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禍転じて福と為す
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チラチラと嫌な気配を惜しみもなく放出している雪が空から降っている。
こんな日は出来るだけ外の空気にも触れずに屋内にいた方が良い……だから俺は出来る限り素早く歩きながら、不審がられないよう心がけつつ家路を急いでいた。
コタツに入って、テレビでも見ながらミカンを食おう。
「おまたせー。2人共早いなぁ」
少し離れた所から聞こえて来たのは、非常に明るい声。聞き覚えはないが、聞こえてくるのだから俺に関係のある人物なのだろう。
何処だ?
早く帰りたかった足を止めて、行き交う人を目で追うが、あまり人を凝視する訳にもいかず、俯いて人々の足元を見つめながら耳を澄ます。
「テントないから、寝てたら雪が顔に積もるんちゃう?」
また微かに聞こえた声は、間違いなく弟の声。
あいつはこんな日に何をやってるんだ?と半分呆れながら、声を探す。
さあ、誰だ?
「なぁ、やけに薄着やけど、寒くない?」
少し遠ざかった声に慌てて歩き出し、全神経を耳に集中させる。
「下に着てるから大丈夫やで」
信号待ちで立ち止まった俺のスグ隣から、そんな声がして思わず隣にいるサラリーマン風の男性の腕を掴む。
「なぁ、高校生3人位?見たと思うんやけど、何処におった?」
今日がもし晴れていたら、俺は知らぬ振りをしていただろう。だけど、雪が降っているんだから仕方ない。いや、ただの雪なら放っておいても良い。
「え?」
サラリーマン風の男性は俺の質問には全く答えようとはせず、ただ混乱しているような声をあげるばかりだ。
急に腕を掴んだのは失敗だったか……。
「弟を探してるんですよ」
ゆっくりと腕から手を離し、ニッコリと笑顔を作りながら言うと、男性はホッと息を吐くと一気に落ち着きを取り戻し、
「裏山の入り口に3人の学生を見たよ」
と、教えてくれた。
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を言い、急いで裏山を目指す。
裏山か……こんな日に限って俺は何も持っていないし、雪まで降っているし。
とにかく、このまま行っても仕方ない。何処かで道具を探さないと……家まで取りに帰った方が早いか?
そうだな、何処にあるのか分からない物を探すより、確実な方を取ろう。
不審がられる事もお構いなく全力疾走で家に向かっていると、こんな所に店なんかあっただろうか?って位に違和感まみれの小さな店が目に入った。
チカチカと切れかけの街灯の下で立ち止まって耳を済ませても、何も聞こえない。
不審だ……だけど、店の中から強い気配を感じる。店の何処から?いや、店自体が違和感の塊。
面白い。
俺は1度大きく息を吸ってから店の中に入っていた。するとどうだろう、雪の嫌な気配を一切感じなくなったのだ。
店の中は少し薄暗く、奥の方までハッキリとは見えない。売られているのは骨董品のような古くて高価そうなものばかりなのだが、正直、何に使うのか分からない物が多い。そんな中で一際分かりやすい物が店のカウンターの真ん前に置かれていた。
値段は書いていないが、触る位は良いだろうと慎重に持ち上げてみて……。
ポロッ。
「はぅわぁ!」
手に取ったのは細身の果物ナイフみたいな……使い易そうな道具だ。柄が取れさえしなければ。
「にゃははは、取れたねー」
薄暗い店内の、更に暗いカウンター向こうから聞こえてきたのは、骨董屋の主にしては若い声だった。
取れたねーってまるで他人事のように言う声色から、このナイフの柄は元々取れるような作りになっているのだろうと伺える。それとも、壊れて取れるようになっていたのか。
弁償しなければならないと焦ったが、元々壊れているのなら、交渉だ。
「柄が取れてるんだ、少し負けてくれ」
本当ならばもう少し遠回りをして、無駄に喋ってからの値段交渉をしたい所だが、残念な事に今は時間がない。単刀直入に値切り交渉、例え値切り失敗に終わっても、このナイフは買うつもりだ。多少高額だったとしても……この近所にATMはあったか?
「お金はいらにゃい。その変わり……」
店主は俺からナイフを取ると、柄の部分に小さな紙を入れ込んでナイフを元に戻し。
スパン!
素早い動きで攻撃してきた。
咄嗟に身構えたが少し前に出過ぎていたのだろう、手の甲を掠り、地味に切れてしまった。
「なにすんねん!」
金の代わりに命を頂戴する。とか言う漫画みたいな事を言うつもりか!?だったら大人しく金払うわ!
「ナイフの代金は確かに貰ったにゃ。説明書も入れておくから、ちゃんと読むのにゃ」
店主は柄を外して中に入れ込んだ紙を取り出すと、またナイフを元に戻して丁寧に梱包してくれた。
手の甲に貼り付けられた黒猫柄の絆創膏と、説明書とナイフの入った黒猫柄の紙袋。店を出ようと店主に背を向けて聞こえてくるのは、ゴロゴロと喉を鳴らす音。
どうやら、振り返っては駄目な種類の骨董屋だったようだ。だとしたら、俺は一体何を対価にこのナイフを手に入れたんだ?
チクリと痛痒い手の甲……説明書を熟読するまでこのナイフは使いたくないが、これしか道具を持っていないのだから、何かあった時は使うしかない。
ならばやる事は1つ。何かが起きる前に弟達を見付けて連れ戻す!
裏山に向かって走り出すと、チラチラと雪が顔にへばりついてきた。それは皮膚に触れた瞬間液体になり、ジワリと冷たさが肌に広がる。
鬱陶しいな。
「俺のが1番雪っぽい」
裏山に入り階段を登っていると、獣道の先からそんな声が聞こえてきた。これは人を介して聞こえてきている感じではないから、この先に弟達がいるんだろう。
しかし、雪っぽいってなんだ?まさか、この雪の気配に気が付いて?
「なんでやねん。それ粉チーズやん」
粉チーズ?
「シロのだって大根おろしやん」
大根おろし!?
え?雪っぽいって、一体何を差して言ってんだ?
いやいや、考えるよりも迎えに行くのが先だな。こんな日に山登りとかアホか!と、怒鳴ってやろうかな?嫌な気配がなくても、雪降る山に登るなんて無謀な事なんだし、多少きつめに怒っても不自然ではないだろう。
小川を挟んだ向こう岸から、足音を消すようにゆっくりと近付いて来る気配までするから、急がなければならない。
弟達に向かって山を登ってしばらく。
身を寄せ合うようにして座り込んでいる3人分の人影が見えたから、その安堵感もあって俺は大きな声を上げていた。
無事で良かった……そんな気持ちが全く伝わらない程の怒鳴り声を。
ビックリしたようにこっちを向く3人分の目と……何者かの気配。
「雪が降る日は山に入ったらアカン。もう帰り」
本当ならもっと強めに言う筈だった台詞を、俺はサラッと言って3人の背中を押す。
困惑したように「え?」と言う3人の声に混じって、ザブ、ザブと水の中を歩く音が近くで聞こえて来るのだから仕方ない。
小川の中を歩いて着いて来ている感じではあるが、こちら岸には上がって来ない。
もしかしたら、こちら岸には何か結界でもあるのか?それとも、こちら岸に来たくない個人的な理由があるのか……。
なんにせよ、裏山を出るにはもう少し下流に行った先の橋を向こう岸に渡る必要があるから、このまま着いて来させると厄介だ。
幸いな事にこの3人は着いて来ている足音には気が付いていないし、水の中を歩く奴の敵意は全力で俺に向かってきている。正確には、俺の持つナイフに。
何気なく手に入れた物だが、実はとんでもない品物だったんじゃないか?コレ……。
「あーしまった。携帯忘れて来てしもたわぁ」
橋が見えてきた所で、そうワザとらしく声を上げて立ち止まってみた。すると後ろの奴もピタリと足を止めたから、俺はそのまま回れ右して山を登り、3人に向かって、帰れ。と、意味を込めた気配を強めに放った。
下山して行く3人分の足音を聞きながら、ナイフに施された包装を解いて握り締めてみたナイフの柄は、もう既にグラグラと取れそうになっている。
「そのナイフの所有者か?」
ザブザブと足音をたてながら近付いて来る敵から、恐ろしく冷静な声が聞こえた。
異常に激しい脈の音をたてている者からの声とは思えないが、耳から聞こえて来る声に嘘はない。
「ついさっき手に入れたばかりだ」
ザブザブと歩いてきた敵は、やっぱり岸には上がらず、俺の正面まで来ると小川の中で立ち止まった。表情までは流石に見えないが、陰の形から男性だと言う事が分かる。声を聞く限り、裏山の事を尋ねたサラリーマン風の男性だと言う事も。
雪の嫌な気配のせいで、後を付けられていた事に気が付けなかったとは……。
「こ、ここに紙がある……所有者は、自分の名前をか、書いた紙を、中に入れ、入れなければならない……」
変な所で噛みながら、男性は自分の鞄の中からメモ帳とペンを取り出して、俺に向かって放り投げてきた。
何があっても小川からは出たくないらしい。
そんな怪しい奴の言う事をまともに聞く必要はないが、名前を書いた紙を入れて、そこからどうなるのかも気にはなる。
まぁ、試してみるのは家に帰って、説明書を見た後からでも遅くはない。
「親切にどうも。あんた、人間だよな?」
「お、俺は……人間だ。人間だ!人間なんだ!人間……は、早く名前を入れろぉ!」
小川からは出て来ないと無意識に決め付けていたせいだろう、男性が急に飛び出してくる音は聞こえたのに、体が動かずに飛び掛られてしまった。そして奪われるナイフと、倒れた拍子に飛び散った俺の私物。
男性はその中から学生証を目ざとく見付けると、メモ帳に多分俺の名前を書き、綺麗に折り畳んでナイフの柄の中に入れ込んだ。
そして……。
ザシュッ!
トサッ。
「く、くふふふふ……やっとだ、やっと……やっと、死ねる……」
ザブ、ザブブ……。
ドブン。
「な、なに……?」
チラチラと、気持ち悪い気配を放つ雪が、俺の顔に積もり始める。だけど、起き上がって周囲を見渡せるだけの勇気が出ない。
聞こえてきた音の通りだと、男性は小川の中に倒れている筈だ。呼吸の音も、心音もまったく聞こえて来ないから、もう……いくら急いだ所で手遅れだ。
急になんだって言うんだ?何が起きたんだ?
俺の名前で、何をした?
そうだ、凶器のナイフ!
人の骸なんか見たくないとは思っていても、犯人にはなりたくないと思った瞬間、俺は勢い良く起き上がっていた。
俺の足元にはポツンとナイフだけが落ちていて、あるべき筈の血痕がない。それだけじゃない、小川の中にあるべき骸がない。
小川は小さくて、深い所でも足首までしかない。だから大人の男を押し流すほどの水量だってないんだ。それなのに……。
ドブンって音も、可笑しくないか?こんな浅い川に倒れ込んだら、バシャーンだろうし、小石がぶつかる音だってする筈だ。それなのに、深い水の中に落ちたような音だった。
沈んだ?
何処に?
どうやって?
ナイフに関係するんじゃないか?
なんとなく家には帰らず、裏山を出てしばらく歩き、チカチカと切れかけの街灯の下で説明書を広げて読んでみた。
そこには、ナイフの中に名前が書かれた紙を入れた状態で人を刺した場合、紙に書かれた名前の人物に刺された人物の命が与えられる。と書いてあった。
このナイフの柄に名前の書かれた紙が入っていれば、ナイフ使用者がいなくても上記ルールは適用される。とも。
そして、このナイフに使用期限はなく。ナイフが破壊されないかぎり効果を有する。と。
ようするに、俺はあの男性の残った寿命を受け継いだって所か。
あの男性は元の所有者?だとしても、死にたいとか思う程寿命を延ばす意味が分からない。なら、前の所有者に名前を入れられていた?
だとしたら、随分と悪趣味な呪いだな……だけど男性はナイフの事を知っていたしルールも把握している風だった。
前の所有者は誰だ?って、存命じゃないから今俺の手元にあるんだよな?
男性もいなくなったし、ナイフの事を知っているのは最早俺だけ……かどうかは分からないが、ナイフを買った骨董屋が見当たらないんじゃ打つ手無し。
やっと死ねるとか言ってたあの男性の、きっとまだたっぷりとあるだろう寿命を受け継いだんだ、しかもあの男性の容姿から考えるに不老っぽい。
とは言っても、このナイフに関して深く調べたいとも思えないし、こんな呪いの道具はないに越した事はない。
何気なく手に入れた物が、実は破棄するべき道具だったってのは、もしかすると非常に運が良かったのかも知れないな。
んじゃ、あの店主に持っていかれた俺の寿命分は不老不死として暮して、その後ナイフを破壊するとしようかな。
こんな日は出来るだけ外の空気にも触れずに屋内にいた方が良い……だから俺は出来る限り素早く歩きながら、不審がられないよう心がけつつ家路を急いでいた。
コタツに入って、テレビでも見ながらミカンを食おう。
「おまたせー。2人共早いなぁ」
少し離れた所から聞こえて来たのは、非常に明るい声。聞き覚えはないが、聞こえてくるのだから俺に関係のある人物なのだろう。
何処だ?
早く帰りたかった足を止めて、行き交う人を目で追うが、あまり人を凝視する訳にもいかず、俯いて人々の足元を見つめながら耳を澄ます。
「テントないから、寝てたら雪が顔に積もるんちゃう?」
また微かに聞こえた声は、間違いなく弟の声。
あいつはこんな日に何をやってるんだ?と半分呆れながら、声を探す。
さあ、誰だ?
「なぁ、やけに薄着やけど、寒くない?」
少し遠ざかった声に慌てて歩き出し、全神経を耳に集中させる。
「下に着てるから大丈夫やで」
信号待ちで立ち止まった俺のスグ隣から、そんな声がして思わず隣にいるサラリーマン風の男性の腕を掴む。
「なぁ、高校生3人位?見たと思うんやけど、何処におった?」
今日がもし晴れていたら、俺は知らぬ振りをしていただろう。だけど、雪が降っているんだから仕方ない。いや、ただの雪なら放っておいても良い。
「え?」
サラリーマン風の男性は俺の質問には全く答えようとはせず、ただ混乱しているような声をあげるばかりだ。
急に腕を掴んだのは失敗だったか……。
「弟を探してるんですよ」
ゆっくりと腕から手を離し、ニッコリと笑顔を作りながら言うと、男性はホッと息を吐くと一気に落ち着きを取り戻し、
「裏山の入り口に3人の学生を見たよ」
と、教えてくれた。
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を言い、急いで裏山を目指す。
裏山か……こんな日に限って俺は何も持っていないし、雪まで降っているし。
とにかく、このまま行っても仕方ない。何処かで道具を探さないと……家まで取りに帰った方が早いか?
そうだな、何処にあるのか分からない物を探すより、確実な方を取ろう。
不審がられる事もお構いなく全力疾走で家に向かっていると、こんな所に店なんかあっただろうか?って位に違和感まみれの小さな店が目に入った。
チカチカと切れかけの街灯の下で立ち止まって耳を済ませても、何も聞こえない。
不審だ……だけど、店の中から強い気配を感じる。店の何処から?いや、店自体が違和感の塊。
面白い。
俺は1度大きく息を吸ってから店の中に入っていた。するとどうだろう、雪の嫌な気配を一切感じなくなったのだ。
店の中は少し薄暗く、奥の方までハッキリとは見えない。売られているのは骨董品のような古くて高価そうなものばかりなのだが、正直、何に使うのか分からない物が多い。そんな中で一際分かりやすい物が店のカウンターの真ん前に置かれていた。
値段は書いていないが、触る位は良いだろうと慎重に持ち上げてみて……。
ポロッ。
「はぅわぁ!」
手に取ったのは細身の果物ナイフみたいな……使い易そうな道具だ。柄が取れさえしなければ。
「にゃははは、取れたねー」
薄暗い店内の、更に暗いカウンター向こうから聞こえてきたのは、骨董屋の主にしては若い声だった。
取れたねーってまるで他人事のように言う声色から、このナイフの柄は元々取れるような作りになっているのだろうと伺える。それとも、壊れて取れるようになっていたのか。
弁償しなければならないと焦ったが、元々壊れているのなら、交渉だ。
「柄が取れてるんだ、少し負けてくれ」
本当ならばもう少し遠回りをして、無駄に喋ってからの値段交渉をしたい所だが、残念な事に今は時間がない。単刀直入に値切り交渉、例え値切り失敗に終わっても、このナイフは買うつもりだ。多少高額だったとしても……この近所にATMはあったか?
「お金はいらにゃい。その変わり……」
店主は俺からナイフを取ると、柄の部分に小さな紙を入れ込んでナイフを元に戻し。
スパン!
素早い動きで攻撃してきた。
咄嗟に身構えたが少し前に出過ぎていたのだろう、手の甲を掠り、地味に切れてしまった。
「なにすんねん!」
金の代わりに命を頂戴する。とか言う漫画みたいな事を言うつもりか!?だったら大人しく金払うわ!
「ナイフの代金は確かに貰ったにゃ。説明書も入れておくから、ちゃんと読むのにゃ」
店主は柄を外して中に入れ込んだ紙を取り出すと、またナイフを元に戻して丁寧に梱包してくれた。
手の甲に貼り付けられた黒猫柄の絆創膏と、説明書とナイフの入った黒猫柄の紙袋。店を出ようと店主に背を向けて聞こえてくるのは、ゴロゴロと喉を鳴らす音。
どうやら、振り返っては駄目な種類の骨董屋だったようだ。だとしたら、俺は一体何を対価にこのナイフを手に入れたんだ?
チクリと痛痒い手の甲……説明書を熟読するまでこのナイフは使いたくないが、これしか道具を持っていないのだから、何かあった時は使うしかない。
ならばやる事は1つ。何かが起きる前に弟達を見付けて連れ戻す!
裏山に向かって走り出すと、チラチラと雪が顔にへばりついてきた。それは皮膚に触れた瞬間液体になり、ジワリと冷たさが肌に広がる。
鬱陶しいな。
「俺のが1番雪っぽい」
裏山に入り階段を登っていると、獣道の先からそんな声が聞こえてきた。これは人を介して聞こえてきている感じではないから、この先に弟達がいるんだろう。
しかし、雪っぽいってなんだ?まさか、この雪の気配に気が付いて?
「なんでやねん。それ粉チーズやん」
粉チーズ?
「シロのだって大根おろしやん」
大根おろし!?
え?雪っぽいって、一体何を差して言ってんだ?
いやいや、考えるよりも迎えに行くのが先だな。こんな日に山登りとかアホか!と、怒鳴ってやろうかな?嫌な気配がなくても、雪降る山に登るなんて無謀な事なんだし、多少きつめに怒っても不自然ではないだろう。
小川を挟んだ向こう岸から、足音を消すようにゆっくりと近付いて来る気配までするから、急がなければならない。
弟達に向かって山を登ってしばらく。
身を寄せ合うようにして座り込んでいる3人分の人影が見えたから、その安堵感もあって俺は大きな声を上げていた。
無事で良かった……そんな気持ちが全く伝わらない程の怒鳴り声を。
ビックリしたようにこっちを向く3人分の目と……何者かの気配。
「雪が降る日は山に入ったらアカン。もう帰り」
本当ならもっと強めに言う筈だった台詞を、俺はサラッと言って3人の背中を押す。
困惑したように「え?」と言う3人の声に混じって、ザブ、ザブと水の中を歩く音が近くで聞こえて来るのだから仕方ない。
小川の中を歩いて着いて来ている感じではあるが、こちら岸には上がって来ない。
もしかしたら、こちら岸には何か結界でもあるのか?それとも、こちら岸に来たくない個人的な理由があるのか……。
なんにせよ、裏山を出るにはもう少し下流に行った先の橋を向こう岸に渡る必要があるから、このまま着いて来させると厄介だ。
幸いな事にこの3人は着いて来ている足音には気が付いていないし、水の中を歩く奴の敵意は全力で俺に向かってきている。正確には、俺の持つナイフに。
何気なく手に入れた物だが、実はとんでもない品物だったんじゃないか?コレ……。
「あーしまった。携帯忘れて来てしもたわぁ」
橋が見えてきた所で、そうワザとらしく声を上げて立ち止まってみた。すると後ろの奴もピタリと足を止めたから、俺はそのまま回れ右して山を登り、3人に向かって、帰れ。と、意味を込めた気配を強めに放った。
下山して行く3人分の足音を聞きながら、ナイフに施された包装を解いて握り締めてみたナイフの柄は、もう既にグラグラと取れそうになっている。
「そのナイフの所有者か?」
ザブザブと足音をたてながら近付いて来る敵から、恐ろしく冷静な声が聞こえた。
異常に激しい脈の音をたてている者からの声とは思えないが、耳から聞こえて来る声に嘘はない。
「ついさっき手に入れたばかりだ」
ザブザブと歩いてきた敵は、やっぱり岸には上がらず、俺の正面まで来ると小川の中で立ち止まった。表情までは流石に見えないが、陰の形から男性だと言う事が分かる。声を聞く限り、裏山の事を尋ねたサラリーマン風の男性だと言う事も。
雪の嫌な気配のせいで、後を付けられていた事に気が付けなかったとは……。
「こ、ここに紙がある……所有者は、自分の名前をか、書いた紙を、中に入れ、入れなければならない……」
変な所で噛みながら、男性は自分の鞄の中からメモ帳とペンを取り出して、俺に向かって放り投げてきた。
何があっても小川からは出たくないらしい。
そんな怪しい奴の言う事をまともに聞く必要はないが、名前を書いた紙を入れて、そこからどうなるのかも気にはなる。
まぁ、試してみるのは家に帰って、説明書を見た後からでも遅くはない。
「親切にどうも。あんた、人間だよな?」
「お、俺は……人間だ。人間だ!人間なんだ!人間……は、早く名前を入れろぉ!」
小川からは出て来ないと無意識に決め付けていたせいだろう、男性が急に飛び出してくる音は聞こえたのに、体が動かずに飛び掛られてしまった。そして奪われるナイフと、倒れた拍子に飛び散った俺の私物。
男性はその中から学生証を目ざとく見付けると、メモ帳に多分俺の名前を書き、綺麗に折り畳んでナイフの柄の中に入れ込んだ。
そして……。
ザシュッ!
トサッ。
「く、くふふふふ……やっとだ、やっと……やっと、死ねる……」
ザブ、ザブブ……。
ドブン。
「な、なに……?」
チラチラと、気持ち悪い気配を放つ雪が、俺の顔に積もり始める。だけど、起き上がって周囲を見渡せるだけの勇気が出ない。
聞こえてきた音の通りだと、男性は小川の中に倒れている筈だ。呼吸の音も、心音もまったく聞こえて来ないから、もう……いくら急いだ所で手遅れだ。
急になんだって言うんだ?何が起きたんだ?
俺の名前で、何をした?
そうだ、凶器のナイフ!
人の骸なんか見たくないとは思っていても、犯人にはなりたくないと思った瞬間、俺は勢い良く起き上がっていた。
俺の足元にはポツンとナイフだけが落ちていて、あるべき筈の血痕がない。それだけじゃない、小川の中にあるべき骸がない。
小川は小さくて、深い所でも足首までしかない。だから大人の男を押し流すほどの水量だってないんだ。それなのに……。
ドブンって音も、可笑しくないか?こんな浅い川に倒れ込んだら、バシャーンだろうし、小石がぶつかる音だってする筈だ。それなのに、深い水の中に落ちたような音だった。
沈んだ?
何処に?
どうやって?
ナイフに関係するんじゃないか?
なんとなく家には帰らず、裏山を出てしばらく歩き、チカチカと切れかけの街灯の下で説明書を広げて読んでみた。
そこには、ナイフの中に名前が書かれた紙を入れた状態で人を刺した場合、紙に書かれた名前の人物に刺された人物の命が与えられる。と書いてあった。
このナイフの柄に名前の書かれた紙が入っていれば、ナイフ使用者がいなくても上記ルールは適用される。とも。
そして、このナイフに使用期限はなく。ナイフが破壊されないかぎり効果を有する。と。
ようするに、俺はあの男性の残った寿命を受け継いだって所か。
あの男性は元の所有者?だとしても、死にたいとか思う程寿命を延ばす意味が分からない。なら、前の所有者に名前を入れられていた?
だとしたら、随分と悪趣味な呪いだな……だけど男性はナイフの事を知っていたしルールも把握している風だった。
前の所有者は誰だ?って、存命じゃないから今俺の手元にあるんだよな?
男性もいなくなったし、ナイフの事を知っているのは最早俺だけ……かどうかは分からないが、ナイフを買った骨董屋が見当たらないんじゃ打つ手無し。
やっと死ねるとか言ってたあの男性の、きっとまだたっぷりとあるだろう寿命を受け継いだんだ、しかもあの男性の容姿から考えるに不老っぽい。
とは言っても、このナイフに関して深く調べたいとも思えないし、こんな呪いの道具はないに越した事はない。
何気なく手に入れた物が、実は破棄するべき道具だったってのは、もしかすると非常に運が良かったのかも知れないな。
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