この思いは伝わらない

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高校3年3学期

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 キャップから指を離し、噴出していたメタリックグリーンを止めた。
 カンっと軽い音を立ててスプレー缶を地面に置き、マスクを外しながら膝に手を当て立ち上がる。1歩、2歩と後ろに下がり角度や位置を変えながらボディの色を確かめる。光の輪がゆらゆらと揺らめいて少しだけ色の表情を変えて見せた。
 案外遠くで見ると少し明るいかもな。もう少しだけ明度を落として、青みを足してみるか。
 そう思案していると背中に少しの重みと温かさがのしかかってきた。

「いい色になった?」
「いや、明るいなって」
「へー。これもいい色だなって思ったんだけどな」
「まぁな。これもいい色はいい色」
「しっきーの気分ではないと」
「そういうこと」

 ふーんと頭の上で頷いている旺史を背中で少し押せば、ふらふらと離れていき定位置の椅子に腰かけた。そんな様子を横目に棚のまえにしゃがみ、並べられている色の違うスプレー缶を数点取り出し吟味する。
 いつだったか、俺がベースの塗装も趣味でやっていると知った旺史は見に行こ~と付いてきた。おやじが帰ってくるまでの数時間、空になったガレージで俺がただひたすらにベースのボディを染めるだけのなんでもない時間。旺史は俺を眺めたりスマホをいじったり、時折いい色と感想を言いにきたりと好きなように過ごしていた。
 旺史が塗装を眺めにくるようになってから少しして、塗装中にいつものように近づいてきた旺史と軽いノリで小突き合いをした時に旺史のシャツを赤く染めてしまったことがあった。二人で慌てて洗ったはいいが、今でもそのシャツの肩口にうっすらと赤が残ってしまっている。その時から旺史には塗装中接近禁止命令を発令している。
 しかし、前までは律儀に守っていた旺史はここ最近、こうして汚れていない背中ならいいでしょと背中にのしかかってくるようになった。

「おうくんさ」
「なに~」
「なんで最近のしかかってくんの」
「背中なら汚れないからいいでしょ?」
「そういうことじゃなくてさ」
「え、どういうこと?」

 スプレー缶を選んでいた手を止め旺史の方を振り返れば、わかりませんと顔に書いてでもいそうなほどわかりやすいきょとん顔で俺を見ていた。
 思わず笑いそうになりグッと喉を閉めた。

「前までは接近禁止命令守ってたじゃん。なんで旺史くんは守れなくなったんですかってこと」
「え、なんか。なんていうの?うわ、好きだなーって思う、から?」
「はい?」

 急速に鼓動が高まっていくのがわかる。
 こいつは本当に。どういう生態してんだと、殴り込みに行きたくなる。

「えぇ~伝わんない?なんかこうすごい真剣に色と向き合っててさ、好きな色ができた時に満足げに笑うところも好きだけど、まだ満足のいく色じゃなかった時にちょっと困った顔してうなってる時の詩樹も好きだな~って思うわけ。そしたらしっきーのこと抱きしめたいな~って思うんだけど、しっきーからの接近禁止命令が出てるからさ……」
「あーわかったわかったもういい。おうくん黙って」

 直接口を覆って口止めしたかったがラッカーまみれのこの手袋では難しくて比較的でかい声を出して旺史の言葉を遮った。

「ほんと?わかった?」
「わかったって」
「あやしいな~」

 えぇ~?と怪しげな声を出しながら見てくる旺史から逃れるように視線をスプレー缶に戻す。
 出会ってからずっとありえないくらいにまっすぐで天然たらしな旺史だが、こうして。俺たちの関係が、明らかに変わってからは破壊力が増しに増した気がする。それはきっと旺史の語彙に『好き』という言葉が増えたからだと思う。旺史の感情に名前を付けてほしいと願ってから、旺史は好きを多用するようになった。それは決して悪いことじゃなくて良いことの方が多いが、俺の心臓に対しては負荷が高すぎて困る。
 自分を落ち着かせるようにもう少し暗めのグリーンと、暗めのブルーのスプレー缶を手に取り立ち上がる。
 置いてあるボディに戻ろうと体の向きを変えれば、旺史は背もたれに体を預け俺の方を見ていた。

「どうした」
「いや。しっきーにはわかんないよ」
「どういうことだよ」

 少し不満げに口を尖らせながら旺史は呟いた。

「もっと色々言いたいことはあるんだよ?」
「なんだよ」
「でも、こう。なんて言えばいいかわかんないしさ。難しい」

 旺史はよく、わからなくなったという。俺はそんなに難しく考えずに素直に言葉にすればいいっていうけど、素直に口にしたらわからないになるとまた旺史は一人でうなっていた。そんな旺史を俺はわからない。

「詩樹には俺の気持ちはわからないよ」
「だろうな」

 旺史の言葉に頷きスプレー缶を持ったまま旺史の方へと近づいていく。
 俺は、もともと出会った時から旺史のことはわからない、ということをわかっていた。

「旺史も俺の気持ちはわかんないよ」
「うん」

 旺史の目の前で立ち止まれば、旺史はまっすぐ俺から視線をそらさない。それに対抗するように旺史を見つめてやれば、眉をたらしてくしゃりと笑った。
 俺もそれにつられて笑う。
 
「ねぇ、しっきー。好きだよ」
「ん。」
「しっきーは?」
「俺も。」
「ん?」
「俺も、好き」

 ありえないほど小さくなってしまった言葉も旺史は受け取ってにこりと微笑む。

「思いが伝わらないなら伝えないとね」
「そーだな」
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