山猫に首輪は付けられない

空色蜻蛉

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番外編(~ノクト卒業まで)

仔猫と狼 ④

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 人のいない塔は静まり返っている。
 壁掛けの灯りはそのままなのに、妙に薄暗く、おどろおどろしい空気が漂っていた。
 自分の足音にビクビクしながら、リュンクスは足早に教室に入る。
 
「……あった」
 
 ロッカーの中に魔術書を見つける。
 一部の国の大きな街では本を印刷して増やす技術があるそうだが、魔術書はそういった印刷をしない。魔術は秘すべきもの。心得の無いものが印刷された書物を手にして、誤った魔術を使う事故を避けるため、大量生産はしない。
 塔の学生は、借りてきた魔術書を書き写し、自分の魔術書を作る。学生によっては先輩や兄弟から譲られた魔術書で勉強するが、借り物の魔術書では使いにくいので、優秀な生徒ほどメモ書きを入れた自分の魔術書を作るものなのだ。
 数年経てば、分厚くなる魔術書だが、一年生のリュンクスはまだ鞄にすんなり入る薄さだ。
 リュンクスは、魔術書を鞄に入れた。
 長居は無用だ。
 教室を出ようとした時。
 
「!!」
 
 鋭い痛みを足首に感じた。
 見下ろすと、くるぶしの辺りに食いついている蛇の頭が見えた。
 咄嗟に蹴り上げて蛇を引き離す。
 
「っつ」
 
 跳ね飛ばされた蛇は、壁際に這いつくばった。頭を上げ、尻尾を震わせて威嚇している。
 リュンクスは足首に手をやった。
 たらりと血が流れている。
 その時、唐突に目眩がした。
 たまらず膝をつく。
 視界の端に、蛇の異様に赤い目が瞬いた。
 
「毒……?」
 
 こんなに早く体に回るなんて。
 冬至祭は、魔物の動きが活発になるという。この蛇も陰気の影響を受け、凶暴化しているのだろうか。
 逃げないと。
 リュンクスは霞む目で蛇を睨んだ。
 気を緩ませると、蛇が襲ってくる気がした。
 しかし、抵抗できたのは、そこまでだった。
 暗幕が降りたように、視界が暗転し、ぐらりと体がかしぐ。
 リュンクスは床に崩れ落ち、気を失った。




 もっと本気で蛇を探しておけば良かったと、ノクトは後悔する。
 塔の中に後輩が入っていると感知した時には既に、事件は起こってしまっていた。
 
「リュンクス!」
 
 倒れた後輩に駆け寄る。
 そして、扉の隙間に逃げ込もうとしている蛇の後ろ姿を認めると、低い声で呟いた。
 
「凍れ」
 
 一瞬で冷気が走り抜ける。
 蛇は逃げようとしたその体勢のまま、凍りついて白い氷像になった。
 無力化した蛇には、もう目もくれず、ノクトは倒れ伏したリュンクスの体を診察した。
 毒だとすぐに気付き、解毒の呪文を唱える。
 水と風の魔術師であるノクトは、体内の毒素を追い出す術に長けている。
 リュンクスの顔色が良くなったのを確認し、安堵の息を吐いた。
 
「ノクト・クラブス。君がいてくれて良かったよ」
 
 遅れてきた教師は、リュンクスが無事で良かったと胸を撫で下ろす。
 ノクトは眉を上げた。
 
「冬至の塔は危険だ。なぜ一年生を一人で行かせたんです?」
「返す言葉もない」
 
 厳しい指摘に、教師は落ち込んでいる。
 年長者の威厳が台無しだ。
 
「先生、ノクト先輩。これは……リュンクスは大丈夫ですか?」
 
 やって来たのは、リュンクスの同級生のカノンだった。
 彼は油断のない佇まいで、闇の中でも金髪と黄金の瞳は一人だけ光輝を放っているようだった。
 カノンはリュンクスが寮にいない事に気付き、追って来たのだ。
 意識のないリュンクスに、心配そうに表情を曇らせている。
 ノクトは、リュンクスを抱き上げて立ち上がった。
 
「カノン。君の部屋にリュンクスを運ぶ。案内しなさい」

 ノクトは、人気の無い道を選び、寮に向かう。
 教師は「ノクト君に任せる」と宴に戻っていってしまった。
 その無責任な態度を、カノンは苛立たしく思ったが、生徒の身分で悪戯に教師に喧嘩を売るのは愚行だと心得ていた。
 今はそれよりも、リュンクスを抱き上げて運ぶノクトが気になっている。
 
「リュンクスを助けて頂いた事を感謝します」
「別に。私は自分のサーヴァントを助けただけだ」
 
 ノクトは涼しい面持ちで答える。
 そして、カノンにとって予想外の提案をした。
 
「リュンクスに聞かれたら、私の名前は出すな。カノン、君がリュンクスを助けた事にすればいい」
「な?!」
 
 カノンは唖然とする。
 
「どういうつもりだ? あなたは、リュンクスを気に入っているのだろう!」
 
 驚いて、上級生に対する敬語が抜ける。
 しかしノクトの方は気にしていないようだ。
 
「気に入っていようがいまいが、私はもうすぐ卒業だ」
 
 淡々と続ける。
 
「リュンクスは、この先何年も塔で過ごす。沢山の出逢いと別れを経験するだろう。私はその中の一つでしかない。だが君は、これから先ずっとリュンクスと共に学んでいく」
 
 カノンは愕然としながら、ノクトの横顔を見上げた。
 
「君は進学するつもりだろう」
「……当然です」
 
 魔術師の名門出身のカノンは、自分は進学すると信じて疑っていなかった。
 
「リュンクスを連れていくといい。この子には進学する理由がない。だがマスターの君が引っ張れば、進学の道を選ぶだろう」
「その先で、あなたがリュンクスを得るために、俺を利用する気か」
 
 カノンは烈火の怒りを宿した瞳で、ノクトを睨んだ。
 
「いいや。まあ、リュンクスが私の事を覚えていれば、そうなるかもしれないけどね」
 
 だが、ノクトの気のない返事に、怒気を削がれる。
 
「私は君と違い、無理やりリュンクスを抱いた。仲良く見えるかもしれないが、上手く口先で丸め込んで、傍に置いているだけだ。君の誠心誠意には敵わない」
「……」
「叶うなら……そうだな。変わった先輩がいたと、リュンクスの記憶に残れば、それでいい」
 
 ノクトは、カノンの寝台にリュンクスを下ろした。
 名残りを惜しむように、指の先でそっと後輩の頬をなぞる。しかしカノンが見ている事に気付くと、姿勢を正した。

「後は君に任せるよ」
 
 どこか寂しげな後ろ姿が消えるまで、カノンは立ったまま見送る。
 悔しさと嫉妬と憤慨と、少しの尊敬と……恵まれた貴族として育ってきたカノンにとって、それは未知との遭遇だった。彼は自分の未熟さと、一筋縄ではいかない世の道理を、理解した。
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