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学校への復帰と……
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翌朝、母に車で校門前まで送られた詩奈。
重いリュックを背負い、松葉杖での登校初日が始まった。
玄関に着き、瑞輝や凌空が待っている事に気付いた瞬間、不安しか無かった詩奈の顔に、パッと明るい光が差した。
詩奈のリュックを持った瑞輝
(矢本君と北岡君、私が来るのを待っていてくれたんだ! クラスも違うから、矢本君には、もうあまり会う事も無いと思っていたのに、嬉しい!)
その嬉しさで、少なくとも今日一日は乗り切って行けそうに思った詩奈だったが……
詩奈のクラスは1組で、幸い階段を4階まで上ってすぐの教室だが、その4階分の階段が思ったより長く、松葉杖では15分以上かかっていた。
ほとんどの生徒達の登校前に玄関に着いたはずが、途中で登校する生徒達にどんどん追い抜かれ、教室に辿り着くまでには生徒達の2/3以上が席に着いていた。
「おはよう」
久しぶりで、誰に挨拶していいのか分からないまま、手前のドアで先生がするように挨拶した詩奈。
勇気を奮った詩奈の挨拶への返事は、誰からも無かった。
その代わり、クラスのあちこちから、クスクスと含み笑いのような声が聴こえて来た。
入院前の詩奈の席は窓際の一番後ろだったが、その席だけ、机と椅子が逆様にされていた。
「誰がこんな事したんだ?」
座る事が出来ず困惑している詩奈の前に行き、机と椅子を元通りに置いた凌空。
その途端、生徒達から冷やかしの声が上がった。
詩奈が席に着くと、黒板の全体に描かれた落書きが目に飛び込んで来た。
それは、すぐに自分と凌空と瑞輝の事だと分かった。
『祝 ビッチ女の復帰』と大きく書かれ、矢印付きの三角関係の相関図と、2種類の名前の組み合わせの相合傘、ピンクのチョークで描かれた沢山のハート。
詩奈と凌空が気付くのを待っていたとばかりに、ますます冷やかしの声が大きくなった。
凌空が無言で黒板を消しかけた時に、ドアが開いて、瑞輝が入って来た。
「ゴメン! 牧田のリュック、そのまま4組に持って行ってた!」
瑞輝の声に振り向いた詩奈の表情が、先刻、クラスに入る時までの笑顔と全く違っている事に気付き、教室内にいるはずの凌空を探した。
凌空を見付けるよりも早く、消そうとしている黒板の落書きの方が、瑞輝の目に留まった。
「感じ悪いな~、このクラス!」
瑞輝は、クラス内の生徒の顔をぐるりと睨み付けるように見渡してから、凌空と一緒に、もう1つの黒板消しで消し出した。
瑞輝の後を追って来た、同じく4組の有川若葉も、その落書きを目にして憤慨していた。
「間違えてるじゃん! ここは、私の名前書く所だって!」
瑞輝の名前の書かれた相合傘の相手が詩奈という事に納得いかず、文句を付けた若葉に、クラス中がドッと笑った。
彼らの幼馴染みである若葉もまた、凌空や瑞輝と同様にカリスマ性が有り、女子からも男子からも好かれていた。
3人揃うと『三貴神』と称され、尊ぶ女生徒達も少なからずいた。
1組の教室内に3人揃っている間は、クラスメイトからのヒソヒソ声も冷やかしも消えていた。
(有川さん……同じクラスになった事は無くて、初めて近くで見たけど、こんな人目を引くキレイな人だったんだ~! これだけ美人で人気者だったら、矢本君に自分からグイグイ積極的に出る気持ちも、分かる気がする……)
小麦色の肌に、黒目がちな大きな瞳と口角の上がった美しい輪郭の唇、水着のグラビアアイドルのようなプロポーションの良さが制服の上からでも分かる。
そんな若葉を眩しい感じに見えるのは、詩奈だけではなく、クラス中の男女も同様だろう。
人は、自分には到底勝ち目の無いような尊い存在の前では、思い通りの言動が出来なくなるものなのかも知れない。
瑞輝と若葉が4組に戻り、温厚で大人しい凌空だけになると、クラスメイト達から容赦無く陰口と冷やかし声が襲い掛かり、詩奈は耳を塞いで机に伏せた。
「止めろよ! 病欠明けの生徒に嫌がらせするのは!」
普段、声を荒げる事の無い凌空が大声で詩奈を庇うと、クラスメイト達は思惑通りと言わんばかりに嘲笑し出した。
「北岡君、4組の矢本君と両天秤にかけられて、本音はどうなの?」
「若葉まで、巻き込まれて、気の毒だよね~!」
「三貴神を従えるなんて、図々しい!」
「牧田なんか、そこまでいい女かよ?」
「そのままずっと入院しとけば良かったのに」
「今更、登校して来ても、誰? って感じなんだけど!」
「体育祭とか、足引っ張られそうで迷惑じゃね!」
大声で罵声を止めさせようと試みても、余計に彼らを煽る結果にしかならず、諦めて口を閉ざした凌空。
(これから、毎日、こんな学校生活を繰り返す事になるの……? 小学校の時から今まで、学校は面倒臭いと思う事は有っても、行くのが嫌だった事なんて一度も無かったけど……もう、帰ってしまいたい! こんな状態だと、矢本君や、何より同じクラスの北岡君にすごく迷惑かけてしまう!)
自分に向けられている仕打ちも辛いが、それにも増して、瑞輝や凌空を煩わせる事が心苦しい詩奈。
「何だか、今日は妙に騒がしいな!」
担任の浜口正大が教室に入った途端、生徒達は咄嗟に口を閉ざした。
「えー、約1ヵ月くらい怪我で休んでいたが、今日からやっと、牧田が復帰した。当分の間、まだ松葉杖は手放せない。要領悪かったり、遅れる事も多いだろうから、クラスの皆で手伝ってあげるように! 牧田、そこの席のままで大丈夫か?」
一番後方の窓際席は、入口からは遠いものの、壁に松葉杖を立て掛けて置く事が出来、詩奈にとっては好都合だった。
「この席のままがいいです」
松葉杖が他の生徒達の通行の邪魔をしないように、しばらく席替えはしない事を望む詩奈。
「そうか、1ヵ月ぶりの登校だから、無理しないように。勉強も付いてくるのが大変かも知れないが、リハビリの合間に復習もしっかりするんだぞ! 何か困った事が有ったら、いつでも相談に乗るから、言ってくれ」
1時限目の英語の教師が廊下で待っているのが見え、浜口が入れ替わった。
(入院する前までは気付かなかったけど、浜口先生って、意外と親切な先生だったんだ。相談って、クラスメイトの態度が嫌な事とか……? でも、そんな相談して、先生がクラスメイト達を注意すると、絶対仕返しされそう……)
まだ我慢出来るレベルは、自分の中で堪え、担任には相談しない方が良いと思えた詩奈。
入院中、凌空が分かりやすく工夫して書いていたノートを見せてもらっていたが、特に英単語を覚えようとしてなかったせいか、久しぶりの英語の授業は、耳慣れない単語ばかりで、リスニング問題が聞き取れなかった。
他の教科は、凌空からのノートが功を成し、授業が理解出来た。
困難だったのは、体育の授業。
まず4階分の階段を下りて行くのに時間がかかり、誰も残っていない更衣室での着替えや、長い廊下を歩いて体育館に行くのにも時間がかかった。
体育館に付いた時には、もう既に、バスケットボールの練習が開始され、体育館の隅に座り見学した。
体育が終わると、また長い廊下を歩き、更衣室で着替え4階まで上るのが一苦労で、教室に戻った時には休憩時間も終わっていた。
(今までは、4階に上る程度でもダルいと思っていたけど、松葉杖の方がずっと大変過ぎる! 普通に歩いて上れていた事が、どんなにラクな事だったんだろうって、今さら思い知らされた。普通に歩けていたのに、そんな事が、ダルいなんて思ってしまったから、罰が当たったのかな……?)
詩奈は今週、給食当番の班だったが、松葉杖では給仕出来ないという事で免除された。
だが、その分、班のメンバー達の負担が増えたというクレームが、詩奈の耳に聞えよがしに届いた。
「ごめんなさい。足が治ったら、その分、連続で給食当番するから」
と、給食当番のメンバー達に頭を下げた詩奈。
「そういう事じゃないんだよね~。結局、治ってからサボった分を取り戻そうとしても、他の班は牧田さんが加わった分ラクになるけど、今の私達は、少ない人数で負担が増えている事に変わりないじゃん!」
嫌味のように言い返され、閉口した詩奈。
「僕が、牧田さんの代わりに入るよ」
詩奈が責められているのが聞こえ、凌空が申し出た。
「北岡君に代わりしてもらえるなら、まあいいけど!」
給食当番のメンバー達は、それ以上は文句を言わなかった。
「代わってくれてありがとう、北岡君」
「大した事無いよ。給食当番くらい」
凌空のおかげで救われたものの、後ろめたい気持ちは余計に募った。
そしてそれは、給食当番だけに限らず、清掃の時間にも痛感させられた。
「ごめんなさい、掃除もまだ無理で」
頭を下げて謝った詩奈。
「体育も、給食当番も、清掃も見学ですか~! いいとこ取り過ぎて、良い御身分ですね~!」
「役に立たず迷惑ばっかなら、学校来なくて良くね?」
「今度は、北岡君も別の場所の掃除だから、こっちに来て助けられないし、私達の負担大きいよね!」
(今まで身内以外に面倒かけた事なんて無い生活していたから、怪我するまで気付かなかったけど、自分が役に立たないせいで人に迷惑かけてしまうのって、こんなに心苦しいものだったんだ……まだ松葉杖で出来ない事が多い状態な私が、学校に復帰するのは早過ぎたのかも知れない)
詩奈は両松葉杖を使用している状態で復学した事を後悔し、放課後、その事を担任の浜口に相談しようか悩んでいると、瑞輝が教室に来た。
「俺、今日、部活休みなんだ。下にお母さん来ているんだろ? そこまで、送るよ」
そう言って、詩奈《しいな》のリュックを持った。
「ありがとう、矢本君」
登校すると、大好きな瑞輝に逢えるというメリットが大きい。
辛かったのは、初日で慣れていなかったせいかも知れないと、もう少し頑張ってみようと思った詩奈。
「このクラス、陰湿そうだけど、凌空、大丈夫だったか?」
直接、詩奈に尋ねると、遠慮して大丈夫そうに装うだろうと判断した瑞輝は、凌空に訊いた。
「よく牧田さんが我慢していたと思えるほど、僕の方が堪えたよ」
「そんなに酷かったのか? 大丈夫か、牧田?」
凌空が率直に伝えると、瑞輝が心配そうに尋ねた。
「うん……想像よりもずっときつかった。クラスメイトの態度もだけど、何も出来ない自分が、すごく情けなかった」
あまり弱音を吐かない詩奈の切なそうな言葉が、瑞輝や凌空の胸を締め付けた。
「ゴメンな、こんな事にならなかったら、牧田がそんな思いしなくて済んだのに」
詩奈の発言のせいで、瑞輝が自身を責めるのだけは避けたいはずだったが、そんな気遣いも出来なくなるほど、今日一日だけで詩奈は精神的にダメージを負っていた。
「僕一人では、牧田さんを庇いきれなくて、ごめん」
凌空も済まなそうに言った。
あれほど詩奈の為に手伝ったり、庇ってくれていた凌空にまで、そう言わせて、自分が嫌になりそうな詩奈。
「ごめんね、2人のせいじゃないから! ただ、私、まだ学校に復帰するの早過ぎたのかも知れないって……」
「そんな事言うなよ! 俺も、もっと協力するから!」
このままでは詩奈が登校拒否しそうな気がして、止めようとした瑞輝。
「いや、瑞輝。牧田さんが、そうしたいなら、僕は止めない方がいいと思う。あのクラスは、牧田さんにとってかなり苦痛だろうから」
同じ教室にいない瑞輝には分からなかったが、同じ教室内で様子を見ていた凌空が言うのだ。
相当きつい事態を感じ取り、その状況で詩奈に通学を続けさせるのは無責任に感じた。
「今日だけでは、急に生活環境が変わり過ぎたから付いていけない感覚も有るし……明日も様子見てから、決めようと思う」
初日の様子だけで即断するのは良くないと思い、瑞輝や凌空にこれ以上、余計な気遣いをさせないよう、音を上げずにいようと思った詩奈。
「そうか。明日は来るんだな?」
念を押した瑞輝。
「うん、明日も登校するから、また都合良い時に手伝ってくれると嬉しい」
瑞輝が、こうして、自分が登校するのを快く思ってくれている。
その瑞輝の身近に居たい気持ちが強く感じられる詩奈。
校門から出ると、母の車が道路脇に停まっており、詩奈の姿に気付いた母が出て来た。
「ありがとう、リュックもらうね。また明日!」
そう言いながら、少し引き攣った笑顔を見せた詩奈。
「久しぶりの学校はどうだった?」
母親には、クラスでの事を話すべきか迷った。
話すと、また瑞輝や凌空へのいたたまれない思いが蘇って辛くなる。
もう一日待ち、それで辛かった時は、母に話す事にした詩奈。
「矢本君や、北岡君に手伝ってもらって、助かった! でも、体育とか給食当番とか掃除とか、出来ない事が多過ぎて申し訳無かった」
その時の心境をなるべく思い出さないように、詩奈は淡々と言った。
少しでも感情を含めると、涙が止まらなくなりそうだった。
母は、詩奈の言葉通りだけではない気がしていたが、なるべく本人の感情を逆撫でしないよう、それ以上は何も尋ねなかった。
重いリュックを背負い、松葉杖での登校初日が始まった。
玄関に着き、瑞輝や凌空が待っている事に気付いた瞬間、不安しか無かった詩奈の顔に、パッと明るい光が差した。
詩奈のリュックを持った瑞輝
(矢本君と北岡君、私が来るのを待っていてくれたんだ! クラスも違うから、矢本君には、もうあまり会う事も無いと思っていたのに、嬉しい!)
その嬉しさで、少なくとも今日一日は乗り切って行けそうに思った詩奈だったが……
詩奈のクラスは1組で、幸い階段を4階まで上ってすぐの教室だが、その4階分の階段が思ったより長く、松葉杖では15分以上かかっていた。
ほとんどの生徒達の登校前に玄関に着いたはずが、途中で登校する生徒達にどんどん追い抜かれ、教室に辿り着くまでには生徒達の2/3以上が席に着いていた。
「おはよう」
久しぶりで、誰に挨拶していいのか分からないまま、手前のドアで先生がするように挨拶した詩奈。
勇気を奮った詩奈の挨拶への返事は、誰からも無かった。
その代わり、クラスのあちこちから、クスクスと含み笑いのような声が聴こえて来た。
入院前の詩奈の席は窓際の一番後ろだったが、その席だけ、机と椅子が逆様にされていた。
「誰がこんな事したんだ?」
座る事が出来ず困惑している詩奈の前に行き、机と椅子を元通りに置いた凌空。
その途端、生徒達から冷やかしの声が上がった。
詩奈が席に着くと、黒板の全体に描かれた落書きが目に飛び込んで来た。
それは、すぐに自分と凌空と瑞輝の事だと分かった。
『祝 ビッチ女の復帰』と大きく書かれ、矢印付きの三角関係の相関図と、2種類の名前の組み合わせの相合傘、ピンクのチョークで描かれた沢山のハート。
詩奈と凌空が気付くのを待っていたとばかりに、ますます冷やかしの声が大きくなった。
凌空が無言で黒板を消しかけた時に、ドアが開いて、瑞輝が入って来た。
「ゴメン! 牧田のリュック、そのまま4組に持って行ってた!」
瑞輝の声に振り向いた詩奈の表情が、先刻、クラスに入る時までの笑顔と全く違っている事に気付き、教室内にいるはずの凌空を探した。
凌空を見付けるよりも早く、消そうとしている黒板の落書きの方が、瑞輝の目に留まった。
「感じ悪いな~、このクラス!」
瑞輝は、クラス内の生徒の顔をぐるりと睨み付けるように見渡してから、凌空と一緒に、もう1つの黒板消しで消し出した。
瑞輝の後を追って来た、同じく4組の有川若葉も、その落書きを目にして憤慨していた。
「間違えてるじゃん! ここは、私の名前書く所だって!」
瑞輝の名前の書かれた相合傘の相手が詩奈という事に納得いかず、文句を付けた若葉に、クラス中がドッと笑った。
彼らの幼馴染みである若葉もまた、凌空や瑞輝と同様にカリスマ性が有り、女子からも男子からも好かれていた。
3人揃うと『三貴神』と称され、尊ぶ女生徒達も少なからずいた。
1組の教室内に3人揃っている間は、クラスメイトからのヒソヒソ声も冷やかしも消えていた。
(有川さん……同じクラスになった事は無くて、初めて近くで見たけど、こんな人目を引くキレイな人だったんだ~! これだけ美人で人気者だったら、矢本君に自分からグイグイ積極的に出る気持ちも、分かる気がする……)
小麦色の肌に、黒目がちな大きな瞳と口角の上がった美しい輪郭の唇、水着のグラビアアイドルのようなプロポーションの良さが制服の上からでも分かる。
そんな若葉を眩しい感じに見えるのは、詩奈だけではなく、クラス中の男女も同様だろう。
人は、自分には到底勝ち目の無いような尊い存在の前では、思い通りの言動が出来なくなるものなのかも知れない。
瑞輝と若葉が4組に戻り、温厚で大人しい凌空だけになると、クラスメイト達から容赦無く陰口と冷やかし声が襲い掛かり、詩奈は耳を塞いで机に伏せた。
「止めろよ! 病欠明けの生徒に嫌がらせするのは!」
普段、声を荒げる事の無い凌空が大声で詩奈を庇うと、クラスメイト達は思惑通りと言わんばかりに嘲笑し出した。
「北岡君、4組の矢本君と両天秤にかけられて、本音はどうなの?」
「若葉まで、巻き込まれて、気の毒だよね~!」
「三貴神を従えるなんて、図々しい!」
「牧田なんか、そこまでいい女かよ?」
「そのままずっと入院しとけば良かったのに」
「今更、登校して来ても、誰? って感じなんだけど!」
「体育祭とか、足引っ張られそうで迷惑じゃね!」
大声で罵声を止めさせようと試みても、余計に彼らを煽る結果にしかならず、諦めて口を閉ざした凌空。
(これから、毎日、こんな学校生活を繰り返す事になるの……? 小学校の時から今まで、学校は面倒臭いと思う事は有っても、行くのが嫌だった事なんて一度も無かったけど……もう、帰ってしまいたい! こんな状態だと、矢本君や、何より同じクラスの北岡君にすごく迷惑かけてしまう!)
自分に向けられている仕打ちも辛いが、それにも増して、瑞輝や凌空を煩わせる事が心苦しい詩奈。
「何だか、今日は妙に騒がしいな!」
担任の浜口正大が教室に入った途端、生徒達は咄嗟に口を閉ざした。
「えー、約1ヵ月くらい怪我で休んでいたが、今日からやっと、牧田が復帰した。当分の間、まだ松葉杖は手放せない。要領悪かったり、遅れる事も多いだろうから、クラスの皆で手伝ってあげるように! 牧田、そこの席のままで大丈夫か?」
一番後方の窓際席は、入口からは遠いものの、壁に松葉杖を立て掛けて置く事が出来、詩奈にとっては好都合だった。
「この席のままがいいです」
松葉杖が他の生徒達の通行の邪魔をしないように、しばらく席替えはしない事を望む詩奈。
「そうか、1ヵ月ぶりの登校だから、無理しないように。勉強も付いてくるのが大変かも知れないが、リハビリの合間に復習もしっかりするんだぞ! 何か困った事が有ったら、いつでも相談に乗るから、言ってくれ」
1時限目の英語の教師が廊下で待っているのが見え、浜口が入れ替わった。
(入院する前までは気付かなかったけど、浜口先生って、意外と親切な先生だったんだ。相談って、クラスメイトの態度が嫌な事とか……? でも、そんな相談して、先生がクラスメイト達を注意すると、絶対仕返しされそう……)
まだ我慢出来るレベルは、自分の中で堪え、担任には相談しない方が良いと思えた詩奈。
入院中、凌空が分かりやすく工夫して書いていたノートを見せてもらっていたが、特に英単語を覚えようとしてなかったせいか、久しぶりの英語の授業は、耳慣れない単語ばかりで、リスニング問題が聞き取れなかった。
他の教科は、凌空からのノートが功を成し、授業が理解出来た。
困難だったのは、体育の授業。
まず4階分の階段を下りて行くのに時間がかかり、誰も残っていない更衣室での着替えや、長い廊下を歩いて体育館に行くのにも時間がかかった。
体育館に付いた時には、もう既に、バスケットボールの練習が開始され、体育館の隅に座り見学した。
体育が終わると、また長い廊下を歩き、更衣室で着替え4階まで上るのが一苦労で、教室に戻った時には休憩時間も終わっていた。
(今までは、4階に上る程度でもダルいと思っていたけど、松葉杖の方がずっと大変過ぎる! 普通に歩いて上れていた事が、どんなにラクな事だったんだろうって、今さら思い知らされた。普通に歩けていたのに、そんな事が、ダルいなんて思ってしまったから、罰が当たったのかな……?)
詩奈は今週、給食当番の班だったが、松葉杖では給仕出来ないという事で免除された。
だが、その分、班のメンバー達の負担が増えたというクレームが、詩奈の耳に聞えよがしに届いた。
「ごめんなさい。足が治ったら、その分、連続で給食当番するから」
と、給食当番のメンバー達に頭を下げた詩奈。
「そういう事じゃないんだよね~。結局、治ってからサボった分を取り戻そうとしても、他の班は牧田さんが加わった分ラクになるけど、今の私達は、少ない人数で負担が増えている事に変わりないじゃん!」
嫌味のように言い返され、閉口した詩奈。
「僕が、牧田さんの代わりに入るよ」
詩奈が責められているのが聞こえ、凌空が申し出た。
「北岡君に代わりしてもらえるなら、まあいいけど!」
給食当番のメンバー達は、それ以上は文句を言わなかった。
「代わってくれてありがとう、北岡君」
「大した事無いよ。給食当番くらい」
凌空のおかげで救われたものの、後ろめたい気持ちは余計に募った。
そしてそれは、給食当番だけに限らず、清掃の時間にも痛感させられた。
「ごめんなさい、掃除もまだ無理で」
頭を下げて謝った詩奈。
「体育も、給食当番も、清掃も見学ですか~! いいとこ取り過ぎて、良い御身分ですね~!」
「役に立たず迷惑ばっかなら、学校来なくて良くね?」
「今度は、北岡君も別の場所の掃除だから、こっちに来て助けられないし、私達の負担大きいよね!」
(今まで身内以外に面倒かけた事なんて無い生活していたから、怪我するまで気付かなかったけど、自分が役に立たないせいで人に迷惑かけてしまうのって、こんなに心苦しいものだったんだ……まだ松葉杖で出来ない事が多い状態な私が、学校に復帰するのは早過ぎたのかも知れない)
詩奈は両松葉杖を使用している状態で復学した事を後悔し、放課後、その事を担任の浜口に相談しようか悩んでいると、瑞輝が教室に来た。
「俺、今日、部活休みなんだ。下にお母さん来ているんだろ? そこまで、送るよ」
そう言って、詩奈《しいな》のリュックを持った。
「ありがとう、矢本君」
登校すると、大好きな瑞輝に逢えるというメリットが大きい。
辛かったのは、初日で慣れていなかったせいかも知れないと、もう少し頑張ってみようと思った詩奈。
「このクラス、陰湿そうだけど、凌空、大丈夫だったか?」
直接、詩奈に尋ねると、遠慮して大丈夫そうに装うだろうと判断した瑞輝は、凌空に訊いた。
「よく牧田さんが我慢していたと思えるほど、僕の方が堪えたよ」
「そんなに酷かったのか? 大丈夫か、牧田?」
凌空が率直に伝えると、瑞輝が心配そうに尋ねた。
「うん……想像よりもずっときつかった。クラスメイトの態度もだけど、何も出来ない自分が、すごく情けなかった」
あまり弱音を吐かない詩奈の切なそうな言葉が、瑞輝や凌空の胸を締め付けた。
「ゴメンな、こんな事にならなかったら、牧田がそんな思いしなくて済んだのに」
詩奈の発言のせいで、瑞輝が自身を責めるのだけは避けたいはずだったが、そんな気遣いも出来なくなるほど、今日一日だけで詩奈は精神的にダメージを負っていた。
「僕一人では、牧田さんを庇いきれなくて、ごめん」
凌空も済まなそうに言った。
あれほど詩奈の為に手伝ったり、庇ってくれていた凌空にまで、そう言わせて、自分が嫌になりそうな詩奈。
「ごめんね、2人のせいじゃないから! ただ、私、まだ学校に復帰するの早過ぎたのかも知れないって……」
「そんな事言うなよ! 俺も、もっと協力するから!」
このままでは詩奈が登校拒否しそうな気がして、止めようとした瑞輝。
「いや、瑞輝。牧田さんが、そうしたいなら、僕は止めない方がいいと思う。あのクラスは、牧田さんにとってかなり苦痛だろうから」
同じ教室にいない瑞輝には分からなかったが、同じ教室内で様子を見ていた凌空が言うのだ。
相当きつい事態を感じ取り、その状況で詩奈に通学を続けさせるのは無責任に感じた。
「今日だけでは、急に生活環境が変わり過ぎたから付いていけない感覚も有るし……明日も様子見てから、決めようと思う」
初日の様子だけで即断するのは良くないと思い、瑞輝や凌空にこれ以上、余計な気遣いをさせないよう、音を上げずにいようと思った詩奈。
「そうか。明日は来るんだな?」
念を押した瑞輝。
「うん、明日も登校するから、また都合良い時に手伝ってくれると嬉しい」
瑞輝が、こうして、自分が登校するのを快く思ってくれている。
その瑞輝の身近に居たい気持ちが強く感じられる詩奈。
校門から出ると、母の車が道路脇に停まっており、詩奈の姿に気付いた母が出て来た。
「ありがとう、リュックもらうね。また明日!」
そう言いながら、少し引き攣った笑顔を見せた詩奈。
「久しぶりの学校はどうだった?」
母親には、クラスでの事を話すべきか迷った。
話すと、また瑞輝や凌空へのいたたまれない思いが蘇って辛くなる。
もう一日待ち、それで辛かった時は、母に話す事にした詩奈。
「矢本君や、北岡君に手伝ってもらって、助かった! でも、体育とか給食当番とか掃除とか、出来ない事が多過ぎて申し訳無かった」
その時の心境をなるべく思い出さないように、詩奈は淡々と言った。
少しでも感情を含めると、涙が止まらなくなりそうだった。
母は、詩奈の言葉通りだけではない気がしていたが、なるべく本人の感情を逆撫でしないよう、それ以上は何も尋ねなかった。
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