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□ 河畔
白馬はたてがみを切り揃えて結ばれ、馬上の人の邪魔になることなく規則正しく揺れている。ここまで激しく全速力で駆けてきたのだが、共の馬の姿を振り切ってしまったので、拍車を掛けるのをやめた。少し先には、ワカレィ河の透き通った水面のキラめきが見えている、白馬に水を飲ませるのに調度良い頃合いでもあった。
馬上のフォーシス姫は、颯爽とした男装の着こなしで、特にサラリとした舐めし皮のパンツは、姫の長く細い脚に吸いつくようであった。
「ポルーシエ、素晴らしいギャロップだったわ」
白馬の首筋をポンポンポンと3回打って、感謝を伝えると、それにポルーシエはブルルルと応えた。
「それにしても、走りに夢中になってお供の2人を忘れてしまったわ、少しあちらで休みましょう」
まるで人との会話をするようにして、フォーシスは明るく話しかける。すると、それを理解しているように川岸へとゆっくりとした並足で向かう。
「わたし、あなたが好きよ、ポルーシエ」
白馬は照れたかのように頭を3度上下に振る。フォーシス姫が特段の手綱捌きをすることもなく、川辺の草地を踏み分けて浅瀬まで乗り込んで、清らかな流れへと口を下ろして、ゴキュゴキュと水を飲むポルーシエであった。
「わたくしも…」
そういうと、しっかりと馬につけた振り分け鞄から薄皮の水筒を取り出して、お行儀を無視して直接口をつけて、まだ冷たい水を喉に流し込んだ。
「ふぅ~、生き返るわね」
執事サバスが気を利かせたのか、ほんのりとレモンの風味が溶け込んだ水筒の中身がフォーシス姫に、そんな言葉を使わせたのである。
「もうそろそろ、あの2人追いつくかしら」
水筒を仕舞い、来た方向を振り返った時だった。ワカレィ河の上流方向から、水面を蹴散らせて近づいてくる音に、フォーシスは気がついた。
「何者ッ!そこに留まりなさい」
駆けてくる馬脚にわずかながらの敵意を悟り、声を低く掛け、制止を促しつつ臨戦態勢を作るために、剣へと手を伸ばした。不審な者は単騎、その距離10フィートほどだ。
こちらの静止を受け入れたわけではなく、敵意を感じて自主的に安全な距離を保ったかのようだ。
「その者、サンジェルマンのモノではないな!」
相手の馬上からフォーシスに問い掛ける、声調は高飛車で警戒心がこれでもかと詰められていた。敢えて、フォーシスは返答をせずに相手の出方を伺った。
「返答なしとは礼儀知らずだな」。ふふんと鼻で笑い続ける。
「さては、シヨーヌのものだな⁉︎この河をワカレィと知っての侵攻か?この河はサンジェルマンの領土なるぞ!」
「河の中心までは、シヨーヌの領土なり、侵攻しておるのは領界線を踏み出したるキサマであろう!」
相手の不遜な話し方に思わず、フォーシスは言い返してしまった。
「なんだと、オマエッ」
ジリっとお互いに一触即発に気色ばんだ。川面の光が2人と2頭を下から照らし上げる。2人の間には、河のせせらぎの音しか聞こえない。そこに、遠くから侍従の2人が駆けてくる馬蹄音が割って入ってきた。川面に立つ2人の影を認めたようで、拍車の蹴りを入れ、ただひたすらに駆けてくる。
「フッ…助っ人現るか。仕方ない、引くか」
フォーシス姫の主張する、河の中心が境界線を理解して分が悪いと悟ったのか、手綱を引いてソイツは走り去って行った。
〈深追いをするまでもない〉
そう思い、岸辺へと引き返して侍従らと合流した。
「姫、お怪我はありませぬか?」。年配の侍従のラチョスが心配をする。
「追いかけましょうぞ」。もうひとりの侍従のサバスは血の気が多い。
「いいえ、無益な争いは何の得にもなりません、馬に水を飲ませたらすぐに戻りましょう。あの男の仲間らが近くにいたとしたら、また戦いになる可能性があるわ」
それを危惧してフォーシスは撤退をサバスに促した。不承不承ながらも彼は従う。
「単騎でここまで来てるとしたら、相当な変わり者よね、アイツ」
思い出し笑いをするように、並んで歩くラチョスに語りかけると、何かを言いにくそうな顔を向けた。
「いやいや、姫もポルーシエをあんなに速く駆ったら、単騎行動と大差なしですよ」
「これッ、言葉を謹め」
ラチョス侍従をおもんばかって本当のことを言うサバスを嗜めた。そして3人は思わず、笑い出した。シヨーヌ城が近いという安心感からの3人の笑いであった。
街に入り通りを歩けば白馬は視線を自然と集める。
「あれは姫さまよ」
「全くのトンボイな、お方よのぉ」
「ああ、素敵。私もあんな風になりたい」
「ふん、あんな姫のどこがいいの?」
賛美、憧憬、嫉妬、批判が入り混じる声はフォーシスには届いていたのだが、どちらの声にも反応することはなかった。17歳の少女が周りからの評判を気にしないメンタルの強さは、そのままの負けん気の強さであった。
「姫様も、もう少し愛想を振りまけば…」。侍従のラチョスは、ため息混じりにつぶやいた。
「姫を悪くいう奴は許さん、フォーシス様が命令を下さればいかようにも制裁します」
「気にするな、サバス、言わせたい奴には言わせておけ」
語気を荒げることなく若干歳上の侍従サバスをいなすフォーシスであった。
□ □ □
「遠駆けするのも、ほどほどになさい」
肘までの革手袋をスルリと脱いで、白くしなやかな腕を露わにしたフォーシスの背中に、刺々しさを宿した言葉が刺さった。それはフォーシスの母であり、王の妻・王妃ミツーヌだ。
〈チッ〉
下品な舌打ちを心の中でしながら、フォーシスはゆっくりと振り向くと、丁寧なお辞儀を上品にして棘のある呼び掛けに答える。
「承知致しました、王妃さま」
◾️◾️◾️◾️
この母親はフォーシスと血の繋がりはない。
彼女を産んだ元の王妃・二ノーラは、この城から放逐され、今ではどこにいるかも知れなかった。追い出された理由は、当時の侍従長との不義密通が王の知るところとなり、彼女は弁解の機会さえもなく離縁されたのである。
世間雀が囁く噂では、未開の地・イチーノニアへと追放されて、その地で命を落とした説が有力だったが、それを確かめた者は1人としていなかった。その後の王妃の座・後妻に入ったのがミツーヌである。若々しく華やかさを香らせるミツーヌに、ヨンダル王は魅了されて挙式を執り行ったのだ。
あれから12年、年齢を感じさせない妖しい魅力を放つ彼女に、王は未だに骨抜きである。フォーシス姫の反発の根底には、本当の母への想いと、継母への歪んだ思いが入り混じり複雑な感情が存在している。当時、まだ6歳であったが、しっかりと周囲を見つめていた。
そして、フォーシス姫は、押し寄せる荒波のような疎外感を、三度味わう事になったのだ。そのひとつ一つをお聞かせしましょう。
白馬はたてがみを切り揃えて結ばれ、馬上の人の邪魔になることなく規則正しく揺れている。ここまで激しく全速力で駆けてきたのだが、共の馬の姿を振り切ってしまったので、拍車を掛けるのをやめた。少し先には、ワカレィ河の透き通った水面のキラめきが見えている、白馬に水を飲ませるのに調度良い頃合いでもあった。
馬上のフォーシス姫は、颯爽とした男装の着こなしで、特にサラリとした舐めし皮のパンツは、姫の長く細い脚に吸いつくようであった。
「ポルーシエ、素晴らしいギャロップだったわ」
白馬の首筋をポンポンポンと3回打って、感謝を伝えると、それにポルーシエはブルルルと応えた。
「それにしても、走りに夢中になってお供の2人を忘れてしまったわ、少しあちらで休みましょう」
まるで人との会話をするようにして、フォーシスは明るく話しかける。すると、それを理解しているように川岸へとゆっくりとした並足で向かう。
「わたし、あなたが好きよ、ポルーシエ」
白馬は照れたかのように頭を3度上下に振る。フォーシス姫が特段の手綱捌きをすることもなく、川辺の草地を踏み分けて浅瀬まで乗り込んで、清らかな流れへと口を下ろして、ゴキュゴキュと水を飲むポルーシエであった。
「わたくしも…」
そういうと、しっかりと馬につけた振り分け鞄から薄皮の水筒を取り出して、お行儀を無視して直接口をつけて、まだ冷たい水を喉に流し込んだ。
「ふぅ~、生き返るわね」
執事サバスが気を利かせたのか、ほんのりとレモンの風味が溶け込んだ水筒の中身がフォーシス姫に、そんな言葉を使わせたのである。
「もうそろそろ、あの2人追いつくかしら」
水筒を仕舞い、来た方向を振り返った時だった。ワカレィ河の上流方向から、水面を蹴散らせて近づいてくる音に、フォーシスは気がついた。
「何者ッ!そこに留まりなさい」
駆けてくる馬脚にわずかながらの敵意を悟り、声を低く掛け、制止を促しつつ臨戦態勢を作るために、剣へと手を伸ばした。不審な者は単騎、その距離10フィートほどだ。
こちらの静止を受け入れたわけではなく、敵意を感じて自主的に安全な距離を保ったかのようだ。
「その者、サンジェルマンのモノではないな!」
相手の馬上からフォーシスに問い掛ける、声調は高飛車で警戒心がこれでもかと詰められていた。敢えて、フォーシスは返答をせずに相手の出方を伺った。
「返答なしとは礼儀知らずだな」。ふふんと鼻で笑い続ける。
「さては、シヨーヌのものだな⁉︎この河をワカレィと知っての侵攻か?この河はサンジェルマンの領土なるぞ!」
「河の中心までは、シヨーヌの領土なり、侵攻しておるのは領界線を踏み出したるキサマであろう!」
相手の不遜な話し方に思わず、フォーシスは言い返してしまった。
「なんだと、オマエッ」
ジリっとお互いに一触即発に気色ばんだ。川面の光が2人と2頭を下から照らし上げる。2人の間には、河のせせらぎの音しか聞こえない。そこに、遠くから侍従の2人が駆けてくる馬蹄音が割って入ってきた。川面に立つ2人の影を認めたようで、拍車の蹴りを入れ、ただひたすらに駆けてくる。
「フッ…助っ人現るか。仕方ない、引くか」
フォーシス姫の主張する、河の中心が境界線を理解して分が悪いと悟ったのか、手綱を引いてソイツは走り去って行った。
〈深追いをするまでもない〉
そう思い、岸辺へと引き返して侍従らと合流した。
「姫、お怪我はありませぬか?」。年配の侍従のラチョスが心配をする。
「追いかけましょうぞ」。もうひとりの侍従のサバスは血の気が多い。
「いいえ、無益な争いは何の得にもなりません、馬に水を飲ませたらすぐに戻りましょう。あの男の仲間らが近くにいたとしたら、また戦いになる可能性があるわ」
それを危惧してフォーシスは撤退をサバスに促した。不承不承ながらも彼は従う。
「単騎でここまで来てるとしたら、相当な変わり者よね、アイツ」
思い出し笑いをするように、並んで歩くラチョスに語りかけると、何かを言いにくそうな顔を向けた。
「いやいや、姫もポルーシエをあんなに速く駆ったら、単騎行動と大差なしですよ」
「これッ、言葉を謹め」
ラチョス侍従をおもんばかって本当のことを言うサバスを嗜めた。そして3人は思わず、笑い出した。シヨーヌ城が近いという安心感からの3人の笑いであった。
街に入り通りを歩けば白馬は視線を自然と集める。
「あれは姫さまよ」
「全くのトンボイな、お方よのぉ」
「ああ、素敵。私もあんな風になりたい」
「ふん、あんな姫のどこがいいの?」
賛美、憧憬、嫉妬、批判が入り混じる声はフォーシスには届いていたのだが、どちらの声にも反応することはなかった。17歳の少女が周りからの評判を気にしないメンタルの強さは、そのままの負けん気の強さであった。
「姫様も、もう少し愛想を振りまけば…」。侍従のラチョスは、ため息混じりにつぶやいた。
「姫を悪くいう奴は許さん、フォーシス様が命令を下さればいかようにも制裁します」
「気にするな、サバス、言わせたい奴には言わせておけ」
語気を荒げることなく若干歳上の侍従サバスをいなすフォーシスであった。
□ □ □
「遠駆けするのも、ほどほどになさい」
肘までの革手袋をスルリと脱いで、白くしなやかな腕を露わにしたフォーシスの背中に、刺々しさを宿した言葉が刺さった。それはフォーシスの母であり、王の妻・王妃ミツーヌだ。
〈チッ〉
下品な舌打ちを心の中でしながら、フォーシスはゆっくりと振り向くと、丁寧なお辞儀を上品にして棘のある呼び掛けに答える。
「承知致しました、王妃さま」
◾️◾️◾️◾️
この母親はフォーシスと血の繋がりはない。
彼女を産んだ元の王妃・二ノーラは、この城から放逐され、今ではどこにいるかも知れなかった。追い出された理由は、当時の侍従長との不義密通が王の知るところとなり、彼女は弁解の機会さえもなく離縁されたのである。
世間雀が囁く噂では、未開の地・イチーノニアへと追放されて、その地で命を落とした説が有力だったが、それを確かめた者は1人としていなかった。その後の王妃の座・後妻に入ったのがミツーヌである。若々しく華やかさを香らせるミツーヌに、ヨンダル王は魅了されて挙式を執り行ったのだ。
あれから12年、年齢を感じさせない妖しい魅力を放つ彼女に、王は未だに骨抜きである。フォーシス姫の反発の根底には、本当の母への想いと、継母への歪んだ思いが入り混じり複雑な感情が存在している。当時、まだ6歳であったが、しっかりと周囲を見つめていた。
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