[短編]週末だけ犬になる俺を、ポーカーフェイスな妻が溺愛してくる

沖果南

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そして魔法は解けました

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「な、なにごとですか!?」

 急な闖入者に、カレンは慌てて涙を拭き、すっくと立ち上がって振り向いた。

「この中庭は、皇族しか入ってはいけない場所なのですよ」

 中庭に入ってきたのは、風采の上がらない男だった。ウォーレンを犬にした宮廷魔法使い(張本人)である。赤毛に怪しげなとんがり帽子を被っているこの魔法使いは、べらぼうに優秀だがその分だけトラブルを起こす、たちの悪い男だ。
 カレンは宮廷魔法使いを冷たく睨んだ。すっかりいつもの隙のない氷の皇后の顔に戻っている。

「あっ、カレン様も陛下と一緒だったんですね。すみません、僕は陛下に急ぎの用がありまして」
「陛下? ここに陛下はいらっしゃらないけれど……」

 カレンは怪訝そうな顔をする。魔法使いは不思議そうな顔をした。

「えっ、その犬は皇帝陛下ですよね?」

 ――おい、何を言っているのだお前は! 私が犬になることは秘密にしろと、あれほどいっただろうが!

 命令しようにも、ウォーレンの口から出てきたのは「くんくぅん」という情けない声だった。犬なので仕方ない。
 事情がまったく分からないカレンは眉をひそめる。

「宮廷魔法使い様、貴方まさかこの迷い犬に『皇帝陛下』という名前を付けているのですか? それは、あまりに不敬だと思うのですが……」
「ええっ、誤解です! そういう訳じゃなくて、この犬は本当に陛下なんですよ! その証拠に、いまからちゃんと魔法を解きますから!」

 そう言って、魔法使いはなにやら小難しい呪文を唱えはじめる。

 ――これはまずい! 

 先ほどまであれほど人間に戻りたいと思っていたが、絶対に今ではない。
 反射的にその場から逃げようとしたウォーレンだったが、ウォーレンのフワフワの身体がふわりと宙に浮き上がるほうが早かった。
 見えない力に抵抗しようとウォーレンは前脚をジタバタさせたが、時すでに遅し。情けなく空をかいていた四肢が伸び、カレンが撫でていたフワフワの毛は離散し、尻尾はあっという間に尻の付け根あたりに収納されてしまった。

 ――や、やめろぉ!

 ウォーレンの必死の抵抗もむなしく、 辺り一面が光り輝き、その中心から慌てふためいた顔をした、背の高い精悍な男性が現れた。パパリッツィ帝国の若き名君、ウォーレン・ロイ・パパリッツィである。身体に異変はなく、完璧に人間に戻ったらしい。
 ウォーレンが人間に戻ったのを確認した魔法使いは、大きなため息をついて胸をなで下ろした。

「はあ、よかったぁ。これでまた、僕は魔法の実験に専念できる。しかし、眠気を吹き飛ばす魔法をかけたら、陛下が犬になるなんて、やっぱり魔法は奥が深いなぁ……。今度は違う呪文を考えなきゃ……」

 魔法使いは何かをブツブツいいながら、中庭を去っていく。実験のことしか考えていない彼は、時として相手が皇帝でも別れの挨拶を忘れて去っていくのが常だ。いまさら注意する気にもならない。
 それより、問題はカレンだ。

「なんてこと……」

 カレンはしばし唖然とした後、徐々に頬が赤くなっていった。もちろん、ウォーレンの顔も赤い。
 彼女の脳裏には、自分が今までやってきたことが次から次へと浮かんでいるのだろう。同じく、ウォーレンの脳裏にも、犬になって思う存分甘えてしまったあれやこれやが浮かぶ。
 なんとなく気まずい空気が流れた。

「へ、陛下が、ワンちゃんだったなんて……。 そ、そんな……」
「カレン、すまない……。その、君がそんなに犬が好きだと思わなかった……」

 カレンの華奢な方がピクリと跳ねる。
 先ほどまでの冷たい雰囲気が崩れ、カレンはおろおろと視線を彷徨わせていた。いまや顔は耳まで真っ赤で、今にも泣きそうな顔をしている。

「へ、陛下、申し訳ございません。私ったら、陛下がその、あんなに可愛らしい姿になっているとは知らず、とても無礼な態度をとってしまいました……」
「あ、いや、それは俺もだ……」

 むしろ、自分が犬の姿だからと油断し、明らかに皇帝として、否、人間としてふさわしくないアレコレをしていたのは、間違いなくウォーレンである。
 しかし、カレンはウォーレンのやらかした痴態より、自分の行いを気にかけていた。

「私が泣いているところを、陛下は見てしまいましたか? あんなに情けない姿を見られるなんて、皇后失格ですよね。ど、どうか、失望しないでくださいまし……」

 よろよろと頭を下げるカレンに、いつもの完璧な皇后の影はどこにもない。やはり、生真面目なカレンは無理をして理想の皇后の仮面を被っていただけだったのだ。
 改めて年下の妻の健気さに気づかされ、心を打たれたウォーレンはその場に膝をつく。そして、頭を下げるカレンの顔をのぞきこんだ。長らく見つめあうことを避けていたふたりの視線が、久しぶりに交わる。

「カレン、顔を上げてくれ。君はよくやっている。どんなときだって頑張ってきた君を、俺は高く評価しているんだ」

 ウォーレンは必死でカレンに思いを伝えた。プライドや羞恥心を気にしている場合ではない。今こそ、向き合うべき時がきたのだ。

「君の父親が、カレンに世継ぎの話をしていることも知らなかった。君にばかり、心労をかけてしまったようだ」
「へ、陛下……?」
「カレンに手を出さなかったのは、その……嫌われていると思っていたからだ。それに、魅力的な君を前にすると、どうしてもうまくしゃべれなかった。結局のところ、俺が臆病者だったのだ」
「……っ!」

 カレンはアイスブルーの瞳を見開いた。涙で潤んだ目が、キラキラと光る。

「すまなかった。カレンの強さに、俺は甘えるだけ甘えていたのだ。結局、君を傷つける結果になってしまい、本当に後悔している。これからは、君と向き合うと誓おう」

 真面目に告白するウォーレンをじっと見ていたカレンは、ふと息をのんだ。

「……陛下、あの」
「どんなに謝っても、君を傷つけたことには変わらない。俺を恨んでくれても構わない。それでも、どうか俺を見捨てないでほしい」
「そうじゃなくて、あの……っ」

 カレンは真っ赤になって、くるりと後ろを向き、ウォーレンから眼を背けた。ウォーレンは怪訝な顔をする。
 その時、魔法使いが小走りで戻ってきた。手には緋色のマントを持っている。

「ああっ、陛下! 犬になる魔法が解けたら、陛下は真っ裸になるのをすっかり忘れてましたぁ!」

 カレンは後ろを向いたまま、おずおずと頷く。

「服を着てくださいな、陛下。あのフワフワの毛がなくなってしまったいま、裸のままでは御身が冷えてしまいます」
 
 ウォーレンは、ひどく赤面した。
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みんなの感想(1件)

2024.03.06 ユーザー名の登録がありません

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2024.03.06 沖果南

ありがとうございます😊✨ほっこりしていただけて嬉しいです!

解除

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