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琥珀の蜜

一話

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 カタカタと水晶焜炉の上の薬缶が沸騰する音で、店の女主人は目を覚ました。男物の藍染の着物と羽織を纏い、短髪に中折れ帽を被った女店主は、一見すれば男性のようにも見える。

「おっと……」

 慌てて火を止めると、薬缶の湯を準備していた鉱石茶のグラスに注ぎ込む。グラスの中に入れたのは、夢に出たのと同じ月長石。石は注がれた湯に流されて、グラスの中をころころと遊び回る。

 グラスに口をつけると、蒸気がふわっと顔を覆った。

 極楽堂鉱石薬店は、彼女ー極楽院奈落が祖父から引き継いだ店だ。跡を継ぐ気のなかった両親に代わり、祖父に懐いていた奈落が鉱石薬を学んで跡を継いだ。元々幼い頃から祖父に預けられることが多く、店に出る祖父を見ていたり時には手伝いをしていたので人よりは知識があった。奈落がその意思を祖父に伝えると、彼は喜んで孫にその店を譲った。

 鉱石から精製された薬を扱うのが、この店のような鉱石薬店だ。鉱石薬の種類は多岐に渡り、粉末にして飲用するもの、溶かした際に発生する蒸気を吸引するもの、誘導体を皮膚に塗布してその上に直接石を乗せる灸などがある。ただ、普通の薬がそうであるように鉱石薬にも禁忌はある。例えば吸引法のひとつである真珠煙管は、真珠に薬液を滴下しその蒸気を煙管で吸引するものであるが、不眠・精神安定に効果がある反面、滴下する薬剤には毒性もあり身体の未発達な未成年の服用は禁止されている。だが、服用に用いる硝子煙管と真珠の美しさから女学生の服用が後を絶たず、社会問題となっている。

 いつの世も、婦女子は見目麗しいものに心を囚われるものだ。

 奈落は先程の夢を思い出していた。自分が見目麗しいかどうかはわからないが、女学生時代の奈落はたいそう下級生に慕われていた。女学生の間では「エス」という、上級生と下級生の間で結ばれる姉妹を模した親密な関係が流行している。奈落の「妹」を望む下級生は少なくなかった。だが、奈落は終ぞお目を作ることはしなかった。当時既に店を継ぐと決めていたため、勉学で忙しかったせいもある。だが、本当の理由は。

 月長石がグラスの中できらきらと、青い光彩を放つ。月のように淡い光を放つそれは、奈落の中の苦い記憶を呼び起こす。

「……やれやれ。鉱石茶に月長石を選んだのは失敗か。香りは立つが、人を選ぶな……」

 奈落は独りごちて、グラスを茶托に戻した。日は傾き始め、店の看板の影を長く伸ばしている。今日はもう店を閉めようか、そんな事を考えていた矢先だった。

「御免下さいまし」

 ドアベルが鳴り響いて、女性の声が入ってきた。幼い少女を連れた和装の女性が、入口から顔を覗かせていた。

「もし、こちらのお店はまだ開いてらっしゃいますでしょうか……?」

「いらっしゃいませ。はい、開いておりますよ。何か急ぎのご入り用ですか?」

 奈落は来客に声をかけた。だが、客は奈落の方をじっと見つめ、驚いたように口元を押さえていた。

「……かか様?」

 女性に手を引かれた少女が、母を見上げる。だが女性はそれに反応せず、ようやく押し出すように声を絞った。

「奈落……先輩?」

 先輩と声をかけられた奈落は、彼女の面影から記憶を辿る。長い髪は結い上げられて、藍色松葉の小紋が落ち着いた印象を与えていたが、その顔には覚えがあった。

「……千代さん」

 鉱石茶の甘い香りが店の中に立ち込めて、奈落と女性の間に漂う。少女は少し不安げに、母親にしがみついて奈落を伺っていた。
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