Lovesick!

yutaka

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03 呼び方のニュアンス、ですか?

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優音ゆうねが異動してきて早数日。
すぐ傍に優音がいる。
それだけでオレの気分は上々だった。
仕事に来れば優音に会える。
内部監査室にオレが引き抜いて優音が配属された時点で、室内の連中はいつもと違うオレに気づいたようだった。
仕事柄、室内のチームワークは強い方で仕事のできる奴ばかり。
優音が異動してきたら教育係としてついてもらうつもりの高里たかさとが、オレに面と向かって聞いてくる。

「ビシバシしごいていいんでしょ?」
「…………ああ」

一瞬考えたが頷いた。
優音を異動させる条件に、内部監査室ここで戦力にならないようなら元の部署に戻すということ。
オレの都合で内部監査室ここの業務を滞らせるわけにはいかないからだ。
優音の今までの仕事ぶりなら内部監査室ここでもやっていけるとは思っているが。

優音のことが気になり、ついつい過剰にかまう。
まずは仕事に、職場に慣れてから。
と思いつつも、オレのことも意識してもらいたくて。
室内のメンバーはなんとなくオレの普段の様子と違うことを察してるようで、生暖かい目というか、呆れているというか。
けれど誰も何も言わず、優音のことを受け入れてくれている。
思っていたとおり、優音の仕事ぶりがいいからだろう。
高里とも上手くやっているみたいだし。

基本ここのメンバーは、仕事ができればどんな変わり者でもいいという考えの集まりだ。
仕事柄、色々なことに柔軟性を求められることがあるからだろう。
優音の人柄もあるかもしれないが、やっぱり可愛いからな。
と、頭を撫でておく。

「え? なんですか。なんで頭を撫でるんですか?」
「仕事頑張ってるな、と思って。それに可愛いから」
「可愛いからは余計です。それに頭を撫でるのやめてください」
「身長差的にちょうどいい高さに優音の頭があるんだよ」
「チビだって言いたいんですか?」
「小柄で可愛いってこと」

さらに撫でる。

「やめてくださいって!」
「ハハハ」
「パワハラ? パワハラですか!」

優音が撫でるのをやめさせようと、撫でてるオレの手を掴む。
優音の手がオレの手に触れている。
その手のぬくもりと柔らかさが愛おしい。

仕事の面でも、室長としてアドバイスをすることもある。
同じ資料をお互いの顔を近づけて見たり、パソコンを使う仕事ではイスに座っている優音を両腕で囲うようにマウスを使って教えたり。

「ここクリックすれば入力項目が出てくる。必要な場所に必要なことを入れれば次に進む」
「あ、ここに自分のIDを入れて承認を待てばいいんですね。って、室長そんなくっ付かなくても口で言ってくださればわかりますから。それに、わざわざマウスを一緒に持たなくても大丈夫ですから」
「間違ってクリックしたら二度手間だろ。慣れるまでこうすれば安心じゃないか」
「そこまでPCに疎いわけじゃありませんから」

座っている優音の旋毛が目に入り、その可愛さに旋毛にキスしたい衝動を抑えるのに難儀することもしばしば。
大ぴらにやっているように見えるが、これでも優音のことを考えて人目を避けてかまっている。
逆に人目がないところでやっているのはどうなんだ? なのかもしれないが。

「もう少しで終わる。で、保存して印刷すれば出来上がり」
「…………ありがとうございました。でも次からは自分でできますから。メモも取りましたし、大丈夫ですからね!」
「遠慮しなくていいんだぞ。わからないことがあったら遠慮せずに聞けよ。初めてのことばかりなんだからわからなくて当たり前だからな」
「聞くなら高里さんに聞きますから。武海室長も自分のお仕事なさってください」
「優音のこの報告書待ちだったんだよ」
「え? そうだったんですか? すみません、お待たせしちゃって」

嘘ではないが、そんなに急いでるわけではなかったんだがそれは内緒にしておく。

「一緒に作りましたけど、もう一度確認お願いします」
「ああ、確認して回しておく」

自分でも戸惑うほどの執着だと、時々自覚して何とも言えない気持ちになることがある。
もうすぐ30にもなる、女性に扱いに関しては慣れていると自他ともに認めている自分が優音のこととなると初めての恋に浮かれまくる少年のようだ。



周りと同様にオレのことを『武海室長』と呼ぶ優音。

「この会社で武海はたくさんいるから名前で呼ぶように」

と、もっともらし理由をつけて名前呼びにさせる。

「はい?」
貴翔たかと、言ってみて」
「え?」

室長がいきなり自分のことを名前で呼ぶように言ってきた。
しかもその理由が“この会社で武海はたくさんいるから”だそうだ。
確かに親戚関係の多い社内だから何人か同じ苗字の人はいるだろうけど。
下の名前でですか。
私にとって上司といえども、男性を下の名前で呼ぶのはハードルが高いというか。

「…………」
「優音」
「ぅぅ……」

“納得がいかない”というような顔の優音にさっそく名前呼びを強請ねだる。
親戚がいるこの社内では同じ苗字は何人かいるけれど、同じ部署にいるわけではないから被ることはないんだが今はそのことには触れないでおく。

「貴翔……室長?」

疑問符なのが納得できないが、初めて優音に“貴翔”と呼んでもらった。
思わず顔が綻ぶ。
そんなオレを見た優音が目をみはっている。
恋人になって、優音に愛情込めた声で名前を呼ばれたらどうなってしまうのか。
考えただけでも悶える。


「貴翔室長」

仕事中に用事があって室長を呼び止めればな、ぜか一瞬他の人の視線を一斉に感じた。
本人が呼んでくれというからそう呼んでいるんだけど。
なに? この周りの反応は?

最初は“武海室長”と呼んでいたんだけど、

『この会社で武海はたくさんいるから名前で呼んで』

と言われ“貴翔室長”と呼んでいるのだが。

「武海室長、このまえのこの案件なんですけど」
「武海室長、ちょっと時間頂けます?」

ん?
数日過ごすうちに気づいた。
私以外は皆さん、室長のことを“武海室長”って呼んでない?
誰も下の名前でなんて呼んでないみたいなんだけど?

「あ、あの高里さん」
「なに?」

向かいの席で仕事をしている高里さんに疑問に思ったことを聞いてみた。
高里さんは書類に目を向けながら話を聞いてくれる。

「皆さん室長のこと“武海室長”って呼んでますよね?」
「そうね、苗字が武海だし」
「ですよね? あの……」
「ん?」
「私だけが室長のこと、名前で呼んでるみたいなんですけど」
「!」

私の言葉に高里さんが視線を向けてジッと私を見てくる。

「え?」
「本人がそう呼んでくれって言ったんでしょ?」
「はあ……そうなんですけど。なんか男性を下の名前で呼ぶって慣れてなくて。上司でも気恥ずかしいっていうか」
「あら~~東霧島つまぎりしまさんってば、なかなかシャイなのね」
「え!? うぅ……ホント、慣れなくて困るというか」

本当にハードルが高いんですよ!
ついモジモジとしてしまう。
なんだか頬も熱い気がするから、もしかして顔も赤いかもしれない。
ただ、“貴翔室長”と呼んだときの、室長の嬉しそうな顔が今でも忘れられなくて呼んでいるところもあるんだけど。

「おお、そういう顔をするのを楽しんでるのね。確かに“くる”ものがあるわ」
「はい?」

高里さんがボソリと何か呟いたけど、私には声が小さくて聞こえなかった。

ねられると面倒だから、名前で呼んであげて」
「は? え?」
「遅い初恋って面倒だわね」
「高里さん?」

また高里さんが呟いたけど聞こえなかった。
なんて言ったの?

「今に慣れるわよ」
「皆さんは私だけが室長を下の名前で呼んでるのを不快に思ってませんか」

新入りが、室長を下の名前呼びって“馴れ馴れしい”とか“生意気”とか思ってないかという不安もある。

「え? 全然! だから気にすることないわよ」
「…………」

そうか、皆さん気にしてないのね。
それでも……ねえ?



「室長!」

廊下で先を歩く室長を見つけて声を掛けた。

「貴翔」
「…………」

すぐに呼び名を指摘される。

「そのことなんですけど、自分だけですよね? 室長のこと下の名前で呼んでるのって。どうして自分だけなんですか? 自分も他の人達と同じに名字で呼びたいんですけど」

同じ苗字がいると言われたけど、役職名がそれぞれ違うのだから関係ないのでは? とあとから思った。

「んーー、東霧島さんの呼び方のニュアンスは、他の人と違って聞き間違えやすいから」
「え?」

と、ワケのわからない回答をされた。

「呼び方のニュアンス、ですか?」
「うん」

え? どこが他の人と発音が違うのだろうか?
頭を捻っていると後ろから肩を叩かれた。
誰かと思って振り返ると、室長秘書の杞由こよりさんが哀れんだ目で私を見ていて、首を左右に振られた。
それって、“あきらめなさい”ということでしょうか?
よくわからないけれど、皆さんがそれを認めて呼んでやれと言っているのかしら?

「だからこれからも“貴翔室長”で。いい? 優音」
「はい……」

チラリと横目で杞由さんを窺えば、呆れた眼差しで貴翔室長を見ていた。
私の視線に気づくと、呆れた眼差しのままちょっとだけ口元を緩めて微笑んだ気がした。

名前呼びでいれば問題がないということなのかな?
と、仕方なく納得して下の名前で呼ぶことにする。
そういえば、室長も私を呼ぶとき下の名前で呼んでたなと思った。
他の人は苗字呼びなのにな。
と思ったけれど、きっと他の人達は気にしていないんだろうと思うから何も言わないことにした。



優音が呼び止めるから、一体何の話かと期待に胸を膨らませて振り向けば、他の奴は“武海室長”とか“室長”と呼んでいるのを知ったらしい優音が、

「自分も他の人達と同じに呼びたいんですけど」

と、オレに言ってきた。
却下だ。

「んーー、東霧島さんの呼び方のニュアンスは、他の人と違って聞き間違えやすいんだよね」

と、悩んだフリをしてまたワケのわからない回答をした。
またもや困惑顔の優音。
頭を捻っていたようだ。

けれど、そんな様子は無視をする。
すると後からやって来た真弥しんやが哀れんだ顔で、優音の肩を叩き首を振る。

『あきらめなさい』

と。
ナイス・フォローだ、真弥!
真弥の言うことなら素直に聞くのが少々不満なところだが、それで名前呼びをしてくれるなら良しとしよう。
真弥ならオレの気持ちを知ってるし、心配することはないから。
これからも下の名前で呼ぶことを了承させると、確認を取るように真弥とアイコンタクトを取る優音。
ぐうぅ、妬ける。
オレを呆れた目で見たいた真弥がその眼差しのまま優音に頷くと、優音は納得したらしい。
いや、あきらめたのか?

優音が挨拶をして離れていく後ろ姿を見送る。

「なんでお前が優音と親しくなるんだ」
「は? どこが親しくしてるって」
「アイコンタクトで会話しただろ!」
「ああ、でもそのおかげで名前で呼んでもらえるんだろうが。俺に感謝しろよ」
「それも気に入らない。なんで優音はお前の言うことは素直に聞くんだ」
「自分に害がない相手だからじゃないか」
「なに? じゃあオレは優音にとって害のある相手だっていうのか」
「害、ありまくりだろ。やってることはパワハラにセクハラじゃないか」
「愛情表現だ」
「少しでも苦情が出たら考えるからな」
「職場でしか会えないんだぞ」

まだデートにも誘えていない。
我ながら情けないことだが。

「なら職場以外でも会えるように努力しろ。ただし、ちゃんと相手の気持ちを考えろよ」
「…………」

なんでオレが、真弥のアドバイスを聞かなければいけないんだ。

「今までは優音が新しい職場に慣れるまでと思って遠慮していたんだ」
「こっちは仕事に支障が出ないなら文句はない」
「寂しい奴だな」
「哀れな奴に言われたくない」

真弥の辛辣しんらつな言葉にもめげず、オレは優音を手に入れるために今まで以上に行動を起こすことにした。


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