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18.救いたいもの

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時間は少し遡ります──

──早朝、私は遠くから近づいてくる何かの気配を感じて目が覚めた。

眠い目をこすり、欠伸をしながら窓の外を覗くと、一気に眠気が消し飛ぶ。
緑豊かで平和な山道には似合わない数の人影。
べったりとしがみついて来る淀んだ影。
ロンダルの槍旗を風になびかせ鎧姿の騎馬兵たちが、こちらに向かって駆けて来るのが見えた。

指名手配犯の気持ちが少し分かった気がした。逃亡者に安らぎはない。
なんだか、部屋の温度が凍りついたような寒気までしてきた。
まだ始動暖気が不十分な頭で私は考える。

(もう、追手がここまで来た!? 王太子の配下にしては⋯⋯動きが早い気がする⋯⋯)

ユマの家は山の頂上近くにあり、つづら折りの山道だから、まだ幾分距離がある。けれど、どのみち早く逃げなきゃいけない。

戦馬と競争なんてできない。

冷や汗を流しながら、もう窓を見ることもできずにいた。
焦りながらレースのショーツに片足を通すと、ふらふらよろめいてしまう。なんとか太い柱に手をつき、反対側の足を通しお尻に食い込まないベストポジションに履く。
でも、洗って乾いたばかりで肌あたりが柔らかくない。
あとは胸を優しく包み込み、気持ち防御を上げるブラをつける。

非常事態だと思い、跳ねた毛の寝癖は手櫛で我慢し、黒ローブを素早く着て廊下を出た。

やっぱり疲れていて、廊下の壁に寄りかかって居眠り中。
見張り番だったビリーさんを起こす。
隣の部屋で爆睡中のレオナールたちも慌てて起こした。

それから段飛ばしで階段を駆け下りる。

一階では、純白エプロン姿のユマが朝ご飯の仕度中だったけど──焦る私を見て、彼女は大慌てでトマトの輪切りを止めた。

潰れたトマトの真っ赤な汁が弾け、台所が殺人現場のようになった。

「裏口から出て川沿いに下ってください。村外れから南の間道に出れます」

「ユマ。あなたも危険よ。一緒に⋯⋯」

「へへ、うちは大丈夫ですよ。さぁ、早く」

私の顔を見るなり、ユマは小さく頷くと脱出経路を説明してくれた。
緊迫した空気を感じ、彼女は状況を察していた──
長居もできない。お礼もできない。
まして逃亡者狩りになんか巻き込んじゃいけない。

しばし、抱きしめて瞳を閉じ、体温を感じ心音を聞いていた。もういつ会えるか分からないと思うと、胸の奥がキュンと苦しかった。

名残惜しいのは同じ気持ちなのか、お互い恥ずかしげにもにょもにょする。
なんとも言えない甘い匂いが薫ってきた。
何かが身体の奥底で疼いているような気がして、内ももを無意識に擦り合わせる。

「⋯⋯あ、ふたりは⋯⋯」

勝手に何かを勘繰ったビリーさんが赤い顔をしている。
確かに、昨晩はユマと同部屋だったけど──パージ団長代行を枕にして、レオナールを抱きしめて寝ていたポンプさんみたいなことはない。


後ろ髪を引かれる思いのユマの家を後にした──


その先を急ぐ道中──

「⋯⋯⋯⋯ッ」


急に、私は頭痛に襲われる。

ズキンッズキンッ!

まるで後頭部に、石をぶつけられたような痛さだった。

パージ団長代行たちが「大丈夫ですか?」と口を揃えて気遣ってくれて、私を心配そうに見つめる。

「⋯⋯はい⋯⋯でも、何か⋯⋯」

すりすりと気休めながら右手で頭をさすった。

(え⋯⋯⋯⋯今度は⋯⋯熱い?)
 
軽く握っていた左手が、ほんわり何かに包まれる感覚。
徐々に熱が高まる。

その熱くジンジンとする感覚は、手から肩へ、頭から胴体、下腹部から足へと伝わり広がってくる。

「⋯⋯これは!?」

すでに聖女としての力は急速に失われ、もはや高位の回復魔法の発動や、まして奇蹟と呼ばれる降臨魔法など出来るはずもなかった。

(勝手に全身を掛け巡るのは──もしかして魔力?)

私は幼くしてケガ人を奇蹟顕現いやしのヒーリングしたことにより、聖女認定された。
そのためフェレス家の属性も適正も魔力も、特に伸ばすこともなく、回復魔法に偏っている。

さらに初級魔法の習得などもスッ飛ばし、高位魔法の習得が優先され、同世代の見習い聖女とキャッキャウフフなどもなく──
人手不足もあって、即現場へと駆り出されていたのを思い出した。

(女神レナリアの教えは寛容。人を助けるため攻撃を厭わない、でも、私、私は⋯⋯)

それに、レオナールから教わった魔力循環に似ていた。
全身を駆け巡っていた熱を、新たな魔力と認識した。瞳や耳にまで溢れる不思議な熱力の感覚。

──誰かの声まで、どこからか頭の中に聞こえてくる。

『⋯⋯どうか⋯⋯⋯⋯孫娘をどうか⋯⋯どうか⋯⋯助けてください⋯⋯』

落葉樹は人間好み。常緑広葉樹は一年中、緑だっけ、エルフが好きそう。
ブナ、ナラ、シイ、カシ、魔法の詠唱みたいだけど、木々の影じゃないモノ。
ゆらゆら揺れて歪んで見える人影。

(ああ、ああ、死者の霊魂との会話、きちゃった)

死霊使いネクロマンサーや霊媒師やベテラン聖職者なら平気でしょうが、私は苦手です。怖い。
でも、もしかして孫娘が心配で家に憑いていたのか、守護していたユマのおじいさんだと思う。

懇願する死者の声。
声は途切れ途切れながら危機感を孕み、彼女の笑顔が頭をよぎった。なぜか胸の奥がズキズキとする。

『⋯⋯⋯⋯ユマ⋯⋯ユマ⋯⋯』

私の周りに一陣の強風が舞い、激しく木の葉を巻き上げた。

「うわあっ、ちょっ、ナディア様!!」

「引き返すのはマズイぞい、団長代行!」

「ああ、分かっている、後を追うぞ」

ビリーさんの私を呼ぶ声やポンプさんの動揺した声。
パージ団長代行の即断即決の声。
レオナールの困惑した顔が見える。

止められるのが分かってるから、振り向かなかったけど、心から私を心配してくれている声が聞こえた。


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