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大掃除
しおりを挟む「「「せ~の、責任者だ~れだっ!」」」
絶対に参加したくない王様ゲームのような掛け声と共に、細い木の棒を一斉に引き抜く。俺が引いた棒の先が赤いことを確認すると、隣にいたペトラさんが不満の声を上げた。
「え~アリスが責任者だぁ~ずるぅい」
見世の従業員総勢百人弱の中から自分が『ハズレ』を引くなんて考えてもいなかった俺は、突きつけられた現実に目眩がしそうになった。
「いいなぁ~責任者~」
「じゃあ、ペトラさんと代わりま――」
「決まりは決まり! ペトラは私たちと食堂の掃除ね!」
俺が提案する前にシャロニカさんに遮られてしまった。
俺は自分が引いた木の棒をジッと凝視して、何故こんなことになってしまったのかと考えた。
ことの起こりは一週間前。
半年に一度の大掃除が決行されると全従業員に知らされた。ほとんどの従業員が顔を顰めため息をつく中、何故かペトラさんだけが乗り気だった。掃除が好きなようなきっちりとした性格には到底思えないが、意外と綺麗好きなのかもしれないと見直していると、その理由は下心満載のものだった。
「あのねぇ、大掃除の日にはその日限定で責任者っていう役職が出来てね、その責任者だけが夜柯様の寝室に入れるの~」
「…………寝室に入って何かいいことでもあるんですか?」
「ヤダァ、寝室に入ってすることなんて一つでしょ?」
「掃除するんですよね?」
ペトラさんはニヤニヤ笑いを浮かべて俺の返しには答えなかった。
「その責任者になれるのがぁ、なんと全従業員の内の一人だけなの! そもそも大掃除自体決行されるのが久しぶりだからそんなにチャンスがあるわけじゃないし、今回はなんとしても、夜柯様と楽しいことしたいのっ!」
「………………だから掃除するんですよね?」
ペトラさんの要領を得ない説明に首を捻っていると、そんな俺に気付いたシャロニカさんが駆け付けてくれ、大掃除の全貌を話してくれた。
俺の想像する大掃除とは、主に年末にやるような大掛かりな掃除のイメージで、ここで言う大掃除も印象はそれほど変わらなかった。だだ、一応半年に一回の機会を設けられているものの、常時見世の中は掃除が行き届いており、客の予約も絶え間なく入っているため、決行されること自体が稀ということだった。数年ぶりに丁度大掃除予定日と客の予約が途切れた日が重なったため、今回は決行する運びになったのだという。
「でね、ペトラが言っていたように、一人だけくじ引きで大掃除の責任者を決めるの。責任者に決まった人は、夜柯様の部屋の掃除を任されることになっているんだけど、これが結構大変でね……」
そう言いながらシャロニカさんは遠い目をした。
「私、一回だけ責任者になったことがあるんだけど、なんていうか……夜柯様の部屋って色々強烈でね……」
以前、お土産を渡しに行った時に入ったから知っているのだが、そのことは黙っておいた。
確かにあの部屋を囲うように置かれたネオンの山を一人で掃除するとなったら気が遠くなるだろう。
俺は想像だけで身震いし、一つの疑問に行き着いた。
「あれ……? でも夜柯様は……?」
まさか人に掃除をさせておいて、自分は昼寝をしているなんてことはないだろう。
「夜柯様は…………大掃除の日に姿を見たことは無いわね」
「え……? 他の人に掃除をさせておいて、自分はどこかに消えちゃうんですか……?」
思ったことがスルスルと口から漏れ出してしまった。シャロニカさんは驚いたように目を見開いた後、誤魔化すように笑った。
「本来、楼主様ってそういうものだから……」
「あ……」
確かに、王様を捕まえて「なんで掃除しないんですか!?」と詰め寄る国民はいない。社長ですらそういったことは社員に任せることが多いだろう。
色々なことをされ過ぎたせいで、俺の中での楼主の立ち位置があやふやになっていたのだと自覚する。
「そうですよね……ごめんなさい変なこと言って」
「大丈夫よ! アリスは記憶も無くしていて分からないことだらけなんだから! 気にしないで!」
シャロニカさんはそうフォローしてくれたが、これは良くない傾向だな、と思った。
ペトラさんのようにこの見世に大きく貢献しているわけでも無い自分が安易と楼主に近付くこと自体間違いなのだ。
そう、気持ちを改めたはずなのに。
ものすごい早さでフラグを回収してしまう自分の運の無さに辟易とする。
俺自身、楼主と顔を合わせづらいと思っていて、楼主の立ち位置を再確認したからには、もう近づかい方がいいと思っていた。お菓子を食べさせられたことも、膝枕をしたことも、キスをされたことも、全てたまたま俺が近くいたという理由だけで、他意はないと思い込んで終わりにするつもりでいた。
それなのに。
俺は自分が持っていた『ハズレ』の木の棒が回収されていくのを見ながら、久しぶりに元の世界に戻りたいと、なんとなく思った。
***
一応、一通りの掃除用具を持ちながら、楼主の部屋へと続く階段を降りる。三回目ともなると慣れたもので、どこからか漏れ出てくるやけに冷たい空気も全く気にならなくなっていた。
大荷物を抱えながら開く鉄の扉は重労働で、部屋の中に入るだけで体力を持っていかれてしまった。
部屋の中の様子は相変わらずだったが、この前と明らかに違うことがあった。
「光がついてない……」
ネオンの山に光が点っていなかった。
元々付いていたのだろう、一つ手前の部屋についているのと同じような剥き出しの電球が一つ、頼りなく光っているだけだった。それでも、あの狂った光の渦の中にいるよりはマシだと思った。
あの時は、部屋に戻った後もしばらく目がチカチカしていた。
もしかしたら、大掃除をするために電源を切ったのかもしれないと思いながら前回よく見えなかったネオンを見て回る。どれもかなり年季が入っているように感じた。
ぐるっと一周、部屋の中を観察して回ると、そろそろ掃除に取り掛かろうと雑巾を手に取った。この山積みのネオン一つ一つを掃除していくとなると、一人ではどう考えても一日では時間が足りない。歴代の責任者たちは一体どうやって掃除を終わらせたのか、シャロニカさんに聞いておけば良かったと後悔した。
そう嘆いていても時間は待ってくれない。
とりあえず出来るところまでは頑張ろうと、近くにあったネオンを拭きにかかる。と、ネオンが立てかけられている隙間の壁に線が走っているのが見えた。
よく見れば壁を模した扉のようで、押せば開きそうだった。
そう言えば、とペトラさんの顔を思い出した。
ペトラさんは楼主の寝室に入れると言っていた。この部屋が寝室だと思っていたが、もう一部屋あるのだろうか。
もしあるならば、そこも掃除しないといけないのだろう。俺は確かめるためにネオンを退かし、恐る恐る扉を押した。
キィ、と小さな悲鳴のような金属が擦れ合う音と共に扉は開いた。シャロニカさんから聞いていた通り、中に楼主の姿は無かった。
部屋の中は薄暗かったが、部屋の中央にベッドのようなものが置いてあるのはかろうじて分かり、ここが楼主の寝室だと確信した。
この世界に来て初めてベッドを見た。ネオンも電気もカメラも存在するのだから、ベッドがあってもおかしくはないのに、何故だか異質に思えた。
俺はなるべく扉を開き、ネオン部屋の光を取り込もうとした。この部屋には照明はないのかと、壁伝いに歩きながら確認する。
視界が悪く、おまけに埃っぽく、咳をしながら摺り足で歩いていると、床にあった僅かな段差に脚を引っ掛けそのまま転んだ。床に溜まっていた埃が舞い上がり、一瞬視界が曇る。
寝室の床は畳ではなく木の板が張り付けられただけのもので、至る所が捲れ上がっていたため気をつけていたつもりだったが、まんまと罠にハマった気分になった。
自分の鈍臭さを呪いながら、立ち上がろうと床に手を付くと、ギシ、と一際大きな音を立てた。響くようなその音を不思議に思い手を退けると、そこには四角い小さな扉があった。
一体この部屋には幾つの扉があるんだろうか。
とうとう、自分一人で掃除を終えられる望みは無くなったと思いながら、鉄で出来た取手を掴み扉を開ける。
まるで秘密基地への入り口のようなそこは、真っ直ぐ下に向かって階段が伸びていた。既にここが地下室であるとこを考えると、更に地下に続いているこの階段は一体どこまでいくのだろうと不安になってくる。
この先はいよいよ光が届かなくなる。
見なかったことにして、無視をしてもいいような気もする。
しかし、俺は何故かこの階段の先がどうなっているのか知りたくなってしまった。怖いのに妙に惹きつけられて離れらない。まるであの金色の瞳と同じだと思った。
一瞬、後ろを振り返る。この部屋には俺しかいない。
なら、この先に進むか決めるのは紛れもない俺自身だ。
大きく息を吸う。
俺は大きく脈打ち始めた心臓の音を無視して、暗闇に溶けて先が見えない階段を降り始めた。
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