プラチナピリオド.

ことわ子

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嫌悪感【トナミ】

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 服を脱ぐのを躊躇したのはいつぶりだろうか。
 いつもは脱がされるのが嫌で、太客から熱望された時以外はさっさと自分から脱ぐようにしている。
 もう少し恥じらいが欲しいとか、嫌がって欲しいとか、不服を漏らされることはあったが、だったらその分お金を払ってオレのその気にさせてみろよ、と内心流していた。全てお金のためにやっているのだ。まともに相手をしたところで、こっちの神経が擦り減ってしまう。

「ナナくん? どうしたの?」

 久しぶりに源氏名を呼ばれて一瞬反応が遅れてしまう。オレの本名の都七巳(トナミ)から真ん中の文字をとって、バイトの時はナナと名乗っている。
 やけに暖房がかかり過ぎ乾燥した狭い室内で、中年の男がオレの顔を覗き込む。なにもしていないのに既に額に汗が滲んでいて、それを拭こうともしない。こういう所が心底不快で嫌だった。

「あ、ちょっと考え事してた」
「やだなぁ、俺のことだけ考えてよ」
「うん、ごめんね」
「しょうがないなぁ。今日だけだからね」

 吐き気を感じながら、甘えた声を出す。
 今日の客はそこそこの常連だったが、どうにも全ての行動がしつこくて生理的に好きではなかった。

 髪の毛引っ張ってくるやつよりはマシなんだけどさ。

 妻子持ちだと言うこの男は、オレに可愛い恋人役を求めてくる。なまじ女顔を売りにしている分、そういう客がつくことは多かったが、それにしてもこの男のオレに対する執着は異常だった。
 チップを払うことは渋るくせに、高価なプレゼントは毎回持参してきてオレを飾りたがった。オレが誕生日に設定している日には、高級ホテルを勝手に予約してきて、奥さんにバレたら困るから、と無理矢理理由をつけて断った。
 この男の中で、オレは自分を真っ直ぐに愛してくれる恋人なのだ。だからお金は払いたくない。普通、恋人間のやり取りに金銭は発生しないからだ。
 オレとしては換金する手間を考えたら、プレゼントよりもお金の方が数倍嬉しかったが、設定を守ることも仕事の内か、と黙っていた。
 欲しくもないプレゼントを渡される度、甘える声のトーンを上げる自分が嫌だった。

「佐々木さんに会えなくて寂しかったぁ」
「そんな可愛いこと言うなよ」

 佐々木はよしよしとオレの頭を撫でた。
 髪に触られるのが嫌なオレは少しだけ身を引く。

「それに名前で呼んでくれるって約束しただろ~」
「あ、そうか。ごめんね、マサシさん」

 ちゃんと覚えてるよアピールをすると、目に見えて機嫌が良くなった。その顔に比例してオレのテンションは下がってくる。
 今日は服を脱ぐ気すら起きないな、と相手の服を脱がし始める。もしかしたら、このまま脱がないで終わらせられるかもしれないと、素早く相手の首筋に顔を埋める。雰囲気で押してしまえば、相手はオレが服を脱いでいないことなんて忘れて、ただひたすら自分の快楽に身を沈めるだろう。
 首にキスをして、舐める。いつも通りだ。
 オレが胸を弄り始めると、息が荒くなってきた。
 ただひらすら、されるがままになっている姿はかなり滑稽だ。自分からは何もしないマグロのくせに、常に自分はオレより上の立場でオレを守っているという妄想に取り憑かれている。自分に都合の良いペットか何かとでも思っているのだろう。

 …………ゼンとは大違いだな。

 ふと、ゼンの顔を思い出してしまい、手が止まる。

「どうしたの? 続けていいよ?」
「あ、うん、気持ちいいかなって」
「最高だよ。あ、もしかしてもう欲しくなっちゃった?」
「え、」

 にや、と背筋が凍るような笑みを浮かべた後、佐々木はオレを押し倒し、上に乗っかってきた。メタボ気味の体重がオレのお腹を圧迫してきて、肺の中の空気が外に漏れ出た。

「久しぶりに俺も頑張っちゃおうかなって思って! ナナくんの気持ちいい顔がみたいなぁ」

 悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。マグロはマグロらしく大人しくしていればいいのに、なぜか今日はやる気を出してしまった。

「オ、……レ、はマサシさんが気持ち良くなってくれた方が嬉しいなぁ」
「そんなこと言って、ナナくん謙虚だからおねだりするの恥ずかしかったんでしょ? ごめんね、今まで気付いてあげられなくて」

 駄目だ。全く会話にならない。
 オレは観念して目を閉じた。この地獄も永遠ではない。目を閉じて我慢していればいつかは終わる。
 ふー、ふー、と呼吸と鼻息が合わさったような荒い音だけが室内に響く。よほど興奮しているのか、服を脱がす手が震えている。
 シャツの前のボタンを開け終わると、今度は胸に手を当ててきた。しかし愛撫というにはぎこちなく、どんどん不快感だけが蓄積していった。

「ねえ、気持ちいい? どこが一番感じる?」

 慣れないことをしているせいか、いつもより質問の回数が多い。どこが感じるも何も、どこも感じてないのだから答えようがない。しかしオレは今お金で買われている身だ。最低限求められていることには応えないといけない。

「手、繋いで欲しいな……」

 これ以上身体を弄られたくなかったオレはいかにも恋人っぽいリクエストをしてみた。
 佐々木が好きそうなおねだりだ。

「なんだ、そんなこと! やっぱりナナくんは可愛いなぁ!」

 嬉々として、佐々木はオレの胸から手を離した。
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