてあげたいんだけど、休みだからってダラダラするのキライだから。ゴメンね」
「いえ。ここは静乃さんの家ですから、家主さんに合わせます。それに、お昼前には会社に行かないといけないし」
「史明くんこそ休日なのに仕事なんて大変ね。ちゃんと休まないとダメよ。 史明くんは限界がくると、再起不能になるんだから」
「はは……気をつけます。でもそうならないためにこうやって、ときどき静乃さんに癒してもらってますから」
「こんな生真面目な女のところで癒されるの?」
「静乃さんは生真面目ではなくて、しっかりしてるだけです。それに懐が広くて優しい」
「褒め過ぎよ。いくら褒めてもコーヒーくらいしか出ないわよ」
「うれしいです。いただきます」
「じゃあ、冷めないうちに食べて」
「はい。いただきます」
そう言って彼は両手を自分の胸の前で合わせると、目の前にある朝食に手をつけた。
彼の名前は楡岸史明。
歳は32歳。
初めて会ったときに、さりげなく確かめた左手の薬指に指輪はしてなかった。
外してたらわからないけれど、指に指輪をしてた痕はないみたいだった。
なので、どうやら独身らしい。
らしいというのは彼と知り合ったあと、自分で調べたから。
本人から聞いたわけじゃない。
彼はその業界ではトップを争う大企業の取締役・副社長。
付き合ってみてわかったけど、なかなかの好青年な彼。
まだ確実ではないみたいだけど、彼には数人の結婚相手候補がいるらしい。
そのことを史明くんは何も言わないから、私からも聞くことはない。
でも、私が彼の素性を知っていることを彼は知らないと思う。
私から言うことでもないし、彼も話さないということはそのことは言いたくないことだと思うから。
それにそのことを話してくれなくても、私達の仲がどうこうなるわけじゃないし。
私と彼の関係……それは友達以上恋人未満な関係? なんだろうか?
いやいや、恋人なんて未満もないくらいだろうと思う。
私は彼の……異性の話し相手というのが丁度いいかも。
史明くんに初めて会ったのは、上着を着なくても平気で過ごせるほど暖かくなった夜のことだった。
まだ人通りもまばらにある時間だったから、いつもは通らない帰り道にある公園を通ることにした。
犬の散歩をする人や、ジョギングしてる人にも何人かすれ違って夜の公園でも怖くなかった。
「はぁ~~何だかいい気分~~♪」
私はひとりでウキウキしながら歩いてた。
どうしてだかはわからないけど、もしかして思ってた以上に早く仕事が片付いたからか、ランチで一日限定数名の最後のひとりでオススメメニューを食べれたからか。
それともいつもは座れない帰りの電車の中で、偶然にも座って帰ってこれたからなのかはわからないけど。
とにかく、珍しく気分が良かったのだ。
「今日の夕飯は、ちょっと豪華にいこうかしら~~ん!?」
そんなハイテンションの私の目の前に、公園の中のベンチ1つを全部使うように男の人が俯せで倒れこんでいた。
「え? 倒れてるの?」
まだ酔っ払いが酔って寝るには早い時間だと思う。
今から居酒屋に行くぞーー! みたいな時間だし。
もしかして具合が悪いのかしら?
「あの……」
私は恐る恐る近付いて声を掛けた。
俯いてて顔は見えないけど、外見から察するに若い男の人みたい。
仕立てのいいスーツの上下に、チラリと見える腕時計はどこぞのブランド品。
きっとスーツも靴も同じだろうと察する。
ということは、どこかのお金持ち様かしら?
そんな人がこんな所で一体ナニを?
「大丈夫ですか? 具合悪いんですか? 救急車、呼びましょうか?」
色々気になるところはあったけれど、放っておくわけにもいかないものね。
「…………」
返事はなし。
「あの……」
「……うぅ……」
「!!」
う、呻き声?
やっぱり具合が?
「ひっく……ズズ……」
「は?」
え? ハナすすってる?
え? なに? 泣いてるの? 本当に?
信じられなくて、警戒しながら傍に寄って聞き耳を立ててしまった。
「……ふうぅ……うっ……ぐずっ」
「…………」
や、やっぱり泣いてるぅ~~~~!!
なに? なんで?? なんでこんな所で、大人の男の人が泣いてるの?
こっ、これは、一体どうしたら?
3週間前、母親代わりだった祖母が亡くなった。
母が亡くなった後、忙しかった父に代わり僕を育ててくれたのが祖母だった。
優しくて、ときどき厳しいときもあったけれど一緒にいてとても心が安らぐ人だった。
僕が子供のころはときどき僕と一緒に風邪をひくぐらいで、これといって大病を患ったことなんてなかったのに、ここ数年で心臓が弱くなってた。
『歳には勝てないわねぇ……』
そんな言葉が、あのころの祖母の口癖になってた。
祖母を見上げていた目線はいつの間にか同じになり、あっという間に見下ろすようになった。
でもそんな僕を、祖母はとても嬉しそうに笑ってくれていた。
高校生になると祖母と一緒にいる時間が少なくなり、卒業後は外国の大学に通ったので、ほとんど会うこともなくなってしまった。
帰国後は、祖父と父が大きくした会社で働くことが決まっていた。
けれど社会人としては未経験な僕は、まずは仕事のノウハウを覚えるために自社系列の会社で経験を積んだ。
数年その会社で過ごし、仕事も覚えたころ当初の約束通り父親が社長を勤める会社に迎え入れられた。
僕の勤める会社は、日本では名の知れた所謂大企業と言われるほどの大きな会社だった。
最初からかなりの役職を任されていた僕は、それに恥じない仕事をしてきたつもりだ。
仕事中心の生活で、心を落ち着かせることができるのは久しぶりに一緒に暮らし始めた祖母との生活だった。
気性の穏やかな、優しい祖母。
厳しいところもあったけれど、すべて愛情を感じられるものだったので僕は逆にホッとするところもあった。
ある程度、覚悟はしていたつもりだった。
亡くなる前は何度も入退院を繰り返していたし、日に日に衰えていく祖母を見ていたから。
祖母がいなくなる……そんな不安な夜を何度迎えただろう。
もう30を過ぎたいい大人の男が、その心細さに酒に逃げる日もあった。
そんな僕を支えてくれるような伴侶はいないし、付き合ってる人もいない。
それなりにチャンスもあったし、出会いもあったのだけれど誰ともその出会いを生かすことはできなかった。
学生時代はそれなりに付き合った女性もいたし、身体だけの繋がりを持った相手もいた。
日本に帰ってきてからは仕事が忙しかったこともあったけれど、付き合いたいと思うほどの人は現れなかった。
だいたい知り合う女性は仕事絡みが多く、僕に興味を持つ前に僕の仕事の肩書きに興味を持ってしまうから、そんな相手に心を許せずはずもなく。
従兄弟からは“もう少し妥協しろ!”といつも言われる。
“このままじゃ一生独身だぞ”とも脅される。
自分でもわかってる。
会社での肩書きも含めて僕なんだと。
だから、その肩書きに興味を持って近づいてくるのがなんでいけないのか? と、頭ではわかってる。
そんなものは単にキッカケに過ぎなくて、もしかしたら付き合っていくうちにそんなものは関係なくなるかもしれないと。
でも、知り合う相手はそれなりの資産をもつ家のご令嬢か、僕の“社長の息子”というステータスが欲しい女性だ。
万が一僕が、地位も財産もないイチ文無しのタダの男になったら、そんな僕についてきてくれるのだろうか?
もし本当にそんなことになったら、きっと“NO”と言うだろうと思える相手ばかりだった。
そんな相手とは、社交辞令程度の付き合いしかしない。
ときどき“この人”と思える女性もいたけれど、大体がもう相手のいる人だった。
僕から見ても素敵な女性は、誰から見ても素敵なんだということで男が放っておくわけがない。
見合いの話も何度か出たし、形だけの見合いも何度か経験した。
どうしても一度会わないとマズイ相手だけだけど、最初から断ること前提のお見合いだった。
最近では、そんなお見合いも話の段階で断ってる。
別に自分は男だし、そんなに結婚を急いでするつもりもないと思ってた。
ただ『史明のお嫁さんと子供の顔が見たいわ』と言っていた祖母に見せてあげられなかったのは申し訳なかったと、今でも心の中にわだかまりとして残ってたりする。
『家に帰りたい』と、目を瞑ったままの祖母が寝言のように呟いた。
それが最後の言葉となって、祖母は眠るように息をひきとった。
覚悟してたとはいえ、僕の心の中にあるなんとも言えない喪失感はきっと息子である父親よりも大きかったと思う。
そんな喪失感を感じなくするために、僕は仕事に没頭した。
葬儀の間はそちらに気がそがれ、落ち着きを取り戻した頃からは仕事に明け暮れる毎日だった。
祖母が亡くなる前から係わっていた仕事と、別に僕が係わらなくてもいい仕事まで手を出して、自分の中の喪失感を無理矢理に忘れるようにしていた。
いつも帰ればいた祖母がいない部屋にひとりでいるのは辛くて、ほとんど寝るためだけに帰るようにしていた。
遅くに帰って、なにも考えないようにしてお風呂に入って寝る。
朝起きれば、簡単に食事を取って会社に出かけていた。
そんなふうに過ごしながら、集中して係わっていた仕事がある程度見通しがついて、時間に余裕が生まれるようになってしまった。
自分でも疲れてるな……なんて思ってたし、今さらながら放心状態に陥ってしまったらしい。
いつもの車での送迎を断り、トボトボとあてもなくひとりで歩いてみた。
時間なんて気にする気持ちもなくて、一体どのくらい経ったのかもわからない。
自分の腕にある時計も見る気がなかった。
自分がどこにいるのかわからなかったけれど、いつの間にか目の前に公園が現れた。
大きな池を囲むようにできた公園で、なかなか綺麗に整備されていた。
まだ早い時間だったのか、ジョギングする人や犬の散歩をする人と擦れ違ったりもした。
子供だった頃、祖母とよく遊んだ近所の公園に似ていた気がした。
僕はそんな公園のベンチに腰を下すと、はあ~~っと盛大な溜息が漏れた。
座って気づいたけれど、足の疲労感がかなりあった。
どれくらい歩いたんだろう……っていうか、ここってホントどこなんだろう?
そう考えながら辺りを見回して、そのままパタリとベンチに横になってしまった。
身体から力が抜けていく。
「……うぅ……」
しかも、涙腺まで緩んできたらしい。
自然と身体を俯せにして、僕は声を出さずに泣いた。
「大丈夫ですか? 具合悪いんですか? 救急車呼びましょうか?」
蹲ってる自分の頭の上から、そんな声が聞こえてきた。
どうやらこんな僕を見て、気にかけてくれた人がいたらしい。
声は若い感じの女の人だった。
心配そうな声だったけれど、優しさが漂う聞き心地のいい声だ。
「…………」
「あの……」
「……うぅ……」
僕はなにも答えることができなくて、ただ蹲ったまま声を出して泣くのを堪えていた。
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