プラチナピリオド.

ことわ子

文字の大きさ
上 下
27 / 36

初仕事【トナミ】

しおりを挟む
 ゼンに放置されて三十分経った。
 いや、放置という言い方は流石に嫌味っぽかったかもしれない。正しくは、ゼンに仕事を教えてもらっていたら急に常連客が来店し、ゼンが接客にかかりっきりになってしまい、何も指示をもらえないまま三十分経ってしまった。
 しばらくしたら戻ってくるだろうと思っていたが、何やら話が弾んでいるようで、もう少しかかりそうだなと思った。
 まだオレは本格的にゼンに仕事を教えてもらいはじめて数日しか経っていない。あまりにも出来ないことが多過ぎて、自分の判断で出来る仕事が僅かしかなかった。
 ゼンが扱っているものの中には高価なものも多く、勝手に触って無くしたりしたら困ると思うと、掃除すら出来ず、そうなると、まともな社会経験が無いオレは何をしたらいいか分からなかった。

 でも、流石に……

 お金を貰うという事はそれ相応の仕事をこなさなければならない。こんなオレを雇ってくれたゼンのためにも何かしなくては、と焦る。
 オレは工房内を見回した。掃除は出来ない。事務仕事も何をしていいか分からない。作る仕事はもってのほか。

 あ、でも。

 ゼンはこの仕事がオレに向いていると言ってくれた。ゆくゆくは作る仕事も教えてくれるつもりなだろう。それなら先に知識だけでも入れておいて損はないんじゃないだろうか。
 オレは工房の奥にある資料が置いてある大きな本棚に向かった。自分が読んでも理解出来そうな本がないか探すためだ。
 本棚には沢山の本が並んでいた。どの本もそこそこ年季が入っている。
 世界のジュエリー、ジュエリーの歴史、各有名ブランドのカタログに道具の通販カタログ。何故か花の図鑑や幾何学模様のデザイン集も置いてあった。しかし、どれも勉強にはなりそうだが、初心者向けではなくピンとこない。
 うーん、と首を捻りながら探していると、角の方にジュエリー入門という教科書のような本を見つけた。これだ、と思い本を手に取る。使い古されたその本の中には細かく書き込みがされていた。きっとゼンが使っていたものなのだろう。走り書きのような汚い字に思わず笑みが溢れてしまう。
 一生懸命勉強したんだろうな、とか、学生時代のゼンはどんな感じだったんだろう、とか、考えれば考えるほど愛おしくなってくる。
 そして、その時代に出会えていたら、自分はこんな人生を歩まなかっただろうなと思ってしまう。
 そんなことを考えても仕方がないのは分かっているのに、汚れる前の自分で会いたかった、などと暗いことを考えてしまい、我にかえる。
 どうにも思考が後ろ向きで良くない。

「あれ……?」

 気を取り直して、再び物色しようとすると、教科書が入っていた本棚の奥の方に何か小さな箱が挟まっているのが見えた。オレはなんとなく手を伸ばして箱を取った。
 白い小さな箱を開けると、ピンクのリボンがかかったリングボックスが入っていた。
 見慣れた形のリングボックス。オレの左手の薬指にはめさせて、自分のものだと主張したい男から嫌と言うほど贈られた。そのせいか、指輪はエゴの塊のように見えてしまい、あまり好きになれなかった。
 オレは元の場所に戻そうと腕を伸ばした。が、そもそもなんでこんな所に? と疑問が湧いてきてしまった。
 もしかしたら、ゼンが無くした指輪を探しているかもしれない。
 オレは無意識にリングボックスを開けていた。
 中にはシンプルな指輪が入っていた。石はついていないが細かい模様が入っている。オレは指輪をかざしてみた。内側にはpt900とだけ刻印が入っていた。名前や日にちのようなものは見当たらず、結局誰のものか分からなかった。

「トナミー!」

 突然、ゼンに呼ばれ、思わず自分のエプロンの前ポケットにそれを隠す。

「悪い、トナミちょっと来て!」
「すぐ行く!」

 慌ててゼンの方に行くと、店にもう一人の客が来ていた。見たことがあるその顔はオレを見てヘラヘラと笑った。

「弘也から荷物だけ受け取っておいてくれないか? 数だけ確認しておいてくれれば大丈夫だから」
「うん……分かった」
「悪いな、もうそろそろでこっちの話も纏まると思うから、そしたら仕事の続きを教える」

 早口にそれだけ言うと、ゼンは客の方に戻っていってしまった。

「こんにちは、トナミくん」
「………………こんにちは」

 オレは無表情で挨拶した。接客業は得意なはずなのに、こいつの前ではどうしても笑顔を作れなかった。
しおりを挟む

処理中です...