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不平等条約【ゼン】
しおりを挟む朝風呂を終え、部屋に戻ってきても男はまだ寝ていた。
ついでに洗濯機の中に見覚えのない服を見つけたが、聞こうにも相手は夢の中で諦めた。
よほど疲れているのか、規則正しく寝息を立てながら起きる気配は全くない。流石に起こすのも憚られるような寝姿に、俺はこの男が起きるまで放っておくことにした。
机の上に置いてあったスケッチブックを手にすると、鉛筆を持って男が寝ている真正面に座り込んだ。ここでなら、男を監視しながら仕事もできる。
幸い、今日店は定休日で開ける必要はないし、差し迫った仕事もない。
こういう時、自営業の良さを痛感する。毎年年末に確定申告で泣いていることも忘れるくらい、自分にあっている仕事だと思う。
そんな天職のような仕事なのに、ここ数ヶ月間は本当にしんどかった。予算の相談から始まり、デザイン、製作と何をしていても芽依の影がちらついた。
「普通、元カレに結婚指輪作ってとか言わないだろ……」
思わず愚痴る。
思い返せば、俺の仕事をいつも誰よりも身近で誉めていてくれたのは芽依だった。あの俺の仕事に対する賞賛の嵐はお世辞ではなかったんだな、と少しだけ懐かしむ。
一生身につけるであろう結婚指輪の製作を任せてくれた。多分、俺と俺の腕を信頼しての行動だろう。
だけど。
「まだ好きなんだからキツいって……」
自分はこんなにも未練たらしい人間だったのかと痛感した。普段は割とのらりくらりと生きているのに、芽依のことになるとグチグチと色んなことを考えてしまう。自分からあんなことをしておいて都合よすぎだとも思うが。
友達にも散々盲目過ぎだと揶揄われた。でも自覚はあってもやめられることじゃない。
「いい加減、ウザいな俺」
俺はスケッチブックを開いた。何ページか捲ると芽依にリクエストされた指輪のデザインが出てくる。金で作られた旦那とお揃いの太めのリング。石座は派手な形をしていて、指輪にしては邪魔になるんじゃないかと心配になるほどの大きめのダイヤモンドが嵌められている。
芽依はシンプルなものが好きなんだと思っていた。それなのに、彼女の好みは俺の想像とは真逆のものだった。
俺はスケッチブックを閉じようと表紙に手をかけた。パラパラと紙が捲れる。と、一番初めのページが目に入った。
プラチナの細めのリング。石はついていないが縁に模様が入っている。
今一番見たくなかったページだ。
「はぁ、」
俺は短くため息をつき、スケッチブックを机の上に戻した。気分転換に仕事をしようと思ったが、今日は雑念が多過ぎる。
俺は部屋の真ん中を陣取り寝こけている男に近付いた。
一応、呼吸はしているので生きてはいるが、それにしたって動きがなさ過ぎる。顔色が分からないため、もしかしたら体調不良でも起こしているのかもしれないと勘繰ってしまう。
俺はおもむろにゆっくりと男の前髪を払った。途端に現れる長いまつ毛が伏せられた頬。目鼻立ちははっきりとしていて中性的。ぱっと見の印象でしかなかった『綺麗な男』というイメージが完璧に補填される。
おそらく女に間違われることも多いであろうその顔は、俺が前髪を払った後、一拍遅れて薄く目を開けた。
続けて、ん~という声と共に大きく伸びをした。
「あ、ゼン、おはよー」
「おはよう……?」
「ぷっ、なんで疑問系?」
「なんでって……」
さも当たり前のように男は俺の名前を呼んだ。
まだ寝足りないのか、起きあがろうとはせず、ゴロゴロと寝返りをうっている。
「なんで俺の名前知ってんの?」
俺がそう言うと、驚いた顔で返された。その驚きようは流石に予想外で、もしかしたら自分がおかしなことを言ってしまったのかと姿勢を正す。
「ゼンが教えてくれたんでしょ? …………もしかして覚えてない?」
「あー……うん」
隠すわけにもいかず、正直に白状する。
「昨日バーでたまたま横の席になってさ、話ししてたらゼンがオレの服に飲み物こぼしちゃって」
そう言われればそんなことがあったような気がしてくる。相変わらずはっきりとした記憶は無いが。
となると、さっき見つけた洗濯機の中の服は俺が汚したものなのか、と納得する。
「で、お風呂貸してくれるって言うからついてきた」
「あー、悪い……」
記憶は無いが、話によるとこの男がここにいるのは俺のせいらしい。迷惑もかけたようで、とりあえず謝罪をした。
「本当に何も覚えてない?」
「申し訳ないけど、全く」
俺の答えに男は少し考えるような素振りを見せた。そしてすぐに表情を変え、笑いかけてくる。
「じゃあ、オレがゼンのEDを治す手伝いするって約束も忘れちゃった?」
「………………は?」
「ゼン言ってたじゃん! ED治すの手伝う代わりにここに住んでいいって」
「俺が?」
「うん!」
情けなくて誰にも言っていない秘密をこの男は知っていた。事の経緯は分からないが、俺の口から語られる以外に知る術はない。
と、いうことは。
「本当に俺がそんなお願いしたのか? 男のお前に? 何かの間違いだろ」
酒の勢いでとんでもない暴露をしてしまったと頭を抱えたくなったが、その事実をまだ素直に認められない自分もいる。切実に何かの間違いであってほしい。
「確かにオレは男だけど、その辺の女の子より上手い自信はあるよ?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
上手い下手ではなく、俺は男相手に欲情したりはしない。それどころか、自分には性欲は存在しないのかと、芽依に出会うまでは思っていたような男なのだ。見ず知らずの男に手伝ってもらったところで、どうにかできるわけがない。
「でも、実際、これ治さないと困るのはゼンだよね?」
言いながら股間を触られた。男同士で戯れ合いの延長線のような行動だと分かっていても引いてしまう。
男同士でも立派なセクハラだ。
「そもそもお前、何者なんだよ?」
「あ、そっか。それも忘れてるのか。オレの名前はトナミ。22歳で未成年じゃないから安心して」
大した情報も出さないでおいて安心して、と言い切るトナミに唖然とする。全く安心できる要素がない。
いぶかしむ俺の視線に気づいたのか、トナミは見ほれるほどの笑顔を作った。
「まぁ、オレとしてはどっちでもいいんだけど、」
一旦、トナミは意味深に言葉を区切った。
「もし、自分のせいで元カレがEDになったって知ったら、芽依さんはなんて思うかなぁ?」
そう言って小さなメモを見せてきた。
「お前、それ……!」
どこで手に入れたのか、メモには芽依の電話番号が書いてあった。
奥底が笑っていないトナミの瞳を見て、遅れて理解する。トナミは俺を脅してきているのだと。
この後、トナミがどういう行動をとるつもりなのかは分からないが、このままでは芽依にも迷惑がかかってしまうことだけは確かだ。
「オレだって、住むとこだけ提供してもらえれば悪いようにはしないしさ。ゼンもEDが治ってみんなハッピーじゃない?」
俺を脅している状況で、よくも抜け抜けとそんなことが言えると呆れ返る。
「とりあえず、お前は住むところが欲しいんだよな」
「トナミ」
「お前じゃなくて、トナミ」
「~~っ! トナミは住むところが欲しいだけなんだよな?」
「今のところは」
今のところは?
引っかかる答えに頬が引きつる。
「じゃあ、狭くても良かったらここに住んでいい。ただし、EDを治す手伝いはいらない、必要ない!」
「え、それじゃあ困らない?」
「困らない!」
俺が言い切ると、トナミは一瞬不服そうな顔をした後、渋々右手を俺に向かって差し出してきた。
なにをされるのかと一瞬構えたが、トナミは小首を傾げた。
「分かった。これからよろしくね」
一応、条件をのんでもらえたと解釈してひとまず安堵する。
トナミはずっと手を出して俺の動きを待っている。ここで握手を拒むのも空気が悪くなりそうで、俺も渋々手を出した。
トナミの手はひんやりと冷たく、何故か儚さを感じた。
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