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15話 凛の母です

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「凛、あ~ん!」
 俺の皿に残ったトマト。何としてもこの女の口に放り込みたい。そのためならば悪魔にでも心を売る!

「……翔吾、なんか目が怖い」
 セリフの割には少し嬉しそうに見えるが…

「そっそうか? スマン、何か緊張して」

(焦りすぎは禁物だ。だが、どうすればこのミッションをコンプリート出来るんだ…)

「ふふっ、ちょっとは私を意識してるんじゃないの?」
「う~ん、そうかもな。俺は女子に免疫がなくってな。学校じゃクラスの女子ともほとんど話もしないし」
「そんな感じはしないんだけど」
 ふうん、と言いながらトーストを齧る凛。

「なんでだろうな? 凛とは普通に話が出来る。お前くらい綺麗な女子だったら顔も見れなくって真っ赤になってきょどってるんだがな」
 一瞬びっくりしたような顔をすると赤くなって目をそらされた。皿の上のベーコンを突っついている。
 
「……うれしいこと言ってくれるじゃない。ひょっとしてもうデレた? 早くない?」
 俺もなんか照れくさくなって目玉焼きをフォークで突っつくことで凛から目をそらす。
 
「……デレてはないんだがな」
 ここは釘を刺しておく。

「そう。まあいいわ。……翔吾、トマト食べてあげる」
「マジ! いいのかよ!」
 ナニがどうなったか分からないが俺にとっては僥倖としか言いようがない。
 テーブルに少し身を乗り出して小さく口を開ける凛。
 慌ててフォークに突き刺して差し出す。俺は左手で小さくガッツポーズをしていた。顔もニヤケていたに違いない。
 もぐもぐと口を動かす凛の顔を見つめる。
 素晴らしい! なんていう達成感だ! 世の中のカップルはこの達成感を味わうために『あ~ん』という儀式を執り行っているんだ!
 『ごっくん』と紅い悪魔が凛の咽喉を滑り降りていく。悪魔は冥界に去った。もう俺の前に現れることはないだろう。
「翔吾、そんな顔もするんだね……」
「はぅ? そんなにヘン顔だったか?」
「ううん、かわいい……っ!!」
 俺の顔を見ていた凛の顔色が変わる。少し赤かった顔がトマトのように真っ赤になる。

「凛!どうした! トマトか? トマトなのか? まさかトマトに毒が……」
 やはり、トマトは人類が食してはいけない禁断の実。アダムとイブがエデンの園で食した禁断の果実はトマトだったに違いない。それとも、凛の腹の中は鬼だらけで桃太郎トマトが鬼退治を……? いや、アメリカ政府が開発した巨大トマトが人を襲う……?

「おっお母さん……いつからそこにいたの……」
 冷や汗を流す凛の視線の先を見るとリビングの入り口に赤い下着姿の綺麗なお姉さんが立っている。しかも最強のくびれに重量感たっぷりの2つの肉塊は赤いブラの肩ひもの強度が心配になるくらいだ。

「凛がトマトを食べさせてもらったところから、もちろん1回目の時から」
「最初からじゃない!」
「久しぶりに凛の楽しそうな声が聞こえてきたから、気になって!」
「お母さん、なんて恰好してるの! 何か服を着て! 早く!」
「あらあら~、凛! ここ2・3日ご機嫌だと思ってたら~、なにぃ? 彼? 凄いじゃない! あっ凛の母ですぅ~」
 真っ白い肌に赤い下着が俺の脳みそを直撃。
「むっ村上ですぅ……(ごにょごにょ)」
 慌ててテーブルから立ちあがり直立不動で背を向ける。
 凛のお母さんにはコミュ障が発動。

「何なに? モーニングコーヒー? ピロートーク? 朝チュンっていうやつ? 後でベットのシーツの乱れ具合を確認するから!」

「違うから! 朝のロードワークに付き合ってもらったから朝ご飯! 食べてもらってたの!」
「村上君! こっち向いても大丈夫よ!」
 おずおずと振り返るとリビングの入り口から顔だけだした凛のお母さん。凛によく似ている。大人っぽい凛だ……
「ふ~ん、お母さんの好みだわ~、凛と趣味が合うなんてやっぱり親子ね! 若い時のお父さんにそっくり!」
「はぁ…」
「お母さんはもう部屋に戻って!」
「は~い、二人の邪魔はしないわ。ごゆっくり~!」
 ひらひら手を振る凛のお母さんの顔が真顔になる。
「それと、凛。お父さんのお見舞いに行ってあげてね。退屈してるから」
「……分かったから、早く部屋に行ってよ!」
「ハイハイ、お休み~! 村上君いつでも遊びに来てね!」
「はぁ…」

 びっくりした――

 朝食を食べ終えて凛が俺にコーヒーを淹れてくれる。俺は自分の皿の上に残っていたトマトも凛の口に放り込むことが出来た達成感もあってかなり旨い食事だったと感じている。

「翔吾、これからどこかに遊びに行かない?」
 カップのふちを指で撫でながら凛が聞く。
「午後からでいいか? 午前中は先約があるんだ」
「昨日の電話で言ってたわね。私をほっといてタマって子と空手の練習するんでしょ? とんだ二股クズ男ね」
「二股ってひでぇな……。どちらの股も無いんだが。タマが6月に試合に出るからな。空手家と対戦したことがないって不安がってるし。ああ、それと妹も一緒だ。デビュー戦だから張り切ってて稽古つけないと俺が殺されるからな」
「翔吾を殺せるんなら稽古はつけなくていいんじゃない? ひょっとしてシスコン? 正直ちょっと引くわね」
「誰がシスコンだ! 素手ならまだしも、武器を持った美羽は手が付けられない。手裏剣と小太刀はマジでヤバイ」
 間合いを取れば正確に急所を狙う手裏剣が打ち込まれ、小太刀の間合いではマシンガンのような連撃。いつでも異世界へ転生の準備は出来ている。

「翔吾が習ってる古武術って忍術って言うのになるの?」
「忍術じゃない『松山河野流兵法』だ。河野水軍の兵法が源流だっけ?」
 俺もよく知らない。
「私に聞かれても知らないわよ。河野流兵法ね……まあ、いいわ。じゃあ1時に待ち合わせで」
 凛は俺もよく行くショッピングセンターを待ち合わせ場所に指定する。ゲームセンターや映画館なんかもあってこの辺りの高校生の定番デートスポットだ。
「分かった、じゃあ俺は帰るよ、ご馳走様。また後で!」

* * * * * *

 美羽に引きずられる様に道場に連れて行かれる。
 道場の奥にはすでに白い道着に着替えたタマがストレッチをしている。
「タマ姉、おはよ!」
「おはよう、タマ」
 昨日のタマ。
「翔くん、美羽ちゃん、おはよう!」
 にこにこ笑う、いつもと同じタマ。昨日の夜の事、一晩寝て吹っ切れたのか? 女は強いな……
「タマ……?」
「翔くん、さっそく練習しよ? 時間がもったいないよ!」
「おう! すぐに着替えてくる」

 更衣室に駆け込むと先客がいた。同じ高校に通う河野颯馬こうのそうま先輩だ。
 河野師範のお孫さんで、2か月ほど前に広島から転校してきて稽古に励んでいる。
 扉を開ける音にビクッと反応し振り返る。
「なんじゃっ! ……翔吾くんか」
 汗をかいたTシャツを変えていたのか上半身裸の先輩。女子みたいに胸をタオルで隠していたが俺の顔を見て、ホッとしたような笑顔を見せる。
「うっす。おはようございます……」
 俺はなんかこの人は苦手だ。長い手足。少し長めの髪。キメの細かい真っ白な肌。長い睫毛、大きな瞳。
 胸が有ったら女子だよな。しかし、細身だがスゲーガタイしてる。香港のカンフーアクションスターみたいだ。
 そういえば、クラスの女子が可愛い先輩が転校して来たって騒いでいたな。

(しかし……)
 この先輩の前では、軽めの女子コミュ障が発生するんだよ。心拍数が上がる。

「最近、僕が着替えとったら、咲耶が更衣室に入って来るんじゃ」
「そうっすか……」
 あの咲耶ばか何を考えている?
 楽しそうに俺にあれこれ話しかけてくれる先輩。
 この人は女じゃない女じゃない……と、思っていないと頭にも血が上ってくる。

(しかも、なんだこの人! めちゃくちゃいい匂いがする……)
「…なんか先輩からいい匂いがするんすけど、なんて香水ですか?」
「えっ? 香水? つけてなぁよ。咲耶も言いよったけんど、柔軟剤かなんかの匂いじゃろ」
 
 どうも、俺は匂いフェチらしい。凛の時はクラクラした。先輩にもクラクラしそうだ……ってイカンイカン、誰得? 誰もそんな話の流れを望んでいない! 主人公に思いを寄せるダブルヒロインが男の娘にかっさらわれる話? 需要は無い。

 ぶんぶん首を振る俺を不思議そうに見ていた先輩が思い出したように言葉を発した。

「翔吾くん、吉田さん何かあったのか? さっき道場で泣きそうな顔してたんだけど……」
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