伊予ノ国ノ物ノ怪談

綾 遥人

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2章

26話 毘沙門

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 市街地のはずれに黒いガルバリュームの外装のショールームと隣接した自動車整備工場。数台の車が店舗の前に並んでいる。
 【BISHAMON MOTORS】と看板が出ている。

 べにさんの運転する白い軽自動車がショールームの前に停車する。
 黒いパンツスーツ姿のべにさんが、オイルメーカーのステッカーで飾られた扉を開く。
 僕と咲耶、雪輪の3人は、紅さんに手招きされてモノトーンで統一された内装のショールームに入っていく。店内は数台の2輪車、自動車が並んで、どれも古そうだが新車のような艶と輝きを放っている。コーヒーの香りと微かにオイルの匂い。ショールームから作業中のガレージが見える窓があり、見たこともない古いヤマハのバイクから2ストロークのエンジン音と白煙を吹くチャンバーが見える。

そで、相変わらず、うるさくって油臭い店だね。旦那呼んでよ?」
頬にかかった榛摺色はりずりいろの髪を背に払いながら、カウンターの奥でコーヒーを淹れる女性に声を掛ける。そでさん?

「紅は毎回、来るたびに同じことを言うのね。コーヒー入ったから一緒に飲まない?」
僕はそのカウンターの女性に見蕩れていた。肩の辺りでふんわり緩やかにカールする栗色の髪。茶系の大きな瞳は悪戯っぽく紅さんを見ている。真っ白な肌に艶やかな少し厚めの唇にはローズピンクの口紅。白いシャツに細身の黒いパンツ、腰から膝までを覆うギャルソンエプロンというシンプルな服がこれ以上ない位、似合っている。

「ああ、じゃあ頂くよ。颯馬、あんた達も何か飲むかい?」
微笑む袖さんから、ドリンクメニューを受け取る。顔が赤くなっているのが分かり、それが恥ずかしくてさらに顔が熱くなる。

「じ、じゃぁ、僕もコーヒー下さい」
「うちは、グレープフルーツジュース、『れい』くんはミルクかな?」
「オレンジジュース、お願いします」
 カウンターに座る。やっぱり、バイクに乗っているのでバイクに目が行く。古そうな赤いバイク、DUCATI900SS。トライアンフのスピードトリプル、ヤマハのFZ750。どんなラインナップだ?

「袖と旦那の毘沙門びしゃもんは、二人とも人狸たぬきなんだよ。毘沙門は昔から機械が好きでね。趣味が高じて自動車やバイクの修理工場やってるのさ」
カウンターで頬杖をついた紅さんが袖さんの方を見ながら説明してくれる。

「私は趣味でこうやって喫茶店みたいなことをしてるけどね。最近はあの人のお仕事は車のカスタムって言うのかしら?改造を頼まれることが多いみたい」
カップにコーヒーを注ぎながら袖さんが補足してくれる。

 飲み物が運ばれてくるなり、紅さんはオイルレザーのトランクから、複雑な紋様が書かれた紙と黄水晶の様な円錐形の石を取り出した。

「毘沙門にこれを見てもらいたくってさ」

「これって、術札? 西洋魔術の魔法陣かしら? こっちの石も術の触媒かなにか?」

「一昨日、この子たち3人が2人組の人狐きつねに襲われた。もうコテンパンにやられたらしいよ。そのとき相手が使った魔法陣と物の怪のツノさ」
 紅さんは柔らかな湯気を立てるカップに、砂糖をどばどば入れて、もうやめてっと雪輪がコーヒーをかわいそうなものを見るような顔になったところでミルクをカップのふちまで注ぐ。

「これが、物の怪のつの? 毘沙門あの人なら呼び戻せるかしら?」
袖さんは、カウンターの上の黄色い角を眺めながら、優雅にカップを口に運ぶ。

――呼び戻す?
円錐形の石を摘み上げて紅さんがつぶやく。
「物の怪は滅されない限りほっといても時間を掛ければ復活できるのさ。まぁ、ここまでやられたら復活するには100年位はかかるね」
「それを、すぐに復活させることが出来るってことですか?」
 雪輪はグラスに手を伸ばしかけた手を止めて袖さんに尋ねる。
「人間をあの世から呼び戻すのは無理だけどね。こいつはこの状態でも、まだ生きてるって事だよ」
 紅さんが代わりに答える。

「かわいい、オオカミ娘さんね?」
カップを両手で持った袖さんが雪輪の方を見ながら微笑む。

「正解だよ。人狼おおかみは、後藤小源太の末裔、後藤雪輪、お役目を受け継いだらしいよ」
 雪輪が会釈する。
「そいで、こっちの馬鹿みたいに”気”を放ってるのが河野颯馬、五百木咲耶」
「「はじめまして」」
「こっちのちっこい狼は咲耶の眷属の……レイだっけ? 雨霧様?」
【『れい』じゃ。 雨霧の名前は忘れてくれぃ。しかし、こんなものを飲むのは何百年ぶりかのぉ】
 鼻の頭にミルクをつけたレイさんがぷりぷりと尻尾を振るう。どうやらミルクが気に入ったらしい。

「袖さん、昨日、紅さんから聞いてると思いますが、私の父が狐の呪いを受けて、あと3か月しか生きられないんです。どうにか呪いを解いてくれませんか?」
 雪輪が袖さんに泣きそうな顔でお願いする。

「紅から大体の話とおとうさんの患部と魔法陣の画像はもらっているわ。昨日の夜、あの人は魔術の本をいろいろ調べてたけど何か分かったのかしら?」
 おかわりはいかが? と袖さんがコーヒーを紅さんに勧める。

 そこへ、油で汚れたツナギ姿の男がガレージから入って来た。

「やぁ、紅。電話の件調べといたよ! あぁ袖、僕にもコーヒー貰えるかい」
 この人が毘沙門さんだろう。ダークブラウンの長めの髪。ビックリするくらいのイケメンだ。咲耶は、ぽかんと口を開けて毘沙門さんの顔を呆けたように見つめている。
 毘沙門さんは袖さんに並んでカウンターに立って話し始めた。

「僕が毘沙門だ。紅から大体の話は聞いてる。君が後藤のお役目の雪輪ちゃんだね?」

「はい。先日、お役目を引き継ぎました、後藤雪輪です」
 すぐにでも毘沙門さんに解呪の方法を聞きそうだったので、僕と咲耶が慌てて自己紹介をした。

「雪輪ちゃん、お父さんの解呪は僕も全力を尽くすけど絶対に出来るとは約束できない。紅にもらった画像に魔法陣が写っていたけど、僕は魔法陣についてあまり知らない」
 雪輪はどんな心境なんだろう? 何も言わず小さく頷いただけだった。
「仕組みが分かれば解呪の方法が分かるかもしれないけど、サンプルが少なすぎる」
 ここまでしゃべって、コーヒーを口に運ぶ毘沙門さん。

「紅がこれを持ってきたけど」
 袖さんが雪輪の持っていた、魔法陣のトラップと物の怪のつのを毘沙門さんのまえに置く。

「これは……魔法陣だ。呪いをかけた狐が使った術式じゅつしきかい?」
 真剣な顔で食い入るように魔法陣を見つめる。

「はい、敵の狐が時間稼ぎのために私たちを閉じ込める罠になっています。両サイドに書いてある小さな魔法陣に触ると手から魔力が一気に吸い取られて術が発動しました」
 雪輪は魔法陣を触った後の状況を事細かく説明してる。鳥籠のような光の檻に閉じ込められて、地面から角の生えた兎の物の怪がうじゃうじゃ出てきたそうだ。

「ここに触れると術が発動?」
 何のためらいもなく魔力が吸い取られたという小さな魔法陣に触れる毘沙門さん。

「「「うわっ」」」

 みんなびっくりしてカウンター席から立ち上がるが、そんな僕たちには目もくれず毘沙門さんは紅さんが送った魔法陣の画像と古ぼけたメモ帳を忙しく見比べながら書いてある文字を指でなぞっている。

「こうなったら、こいつは何言っても聞こえなくなっちまうんだよ。顔だけはいいから、眺めながらコーヒーでも飲んでな」
 2杯目のコーヒーにミルクを注ぎながら紅さんがうんざりした表情でいった。

たっぷり1時間後――

 満面の笑みを浮かべた毘沙門さんが顔を上げる。どうやら何か分かったようだ。
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