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8 三度目の庄司
第1話
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私と向希は特盛かつ割高のレインボーかき氷を二人でつつきながらお祭りを楽しんだ。もしかしたらこれが嵐の前の静けさかもしれないのだから。
「有ちゃん、メロン味のとこ避けてるだろ」
「嫌いなんだもん。メロンは好きだけど、この人工的なメロン味は嫌い」
「贅沢ものめ」
怒られながら、帰ったらお仏壇にお供えしていた巨峰とシャインマスカットはまだ残っているだろうかと心配する。
帰りたいような、帰りたく無いような気持ちを向希と共有していた。
「帰るか」
「そうだね」
お互いのレインボーには染まらなかった表現しがたい色になった舌を見せ合うと立ち上がった。
カラン、カラコロ、お祭りの賑やかさから遠ざかると、二人の足音だけが聞こえる。塗装された道路が終わり、土の道になると下駄の音も消えた。この道の先、門灯の光が淡く道を照らしていた。
手は繋げないが、向希の袖口をきゅっと掴むと、安心させるように笑ってくれた。
門をくぐると、室内は座敷の明かりが庭を照らしていた。
「ただいま」
私たちは出掛けた時と同じように玄関から中へと入った。
「お帰り」
父が顔をだした。いつものように優しい笑顔だった。
「じゃーん」
父は小さい子どもにするみたいに、手持ち花火を背中から取り出して全面に掲げた。
「しよ! 今から」
私は向希と顔を見合せた。
「する」
するけどさあ。
何となくやり過ごすというのは大人の得意分野ではないかと思う。
祖父母は縁側に腰をかけ、父は適当なところへ蝋燭を立てたり、セロテープでくっついて取れにくくなった花火の手持ち部分を外したりと世話を焼いている。
向希が言うように、あの人は世話好きな性分なのだろうか。一人っ子だから、お兄ちゃんになりたかったのかもしれない。……誰の?って感じだけど。いつも張り切って世話をしている。
母はただ場の空気に笑って、好きにさせてくれるのだ。
「風上がこっちだから、そっちに向けるといい」
父はそんなアドバイスまでしてくれる。
私と向希はわけのわからないまま、無邪気を装わなければならなかった。もっとも、今までの経験上、私だけが知らない何かがあるのかと疑ったが、向希が時々父や母、祖父母へ探るような視線を投げるところを見る限り、今回ばかりは本気で蚊帳の外なのだろう。
一体何年ぶりなのかというほどの手持ち花火はあっという間に終わったが、一日の締め括りにはぴったりだった。全員が揃ったのだから。
「さあ、順番に風呂に入るか」
「お父さん、先に」
祖母が祖父を『お父さん』と呼び、祖父が頷いた。私たちは今からこの浴衣を脱がしてもらわないといけないのだ。
「ああ、向ちゃん写真撮ろう」
脱ぐ前に慌てて言う。ああ、最初に撮れば良かった。
「じゃあ、二人並んで」
適当にインカメラで撮るつもりが、父が撮ってくれた。自分のスマホでも撮っていた。
時間短縮の為、私と母、父と向希が一緒にお風呂に入ることになった。
「父さんと母さんが一緒に入ればいいのに」
向希が言ったが(あいつ!)父と母は無反応だった。状況はちっともわからない。
「向希と有ちゃんは別々に入るんだから、それより効率がいいだろ」
父が言ったが、別に俺は有ちゃんと入ってもいいけど、と向希が冗談を飛ばしても、その異常さに反応したのは私だけだった。
やはり、まだ私は“庄司”継続の確定は得られない。
「あー、広いお風呂っていいわね。温泉の香りがする」
風呂釜が、木なので木の薫りがするのだ。確かにもちろん温泉ほど広いわけではない。一人だと広いが二人だとちょうどすぎる。
「お母さん、怒ってないの?」
「有希に?」
「そう。家出してきて、おじいちゃんおばあちゃんに怒られた?」
「まさか。言われるとしたら父さんでしょ。あの二人は私には全然。それが居心地悪いんだけど。父さんも話し合い拒否だし」
「嘘、お父さんそんな感じなの?」
「そう。普通にやり過ごして何とかしようって魂胆でしょうね」
二人になれば話し合うと思っていたし、四人になったら話し合うと思っていた。
私はすぐにでも向希のところへ行って、この家出が失敗に終わったことを報告したい気持ちになった。いや、待て。思慮深い向希のことだ。父と二人になった時、相手を怒らせることなく必要なことを聞き出すだろう。それならば、私も母からこうなった事と次第を聞けば良いのではないか。
「悪いなとは思ってるんだけど、どうしても父さんといたら腹が立っちゃうの」
それは私もそうだ。私と母はお風呂から上がると父と向希にかわった。私と母は二階で寝ることになっている。声のトーンさえ落とせばここの会話が筒抜けとはならないだろう。
父とはどうなったのか、というごく最近の話を聞きたかったのだ。そして、それを聞くつもりでいたのに、母から出てきたのは、遠い昔の話だった。
フラストレーションを解決するには、誰の共感は有効である。私は自らの境遇を向希と共有し、話すことで随分楽になった。だが、未だ残るもやもやしたものが、母と共有することで解消されるのを感じた。
それは、このことに対して不満を言うのは贅沢で自らを省みない愚か者である。と、自分で自分を責めてしまうからだ。
「私ね、お父さんと初めて会った時、詐欺だと思った。泣きっ面に蜂ってやつ。自棄になってもうとことん堕ちてやろうって、差し出された手を掴んだ。ところが、20年近く経っても正体を現さないじゃないの」
「え、うん。詐欺じゃなかったからね」
「恋人が死んで、出来ないだろうと言われてた子どもが出来て、今生まなきゃ一生子どもは諦めないとならないかもしれない。何で今なのって、他人だから喋った。けど、父さんは『大丈夫』って言った。大丈夫なことなんて何一つないのに、笑って言ったの」
話す母の姿はまるで、同級生みたいで、私は錯覚に囚われた。目の前にいるのは、たった18歳の女の子だった。
「有ちゃん、メロン味のとこ避けてるだろ」
「嫌いなんだもん。メロンは好きだけど、この人工的なメロン味は嫌い」
「贅沢ものめ」
怒られながら、帰ったらお仏壇にお供えしていた巨峰とシャインマスカットはまだ残っているだろうかと心配する。
帰りたいような、帰りたく無いような気持ちを向希と共有していた。
「帰るか」
「そうだね」
お互いのレインボーには染まらなかった表現しがたい色になった舌を見せ合うと立ち上がった。
カラン、カラコロ、お祭りの賑やかさから遠ざかると、二人の足音だけが聞こえる。塗装された道路が終わり、土の道になると下駄の音も消えた。この道の先、門灯の光が淡く道を照らしていた。
手は繋げないが、向希の袖口をきゅっと掴むと、安心させるように笑ってくれた。
門をくぐると、室内は座敷の明かりが庭を照らしていた。
「ただいま」
私たちは出掛けた時と同じように玄関から中へと入った。
「お帰り」
父が顔をだした。いつものように優しい笑顔だった。
「じゃーん」
父は小さい子どもにするみたいに、手持ち花火を背中から取り出して全面に掲げた。
「しよ! 今から」
私は向希と顔を見合せた。
「する」
するけどさあ。
何となくやり過ごすというのは大人の得意分野ではないかと思う。
祖父母は縁側に腰をかけ、父は適当なところへ蝋燭を立てたり、セロテープでくっついて取れにくくなった花火の手持ち部分を外したりと世話を焼いている。
向希が言うように、あの人は世話好きな性分なのだろうか。一人っ子だから、お兄ちゃんになりたかったのかもしれない。……誰の?って感じだけど。いつも張り切って世話をしている。
母はただ場の空気に笑って、好きにさせてくれるのだ。
「風上がこっちだから、そっちに向けるといい」
父はそんなアドバイスまでしてくれる。
私と向希はわけのわからないまま、無邪気を装わなければならなかった。もっとも、今までの経験上、私だけが知らない何かがあるのかと疑ったが、向希が時々父や母、祖父母へ探るような視線を投げるところを見る限り、今回ばかりは本気で蚊帳の外なのだろう。
一体何年ぶりなのかというほどの手持ち花火はあっという間に終わったが、一日の締め括りにはぴったりだった。全員が揃ったのだから。
「さあ、順番に風呂に入るか」
「お父さん、先に」
祖母が祖父を『お父さん』と呼び、祖父が頷いた。私たちは今からこの浴衣を脱がしてもらわないといけないのだ。
「ああ、向ちゃん写真撮ろう」
脱ぐ前に慌てて言う。ああ、最初に撮れば良かった。
「じゃあ、二人並んで」
適当にインカメラで撮るつもりが、父が撮ってくれた。自分のスマホでも撮っていた。
時間短縮の為、私と母、父と向希が一緒にお風呂に入ることになった。
「父さんと母さんが一緒に入ればいいのに」
向希が言ったが(あいつ!)父と母は無反応だった。状況はちっともわからない。
「向希と有ちゃんは別々に入るんだから、それより効率がいいだろ」
父が言ったが、別に俺は有ちゃんと入ってもいいけど、と向希が冗談を飛ばしても、その異常さに反応したのは私だけだった。
やはり、まだ私は“庄司”継続の確定は得られない。
「あー、広いお風呂っていいわね。温泉の香りがする」
風呂釜が、木なので木の薫りがするのだ。確かにもちろん温泉ほど広いわけではない。一人だと広いが二人だとちょうどすぎる。
「お母さん、怒ってないの?」
「有希に?」
「そう。家出してきて、おじいちゃんおばあちゃんに怒られた?」
「まさか。言われるとしたら父さんでしょ。あの二人は私には全然。それが居心地悪いんだけど。父さんも話し合い拒否だし」
「嘘、お父さんそんな感じなの?」
「そう。普通にやり過ごして何とかしようって魂胆でしょうね」
二人になれば話し合うと思っていたし、四人になったら話し合うと思っていた。
私はすぐにでも向希のところへ行って、この家出が失敗に終わったことを報告したい気持ちになった。いや、待て。思慮深い向希のことだ。父と二人になった時、相手を怒らせることなく必要なことを聞き出すだろう。それならば、私も母からこうなった事と次第を聞けば良いのではないか。
「悪いなとは思ってるんだけど、どうしても父さんといたら腹が立っちゃうの」
それは私もそうだ。私と母はお風呂から上がると父と向希にかわった。私と母は二階で寝ることになっている。声のトーンさえ落とせばここの会話が筒抜けとはならないだろう。
父とはどうなったのか、というごく最近の話を聞きたかったのだ。そして、それを聞くつもりでいたのに、母から出てきたのは、遠い昔の話だった。
フラストレーションを解決するには、誰の共感は有効である。私は自らの境遇を向希と共有し、話すことで随分楽になった。だが、未だ残るもやもやしたものが、母と共有することで解消されるのを感じた。
それは、このことに対して不満を言うのは贅沢で自らを省みない愚か者である。と、自分で自分を責めてしまうからだ。
「私ね、お父さんと初めて会った時、詐欺だと思った。泣きっ面に蜂ってやつ。自棄になってもうとことん堕ちてやろうって、差し出された手を掴んだ。ところが、20年近く経っても正体を現さないじゃないの」
「え、うん。詐欺じゃなかったからね」
「恋人が死んで、出来ないだろうと言われてた子どもが出来て、今生まなきゃ一生子どもは諦めないとならないかもしれない。何で今なのって、他人だから喋った。けど、父さんは『大丈夫』って言った。大丈夫なことなんて何一つないのに、笑って言ったの」
話す母の姿はまるで、同級生みたいで、私は錯覚に囚われた。目の前にいるのは、たった18歳の女の子だった。
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