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第10章 誓う
誓うⅡ
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そうして、日が傾いて空が黄色に変わってきた頃だ。三人で人が疎らな通りを歩いているのは良いのだけれど、自然と私の足は止まっていた。
小さな段ボール箱に、これまた小さな白い毛玉が丸まっていたのだ。『可愛がってください』なんて一言が添えられている。それならば、元の飼い主が責任と愛情を持って育てなさいよ、と文句を言いたくなった。
頬を膨らませながら、気付けばその白猫を抱き上げていた。
「この子、連れて帰ろう? 独りぼっちは嫌だもんね」
クリクリの青い瞳はまっすぐに私を見詰めてくる。
「駄目だ。俺たちは飛空船で生活してるだろう。この子には狭すぎる。可哀想だ」
出しかけた手を引っ込め、アルフレッドは口をへの字に結ぶ。
「戻しなさい」
アルフレッドは私に一歩近付き、眉間にしわを寄せる。私には首を横に振る以外の選択肢は残されていなかった。
「参ったな……」
アルフレッドが頭を抱えようとした時、ゼインが何か閃いたように口を開いた。
「もしかしたら、解決するかもしれません」
「どうやってだ?」
「ここの領主の伯爵に託すんです。温厚で猫好きな方として知られていますから」
良い話のはずなのに、アルフレッドは眉をひそめた。
「レインはその伯爵には顔を知られてないのか?」
「幸いなことに。この島へ来るのは、いつも父と兄と義母だけでしたから」
ほっと胸を撫でおろしたように、アルフレッドは息を吐き出す。それも束の間、怪訝そうに首を傾げる。
「レインは?」
「……さ、行きましょ!」
ゼインは何事もなかったかのように、先頭を歩き始めた。その背中は過去を今でも引き摺っているようだ。
胸に鋭い痛みが走り、子猫をきつく抱き締めていた。子猫は小さく「にゃー」と鳴く。
「痛かったかな? ごめんね」
その頭を撫で、ゼインの背中を眺めた。
「……俺たちも行くか」
「うん」
晴れ晴れとしない顔で、アルフレッドと一緒に一歩を踏み出す。ゼインが振り返らなくて良かった。今の私はきっと笑ってあげられないだろう。
気まずい空気を悟られないようにするためなのか、アルフレッドはわざとらしい明るい声で話す。
「伯爵の家はどこなんだ?」
「この本通りをまっすぐ、まーっすぐ行ったところに、小さく屋敷が見えるじゃないですか。あれです」
目を凝らしてよく見てみると、霞がかかった先に、本当に小さく屋敷が見える。距離を考えただけでも足が棒になってしまいそうだ。
「歩いて行くの?」
「いえ、流石に馬車を使いましょう。この先に停留所がありますから」
ゼインが指さす方には、二台の馬車が停留していた。良かった。安心してしまい、子猫が手の中から飛び出してしまいそうになる。
「おっとと」
慌てて子猫を抱き直す。よく見てみると、この子の瞳は昔、ロゼリアが連れてきた白猫の瞳に似ている。親子かな、とも思ったのだけれど、ここは異国だからそんなはずもない。
「他人の空似、かな?」
頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めるので、私も嬉しくなってしまった。
停留所から馬車に乗って十五分、といったところだろうか。揺られてゼインの顔が青くなっていくのを感じながら、「ごめんね」とは言えずにいた。アルフレッドとだけ話す気分にもなれず、ただ街の風景を眺めていた。立ち並ぶログハウスは夜に見るものとは違い、可愛らしい。吹き抜けていく風も穏やかで気持ちが良かった。
「ティアは優しすぎる。子猫まで見捨てられないなんて、将来、苦労するぞ?」
「そうかな?」
苦労しようと、小さな命だとしても見捨ててはいけない。これは亡くなった母の教えだ。曲げる訳にはいかなかった。それ以上に、この子には私のように寂しい思いをさせたくはない。
伯爵邸の前で馬車を停めてもらい、子猫を抱いて意を決する。
「ここで待ってて」
「分かりました」
御者に帰りの移動もお願いし、準備は万端だ。先に一歩前へと出たのはゼインだった。
「じゃあ、ドアノッカー叩きますよ」
「……いや、俺にやらせてくれ。猫の保護を反対したのは俺だからな」
アルフレッドはゼインを押し退けるようにして前へ進み、ドアノッカーに手を掛けた。重たい音が三回響き、扉は開けられる。現れたのは年配の執事だった。
「どちら様でしょうか?」
「すまない、この猫を保護してもらいたい」
アルフレッドは振り返り、私の腕の中の猫へと目配せをする。すると、執事はすぐに屋敷内へと消えていった。
「大丈夫かな」
不安になり、呟いてしまう。
「話すだけ話してみるさ」
アルフレッドがにこっと笑って親指を立ててくれるので、その優しさに賭けてみることにした。呼吸が僅かに浅くなった時、白髪交じりの紳士が姿を現した。
「猫を連れてきたのは君たちかな?」
伯爵は口ひげを触りながら、穏やかに対応してくれる。
「はい、その子なんですが」
「おお、可愛らしい白猫じゃないか」
笑いながら、嬉しそうにこちらを見た。
「こっちに来て、よく見せてみなさい」
「はい」
きっと、この人なら大丈夫だ。私の中にある勘がそう告げる。アルフレッドに並び、子猫を差し出していた。伯爵は子猫を受け取ると、愛おしそうに撫で始める。
「目もガラス玉みたいだな。可愛いな、君ー」
その様子は、すっかりデレデレな親のようだ。子猫も気持ち良さそうに頭を伯爵の胸に擦り付けている。
「保護してくださいますか?」
「勿論だ」
あまりにも即答で、託したこちらも清々しい。伯爵は笑い合う私たちを見て、更に顔を綻ばせる。
「せっかくだ、君たち、少し茶でも飲んでいかないか?」
「いえ、俺たちは急いでいますので」
アルフレッドは会釈をし、伯爵ににこっと微笑みかける。とその時、伯爵の眉がピクリと動いたのだ。
「ん……?」
伯爵はそのままアルフレッドの顔を覗き込む。
「どこかで見たことがある顔のようだが……」
その一言に肝が冷える。手には汗が滲み始めた。伯爵が思い出してしまえば、アルフレッドは確実に捕まる。咄嗟にアルフレッドの腕を掴み、踵を返していた。お願いしていた通り、伯爵邸の前にはまだ馬車がいる。急げば乗せてくれるかもしれない。
「ティア?」
「その子をお願いします!」
乱暴に言い放つと、アルフレッドの手首を引っ張って、走り出していた。きっとゼインもついてくるだろう。
「あーっ!」
叫ぶ伯爵の顔はもう見られない。あともう少しで馬車に辿り着く。足が縺れそうだ。
「まさか……!」
「出発して!」
三人で馬車に飛び乗り、震える声を絞り出す。怯えた御者は何度も手綱を叩く。
「おい、逃がすな! 捕らえろ!」
その声を合図に、いななく馬は猛発進を遂げたのだった。
騎士を呼ばれるのは時間の問題か。肩を抱きながら、荒々しく走る馬車に身を隠す。途中でゼインの顔色が青く変わったけれど、気にしてあげられる余裕はない。馬車の中で吐かなかったことだけが救いだろう。
停泊所前で馬車を止め、運賃代わりに砂金を数粒置いてきた。転がるようにホープ号を目指す。
「ティア、大丈夫か!?」
「なんとか!」
考えずに返事をし、息を切らす。その時に、ドレスを着た女性とすれ違った気がしたのだ。その視線をずっと感じていた。
「ゼイン様……?」
大きすぎる呟きは、ゼインの足を止めさせる。
「アネモネ……?」
ゼインを置いてはいけない。でも、立ち止まる訳にもいかない。どうしようか考えていると、アルフレッドに手を引っ張られた。
「こっちに隠れよう!」
木箱と停泊してあった飛行船の間に滑り込み、身を潜めた。
小さな段ボール箱に、これまた小さな白い毛玉が丸まっていたのだ。『可愛がってください』なんて一言が添えられている。それならば、元の飼い主が責任と愛情を持って育てなさいよ、と文句を言いたくなった。
頬を膨らませながら、気付けばその白猫を抱き上げていた。
「この子、連れて帰ろう? 独りぼっちは嫌だもんね」
クリクリの青い瞳はまっすぐに私を見詰めてくる。
「駄目だ。俺たちは飛空船で生活してるだろう。この子には狭すぎる。可哀想だ」
出しかけた手を引っ込め、アルフレッドは口をへの字に結ぶ。
「戻しなさい」
アルフレッドは私に一歩近付き、眉間にしわを寄せる。私には首を横に振る以外の選択肢は残されていなかった。
「参ったな……」
アルフレッドが頭を抱えようとした時、ゼインが何か閃いたように口を開いた。
「もしかしたら、解決するかもしれません」
「どうやってだ?」
「ここの領主の伯爵に託すんです。温厚で猫好きな方として知られていますから」
良い話のはずなのに、アルフレッドは眉をひそめた。
「レインはその伯爵には顔を知られてないのか?」
「幸いなことに。この島へ来るのは、いつも父と兄と義母だけでしたから」
ほっと胸を撫でおろしたように、アルフレッドは息を吐き出す。それも束の間、怪訝そうに首を傾げる。
「レインは?」
「……さ、行きましょ!」
ゼインは何事もなかったかのように、先頭を歩き始めた。その背中は過去を今でも引き摺っているようだ。
胸に鋭い痛みが走り、子猫をきつく抱き締めていた。子猫は小さく「にゃー」と鳴く。
「痛かったかな? ごめんね」
その頭を撫で、ゼインの背中を眺めた。
「……俺たちも行くか」
「うん」
晴れ晴れとしない顔で、アルフレッドと一緒に一歩を踏み出す。ゼインが振り返らなくて良かった。今の私はきっと笑ってあげられないだろう。
気まずい空気を悟られないようにするためなのか、アルフレッドはわざとらしい明るい声で話す。
「伯爵の家はどこなんだ?」
「この本通りをまっすぐ、まーっすぐ行ったところに、小さく屋敷が見えるじゃないですか。あれです」
目を凝らしてよく見てみると、霞がかかった先に、本当に小さく屋敷が見える。距離を考えただけでも足が棒になってしまいそうだ。
「歩いて行くの?」
「いえ、流石に馬車を使いましょう。この先に停留所がありますから」
ゼインが指さす方には、二台の馬車が停留していた。良かった。安心してしまい、子猫が手の中から飛び出してしまいそうになる。
「おっとと」
慌てて子猫を抱き直す。よく見てみると、この子の瞳は昔、ロゼリアが連れてきた白猫の瞳に似ている。親子かな、とも思ったのだけれど、ここは異国だからそんなはずもない。
「他人の空似、かな?」
頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めるので、私も嬉しくなってしまった。
停留所から馬車に乗って十五分、といったところだろうか。揺られてゼインの顔が青くなっていくのを感じながら、「ごめんね」とは言えずにいた。アルフレッドとだけ話す気分にもなれず、ただ街の風景を眺めていた。立ち並ぶログハウスは夜に見るものとは違い、可愛らしい。吹き抜けていく風も穏やかで気持ちが良かった。
「ティアは優しすぎる。子猫まで見捨てられないなんて、将来、苦労するぞ?」
「そうかな?」
苦労しようと、小さな命だとしても見捨ててはいけない。これは亡くなった母の教えだ。曲げる訳にはいかなかった。それ以上に、この子には私のように寂しい思いをさせたくはない。
伯爵邸の前で馬車を停めてもらい、子猫を抱いて意を決する。
「ここで待ってて」
「分かりました」
御者に帰りの移動もお願いし、準備は万端だ。先に一歩前へと出たのはゼインだった。
「じゃあ、ドアノッカー叩きますよ」
「……いや、俺にやらせてくれ。猫の保護を反対したのは俺だからな」
アルフレッドはゼインを押し退けるようにして前へ進み、ドアノッカーに手を掛けた。重たい音が三回響き、扉は開けられる。現れたのは年配の執事だった。
「どちら様でしょうか?」
「すまない、この猫を保護してもらいたい」
アルフレッドは振り返り、私の腕の中の猫へと目配せをする。すると、執事はすぐに屋敷内へと消えていった。
「大丈夫かな」
不安になり、呟いてしまう。
「話すだけ話してみるさ」
アルフレッドがにこっと笑って親指を立ててくれるので、その優しさに賭けてみることにした。呼吸が僅かに浅くなった時、白髪交じりの紳士が姿を現した。
「猫を連れてきたのは君たちかな?」
伯爵は口ひげを触りながら、穏やかに対応してくれる。
「はい、その子なんですが」
「おお、可愛らしい白猫じゃないか」
笑いながら、嬉しそうにこちらを見た。
「こっちに来て、よく見せてみなさい」
「はい」
きっと、この人なら大丈夫だ。私の中にある勘がそう告げる。アルフレッドに並び、子猫を差し出していた。伯爵は子猫を受け取ると、愛おしそうに撫で始める。
「目もガラス玉みたいだな。可愛いな、君ー」
その様子は、すっかりデレデレな親のようだ。子猫も気持ち良さそうに頭を伯爵の胸に擦り付けている。
「保護してくださいますか?」
「勿論だ」
あまりにも即答で、託したこちらも清々しい。伯爵は笑い合う私たちを見て、更に顔を綻ばせる。
「せっかくだ、君たち、少し茶でも飲んでいかないか?」
「いえ、俺たちは急いでいますので」
アルフレッドは会釈をし、伯爵ににこっと微笑みかける。とその時、伯爵の眉がピクリと動いたのだ。
「ん……?」
伯爵はそのままアルフレッドの顔を覗き込む。
「どこかで見たことがある顔のようだが……」
その一言に肝が冷える。手には汗が滲み始めた。伯爵が思い出してしまえば、アルフレッドは確実に捕まる。咄嗟にアルフレッドの腕を掴み、踵を返していた。お願いしていた通り、伯爵邸の前にはまだ馬車がいる。急げば乗せてくれるかもしれない。
「ティア?」
「その子をお願いします!」
乱暴に言い放つと、アルフレッドの手首を引っ張って、走り出していた。きっとゼインもついてくるだろう。
「あーっ!」
叫ぶ伯爵の顔はもう見られない。あともう少しで馬車に辿り着く。足が縺れそうだ。
「まさか……!」
「出発して!」
三人で馬車に飛び乗り、震える声を絞り出す。怯えた御者は何度も手綱を叩く。
「おい、逃がすな! 捕らえろ!」
その声を合図に、いななく馬は猛発進を遂げたのだった。
騎士を呼ばれるのは時間の問題か。肩を抱きながら、荒々しく走る馬車に身を隠す。途中でゼインの顔色が青く変わったけれど、気にしてあげられる余裕はない。馬車の中で吐かなかったことだけが救いだろう。
停泊所前で馬車を止め、運賃代わりに砂金を数粒置いてきた。転がるようにホープ号を目指す。
「ティア、大丈夫か!?」
「なんとか!」
考えずに返事をし、息を切らす。その時に、ドレスを着た女性とすれ違った気がしたのだ。その視線をずっと感じていた。
「ゼイン様……?」
大きすぎる呟きは、ゼインの足を止めさせる。
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