貼りだされた文章

ゆうり

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慙 愧 の 念

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カーブを曲がった際に荷台に積んである車いすが少し動いた音がした。
『ここの急カーブはどうしても商品動くんだよな』
この道は隣の市へ行くための主要な道だが、傾斜が急な山を切り開いて作った為カーブが多い。
左右を見ると深い森が広がっており、たまに猿が木の上にいることがある。

急カーブ地帯を抜けたところで"安田栄一"はカーナビの時計を一瞬だけ見る。
『今日はいつもより空いているから約束の11時より大分早く到着しちゃうな』
栄一の勤めている会社は車いすや杖などの介護用品の販売またはレンタルを行っている。
依頼があったお年寄りの自宅に必要な道具を選定して納品することが主な業務である。
新卒で入社し3年ほど働いている。

さらに走ると開けた場所に出る。
田園風景が広がり、民家もある。ここまでくると街中まで一本道なので走りやすい。

目的地に向かう途中、無意識のうちに道沿いのとある一軒家に目をやる。
この道は毎日必ず通るが、毎回この一軒家を見てしまう。
『今日も貼ってある・・・』
心の中で訝しむ。
この家は田舎ならどこにでもありそうな瓦屋根で木造建築の一軒家。
塀がない為庭がよく見えるのだが、雑草が伸びきっていて家の壁の一部にツタが張り付いている。
きれいな家とはとても言えない。
それどころか家の端に古い祠のようなものまであり不気味さすら感じる。

しかし栄一が注目している箇所はこれらではない。
玄関の横にベニヤ板が置いてあり、書道で使うような白い縦長の紙が貼ってある。
そこに

   慙
   愧
   の
   念

と書かれている。
筆と墨でかかれたであろうその字は素人の栄一でも達筆だと感じた。
しかし言葉の意味は分からなかった。昨日も四字熟語が貼られていたが意味は知らなかった。
この家は半年程前から様々な文字が書かれた紙を頻繁に貼り出している。
『達筆だから自慢しているのかもしれないけど、だからと言って家の前に飾らないよな』

栄一はこの家の前を通るたびに少し気分が落ちる。その理由は奇妙な文字を見たからだけではない。
『来週この家に訪問して車いすや手すりの点検するの嫌だなぁ。癖ありそうな人っぽいし。
他にも介護用品を扱っている会社あるのに何でうちになっちゃったんだろう』
この家の住人は足が悪いらしくうちの会社の商品を借りている。
納品はやめてしまった先輩が担当したので、栄一はまだ会ったことがない。
どんな人間なのかわからず不安なのである。

『まぁなんとかなるか。とりあえず今日の仕事をミスなく終わらせよう』
気持ちを切り替える。
今日は全部で8件回ることになっている。時間的に厳しいことはない為余裕をもって業務を行える日であった。





そしてその日の夕方
何事もなく訪問を終え、会社に帰る途中また家の前を通る。
今朝貼られていた紙はなくなっていた。


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